311 花を想う
***
離宮の一階にある賓客室で、リーシェはお茶を用意していた。
選んだのは、薔薇の香りがする華やかな紅茶だ。低い温度で淹れるこの茶葉は、砂糖を入れずともほんのりと甘く感じられる。
この後の眠りを邪魔することなく、それでいて華やかな風味を楽しめる、こんな夜のもてなしにぴったりのお茶だった。
「惚れ惚れするほどに、手際が良いのね」
ティーカップを並べるリーシェを見て、フロレンツィアが優雅に目を細める。
「リーシェちゃんに、侍女のような振る舞いをさせてしまってごめんなさい。けれど手際が良くて、思わず見惚れてしまったわ」
「勿体無いお言葉です。フロレンツィア陛下」
フロレンツィアの向かいにある椅子に掛けて、リーシェも同じように微笑みを返した。
「お休み前の時間ですので、心を解す効果のあるお茶に致しました。お口に合うと嬉しいのですが」
「ありがとう」
フロレンツィアが纏うドレスは、夜の空を思わせる濃紺の色だ。華奢な身体のラインに沿って、上品なシルエットを描いている。
彼女はカップとソーサーを手にすると、一口飲んでから笑ってくれた。
「ふふ。おいしい!」
(……本心から、私を褒めて下さっているわ)
そのことは、フロレンツィアからはっきりと伝わってきた。
(万人にこうした対応をなさっているからこそ、フロレンツィア陛下は、他者の心を掴む)
本心と偽りの双方を、どちらも人心掌握に繋げているのだ。美しい正妃は穏やかな声音で、リーシェに更なる賛辞を向けた。
「侍女の教育については、リーシェちゃんが一部を取り仕切っていると聞いたけれど……この時間に全員退がらせているなんて、驚いたわ。段取りが良い証拠ね」
「滅相もございません。侍女たちひとりひとりが努力を重ね、常に研鑽しているからこそです」
「本当に、良い関係を築けているみたい。……だけど、強いて言うなら……」
カップをテーブルに戻したフロレンツィアが、長い髪を耳に掛けながら目を伏せる。
「エントランスに飾る花に百合を選んだのも、侍女なのかしら?」
「……」
賓客室の空気が、フロレンツィアの一言で張り詰めた。
「そうだとしたら、リーシェちゃんがなんだか可哀想」
「……あら。何故ですか? フロレンツィア陛下」
「あの種類の百合は、花の粉がついたら取れないもの。あちこちへのご挨拶が重なる中、ドレスが汚れてしまったら大変でしょう?」
膝の上に美しく両手を重ねて、フロレンツィアが心配そうに眉根を寄せる。
「離宮の侍女をみんな見習いで揃えるなんて、やっぱりやめておくべきだと思うの。あなたに我慢させてしまうことが、私は何より心配なのよ」
「…………」
「何かあったとき、相談相手になれなくては大変でしょう。主城の侍女を遣わせるから、婚姻の儀は……」
「陛下」
リーシェはこれまでの笑みを消して、真っ直ぐにフロレンツィアのことを見据えた。
「彼女たちの働きに、何ひとつの不足もございません」
そのことを、はっきりと告げる。
「私の侍女はいつだって、最善を尽くしてくれています。百合という白い花――なおかつ香りが強いものを選んだのも、私をよく知っていてくれるからこそです」
「……そう」
確かにフロレンツィアの教育した侍女は、熟練の技術と経験を持っているのかもしれない。
けれどもリーシェにとって重要なのは、エルゼたちが楽しく学んで働きながら、どんどん成長してゆく日々の方だ。
「余計な口出しだったようね。ごめんなさい」
フロレンツィアは目を細め、リーシェのことを見詰め返した。
「ところで、どうして百合が『最善』なの? リーシェちゃんの好きなお花なのかしら」
「私はどんなお花も大好きです! もちろん百合も好きなのですが、何よりも……」
数ヶ月前、侍女たちを困惑させた光景を思い出しながら、大真面目に返す。
「――――色のついたお花は、爪紅の染料に使いたくなってしまうのです」
「…………」
フロレンツィアが、その目をきょとんと丸くした。
「……なんですって?」
「あ! もちろん、美しくて元気な花をいきなりお鍋に放り込んだりは致しません! 花びらをちょっとだけ、こっそりと……!」
「……」
「白い花は煮出しても無色なので、百合はただ愛でるだけで落ち着くのです。香りが強くて薬液と混ぜるのも向きませんし、エントランスの飾り花としては最適で……」
「……っ、ふふ」
口元に手を当てたフロレンツィアが、その華奢な肩を震わせて笑い始める。
「ふふふっ、ふ、本当に不思議な子ね!」
「……フロレンツィア陛下?」
「あなたはまだ私と違って、『頼れる友人』を何人も城に呼べないでしょうから。少しでも、味方を増やしてあげたかったけれど」
その瞳に、何処か妖艶な光が揺れた。
「――『余計な気遣い』だったみたい」
「…………」
この部屋の空気は、先ほどから変わらずに重いままだ。
フロレンツィアが、そのことに無自覚なはずはない。
(私がガルクハインに来てから、三ヶ月が経つわ。その間、フロレンツィア陛下から私に接触してきたのは、これが初めて)
先ほどのような社交の場でも、フロレンツィアの関係者と思われる人物から監視を向けられたことは、一度もなかった。
今日まで放置されてきたのに、今になって接触される理由が、何処かにあるのだ。
(そんなにも、お茶会がお気に召さなかった? ……あるいは……)
「長くなってしまったわね。あなたに会いに来たのは、昼間のお喋りで誤解があったのではないかと感じたからよ」
「あら、誤解とは? とっても有意義で、楽しいお時間でしたが」
リーシェが挑むように笑ってみせると、フロレンツィアはそれを楽しそうに受け止めて、こう口にする。
「アルノルト殿下とあなたの婚姻を、心から応援したいと思っているわ」
「!」
リーシェは少しだけ驚いた。
「『ガルクハインの幸福な花嫁』と、そう呼ばれる女の子にしてあげたいの。だからこそ……」
フロレンツィアが、にこやかに言い放つ。
「――――アンスヴァルト陛下には、二度と関わらないで」
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