93終焉にむけた、基礎づくり。
――美しい。
そう思った。
手加減無しの、純粋な魔力の輝き。
その輝きを生むために、彼女が支払う代償がどんなに大きかったとしても、ただ美しいと、魅入ってしまう。
しかしそれも、ほんの僅かな瞬間で。
「お久しぶりですね、オトウサマ」
彼女の視線の先。
そこに立つ真紅の魔獣。
魔獣が放つ禍々しい魔力は、確かに彼女と同一のもの。
それは、あの魔獣が“バイアーノの血”を引いているということを如実にあらわしている。
「フリア、あれは、俺が」
「そうはいかないわ。終わらせるのは、私の役目よ」
兄が、ス、とフリアちゃんの前に立つ。
しかし彼女は引かず、更に足を前に進める。
彼女が鞭を生成する。
“魔獣を倒すための武器”
その柄を握る手が、僅かに震えている。
「フリア、無理をするな。俺に任せろ」
関節剣を握る手とは反対の手で、兄は彼女を引き留める。
「大丈夫よ。だって私は、“魔獣討伐の要”よ。こんなことで、歩みを止めるわけにはいかないのよ」
魔獣を見据えながら、フリアちゃんは告げる。
はっきりとした意思をのせて。
父親だったモノを手に掛ける、その覚悟を滲ませて。
「シエル様、あの魔獣はなにか特別なモノなのですか?」
「あの、魔獣は……。フリアちゃんの父、なの」
目の前で繰り広げられる遣り取りの意味がわからないだろうリカルダさんが、僕に解説を求めてくる。
返答が意外だったのか、固まるリカルダさん。
公爵家の屋敷で奮闘したであろう人達は、彼が魔獣へと変貌を遂げる様を目の当たりにしただろう。
対してリカルダさんは、早々に屋敷から遠ざけられたに違いない。
だから、目の前のヒトガタの魔獣がヒトから変化したモノだとは思えないのだろう。
そもそも、ヒトが魔獣へと変化するなど、思いもよらないに違いない。
なにせ魔獣は、瘴気から生まれると伝わっているのだから。
「――人間が、魔獣に……?」
「うん。それが、“バイアーノの禁術”だから」
血族として迎え入れる代わりに、魔獣へと身を堕とす。
リカルダさんは、信じられないというふうに一歩後退る。
それでも、フリアちゃんやガロン兄さんに向ける瞳が“心配”の色に染まっていることに安堵する。
向けられる感情が“恐怖”や“嫌悪”ではくてよかったと、心から思う。
「フリア頼む! 俺に譲ってくれ!」
はっ、として二人を見ると魔獣に向かって駆けている。
元が人間だったといっても、授かった魔力は当代一。
魔獣となってしまっては、フリアちゃんが近くに居るというだけで魔力が強化されるに違いない。
それを知っていて、兄はああも必死に彼女を遠ざけようとするのだろうか。
しかし、“バイアーノの魔力”を宿した魔獣に兄が敵うとは思えない。
魔術を使用できない兄は、肉弾戦一択なのだから。
遠距離攻撃で狙われたら、ひとたまりも無いだろう。
「ガロン、危ないわ! 下がって!」
「俺は下がらない! あれは仇だ! 俺が討って、決着を――」
しなりながら肉薄する刃の線を、いとも簡単に魔力の壁が阻む。
次いで、彼女が魔力の壁に己のそれをぶつける。
ガラスが割れるような音をたてて、壁が消え去る。
一瞬の隙をついて魔獣の爪が彼女を襲う。
「フリア!」
「っ!」
爪が彼女に届く間際、兄の剣がしなる。
鞭のように魔獣の腕に絡みつき、動きを止める。
「ありがとう、ガロン」
「礼はいい! 無事ならそれで」
魔獣が戒めを解こうと腕を振り抜いたタイミングで、兄は剣から手を離し消失させる。
そして再び関節剣を生成する。
彼女が居ない間、己と二人で魔剣を使いこなそうと奮闘した成果。
彼女の代わりに、と。彼女に負担をかけないように、と。
魔獣討伐に関わる全ての人員で試行錯誤の末、身につけた戦い方だ。
「ガロン、あなたいつのまにそんなに強くなったの?」
「リカルダ嬢にしごかれたからな。今、バイアーノの兵士は、国の精鋭にだって引けを取らないぞ」
――フリアが望むなら、“王太子殿下”を攫ってくることくらい、できるぞ
魔獣の攻撃を躱しながら、兄は冗談めかしてそんなことを言う。
「――気持ちだけで、じゅうぶんだわ」
――私は、“王太子殿下”が欲しいわけじゃないもの
寂しく微笑んでから、彼女もさらりと攻撃を躱す。
いつの間にか、自然に、二人の息が合っていく。
己のみで向かうのでは無く、互いの力量を把握した上で連携をとっていく。
そして、己の思い違いでなければ、兄はこちらを意識している。
もう少し、
もう少し。
二人と魔獣の追いかけっこを眺めながら、早鐘を打つ鼓動を落ち着けるために、深呼吸。
「リカルダさん、ちょっと、後ろに下がっていてください」
「あ、あぁ、了解した」
徐々に、こちら側に近付いて来る二人と魔獣から遠ざけるように、リカルダさんを下がらせる。
もうすぐ、射程距離に入る。
兄の動きで察したのか、フリアちゃんもこちらに視線を向け僅かに微笑む。
その笑みに頷きで返してから、さらに一呼吸。
フリアちゃんが魔術を使用するほどに、魔獣が魔力を吸収していく。
兄が魔獣を攻撃する程に、フリアちゃんから渡された魔力が魔獣に流れ込んでいく。
どんな強力な魔獣でも、魔力の許容範囲は存在する。
フリアちゃん一人でそれを突破させるためには、あの魔獣は質が悪すぎる。
彼女の、心理的な負担も。
だから、三人で、終止符を。
覚悟はすでに決めている。
ヒトだったものを、害する覚悟。
元々は彼女が帰ってくるまでに、二人であの人を討つつもりでいた。
兄の見立てでは、フリアちゃんが戻って来るよりも先に、あの人の魔獣化が始まると予想していたから。
だから、ちょっと予定がズレただけだ。
きっとフリアちゃんは“どうしてそこまで肩入れするのか”と困惑するに違いない。
それでも僕達の答えは、ただ一つだけ。
“彼女に笑ってほしいから”
家とか使命とか、誇りとか伝統とか、そんなのどうでもよくて。
ただ、“笑っていて”ほしい。
ずっと、独りで戦ってきた、たった一人の僕らの“お姫様”。
彼女のためなら、僕達は修羅となれる。
「フリア、退け! シエル!」
「うん!」
魔力も間合いも完璧だ。
魔獣の魔力に煽られて、兄の身体が宙を舞う。
慌てる彼女を視界に捉え、己は冷静に的を射る。
お膳立てされたその的に、渾身の力を込めて矢を放つ。
彼女の魔力を纏った矢を。
――――――!!
声にならない叫びが辺り一面にこだまする。
矢を受けのたうつ魔獣めがけて、兄が剣を振るう。
落下しながら、自重を乗せた重い一閃。
ザクリ、“肉”を切り裂く音が鈍く響く。
その瞬間、はじけ飛ぶように瘴気が吹き出る。
「ガロンっ!!」
襲う瘴気から護るように、彼女は兄を囲む結界を張る。
魔獣だったモノは、ゆっくりと消滅していく。
ホロホロと跡形も無く崩れ去っていく。
その身体に蓄えた、魔力をすべて瘴気に変換して。
湧き出た瘴気を抑えるために、“吸魔の石”を鏃に埋め込んだ矢を数本射る。
視界の隅で、瘴気に少しだけ当てられたらしい兄が、彼女が張った結界のなかで咳き込むのが見える。
フリアちゃんは、一心に兄の結界を強化すべくさらに魔術を練っている。
三人が、三人とも、溢れる瘴気から視線を外したその、刹那。
「フリア様!! 後ろっ!!」
「――フリアちゃん!!」
「フリアっ!!」
たった今、瘴気から顕現した魔獣が、彼女の背をめがけて鋭い爪を振り下ろす。
魔術を使える者は、他に居ない。
己の弓でも間に合わない。
あの魔獣を止めることができる者が、この場にはもう、居ない。
「ぅ、わあ……」
外野の声に振り返った彼女は、眼前に迫るその爪を凝視して、呆けたような声を出す。
誰一人として、動けない。
目に映る全ての光景がゆっくり、ゆっくり、過ぎていく。
こんなにもゆっくり、時が進んでいるのに己は一歩も動けない。
誰か、誰か!
誰でもいい、誰か!
フリアちゃんを、助けて!!
次に来る光景を直視できなくて、己は情けなくも視界を閉ざす。
「はぁ、もう。ほんと、危なっかしいんだから」
光を無くしたこの場所で、静かに、それでもはっきりと聞こえたその声に目を見開く。
「フリア、怪我はない?」
「――ぁ――……、」
正面から真っ二つにされた魔獣が、彼等を避けて崩れ去っていく。
彼女の正面に向き合うかたちで宙に浮く、その人物から目が離せない。
ここに居るはずのない人物。
けれど、彼女の隣に居てほしいと願ったその人。
漆黒の長髪を風に靡かせ、手にはすらりと長い刀。
その漆黒の刀身が鈍くきらめく。
こちらに向けられる事の無いその瞳はきっと、淡い金色なのだ。
「――グレン……」
「なぁに、フリア」
名を呼ぶ彼女に向けられた瞳はきっと、これ以上無いほどに甘く優しい光を湛えているに違いない。
そんな、声音。
「――どうして、ここに……」
「どうして、って、そんなの――」
――フリアに逢いたかったから、だけど?
地に降り立った彼は、そう、事も無げに言い放った。