19話
エレベーターが最上階を指すと静かにドアが開いた。
無機質な箱の中とは一変、目の前に広がるのは廊下ではなく大きなホールだった。煌びやかなシャンデリアが光を反射し、細かく描かれた豪華絢爛な天井と柔らかな絨毯が如何にもな雰囲気を醸し出している。
ホテルマンが先に降りてドアを押さえ、リリィが降りると利津が堂々とホールへ足を踏み入れた。
その瞬間、談笑していた吸血鬼達は話すのをやめ姿勢を正して深々と頭を下げた。まるで海が裂けたように人々は利津が通る道を開けた。
「楽にしろ」
決して大きくはない声で利津が冷たく言うと人々は顔を上げ何事もなかったかのように再び話し始めた。
世那は後に続いて降りたが目の前の尋常ではない光景に息を呑んだ。世那は捕縛されあの部屋での利津しか知らない。この男が吸血鬼の中でもとりわけ大切にされているということを。
先ほどの利津の言葉を認識していないわけではないが利津がやってくると皆が深々と頭を下げる。利津は周囲の人々に目もくれずエレベーターから最も遠くにあった玉座のような椅子に座り、じっと吸血鬼達を見下ろした。その隣には豪華だが少し小ぶりの椅子が置かれている。
世那は椅子のない方に立ち、周りを見渡した。ここにいる者が全て吸血鬼だと思うと自然と身が固くなる。
世那の様子に気づいた利津は頬杖をしながらニヤリと笑みを浮かべた。
「皆が世那に興味を持っている」
「そんなわけねえだろ」
「親なし吸血鬼、しかも邸宅を襲った貴様を俺が何故飼い慣らしているのか気になって仕方ないものも多かろう」
「……ふーん」
「堂々としていろ。心無い言葉を吐きかけてくる者もいるだろうが気にしなくていい。羨みからくる妬みだ」
「羨みねえ……」
含みを持った世那の言葉に利津は首を傾げた。
「なんだ」
「いや、そうだとしたらしっかりしてなきゃな」
「ふふっ、あぁ……」
凛とした世那を見て利津は目を丸くしたがすぐに細め、口元を押さえながら小さく笑った。
ただ笑っただけなのに世那の心は妙にざわついた。遠い遠い記憶の中に一度だけ今のような場面がある。
幼い頃、銀色の髪をした少女に会ったことがあった、ような気がすると世那は思った。
核心をつけないのは思い出そうとすると靄がかかり強い頭痛を覚えて何かに阻まれてしまうからだ。
「ハハッ、まるでオウサマだな。利津」
聞き慣れない男の声に物思いに更けていた世那は顔を上げた。
利津の前に平伏せず真っ赤な血が注がれたワイングラスを片手に銀髪の男がニヤリと笑みを浮かべて立っていた。
「何の用だ」
「何のって、今日はお前のパーティだろ。ご挨拶するのも務めってな」
「兄姉夫婦はどうした」
「御当主様たちは残念ながらお休み。利津様に無礼を働き申し訳ないって言ってたよ」
利津とはまた違った品のある男、西和田隆は楽しげに笑いながらワイングラスを煽った。
一口飲むと片膝をつき、そのワイングラスを利津の前に差し出した。普通ならば新しいグラスを持ってくるのがセオリーだろうが利津は当たり前のようにそれを受け取り口付けた。
「どう?今日のは一級品だよ」
「……別にいつものと変わらない」
「ハハハッ、辛辣」
「西和田の技術で粗悪品は減った。褒めているつもりなんだが」
「ありがとー。で?そこの棒立ちしてる男がお気に入りの親なし吸血鬼かい?」
「親なしではない。俺が親だ」
「あーね。確かに利津の気配がする」
そう言うと隆は世那に一歩近づき利津よりもずっと深い緑色の瞳で舐めるように見つめた。
どこか見透かされているような視線に世那はたじろいだが一つ息を吐いて気持ちを落ち着けると手を胸元に当て深々と頭を下げた。
「お久しぶりです。西和田隊長」
「え?」
「は、……?」
思いもよらない世那の言葉に隆が目をまるくした。世那もつられてきょとんとしたが、利津が呆れたようにため息を吐いた。
「お前の部下だったんだろう」
「あー、そうねそうね。特殊部隊の親なしの……。あー、あー、お久しぶり」
明らかに思い出していない隆の反応に世那は黙り込んだ。
覚えられているはずもない。特殊部隊の中でも第三部隊などあってないようなもので親なし故に悪さをしないか、世那は監視されている立場だった。それに任務も危険な前線に立たされることが多かった。そんな立場の者を誰が覚えていようか。
「それで?美玖嬢はどちらに」
「遅刻だろ」
「へえ、未来の旦那様よりゆっくりおいでなさるとは随分な態度だね」
「別に構わない」
「あ、来たかな?じゃ俺はこれで」
先程利津が来た時と同じようにエレベーターの方へ一気に視線が向いた。
利津の席から誰が現れたかはわからないが人々の興奮からして目的の人物が現れたのだろう。隆はそそくさと逃げ出し人混みの中へ溶けていった。
人の波を掻き分け、橙色のドレスに身を包んだ女性が利津の前にやってきた。張り裂けそうなほど豊満な胸を隠そうとすらしないドレスに世那は恥ずかしさからつい視線を逸らした。癖のある銀髪は綺麗に結い上げられ、童話から出てきたプリンセスのような見目の田南部美玖は人懐っこい笑みを浮かべてスカートを持ち上げ頭を下げた。
「遅れてしまい申し訳ございません。運転手が少し道に迷ってしまいましたの」
深く座っていた利津はグラスを世那に渡すと立ち上がり、美玖の前に立つと手を差し出した。
美玖は答えるように利津の手に自分の手を重ねた。
「いえ。私も今来たところです」
利津は流れるような所作で美玖の手を取るとそっと手の甲に口付けをした。美玖と同様、まるで童話のプリンスのような所作の利津に世那は息をのんだ。世那には一度も向けたことのない紳士な振る舞い。
美玖は当たり前のようにキスを受けた。
利津は立ち上がり美玖の手に自分の手を添えながら隣の椅子に座るよう促し、自分も椅子に腰を下ろした。
「本日はとても素敵な場所にお呼びいただきありがとうございます」
「私たちの門出ですから」
「ふふっ」
「お気に召しましたか?」
「ええ。身に余る光栄ですわ」
人が変わったようによく笑う利津を横目に世那の胸がちくりと痛んだ。また覚えのある劣等感が思考を暗くする。
どうせ人間で孤児で親なし吸血鬼の自分と、生まれながら特別な血を継ぎ地位も名誉も全て手にしている利津。
俯き加減になる世那の横にリリィがやってきて顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「え?」
「お加減が悪いようでしたらどこかに座りましょうか?」
「あ……いや」
見勝手な気持ちを見透かされたくなくて世那は慌てて首を振りリリィに微笑んだ。
すると美玖は二人に聞こえるようにわざと大きくため息を吐いた。
「空気が読めないのは困りものね」
美玖の冷たい言葉にリリィはハッと息をのみ、頭を下げた。
「失礼いたしました。……世那さん、こちらへ」
「あぁ……」
世那はリリィに言われるまま一度美玖に頭を下げるとその場から離れた。利津は引き留めようとせず、ちらりとリリィに目配せをしただけで再び美玖と話し始めた。
世那は利津に渡されたグラスを通りかかった給仕に渡すとリリィと一緒に壁際に立った。
リリィは常にしゃんと背筋を伸ばし手を前に合わせながら辺りに視線を向けている。世那も倣って地面にしっかり足をつけて両手を下ろし行き交う吸血鬼たちと楽しく談笑する利津と美玖を遠巻きに眺めた。
するとリリィが視線は利津たちに向けながらぼそぼそと話し始めた。
「驚きましたか?」
「まぁ。あんな風に話せる人なんだなってびっくりした」
「え?あぁ、ふふっ。ご主人様がですか?」
「他に驚くとこあったか」
「美玖様。ご主人様と10歳違うんですよ。ぴちぴちのご主人様と比べて年期入った感じしません?」
「年期……」
「目元の小じわとか、あー。ご主人様にはもっとお若い方と結ばれてほしい」
辛辣な言葉に世那は愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
同じ女性から見るとわかるものなのか、単に世那が人を見る目がないのか。世那は眉間に皴を寄せじっと美玖を見つめた。
「あらやだ!」
「っ!?」
周りに気を配るのを忘れていたため世那もリリィも突然のことに反応できなかった。
杖をついた年配の女性が世那にぶつかってしまったのだ。女性が持っていたワイングラスから真っ赤な鮮血が零れ、世那の一張羅を真っ赤に染め上げた。
「あら、もう……どうしましょう」
「大丈夫ですか?」
「ええ、私は何とも。それよりお兄さんが……」
リリィは即座にご婦人を労わり声をかけた。老齢の女性は慌ててセカンドバッグからハンカチを取り出し世那へ差し出したが見た目の変わってしまった世那に動きが止まる。
誰のものかわからない血に反応するほど飢えていない。けれども世那は自分の服にかかった甘い香りのする鮮血に吸血鬼化してしまったのだ。幸い周りは利津と美玖に視線が向いていて此方を気にする様子はない。
「世那さ……」
「ごめん、トイレ行ってくる」
言うよりも早く世那は駆けだした。リリィが声をかけてくれたこともわからないままホールの端に見える洗面所の看板に向かって一心不乱に逃げ出した。
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