44
大神官さまが、僕達を通して下さった部屋は、普段から彼が使っているという広めの執務室なのだそうだ。
大きな机が窓の近くに置かれていて、その上にはたくさんの書類が山積みになっている。
部屋の中央には、来客があった時に使うよう設置されているのだろう大き目のテーブルとそれに合わせて作られている事が判る、柔らかそうな椅子が四脚。
僕達二人は、大神官さまから勧められて、入り口側の椅子に座らせてもらった。
お茶を持ってきてくれた神官見習いなのだろう人達が部屋を出て行くと、入れ替わるように神官さまだと判る人が入ってきて目の前の、大神官さまが座っている隣りに腰を降ろした。
この人もまた、大神官さまと変わらない歳に見える――まだ若くて――神官達が年齢でなれるものじゃないというのは知っているけれど、その割りには二人ともが若過ぎるくらいに若い。
まだ――二十代半ばか、いってても三十代前半というほどの年齢――そう見えてならない。
だからと言って、信用が出来そうにないとはまるで思えないその雰囲気は、正に神聖な神官そのものだ。
「では――ご用件の物を受け取りましょう」
深く静かな声が部屋に響き、僕は促されるまま手に握り締めていた神官さま達からの書状をテーブルの上に差し出した。
すると、大神官さまは躊躇する事もなく、その書状を手にし順序良く読み始める。
読み終わると同時に、彼は隣りに座っていた神官さまにそれらを渡し読むよう促した。
そして、全ての書状を読み終えると同時に、彼らは僕らにマントを脱ぐよう申し出てくる。
その、今までと同じ順序だてたような作業が、僕には何だか試されているような気がしてならなかった。
ガルドもまた、彼らの言うなりになってマントを脱いでいるのだけれど、その顔には随分と皺が作られている――。
いつもの彼らしくない、その行動は、少し違和感すら感じられるもの。
それでも、しっかり被っていたフードを取りマントを脱いでしまえば、彼らの目が細められ大きく頷かれた。
「遠いところ、本当によく来ましたね――改めて、私が大神官を請け負っているカノスミートン。隣りに座るは、私の補佐をしてくれているテオです」
「よろしく」
「僕は…ローデンから来ましたアンジーです。こちらは――」
「ガルドだ。よろしく」
皆で互いの紹介をし終わると、テオ神官さまが徐に立ち上がり書棚から一冊の厚い本を取り出してきた。
それを大神官さまが受け取ると、栞でも挟んでいたのだろうか、パタリとある場所を開きテーブルに置く。
そして――ゆっくりと僕に向かって話し掛けてくる。
「まずは、私達の元へいらして下さり、ありがとうございました。長の旅、お疲れでしょう」
「いいえ――そうでも―――」
「そうですか?それなら、今から長いお話を始めても構いませんか?」
そう聞かれて、僕は小さく頷いた。と同時に、ガルドも頷き――まるで、これから始まる騒動を楽しむかのように一つ唸った。
「では――まず、貴方の使命と試練からお話しましょう――」
そこから始まった話は、本当に長い時間掛かった。
夕刻過ぎに大神殿へ入った僕達は、真夜中まで掛かって、その話を聞くことになったのだ。
とても長く――そして、とても面倒な話。
それが終わる頃には、もう僕には立ち上がる気力すら残っていなかったほどだ。
それなのに――ベッドへ案内された僕は、眠る事が出来なかった。
どうしてなのか――それは、大神官さまから聞いたお話が、あまりにも非現実的にも思えたから。
僕はその日、ベッドの中で大神官さまから聞いた話を頭の中で整理することで、どうにか過ごすことになったのだった。
『この世界には、神の使いだと言われている竜が、各大陸に一頭ずつ居られるが、
その竜達は、世界に安定を齎すために神から地上へ降ろされたのだという。
そして、その竜達は、それぞれ大神殿の奥深くで眠っていると言われております。
彼らに会えるのは、極僅かな者達のみ。
一つは王族の長、一つは神殿の長、そして最後の一つは彼らを癒すと言われている御子。
けれど、その誰もが会えると言う訳ではありません。
この大陸でも、過去に竜と出会ったことがあるのは、王族と神官のみで――たったの数度だけだと伝えられているのみ。
何故、王族と神官のみだったのかと言えば
王族は、彼らが初めて舞い降りてきた際、彼らを敬い、そして大陸の安定を願い――竜に愛されたから。
神官は、その敬うべき竜の棲まう場所を清浄に保ち、守らせてくれと願い――竜に喜ばれたから。
その際、王族は、竜との間で誓いを交わしたと言われております。
それは――血の契約。
竜は、王族にのみ、自分の血を分け与え、永遠の安定を保つよう、誓わせたのだと言います。
竜の血を、一番初めの王が口にした事により、大陸を守る力を得たと言われているのです。
神官達は、この大神殿を清浄に保つため、そして人々の心を守るため、竜と小さな契約を交わしました。
それは――涙の契約。
竜が零した涙を――初めての神官が口にする事により、契約が行われたそれは
私達神官に、小さな力を授け、そしてこの世界に住まう人々を守るために使うと誓ったと言われております。
それが近年、王族だけの力が弱まりつつあるのです。
神官達の力は、涙の契約が今でも行われているため、決して変わる事はないというのに
何故か、王族の――血の契約だけが更新されていないのが原因です。
本来――血の契約は、更新されるものだと言われていましたが……。
我が大陸でも、過去には王が変わる際、契約の更新をしていたのだと記されているのだから、それは間違えのない事実なのでしょう。
けれど――残念なことに、ここ数百年の間、契約の更新が行われることはなかったのです。
それがどうしてなのか――未だに判ってはいません。
そしてまた、私達もここ数百年の間、竜とは会う事が出来ていないというのが現状。
神官の涙の契約というのは、神殿の奥深くにある、誓いの間という場所に
決して水が枯れることがない竜の泉というのがあります。
その泉にあるのが、竜の涙だということらしく
私達神官達は、そこで神官になる為の誓いをするのです。
それと同じように、歴代の王達が戴冠式を行うために用意された場所が
この神殿奥深くに、誓いの間として存在しているのですけれど
本来は、そこに竜が現れ、血の契約更新が行われると伝えられております。
けれど、最近ではそこで戴冠式をすることすらなくなっているのです。
もちろん、挨拶にはやってくるのだけれどね――。
そして――その力が弱まった今
伝説の中にある御子が舞い降りた……という知らせが舞い込みました。
それが意味するのは、その御子が何らかの力により弱まった王族の力を
取り戻すためにあるのではないか?と言われているのですが……残念な事に真実は判ってはおりません。
君には試練があります――。
その試練は、どの大陸にも存在するのです。
そして、その試練を受け全ての王族に力を取り戻させた時
この世界に、新しい契約が生まれると、真実の安定が生まれるとそう言い伝えられてきたのです――。』
大神官さまから聞いた話を思い出し、僕はどうしたら良いのか判らなかったというのが事実。
何の力もない、こんな僕に何が出来るというのだろうか――と。
一体、こんな僕に何を望み、何を求めているのだろうか――と。
何よりも、どうしてそれが僕でなくてはならなかったのだろうか?ということだ。
彼らは、自分達の世界を安定させる為にだけに、僕の力が必要なのだと言っているけれど、じゃあ、何で僕じゃなくちゃいけなくて、僕がやらなくちゃいけないのかとは教えてくれなかった。
何よりも――何で違う世界に居た僕が、この世界の事を助けなくてはならないのか――それすらも教えてはくれなかった。
僕は、何でこの世界へ来なくてはならなかったんだろう。
どうして、僕がこの世界で生きていかなくてはらなかったんだろう。
何故――僕なんだろう―――。




