302 変わらず未来に願うこと(7章3節・完)
そんな意思を込め、改めてアルノルトのことを見上げた。
「……お前は」
アルノルトが、静かにこんなことを指摘してくる。
「皇太子妃として何もしない、怠惰な生活を望むのではなかったか」
「あら」
リーシェは小首を傾げ、冗談めかして目を細めた。
「寧ろ、求婚の条件にさせていただきましたよ? 『婚姻の儀が終わったあと、各国の賓客と交流する場を設けてください』と」
「…………」
アルノルトが忘れているはずがない。こんな顔をさせてしまっているのは、きっとリーシェを心配してくれているのだろう。
「もちろん、毎日ごろごろしてのんびり怠けて、何もしない生活を目指しています。私の夢ですから」
「…………」
アルノルトが物言いたげな目をしているが、リーシェは敢えて知らないふりをする。何度言われようと、リーシェはともかく絶対に、アルノルトと怠惰な生活を満喫するのだ。
「ですから是非とも、両国との友好のお手伝いをさせてください。ひとまずは、ここしばらくの滞在期間だけでも」
もちろんこれは、些細な変化だ。
戦争が回避できるとは考えていない。それでも、三カ国の関係性を少しでも良い未来に繋げるための、きっかけのひとつには出来るだろう。
「だって私。美しい砂漠のハリル・ラシャにも、澄んだ海に囲まれたシャルガ国にも……」
本心からの願いを胸に、リーシェは微笑んでこう告げた。
「いつか、アルノルト殿下と一緒に訪れてみたいのです」
「――――……」
するとアルノルトは、しばらく難しい顔をした後に、溜め息をついてから答えてくれる。
「くれぐれも、身体に障りのないようにしろ」
「!」
そう許されて、ぱあっと喜びが胸へと満ちた。
「ありがとうございます、アルノルト殿下! ――ザハド陛下、ヨエルさま、短い間ですがよろしくお願いいたしますね!」
「ははっ! ……本当に貴女は、不思議なお方だ」
「……変なの。別に、いいけど……」
リーシェが先ほど取り落とした日傘を、アルノルトが拾ってくれる。それにもお礼を告げながら、リーシェはアルノルトを改めて見詰めた。
(このお方に、より良い未来を望んでいただく。そのためにも)
リーシェが振り返った先に、既にフロレンツィアの姿はない。
(三日後の婚姻の儀までに、フロレンツィア陛下の『謎掛け』に答えたい。ささやかな情報ですらも、すべてを利用しなくては)
そのときだった。
演練場に、ひとつの報告が入ってくる。
「アルノルト殿下。ご到着されました」
(オリヴァーさま)
アルノルトの従者であるオリヴァーが、ザハドに一礼をした後で、アルノルトに向けて口にした。
「ルドガー・ラルス・ローヴァイン閣下が、お二方のご婚礼を祝う献上品を携えてお見えです」
***
ガルクハイン皇后であるフロレンツィアは、演練の見学を終えたあと、『塔』の屋上庭園でお茶を飲んでいた。
この場所からは、彼女が暮らす主城にある庭が見下ろせる。数時間前、あの中庭にやってきた花嫁についてを思いながら、フロレンツィアは口にした。
「国内外から、たくさんのお客さまがいらっしゃるわね」
「ええ。城下は毎日、素晴らしい賑わいです」
侍女との会話に耳を傾けることは、城から出ない身の上にとっても重要だ。フロレンツィアは侍女に微笑み、彼女に気を許していることを示すため、相談を持ち掛けた。
「城下の警備に不足は無いのか、軍務伯に念を押しておかないといけないかしら。お祝い事でお金の動きも増える所為か、皇都周辺に野盗も出ているようだもの」
こうした祝い事に合わせて起こる問題は、どうしても避けようがないものだ。侍女にも不安があったらしく、フロレンツィアの提案に頷いた。
「フロレンツィア陛下にそうしたお心遣いをいただけば、民はどれほど安心することでしょうか」
「では、お手紙を書くわ。それにしても」
フロレンツィアは、ティーカップを手に目を細める。
「……アルノルト殿下と『あの子』の婚儀に、たくさんの人たちが訪れているのね」
教育の行き届いた侍女は、静かに給仕を進めながら、フロレンツィアにこう返す。
「そのようでございます。世界中の王侯貴族の方々が、斯様に一堂に会することなど、歴史上でも数えるほどでしょう。誉れ高き、ガルクハイン皇太子殿下のご婚姻なればこそです」
「ふふっ、素敵な婚儀になるみたい! たくさんの人がやってきて……」
ゆっくりとお茶を飲んだくちびるが、ティーカップから離れた。
「――けれど、祝福はされない」
微かな呟きに、侍女が首を傾げる。
「……陛下? 申し訳ございません、お声が聴こえず……」
「なんでもないわ。美味しいお茶をありがとう、あなたもそろそろ休憩していらっしゃい」
そうしてフロレンツィアは、目を閉じる。
その胸元では、荘厳なダイヤモンドの首飾りが、素晴らしい輝きを放ち続けているのだった。
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第7章4節へ続く




