無力感
――上演は一か月後よ。毎日稽古するつもりだからよろしくね。
帰り際にヒューはラダたちにそう伝え、お互いに顔を見合わせることになった。
今回はスラヴィナの主催でもあり、失敗は許されない。ヒューの言うことも理解できるので、ラダは稽古の前後に店を手伝うことに決めた。
(お父さんとお母さんには迷惑かけちゃうけど、引き受けたからにはしっかりやらなきゃ)
「ラダさんは都合がつきそうなのですか」
「はい、なんとか。イオラ様は難しいですか?」
「残念ながら、こういう言い方はよくないけど。殿下は喜んで一か月休みをくださるでしょうね」
イオラは少しばかり眉を潜めて嫌そうな顔を作っていた。
「イオラ様はすすんで参加されたのではないのですか?」
「そんな馬鹿なこと誰か言ったのですか?」
「……ケンネル様です」
「あの、くそマクシムめ」
(あ、王太子様が出てきた)
ちょっとおかしくなってラダは笑ってしまった。
するとイオラはその琥珀色の瞳を閃かせて、彼女を睨む。
「ヤルミル、いえ。ラダさん。こうなったら私たちの本気を見せましょう。大丈夫です。あなたの役はヤルミルのようなものなのだから。前世の気持ちに委ねれば、きっと上手く行くはずです。そうしてケンネル様の鼻を明かしてやりましょう」
(それはケンネル様の思い通りってことじゃ……)
ふとラダはそう思ったが、とりあえずやる気を漲らせるイオラに相槌を打った。
☆
(結局、俺は今回も何もできないのか……)
謹慎処分の一日目、することがないアレシュは庭でひたすら鍛錬をしていた。
今回参加することになっているホンザは戻ってきたら報告すると言って意気揚々と出かけた。その背中がやはり楽しそうで、彼は柄にもなく嫉妬してしまった。
父も兄も帰りが遅いということで、母が気を使っていたが、彼はラダが気になってそれどころじゃなかった。
(先輩の言うことが当たらなきゃいいんだけど。まあ、先輩がお兄さんに頼むって言っていたから多分大丈夫だろう)
そういう他人任せにしかできない自分が歯がゆく、アレシュは当たり散らしたくなった。それではますます情けない自身を諫め、他に出来ることはないかと考える。
(騎士としては失格。わかってる。だけど、何かラダのためにしたい)
無力感が募り、思い出したくもないウルシュアの記憶が蘇る。
――王女様。
城に来たヤルミルは決してウルシュアの名前を呼ぶことはなかった。
――どうして名前を呼んでくれないの?
――王女様は、王女様だから。僕が名前なんて呼べるわけがない。
ヤルミルは寂しそうに笑っていた。
(あの時もただ私は悲しい思いを抱えるだけだった。あの時、名を呼んでもらい、ヤルミルは私にとって特別な存在だと皆に知らせるべきだったかもしれない。ヤルミルの悲劇、悲劇の青年ヤルミル……。ウルシュアのために命を落とした健気な青年。私は彼が好きだった。けれども、結局彼に想いを伝えることはできなかった)
アレシュは膝を抱え、どんどんウルシュアの思考に落ちていっていた。
(ラダには伝えた。けれどもそれでは遅すぎる。私もわかってる。ラダはヤルミルではない。ヤルミルとは違う。私が、俺がウルシュアじゃないように……)
「アレシュ様」
軽く扉が叩かれ声がして、彼は我に返った。
「ホンザか」
「はいっす」
「話を聞かせてもらってもいいか」
「当たり前っす!」
アレシュは扉を開けて、ホンザを招き入れる。
「帰りが早かったな」
「はい。今日は挨拶と台本を渡すだけでしたから」
彼は笑顔で答え、アレシュはその手に持たれている糸で綴じられた紙束が気にかかった。
「台本か?」
「はいっす」
「読ませてもらってもいいか?」
「うーん。それはオススメしないっす!」
「どうしてだ?」
「あまり楽しくないっす」
「どういう意味だ?」
ホンザは眉を寄せて、台本を隠すようにしている。
「ラダちゃんはやる気っす。イオラ様も俺もっす。もしこの台本を読んでもラダちゃんを止めないっていうなら、読んでもいいっすよ。でも、俺も練習するので、すぐ返してほしいっす!」
(どういう意味だ。これを読んだらラダを止めたくなる?)
アレシュはますます気になってしまい、ホンザに約束した上で目を通した。
急かされて大まかにしか読めなかったが、彼は兄を再び恨んだ。
(これはヤルミルの話じゃないか……。最後は悲劇じゃないけど……。何を考えているんだ。兄上は)
「俺たち頑張るっす。あ、相手役は女の人みたいな役者さんだから、大丈夫っす。じゃ、アレシュ様。俺は戻りますから」
考えに没頭しているアレシュにホンザはサクサクと伝え、部屋の主の了解もないのに部屋を出て行ってしまった。彼らしいといえば彼らしいのだが、師匠のデニスがその場にいたらきっと拳骨一つくらいは食らわされていたに違いない。




