90溢れる想いとその反動。
瘴気が集まる。
ざらり、とした空気が肌を撫でる。
この中心地に向かって、周囲から急速に瘴気が集ってきている。
その中心に立つ、祠。
祠の真上に立つ彼女の、真紅の髪が舞う。
背丈を優に超えるその髪が、ゆらりゆらりと、彼女の周りを揺蕩う。
「フリアちゃん!」
「――シエル、危ないから、さがっていて」
「――え、……あれ……。フリアちゃん、平気、なの……?」
こちらを見遣る彼女の瞳は黄金に輝いている。
今の彼女が魔力を最大にしているのは、その様を見れば一目瞭然だ。
しかし、それなのに、彼女が“正気”なのだ。
魔力を解放すればするほど、彼女の“理性”は薄れていく。
未だかつて、あんなにも魔力を解放した彼女を見たことが無い。
それなのに、彼女は狂うことなく、“正気”を保っているように見える。
「不思議よね。こんなにも魔力を解放しているのに、頭はすっきりしているの。きっと、“バイアーノ”が還ったから、でしょうね」
右手を掲げ、彼女の武器である鞭を生成する。
「やっと、“私の心”は“私だけのモノ”になったのだわ」
「ちょ、フリア、待てっ!」
兄の制止も虚しく、彼女は足下の祠に、鞭を力いっぱい打ち付ける。
――――……
音にもならない音をあげて、祠が崩れ去っていく。
瞬間、地下から大量の、しかも濃度のある瘴気が、勢いよく吹き上がる。
「フリアちゃん!?」
「――っ、が、はっ、」
「兄さん!!?」
祠の上に浮いていた彼女は、夥しい量の瘴気をその身に浴びる。
呑まれた彼女の姿も見えない程に、濃厚な瘴気の波。
彼女がその中に消えた刹那、隣の兄が頽れる。
地面に膝をつき、胸を押さえながら、浅い呼吸を繰り返す。
その、呼吸の合間に咳き込んだその手は、いつか見た朱で染まっている。
彼女を包み込む瘴気は、こちらに一つも流れてこない。
これは彼女が、瘴気ごと彼女を包む結界を張っているからだ。
つまり、あの結界の中に彼女が居る限り、兄は苦しみ続ける。
もちろん彼女も、ただでは済まないだろう。
「……、シ、エル…」
「――っ、」
声を張り上げようと、息を吸った己の腕を兄が掴む。
視線を向けると、苦悶の表情を浮かべながらも、頭を左右に振っている。
「兄さん……?」
「ダ、メだ、……フリアに、気付、かれて、は……」
「な、なんでさ! フリアちゃんを、止めないと!」
「ダメ、だ……この、まま……」
兄は言う。
彼女に、この状況を気付かれてはいけない、と。
このまま、彼女の身を襲う余波を受け続けたら、自分がどうなってしまうか、わかるだろうに。
「フリアちゃん! 止めてっ! 止めて! 兄さんが……、ガロン兄さんが、死んじゃうよぉぉっ!」
「シエ、ルっ!!」
キツく、腕を引かれる。
でも、叫ぶのを止めない。
兄になんと言われようと、こればっかりは聞き入れられない。
二、三度、彼女に向かって叫んだとき、ふ、と彼女の姿が現れた。
瘴気を閉じ込めた結界を背に立ち、こちらを凝視する彼女のその瞳には驚愕の色が宿っている。
「ガロン……、どう、して……」
ゆっくり、次第に足早に、彼女が近付いて来る。
「ガロン、これは……。どういう事なの?」
「――たいしたことじゃ、ない。気にするな」
「たいしたことじゃない、って……、そんなわけ、ないでしょうっ!?」
浅く、息を継ぐ兄に向かって、彼女は声を荒げる。
しかし、兄はそれ以上口を開かない。
「シエル、これは、どういうことなの?」
「シエル、」
「――――ぁ……」
彼女からの問いかけ。
それに、被せるように発せられたのは、兄の声。
黄金の瞳と、緋色の瞳に射すくめられる。
――どちらをとっても、どちらかを、傷つける。
「――ガロンは、私の、“彼ガ身”だったのね」
「――ぁ……」
核心をつく、彼女の問い。
それに答えることが、できない。
彼女の隣で膝をつく兄の表情が、悔しげに歪んだのがわかる。
「フリア、俺は――」
「――もう、いいの」
「え――」
兄に視線を合わせるように、屈む。
真紅の髪が、二人の表情を遮って、見えない。
「護られるのは、もう、いいの」
「でも、フリア、俺は」
「ありがとう、ガロン。ずっと、護ってくれて。でも、今日で終わりにしましょう」
「フリア!」
「私は、誰も、傷ついて欲しくないの。私のために、辛い思いをして欲しく、ないのよ」
す、と立ち上がる。
そして、兄に左手を翳す。
「バイアーノの名において願う」
翳された掌から、淡い光が降り注ぐ。
「我は拒む。その心を。我を護らんと、“彼が身”を賭す、その心を」
「――フリア、……やめろ――」
「“我が身”は全て“我が身”なり」
「――フリア!」
徐々に広がる光は、兄の体を包み込む。
兄が彼女に向かって制止の声をかけるが、聞き入れられることはない。
「“彼ガ身”は全て“彼が身”なり」
「――やめて、くれ……フリア、頼む、――!」
――俺の、存在理由を奪わないでくれ!」
「“彼ガ身”の定めを覆せ!」
彼女が唱え終わると、光を纏う兄の身体から、するりと何かが滑り出る。
――あれは、何だろうか。
その物が光に包まれているので詳しくは見えないが、紙のように薄いなにかだ。
それを手に取った彼女は、あっという間に、その一部に火をつける。
不思議なことに炎は、道を決められているかの如く、するすると場所を選んで燃えていく。
その、不思議な光景に目を奪われている間に事は終わったらしい。
再びその紙のようなものを兄に近づけると、先程と同じようにするりと入っていく。
「これでもう、大丈夫。ガロンが私の影響を受けて、苦しむことはないわ」
「フリアちゃん……」
――ガロンをお願いね。
そう、言葉を残して背を向ける彼女。
己の前には、力なく地面に膝をつき、ここではないどこかを呆然と眺めている兄の姿。
「フリアちゃん!」
「――なぁに、シエル」
呼ぶ己に、振り返る彼女。
言葉の柔らかさとは裏腹に、ヒヤリとした光を湛える瞳。
「僕は、フリアちゃんが傷つくのも、嫌だよ!? だからせめて、その瘴気を魔獣に変えて!」
「――シエル?」
不思議そうに、首を傾げる彼女。
「瘴気を魔獣に変えて! そうしたら僕達も戦える! ここで、魔獣と戦えるのは、フリアちゃん独りじゃない!」
「――だけど、ね、シエ――っ!?」
彼女が完全に振り返った瞬間、生成した魔弓で、“瘴気の結界”を射る。
狙った通りに結界に吸い込まれた矢は、瞬く間に結界を消し飛ばす。
瘴気が広がる。
それでも、“ちょっと調子が悪い時の常夜の森”くらいの量だ。
「ちょ、シエル、何を!?」
「フリアちゃんの力は、フリアちゃんの力でしか、消せないから」
そう言って取り出した矢。
鏃部分に使っているのは、彼女の魔力を溜め込んだ“吸魔の石”を加工したもの。
彼女の魔力で彼女の魔術を相殺し、“吸魔の石”の役割も果たす優れもの。
しかも、少し改良を加えて、瘴気も溜め込めるこの己の武器。
これがあれば、瘴気を抑えつつその都度魔獣を倒す事ができる。
「兄さん!! いつまでボーッとしてるの! フリアちゃん! いつまでも、僕を“弟のシエル”って油断してると、僕の方が護る側になれちゃうんだからね!」
「――すまん、シエル」
ゆらり、兄が立ち上がる。
その手には関節剣がしっかりと握られている。
「――さぁ、討伐を、はじめようか」
僕達は駆ける。
一連の出来事に、唖然として佇む彼女よりも、速く。
――もう、彼女を悲しませたり、しない。




