第八話誰かいらっしゃいませんか?
ハコイーリは、頭を掻きむしり、床に這いつくばった。
「嘘だ。こんな魔法、聞いたことがない……」
授業すらまともに受けてこなかったハコイーリは、知らない。
アラマーの『祝福』は、三大聖女の一人、マジーア・クドイワが得意とした魔法だ。
その魔法構築の難しさと、必要とされる魔力量の多さに、神に選ばれた者しか使えないと言われている。
また、掛けられた本人が、真っ当な人間であれば、目の前の全員が消え去るなどという現象は起きない。
それは、ひとえに、ハコイーリの性格の悪さがなせる技である。
「嘘だ!嘘だ!嘘だ!何故、こんな事に!私は、何も、悪くない!!!!」
往生際悪く喚き続けるハコイーリの首筋に、
ドン
何かがめり込み、彼は、気を失った。
白目を剥いてピクリとも動かなくなったハコイーリを見下ろすのは、アラマー。
その手には、あの扇が握られている。
これは、アラマーの為に特注で作られた、鉄の骨組みに、美しい絹を張った護身具兼武器。
スナップの効いた一振りで、ハコイーリの意識を狩る事は、武勇にも優れるアラマーには、たわいもない事だった。
「あらまぁ、醜悪なお顔」
白目をむいて泡を吹くハコイーリに元々品位などなかったが、想像以上に無様な様子にアラマーも眉をひそめる。
「一時と言えども、この方の婚約者にだけは、なりたくありませんでしたわ」
ハコイーリは、幼い頃に開かれた子供向けの茶会で、少女達に虫を投げつけたり、髪を引っ張ったりして泣かすのを喜んでいた。
嗜虐性が強く、実力もないのに、自信家だった。
愛した事もなければ、尊敬したことも無い。
改めて見れば、この上なく軽薄そうな顔だ。
ナガシメーヌが現れてからの素行が余りにも悪く、空き教室での淫行は、王の耳にも届いていた。
知ってもなお、アラマーに我慢を強いる王家に反吐が出た。
そんな時だ、第一王子であり、王太子でもあるアリエンテ・セッケンシラズに声を掛けられたのは。
「いつも、弟が、迷惑をかけて済まない」
彼の執務室に呼び出され、身構えていたアラマーは、目の前のややポッチャリした癒し系男子に驚いた。
常に、外務を担当し、ほぼ国内にいない彼の姿を見たのは、これが初めてだった。
作りたてのモッツァレラチーズのようにツヤツヤと丸い顔。
黒目がちな丸い目。
全てのパーツが円か半円で全て書き表せてしまいそうな顔だった。
しかし、目を合わせてみると、こちらの背筋が伸びてしまうほどの圧を感じさせられる。
彼だけが、王族の中で異質だった。
「実は、そろそろ父上には退位をお願いしようと思ってね」
国をひっくり返す重大事項を、いとも簡単に口にする。
アラマーは、口の中がカラカラに渇くのを感じた。
「私に、何をお望みなのですか?」
相手の望むものが分からず、アラマーは、探るような視線を向けた。
「そういう聞き方は、良くない。やりたくもないことをやらされてしまうよ」
アリエンテの顔は、笑っているのに笑っていないように見えた。
アラマーは、ゾクリと肌寒さを感じて震える。
「おや、風邪でもひいたのかい?それはいけない。体調管理は、自分の責任だ。ところで、君、父上と面白い魔法契約を交わしているそうだね」
アラマーは、悲鳴が出そうになるのを辛うじて我慢した。
王とアラマーが個人的に結んだ魔法契約の内容を、その場に居なかった王太子が知っている。
何度も、周りに人が居ないことを確認したはずなのに、彼の息が掛かった者は、ずっと自分を観察していたのだ。
一見ポメラニアンのような愛らしいアリエンテの目が、獲物を狙う鷲のように鋭くなる。
「心配無用。君は、思うようにすればいい。父に何が起こっても、私が君の父上と兄上を、疑いが向かないところへ連れて行っておこう」
アリエンテは、知っているのだ。
アラマーが、何年も掛けて練ってきた計画の内容を。
『公の場で、国王達に、最も最悪な形で、一矢報いる』
それが叶うなら、死さえ厭わないと思っていることも織り込み済みだ。
その計画が、アリエンテにとっても渡りに船であることから、彼女の唯一の心配事であった家族の安全を約束したのだ。
見方を変えれば、『人質』とも言える。
「よ………よろしくお願いいたします」
アラマーは、深々と頭を下げると、アリエンテは、クスリと笑った。
「本当に、君は、不器用な人だね。こちらとしても利のある話なんだ。なら、多少交渉の余地があるとは、思わないのかい?」
言っている意味が分からず、アラマーは、沈黙を選んだ。
下手に口を開けば、彼の思うまま、身ぐるみ剥がれるくらい全てを奪い取られそうに感じた。
「ユートウ・セイヤ……彼は、素晴らしい。是非とも右腕に欲しいと思っているのだが………君が死んだら使い物にならなくなりそうだ」
独り言のように、ポツリ、ポツリと話すアリエンテ。
「だからね………私としても、君に死なれると困るわけだ」
フワリと、アリエンテが笑った。
それは、作り物ではない、本物の笑顔に見えた。
「と、言うわけだから、後始末は私に任せてくれて良い。以上。では、帰ってくれたまえ」
犬を追い払うように、シッシと手を振られ、アラマーは、アリエンテの執務室から廊下へと出た。
足が小鹿のように、プルプルと震えた。
その後も、アラマーは、ハコイーリに気に入られぬよう、苦言を呈し、さりとて、本気で怒らさぬよう慎重に行動した。
下手に動けば、公爵家全体の責任となり、父、兄に迷惑がかかる事になる。
我慢に、我慢を重ねる学院での生活。
時折、鍛錬の為にグラウンドを走るユートウの姿を見かけて、涙をこらえた。
再び手を取り合える日が来ると信じ、耐え忍んだ。
そして、訪れた卒業式の夜会。
アリエンテは、全てを察していたように、アラマーの父と兄を無理矢理同行者に組み込み、三日前に隣国へと旅立っていった。
軍事面での協定を結ぶ為らしいが、これでまた一つ、王太子の実績が増える。
徐々に政財界の中枢に協力者を増やしていき、国王に知られることなく、その勢力を内部から削ぐ手腕は、天才と言っていい。
アラマーの卒業式に出たがっていた父と兄を説得した手法も素晴らしかった。
次にハコイーリが騒動を起こした時には、王太子が責任を持って、北の地にある離宮へと幽閉させると約束していたのだ。
こうして、王太子という後ろ盾を得たことで、アラマーの頭の中で描いてきた復讐劇は、ハッピーエンドへと書き換えられた。
「ふぅ、それにしても・・・」
馬鹿だ、馬鹿だと思ってはいたが、ハコイーリが、ここまで馬鹿だったとは。
白目をむいて、床に伸びる男は、全くもって、救いようのない無様さだ。
こうなったら、不都合な者が全員いなくなった世界で、幸せになればいい。
なれればの話だが。
「どなたか、殿下は、気分が優れないご様子。お部屋に連れて行ってあげて下さいませ」
一応、この国の王子。
現れた執事によって、ハコイーリは、丁重に運ばれていく。
その影で、王と王妃の姿が消えていた。
誰の手によって、何処へ行ったのかは、推して知るべきなのだろう。
何故ならば、この一大事に誰も騒がず、さも当たり前のような顔をしているのだから。
この場に居なくとも、この国の新しい主は、既に王宮を掌握していたのだ。
そして、
♪~♫~♪~♫~
バイオリンの音が響き、
♪~♫~♪~♫~
それに合わせて、他の楽器も演奏を開始した。
再び始まる、華やかな卒業パーティー。
「アラマー、お手をどうぞ」
ユートウが手を差し出すと、アラマーは、頬を染めながら揃えた指先を乗せた。
あちらこちらから、ペアになった若者が中央に集まってくる。
音楽も、それに合わせてワルツへと変わった。
美しい男女の、素晴らしいダンスが始まると、それを囲むように父兄達も酒を飲み交わし、そこかしこで笑いが聞こえ始める。
その片隅で、
「だ、誰か、誰かいらっしゃいませんか?」
楽しげに踊る人々を目に映す事も叶わぬ女が、一人、恐怖に震えていた。
完




