317 父殺し(第7章4節・完)
「…………」
ザハドが、その赤い瞳を細めて笑った。
「あなたはそれを尋ねるために、敢えて俺の呼び出しに応じたのか。……その上で、俺と相互協力関係を築くおつもりは無い、と」
「ザハド陛下は、なぜ私を必要となさるのですか?」
リーシェは微笑みの形だけを保ち、かつての親友のことを見上げる。
「あなたは私などよりもずっと、アルノルト殿下のことをご存知のはずです。アルノルト殿下について知る『同盟』を組むにあたり、私では力不足かと」
「それは謙遜しすぎだ、リーシェ殿。アルノルトがあなたに見せる振る舞いは、この世界で他の誰も知らない」
その言葉に、リーシェは小さく俯いた。
(……アルノルト殿下に、特別な扱いをしていただいている自覚はある)
リーシェ、と名前を呼んでくれる声も。
柔らかなまなざしも、自然なエスコートも。髪を撫で、頬に触れて、その親指でくちびるをなぞられることも。
(けれど)
リーシェはきゅっと手を握り込む。
(――その理由だけ、分からない)
そのことがどうしても、左胸を柔らかく締め付けるのだ。
(だからこそ、立ち止まっている場合ではないの)
商人人生におけるザハドは、アルノルトの何かについて知っていた。
『今はもう、その「後宮」も空になってしまったがな。……それにしても、そこに生まれ落ちたサファイアは、一体なにをしでかすつもりなのやら……』
いま目の前にいるザハドも、同じ情報を持っている可能性は高いはずだ。
(だけど、焦っては駄目。私の出方次第では、ザハドからアルノルト殿下に情報が渡る)
ある程度を見透かされているとしても、それは極力避けなければならない。リーシェはそっと瞑目し、思考を巡らせる。
(かといって、見せ掛けだけの協力者を演じても、ザハドには見抜かれるわ。……私は、アルノルト殿下がクーデターを計画していると知っている。そのことを隠し通したまま、ザハドを味方につける交渉を)
友人として親しかった、あの人生に戻ることは出来ない。
それなら別のやり方で、ザハドの歓心を得なくてはならないのだ。
(ザハドが好むのは、こんな勝負相手。――突飛に、怖いもの知らずに、大胆に!)
顔を上げ、再び真っ直ぐにザハドを見据えた。
「……ザハド陛下にとっては、この皇都を視察なさることそのものが、目的だったのではありませんか?」
「ふむ」
リーシェを見下ろしたザハドが、興味深そうに尋ね返す。
「どうしてそのように思われるのだ? 俺にはあまり、そのような利点も無いのだが」
(ここで議題に挙げるべきは。……アルノルト殿下の、お父君殺しのことではなく……)
誰かの耳に入っては、殺されてしまうかもしれない。
そんな危うい推論を、リーシェははっきりと口にした。
「――ガルクハイン皇帝アンスヴァルト陛下が、再び戦争を起こした時のためです」
「…………」
リーシェは昨日、アルノルトの父アンスヴァルトに目通りをした。
しかしあの時間は本来ならば、ザハドのために設けられた場だったはずだ。それをアルノルトが、『リーシェの願いを叶えるために』という名目で、ザハドから奪った。
それは、アルノルトとザハドの間にある、ひとつの駆け引きだったのではないだろうか。
「昨今のアンスヴァルト陛下は、公の場にお見えにならないのだとか。ザハド陛下は、そのことをお気になさっておられましたよね?」
「…………」
アンスヴァルトは、とうに死んでいるのではないかという疑念を口にしていた。
「アルノルト殿下について知るための同盟。私にそう仰ったのは、偽りでは?」
「…………」
「ザハド陛下。本当にあなたが探りたいのは、ガルクハイン皇帝陛下の……」
「――嘘ではないさ」
「!」
リーシェの言葉を遮って、ザハドは笑った。
「アンスヴァルト陛下の動きがおかしい。……アルノルトがそれについてどう考えているのか、把握したいと考えている」
(兵力の貸し借りについてを、アルノルト殿下と話しているのに?)
「ガルクハインが起こす戦争は、世界中のすべてに影響する。我が国としても、それなりの備えが必要だからな」
ザハドの言葉は、あくまで軽やかで明るいものだ。
けれどもリーシェは知っている。たとえ本当に戦争が始まっても、ザハドはこうして太陽のように笑い、双眸に強い光を宿して剣を握るのだと。
「……戦争を、止めては下さらないのですか?」
「はは! その戦がどのような理由で起こり、どのような影響が出て、誰を相手取るのかによる」
リーシェがくちびるを結んだことに、ザハドはすぐに気が付いたようだ。
「案ずるな。あなたがそのようなお顔をなさると分かれば、きっとアルノルトが止めるだろう」
(いいえ)
口に出来ないひとつの言葉を、リーシェは心の中で呟く。
(――アルノルト殿下は、むしろ戦争を始める側なの)
今のリーシェには、それをまだ止めることが出来ない。
(この人生で、どうすればザハドを味方に付けられる?)
「未来を憂う必要はない。あなたは三日後、幸福な花嫁となる」
(……どれほど大らかで優しくとも、ザハドは一国の王。最後には個人の想いよりも、守るべき民と国益のために動く人。……それに)
「なあ? リーシェ殿」
かつての友人を前にして、リーシェは目を細める。
(――ザハド自身も王子だった頃、お父さまを殺して王となった)
更なる問い掛けを重ねるべきか、リーシェが逡巡したそのときだ。
「こちらにおいででしたか、ザハド陛下!!」
「!」
ザハドがリーシェに手を伸べて、抱き込むように死角へと隠した。
直後に複数の騎士たちが、緊迫した様子で駆けてくる。リーシェの存在にはまだ気付かず、彼らは言った。
「すぐに城へとお戻り下さい! 我々が護衛いたします、お早く!」
「話せ。何があった」
「それが……」
騎士たちが紡いだその言葉に、リーシェは息を呑む。
「新たに賊が現れました。……アルノルト殿下が、現在おひとりで交戦中で……」
「!!」
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7章5節に続く
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