男装少女の物語
ラダはイオラの乗る馬車に家の近くまで送ってもらい、店が閉店する前には戻ることができた。彼女の家族の食堂は酒も出すこともあるが、酒屋ではないので、遅い時間まで営業することはない。
まずは毎日稽古に出ることを伝え、その前後に店を手伝うと言ったのだが、両親は稽古に集中しなさいと、一か月の間、お店の手伝いを休むことになった。
今日も手伝うというラダに対して両親は練習もあるのだろうと言って断り、少し考えたが素直に部屋で台本を読むことにした。
(クリス……。クリスチナはヤルミルだ)
蝋燭を灯して、部屋に中で台本を読み終わった後、ラダは何とも言えない気持ちになった。
少女クリスチナは、今のラダと同じ十五歳。
小さいときに偶然にもある騎士を助けたことがあった。その時はお互いに名乗ることはなかった。
数年後戦争が起き、クリスチナは病気の父の代わりに性別を偽って、男として入隊。そこで騎士アレクセイの従者となる。クリスチナはそれがあの時の騎士だと気が付いたが、アレクセイが気が付くことはなかった。
クリスチナーークリスは戦場で奇跡を見せることになる。彼女――彼は精霊に愛される子で、戦場で精霊の力を借りて、勇猛な敵国の王太子ルイベルト率いる軍を撃破した。
戦争は間もなく終わり、クリスのおかげで活躍したアレクセイは、王女と婚約する。
集められた兵士は家に帰ることを許され、アレクセイを愛していたクリスも胸の痛みを堪えながらも、家へ戻ろうとする。
そこに現れたのは、敵国の王太子の婚約者だったデニサで、王太子の愛剣を使ってクリスを殺そうとする。
けれども、そこで奇跡が起こる。
死んだはずの王太子が生きていてデニサを止め、クリスを守ろうとアレクセイが姿を見せたのだ。
王太子はすでに身分も何もかもを失っていたが、デニスと共に新しい人生を歩むことになる。
アレクセイも昔自分を助けてくれた女の子がクリスであることに気が付き、婚姻を申し込んだ。身分を越えて、アレクセイとクリスチナは結ばれて、幸せな結末を迎える。
「物語だから……。なんだよね」
ラダには皮肉にも思える話だった。
「でも、これなら、演じられる。クリスはヤルミルだもの。アレクセイを王女様だと思えばいいんだ」
『なるほどな』
「闇の精霊!」
部屋の中にはまだ蝋燭の明かりがある。
ラダの影がゆらりと動いていた。
『面白い話じゃのう。これなら、ラダにぴったりじゃの。あのマクシムは本当に憎憎しい奴じゃ』
「闇の精霊?」
『ワシの出番もありそうじゃのう。この場面』
ラダの影が勝手に動き台本を捲る。そしてある場面を差す。
「だめだよ。闇の精霊。きっとこれは何か仕掛けをするつもりなんだから」
『つまらんのう。ワシは我慢できるが他の精霊が何かしそうじゃて』
「ああ、火の精霊とか、絶対やりそう。これは願うしかないのかな」
『そうじゃな。それが確実じゃ。だが、一度それを願うと1日くらい寝込むことになるから、願う時は気をつけるんじゃよ』
「うん、わかった」
『舞台の端の影から見守るからのう。おかしな真似をする奴がいたら、お仕置きじゃ』
「そんな人いないよ。心配ないから」
『そうだったらいいのじゃがな』
「大丈夫だって」
『まあ、そういうことにしておこう。それじゃ、ワシは戻るぞ。ラダも早く寝るのじゃよ」
「うん、わかった」
そう答えながらも、ラダは少しぐらいは台詞を覚えておかないといけないのだろうと、最初の場面の台詞を暗記しようと決めていた。
集中したため、彼女は闇の精霊が消えるのがわからないくらいだった。
ラダの影は元に戻り、必死に台詞を覚えようとする姿を壁に映していた。
☆
翌日から稽古が始まった。
「こんなこと必要あるのですか?」
「役者をなめているの?長時間舞台で声を張り上げて演じるのよ。体力づくりも大事なんだから」
走り込みをやらされ、イオラは完全にばてていた。ホンザが一生懸命励ましていて、その二人を微笑ましくラダは見ている。
「ラダちゃん。疲れた?」
「いえ。大丈夫です」
「ならよかったわ。それで、クリスチナの役どう思った?」
ラダは壁に寄りかかって休んでいたのだが、ヒューはその隣に来て屈みこむように聞いてきた。
女性的なのに近くで見ると背がかなり高くて、体つきも女性とは異なっており、思わず距離を置いてしまった。
ヒューはそれに気が付き、苦笑する。
「それで答えは?」
ラダを気遣い、彼自身も距離を少し置いてから再度問いかけた。
「えっと、いいなと思いました」
それにほっとして、彼女は思ったままを口にする。
「え?どういうこと」
彼にとっても思ってもない返事だったのか、距離を詰めて聞いてくる。
ラダはまた少し距離を離れてから答えた。
「報われないと思っていた恋だったのに、最後は報われた。羨ましいなあって」
(ヤルミルは報われなかった。そして私も……。ううん。私はまだ、大丈夫。好きになっていないもの。考えちゃだめだ)
「ラダちゃんにもそういう人がいるの?」
黙ってしまったラダにヒューが優しく聞く。
「い、いないですよ」
頭に浮かんだのはアレシュの顔だったが、彼女は手を振って否定した。
(そんなこと考えちゃだめ。また辛い思いをするだけだから)
ヤルミルが抱いた恋、ウルシュアへの恋心。
ラダの心を浸食し始めそうになって、彼女は俯く。
肩にそっと手が置かれ、そこから優しさが伝わってきた。
顔を上げると空色の瞳がじっとラダを見ていた。
「嘘ばっかり。まあ、諦めないことよ。そのおかげで役にもなりきれそうだし。私としてはよかったわ。休憩したら発声練習。それから台本の読み合わせをしましょう」
軽く彼女の肩を叩いて、ヒューが微笑む。
「はい!」
(今は演劇のことを考えよう)
それが気晴らしにもなるとラダは思って、元気よく返事をした。




