91いつも通りのオーバーワーク。
“奈落の谷”があったその場所で。
「僕は、フリアと、一緒には、居られないんだ」
“全ての始まり”の、その場所で。
「ごめんね、フリア嬢。彼は、わたしなんだ。ずっと、伝えようと、思っていたのだけど、……本当に、ごめんなさい」
私の“唯一”は、終わりを告げた。
漆黒の青年から、白亜の現人神へと姿を変えたその人は、深く、こちらに向かって腰を折る。
――あぁ、なるほど。
そうだったのか。
突然の告白にも、何故か納得している己がいる。
たまに、あったのだ。
“なにかがおかしい”と、思う瞬間が。
それでもあえて触れず、目を背けてきたツケが、今、この時にやってきた。
――それだけ、なのだ。
「さようですか。ならば、ここで別れましょう」
もう二度とまみえることは、ないだろう。
そんな想いを込めて、笑う。
最後に残る記憶には、せめて笑顔で映りたい。
姿を消す間際、この目が映したのは驚きを露わにする白亜の現人神。
――あぁ、できれば、最後の記憶が“彼の姿”なら、よかったのに。
そんなことを、願ってしまう己は、もう戻れない。
知らなかった頃には、もう、戻れない。
“愛すること”を知ってしまっては、もう――
「――どうして、“呪い”は消えてしまったのでしょうね」
自領の屋敷の屋根に立ち、小さく呟く。
視線のずっと、ずっと先には、ついこの間まで過ごした場所がある。
“ただのフリア”になった己には、なにが残ったのだろう。
結局、“伝えたい想い”を伝えることは、できなくて。
伝える前に、その必要が無くなった。
では、この想いは、誰に渡せばいい?
もう、二度と会うことのない、その人に告げることのできなかった、この、想いは。
「――グレン……。好き」
――いいえ。
「……愛、していた、の」
貴方を、“愛していた”。
貴方は、私の“ただ一人の人”だった。
だから私は、貴方のために、全てを捧げましょう。
“良き王である”と、皆から愛されるように。
“魔獣の脅威”に、余計な心を裂くことがないように。
私が、全てを終わらせる。
――貴方の御世に、光あれ。
「フリアちゃん!」
背後から、シエルの声が聞こえる。
振り返ると、こちらを眺める人影三人。
「――あら、シエル。来ていたのね?」
三人の前に転移し、事のあらましを告げる。
リカルダ嬢は途中で居なくなってしまったが、別に問題は無い。
「“常夜の森”を、消しに行くわ」
そう告げた私に、目を見開いて固まる二人。
“奈落の谷”が消滅したことを告げるとともに、“常夜の森”も消せるはずだと、己の見解を告げる。
そして、二人の制止を聞こえなかったことにして、目的の場所まで転移する。
「さて、どの程度保つかしら」
祠の上に浮遊し、徐々に魔力を解放していく。
魔力の消費が激しいほど、魔力を生成するために、瘴気を引き寄せるこの身体。
“常夜の森”の瘴気を集めるのは、これが一番簡単な方法ではあるが、問題が一つ。
魔力を解放すれば、するほど、“感情の制御”が難しくなる。
つまり、効率を重視しすぎると、“正気”を保てなくなる。
“狂って”しまっては、きっと後から追ってくるであろう二人を害しかねない。
それだけは、避けなければ。
「――意外と、正気だわ」
徐々に解放していた魔力も、気がつけば最大になっている。
魔術で調整していた髪を、全て曝け出している状態でも、だ。
もしかすると、“初代バイアーノ”が在るべきところへ還ったから、だろうか。
つまり、魔力の解放で狂っていたのは、“初代バイアーノ”の感情に己の心が呑まれていたから、なのかもしれない。
「フリアちゃん!」
そうこうしているうちに、やはり追ってきた二人。
魔力の解放具合と、己の“正気”を目の当たりにして困惑する二人に己の見解を告げる。
本当に驚くほど、いっそ残念な程に、“正気”なのだ。
――いっそのこと、狂ってしまえたほうが楽なのでしょうね。
ガロンの制止を振り切って、祠を破壊する。
それと同時に、周囲に瘴気が漏れ出さないように、結界を張る。
「――っ、」
四方八方、周囲を全て、濃厚な瘴気で満たされる。
しかし、覚悟していた程の衝撃は来ない。
心臓は早鐘を打っているが、そんなのは、いつもの事だ。
――なにをしても、“正気”から、逃れられないのね。
少しくらい、ほんの少しでいいから、“己の心”から目を背けたいのに。
ガロンとシエルには、私が無謀なことをして、“死に急いでいる”ように見えるのだろう。
だから、あんなに必死に止めてくれるのだ。
――別に、死に急いでいるわけでは、ないのに。
ふ、と口の端をあげるが、きっとこの笑みは歪なのだろう。
今、このタイミングで、己が命を落とすようなことになれば、きっと“王太子殿下”は気に病むだろう。
あんな別れ方を、したのだから。
それに、バイアーノ公爵家の行く末も、バイアーノ領の民の今後も何一つ決めていない。
中途半端な状態でガロンに後を託すなど、そんな無責任なことはしない。
きちんと今後の事を話し合って、しっかりとこれから先も民が笑って暮らせるように、示してやらねばならないのだ。
散々、“魔獣の民”として、周囲から恐れられてしまっているのだ。
しっかりと地盤を固めなければ、この先苦労を強いられるのは民だろう。
領政に深く関わることはなかったけれど、領主としてせめて、最後の仕事をしなければ。
――それが終われば。
“私”は、自由ね。
私が何処に行こうと、何をしようと、“自由”だ。
次代に繋げる気のない私が、領主の座に居座るのはよろしくない。
さっさとガロンに譲ってしまおう。
そして、私は――
オズボーン国にでも、お世話になろうかしら。
太陽神は、私の容姿を気に入ってくれているようだし、こちらから足を運んだって、邪険に扱われることはないと思うし。
あぁいっそ、“太陽神のモノ”となるのも、いいかもしれない。
全て忘れて、己が何ものであるかも、全て無かった事にして。
ただ、その容姿を、神に愛でられるだけの、存在。
ただ、そこに、在るだけの、人形。
――それも、ありかも、しれないわね。
だって、もう、私がこの世に居たいという理由はないのだもの。
魔獣が消えれば、私の存在価値はなくなる。
それでも、価値を見出して、手元に置いてくれるというのなら。
私を望んでくれると、いうのなら――




