303 愛の形
【7章4節】
リーシェはこれまでに、何度も殺された。
どれほど人生を『繰り返し』しようとも、二十歳になる度に命を落とす。亡くなる日は人生によってまちまちだが、二十一歳の誕生日を迎えられたことは、ただの一度も無い。
『リーシェ』
そうして婚約破棄の日に戻ったとき、とある感覚に陥るのだ。
『あなた自身の想いなど、あなたの人生には必要がないのです』
子供の頃に言われたことを、鮮やかに思い返してしまう。
新たな人生が始まってしばらくは、本当の十五歳だった頃に感覚が戻って、両親から刻まれた言葉を揺り起こすのだった。
『忘れてはいけませんよ。王家に尽くし、忠義を貫く生き方こそが、我が公爵家の使命なのです』
それは、確かに大きな使命なのだ。
両親はそうした生き方を選んだ。大人になった今であれば、それだけの話だとちゃんと分かる。
『どれだけお前が優秀でも、女に生まれてはすべて無意味なのだ。お前は王太子殿下をお助けするため、それだけのために生きていればいい』
『勉学? 社交の場を取り繕える程度の知識があればそれで十分です。そんなことより花嫁修行を。もっと愛想よく笑うことを覚えるのですよ』
(――いいえ)
今のリーシェは、ちゃんと選べた。
(私にとって意味があることも、必要な知識も。そのすべてを、自分自身が決めて貫きます)
それで全てが終わったのだ。
両親は、そうした生き方しか許されなかった。だからこそ生まれたこの相違を、責める気持ちは少しもない。
『世間に認められる相手との結婚。女の本当の幸せとは、そんな相手と結ばれて子を産むことだけなのです』
(……ですが、お父さま、お母さま……)
今のリーシェは、時々考える。
母自身はどうだったのだろうか。
そうして父も、自分の人生をどんな風に考えたのだろうか。
(分かり合うことは、出来ないのだとしても)
だからこそ、尊重したいのだ。
両親が下した決断も、リーシェ自身の決断と同じくらい、大切なものだと感じている。
(だけど、アルノルト殿下は……)
リーシェがそんな風に告げると、なんだか難しい顔をした。
その理由は、後日改めて教えてくれるらしい。どんなものであれ、アルノルトが少し未来の約束をしてくれることは、とても嬉しく思うのだった。
***
夕刻になると、夏の空気は切なさを帯びる。
伸びゆく影と、美しく鳴く虫の音色。昼間よりも涼しさを帯びた柔らかい風は、ドレスの裾をやさしく揺らしてゆく。
皇城にある中庭の片隅で、世界を魅了する歌姫とも呼ばれたシルヴィアは、リーシェの投げ掛けた話題に首を傾げた。
「――つまりそれって、愛の物語なんじゃない?」
「……あい……」
リーシェは今、シルヴィアに背を向けて座っている。
婚姻の儀を前にして、髪型をどのようにするか確定するべく、シルヴィアに流行を尋ねていたのだ。
その中で、もうひとつの問い掛けも向けていた。
「リーシェ、ちょっとこっちを向いていてね。……ガルクハイン皇帝アンスヴァルト陛下と、皇后フロレンツィア陛下。ふたりの鮮烈な出会いの物語は、私も聞いたことがあるわ」
虫除けを兼ねて焚いた香が、辺りに甘い香りを漂わせる。
シルヴィアは、リーシェの髪を華やかに編み込みながら、何処か無邪気な様子で笑う。
「凄まじい戦場だったのでしょう? そこで剣を振るう皇帝陛下と、彼の前に歩み出た美しき王女! 敵対するふたりの出会いとしては、これ以上ない筋書きね」
「だけど、それは戯曲の恋物語でしょう? 現実なら、敵同士が戦地で出会ったとしてもそう簡単に、恋……なん、か……」
リーシェがそこで口籠ったのは、数々の心当たりがあるからだ。
ここにいるシルヴィアが、グートハイルと恋に落ちただけではない。誰にも言えない秘密ではあるものの、リーシェだって、かつてはアルノルトと敵対していた。
「リーシェったら」
そんなことを知らないはずのシルヴィアが、後ろでにっこりと笑ったのが分かる。
「恋とは理屈ではないことを、あなただって知っているはずじゃない!」
「し、シルヴィア!」
「だってリーシェ……」
シルヴィアが、ひょこっとリーシェの顔を覗き込む様子は、悪戯をする子猫のように無垢なものだ。
「アルノルト殿下のこと、好きって自覚したんでしょ?」
「…………っ」
その問い掛けを否定することは、今のリーシェには出来なかった。
「だ、誰にも内緒にしていてね……!? もちろんグートハイルさまにもよ!?」
「ふふ。分かっているわ! リーシェったら、可愛いんだから!」
シルヴィアはくすくすと笑いながら、リーシェの頬を指先でつつく。
「けれど、お父君には気を付けて」
蠱惑的な紫の双眸に、少しだけ鋭い光が揺れた。
「――『私たち』の間にも、ガルクハイン皇室の情報は皆無だったわ」
「シルヴィア……」
世界的な歌姫としての称賛の裏で、シルヴィアに課せられた使命とは、各国に対する諜報だ。




