56話 終わりの始まり
九頭竜聖がネスト下層で消失した――
ネスト侵入から約4時間後に世界中を駆け巡った報せに、世界の支配を望む各国首脳と大企業、富裕層は沸き立った。考える事は皆同じ。ネストに眠っているであろう技術の独占。且つて黒鉄重工が鐵を開発した様に、今度は己が世界の中心になる技術を独占する。
幸か不幸か障害は消失した。親は討伐され、その他の個体は未だ人類を襲撃せず。ソコに来て最大の障壁となり得る九頭竜聖が行方不明となった。行動するのは今を置いて他にはない、と。考える事は呆れる位に誰も彼も同じ。
「馬鹿な事は止めて、今は九頭竜聖の捜索に集中すべきだ!!」
議場で声を荒げるのは日本国の首相、武儀。彼の本心は地球を救った九頭竜聖の安全確保、というだけではない。当然、打算もある。しかし、想像以上の醜態を晒す他国を前に遂には怒りを爆発させてしまった。
「そうは言うが、君も同じではないか?」
「あるいは、あの機体を解析したか」
「あり得るな。もしネストからアレ以上のデータが見つかれば日本のアドバンテージは消えてしまうからなぁ」
「何を馬鹿な!!」
しかし旗色は悪いどころか、寧ろ結託して責められる始末。各国からすれば日本も脅威と判断する。理由は言わずもがな九頭竜聖。彼の出身国である日本は、今や黒鉄重工以上に危険な国家と認識されるに至った。
「あるいは、九頭竜聖を唆したか?」
「彼の力は全世界を相手にして尚、余る程に強力だ。その力を同郷というだけで占有する日本も同様に危険だと認識して欲しいものだがね?」
「戯言を。彼を無力化する為に裏で手を回しているだろうが!!」
「当然だ。寧ろ、どうしてそうしないと思ったのだ?僅か一人に世界の趨勢を左右されるなど、最早それは独裁と何ら変わらない」
「利用するだけしておいて、用済みとなればすぐにソレか!!」
喧々囂々の議論の中心は何時の間にか九頭竜聖へと移った。確かにヴィルツ討伐までは問題なかった。彼の力なくばネストの攻略は永劫に不可能、遠からず地球はヴィルツに支配されていた。当然、人類は全滅。しかし運命は覆され、ヴィルツ排除という悲願は成った。が、今度はその彼の存在が邪魔となった。黒鉄重工も、日本を除く残存国家も、新たな世界の覇権を握る欲に駆られてしまった。
「ところで」
熱狂する議会に、誰かが水を差した。
「何だね?」
「いや、重工関係者の姿が未だに見えないのは何故かな、と」
「あぁ」
誰かの疑問に、議会場を包んだ熱気が急激に冷めた。確かに、とそこかしこから相槌が上がる。一国家以上の権力を持ち、世界中に多大な影響を及ぼす黒鉄重工がこの会議に限り姿を見せない理由はない。もしあるとすれば――
「まさか」
「抜け駆けか!?」
損得に敏感な各国家の首脳が、一斉に同じ結論を弾いた。可能性は高い、いや寧ろそれ以外に有り得ない。既に盤石な黒鉄重工とてネストの深奥に眠る当たらな技術が鐵を超えていれば用済みとなる。より盤石な企業運営の為、何よりこれまであらゆる我儘を押し通してきた恨みを晴らされぬよう、抜け駆けをして技術の再独占を試みるのは必定。
「またしても!!」
怒号が木霊せば、議場の全員が後に続けとばかりに怒りを吐き出し始めた。現状で九頭竜聖を心配するのは日本の首相のみ。彼の視界に映るのは酷く不快で、吐き気を催す光景。世界の首脳達は揃いも揃って、今もって苦境にのたうつ人類よりも己が欲望が叶うか否かを心配し、損得勘定を弾く。
ヴィルツは消失した。しかし人類が直ぐに生存圏を広げられる訳ではない。未だ食糧を含めた物資不足は深刻で、ソレ等に起因する情勢悪化も解決の目途が立っていない。が、安全圏に胡坐をかく首脳達にしてみれば対岸の火事以下。見下げ果てた思考を前にすれば、武儀の頭に得体の知れない感情が込み上げるのも致し方ない。
バン――
議場に響く音に、視界が動いた。全ての視線が一点に向かう。議場の入り口、豪奢な木製の扉が開け放たれていた。その前に、男が立っている。
「誰、だ?」
「もしや重工の代表か?」
見知らぬ男に各々が勝手な推測を始めた。しかし、誰の予測も外れているようだ。男は無数の推測に無言無表情のまま議場の中央へと歩を進める。その余りにも自然で、堂々とした対応に誰もが、何故か気圧された。
「君は、誰だ?」
意を決し、武儀が問いかけた。が、男はやはり無反応。
パン――
と、今度は軽妙な破裂音が議場に木霊した。議場中央、全員が見渡せる位置で足を止めた男はにこやかな笑みと共に手を叩く。その顔にはにこやかな笑み。誰もが、言い知れぬ威圧感を感じた。
「さて、皆様方。無駄な議論は一旦止めて頂き、僕の話を聞いていただきたい」
「無駄だと!?」
「随分な物言いだが、先ず君は誰だ。自己紹介すら出来んのか?」
「あー、なるほどなるほど。いや失礼。意味などないのですが、しかし短いながらも付き合う上で名前がないのは何かと不便だ。では……そうだ、ではこうしましょう。イクス。僕の事はイクスとでもお呼びください」
男の名乗りに、議場が水を打ったように静まり返った。イクスと、男は自らをそう名乗った。今やその名を知らぬ者はいない。ヴィルツが語った敵対者の名。
「その名は!?」
「ふざけているのか、貴様!?」
「おやおや。まだ事態をご理解頂けていないようで。ならば、どうぞ外をご覧ください。今日という素晴らしい日を祝福する為の細やかなプレゼントですが、見れば頭スッカラカンの皆様方にもご理解頂けるでしょう」
「外、だと?」
男の挑発に面々は議場を飛び出し、外へと向かった。階段を上り、甲板へと躍り出た全員を出迎えたのは――
「な、何だアレは!?」
「巨大な、船?」
「ま、まさか宇宙船とでもいうつもりか!!」
「では、ネストとは」
動揺と混乱に支配された面々は、蒼天の空に浮かぶ奇妙な物体から視線を逸らせなかった。空に浮かぶ、巨大な船。誰かが零した通り、宇宙船と形容するに相応しい巨大な艦が空に悠然と浮かんでいた。そのサイズは桁違い。誰もが、自然と足元と空を見比べた。人類最大の構造物、全長9.7キロの天穹城よりも遥かに大きな艦が、あろう事か空を悠然と泳いでいた。人類側の航空技術は停滞して久しく、故に誰もが夢か幻ではないかと疑う。
「皆様には知る権利がある。いや、知りたいでしょう?全てを」
動揺する為政者達の背後から、含みを持たせたイクスの声がした。