第二話アラマーに、許しを請うておけば
突然起こった騒ぎに、一瞬ホール内がざわついた。
一国の王子が、このような公の場で、王命で結ばれた婚約者に対し、婚約破棄を突きつけているのだ。
正に、貴族社会の不文律を王族自ら覆す暴挙。
ことを大きくしては、王子すら裁かねばならなくなる。
この緊急事態に、爵位の低い者ほど、何事もなかったかのように必死に冷静を装った。
もし、話を振られでもすれば、ノーとも言えず、巻き添えで没落の一途をたどるだろう。
「あちらに、美味しいカナッペが並んでいましたのよ」
「あぁ、それは頂かねば」
彼らは、自分達の保身のために、傍観者になると決めた。
全ての後始末をまだ10代の小娘に背負わせ、一人、また一人とその場を離れていく。
気づけば、アラマー達の周りには、円形の空間がポッカリと広がっていた。
衆人環視の中、中心に取り残されたのは3人。
怒鳴ったことで感情に火が付き、激情が抑えきれずに肩で息をするハコイーリ・セッケンシラズ。
その腕に縋り付く、品のない女。
この二人は、泥酔とまでは言わないが、かなり酒に酔っているようで、顔は赤く、目も潤んでいた。
酒に飲まれた人間の、典型的なありさまである。
一方、罵倒され、未だに理解が追いついていないのは、ハコイーリの婚約者にして、公爵令嬢のアラマー・ビックリン。
余程驚いたのだろう。
普段沈着冷静な彼女から想像もつかない、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、手に持っていた扇を落としてしまっていた。
『汝、心の内を悟られるなかれ』
ビックリン家の家訓を幼少期から叩き込まれた彼女としては、あるまじき表情だ。
しかし、別の女をエスコートした婚約者が、己の事を棚にあげ、国王夫妻の目の前で突然怒鳴りつけてくれば、どんな人間でも驚く。
「あの……えっと……」
言葉に窮するアラマーは、年相応の少女に見えた。
助けを乞うように、一瞬壇上にいる国王夫妻に視線を向けた。
しかし、彼らも、バカ息子の失態に絶望した顔をしている。
『なんとかしてくれ』
言葉にならない思いが、王の視線に込められていた。
そして国王が自分に向かって両手を合わせ、拝み始めたことで、アラマーも、やっと事態を把握することができた。
ここに集まった卒業生の父兄の中には、政財界の重鎮達も居る。
今現在も、壁際で談笑していたはずの彼らが、人垣をかき分け、こちらに向かって来ていた。
王にすら進言できる力を持つ彼らに話の主導権を握られれば、いくら第二王子と言えども、今後の人生に大きな影を落とすことになるだろう。
良くて、謹慎。
悪くすれば、幽閉。
どちらにしても、表舞台に出てくることは、二度となくなる。
『そうならぬよう、丸く話を収めろ』
王の望みは、その一事のみ。
しかし、静まり返ったホールに、
「アレ(第二王子)は、もう、ダメだな」
「どう育てたら、あんな風に育つんだ?」
傍観者の口から思わず漏れた声が響く。
「ビックリン家の御息女も、大変なのを押しつけられたものだ」
「おいたわしい……」
自分に対する同情的な声も、あちらこちらから聞こえてきた。
それを耳にしたアラマーは、ハッと我に返り、自分を恥じた。
いついかなる時も、美しくあれ
ビックリン家の女性は、高嶺の花であらねばならぬ
祖母、マサカ・ビックリンの教えを思い出し、心を落ち着かせる為に、ゆっくり息を吐き出した。
『大丈夫。だって、私は、アラマー・ビックリンよ。』
アラマーは、スカートを軽く持ち、
「仰せのままに」
と、美しいカーテシーを見せた。
あえてハコイーリに反論せず、婚約破棄を受け入れることで、話を打ち切りにしようとしたのだろう。
淑女の鏡と称される完璧な所作に、傍観者達は、ほぉっと感嘆のため息をついた。
シャンデリアから降り注ぐキラキラとした輝きが、彼女のきめ細やかな白い肌に反射し、その身が輝いているように見える。
スレンダーな肢体は、確かに妖艶とは言い難い。
しかし、一輪の百合のような誇り高き立ち姿は、決して、婚約破棄をされた傷物令嬢ではなかった。
「素晴らしい」
「やはり、ビックリン家の御息女は、一味違う」
駆け寄ろうとしていた重鎮達も、足を止めた。
勇気を持って行動を起こした一人の少女の振る舞いを、汚すことを良しとしなかったからだ。
アラマーは、派手な顔立ちではないが、気品あふれる高貴な女性だ。
結い上げられたブロンズの髪となだらかな傾斜を描く項は、一つの芸術品のように美しい。
この状況下でも、口元を緩め、微笑んでいる豪胆さ。
体の重さを感じさせない立ち姿。
どれを取って、一級品の淑女だ。
家系を遡れば、数代前に、王家から降嫁した王女もいる。
そして、父であるナント・ビックリンと、兄のソンナ・ビックリンは、二人とも我が国が誇る魔術師団の主要メンバーでもあった。
現在、王太子に同行し、国防にかかわる重要な協定を結ぶため、隣国に出向いている。
最後の最後まで、アラマーの卒業式に参加するのだとゴネていた彼らが、彼女を溺愛しているのは公然の事実だ。
特に、数年前に、母サラニ・ビックリンを病で亡くしてからは、心配性まで併発している。
もし、父と兄がここに居れば、今この瞬間にも、ハコイーリに攻撃魔法を撃ち込んでいたことだろう。
父、兄に劣らず、アラマー自身、本気になれば、ハコイーリ一人くらい消し炭にすることが出来るほどの魔力量を有している。
そんな彼女の資質を受け継ぐであろう未来の子供には、大きな期待が寄せられていた。
それ故に、この優良な血筋を取り込もうとした王家の肝煎りで、強制的に婚約が結ばれたのだ。
彼女を妻にと夢見ていた令息達を絶望に陥れたのは、そう昔の話でもない。
にも拘らず、第二王子だけが、その事を理解できていなかった。
顎上げ、腕組み、尊大な態度で、アラマーを見下す。
「なんだ?今日は、人が多いから、しおらしいフリでもしているのか?」
ハコイーリは、アラマーの肩透かしとも言える了承に不満を感じた。
普段なら、もう少し言葉を交わし、困った顔をしながらアラマーの方が渋々引くのだ。
ここまで端的に話を切られたのは、婚約を結んで以来、初めてだった。
「おい!なんとか言え!」
アラマーが返事をしないことで、ハコイーリの声が、逆にドンドン大きくなっていく。
無視とも言える態度が、どうしても我慢ならなかった。
「まぁ、いい。お前も、今日で終わりだ!我が愛しの恋人を苛め抜いた罪を懺悔するまで許さん!」
ハコイーリは、とうとう横に侍らす女のことを『恋人』と呼んだ。
本当なら、エスコートすべき相手は、婚約者のアラマーのはず。
これは、完全な、裏切り行為だった。
ここで、引き返しておけば……。
アラマーに、許しを請うておけば……。
のちのちハコイーリは、この瞬間を悪夢として見る。
しかし、この時の彼は、ギリギリ救われるはずだったラインを、自ら大きく越えていった。




