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87唯々きみを、望んでいます。


--ほんとうに、これで、よかったの?

――だけど、これしか方法が、ない

--己が彼女に手を伸ばすなど、もう、できないのだから。



――せめて、さよならは、己が言うべきだったのではないか

――でも、無理だ。

彼女に、別れを告げるなんて、俺には、できない。



もし、もう一度、己が表に出てしまえば、二度と……





真実を打ち明けた己に、彼女はしばし目を見開いた後、やけに明るい声で胸の内らしきことを語った。

話の最後に彼女はきっちりと腰を折った。

己の謝罪を受け止めてもらうはずが、逆に彼女に謝罪させてしまうという事態を招いてしまった。


どう返すべきか逡巡していると、その姿勢のまま彼女は話し出した。


「“魔獣の脅威”は去りました。今すぐに、というわけではありませんが、もう、人々が魔獣を恐れることは、ないでしょう」

「--ありがとう」

「私の代で“バイアーノ”は終わりです。私の命が尽きる頃には、魔獣という存在がこの世から消え去ることでしょう」

「――フリア嬢、それは……」

「今、すぐにでも、必要とあらば、爵位はお返し致します。ですがもう少し、私の命が尽きるまで、“バイアーノ”が“魔獣討伐の要”と誇れる証を、賜りたく思います」



腰を折る彼女の表情を、読み取ることはできない。


それでも……

彼女を、酷く傷つけてしまった。

――のだと、思う。

現人神(ユリエル)は、ひとの感情というものに疎くなっている。

(グレン)を封じたため、ひとの領域から離れすぎてしまったからだろう。

今の(ユリエル)は現人神よりも、心の機微的には神に近しいのかもしれない。



己の心の変化を感じつつ、そっと息を吐く。

その刹那、胸の内に僅かに湧き出る違和感に気付く。


--後悔は、しても、しきれない

――こんなことに、なるなら、出逢わなければ、よかったのに。

--こんなに、彼女を傷つけて、しまうの、なら


この僅かな感情は、(グレン)が己にもたらす最後の楔なのかもしれない。

そんなことを考えながら彼女を真っ直ぐに見詰める。


「わたしは、フリア嬢の意志を尊重しよう。貴方は、わたくしたち現人神が、人々に与えることのできなかった安寧をこの国にもたらした」

「有難き、御言葉、痛み入ります」


労いの言葉を掛けるが、彼女は顔を上げない。


「王宮に戻ろうか、フリア嬢。もう、ずっと働き詰めだったでしょう。あと少しの時間、王宮でゆっくり過ごすといいよ」

――わたしは、これから何があっても、フリア嬢の味方であると、今、ここで誓おう。

そう言って、現人神(ユリエル)は手を差し伸べる。


「私の為す事を、咎めることはなさらない、ということでしょうか」

「うん、フリア嬢の意志を、尊重するよ」


触れる間際、彼女からの問いかけに手が止まる。

彼女は、す、と姿勢を正し、一瞬、思い詰めたような表情をした後、大輪の花が咲くように、笑う。

それは、とてもキレイで。

ひとの心が薄れた己の胸さえも締め付けた。



「さようですか。--ならば、ここで、別れましょう」

「----え……」


瞬き一つの間に、彼女の姿は掻消える。
















深く、昏い闇の中で。

為す術無く、彼女を見送った者は思う。


――このまま、ほんとうに、もう、会えない……?



現人神の中で繋がれたままの、この状況では、何があったとしても会うことなど、叶わないではないか。

いまさら、彼女が目の前から消えたところで、なにが、変わるというのだ。

己を納得させるために、何度も、何度も、呟く。


まるで、己に掛ける呪いのように。

その、言葉を紡ぐ。


もう、すべて、終わったこと、なのだと。


それでも、心は叫ぶのだ。


――このまま終わるのは、嫌だ、と。


為す術は無い。

それは、十分わかっている。

抵抗しても、無駄であるということは、嫌と言うほど味わった。


それでも、それ、でも……


――“力を、貸そうか”

ふ、と、声が聞こえる。

知らない、聞き覚えのない、声だ。


――“力を、貸そうか、グレン”

誰だろう。もう、己の名を呼んでくれる人など、居ないはず。


--“我は、人の想いに寄添う者。おまえの願いが、真に叶えたいものならば、我が、力を貸そう”


できることなら、自由に動かせる躯が欲しい。

今すぐに彼女の後を追って、この手の中に、囲いたい。

でも、それは……



己の腕で輝く純白の腕輪が鈍く光る。

この国の、統治者である国王が、その身を削って創り出した神具だ。

生半可な力では、到底どうすることもできないだろう。

どんなに膨大な魔力を注ごうと、全て綺麗に相殺されてしまうのだから。


少しの期待と、絶対的な諦めを抱き俯く己の髪に、ふわり、優しい気配が降り注ぐ。


「――我は、いつ何時であろうと、願いを叶えたいと、強く思う人間に、手を差し伸べるのが使命だ」

「――親神様……」


ごくり、喉が鳴る。


目の前に顕現した純白も霞むような白さを纏ったその一柱。

一目見て、人ならざる者であると直感が告げる。


「グレン、どうする。我は、おまえの願いを聞き届ける手助けは、できるが」

「――ほしい……。フリアと、共に歩む、未来が欲しいっ!」


--もう、二度と、彼女が悲しまなくてすむように。

――ともに歩み、降りかかる火の粉から、彼女を守りたい。


……もっとも、彼女であれば、火の玉が降ってきても軽く相殺するのだろうが。

それでも、守りたいと、願う。



「--やはり、人という生き物は、強き生き物よ」


ふ、とやわらかく微笑んだかとおもうと、純白の腕輪に手を伸ばす。


――ピシ、

触れた瞬間、腕輪にヒビが刻まれる。

そのヒビは、段々、大きく、無数に、広がっていって……


「--これで、もう、動けるだろう?」

「――はい」


無数のヒビが入った純白の腕輪。

その隙間から、消えていったはずの魔力が戻って来る。




――“ユリエル、ちょっと借りるから”


そう、強く思って瞳を開けば、一枚隔てた風景ではなく己の目に直接映る景色。


「――これで、フリアのところにいける。きちんと、フリアと向き合わなきゃ」


もしかしたら、もう、会ってくれないかもしれない。

それでも、きちんと向き合いたい。


彼女の屋敷を目標に定め、転移魔術で移動する。

そして、その場所の風景を瞳に映して、絶句する。


「――ない……」


降り立ったその場所は、確かに彼女が屋敷を構えていた場所。

しかし、今、己の目の前には更地が広がり、建物はもちろん、彼女が育てていた草木でさえ綺麗さっぱり消え失せている。

まるで、最初からそこに存在していなかったかのように。


全身から、力が抜ける。

そのまま、膝から崩れ落ちた。


「うそ……フリア、どこに……」


そんなこと、誰に聞かなくてもわかっている。

彼女が帰る場所は、この国の最果ての地。

そこをおいて他にはない。


陸路で半月かかるその道程を、彼女は半日足らずで移動できる。

本気をだせば、数時間で行き来できると言っていた。

己の魔力量であれば、彼女と同じくらい早く、かの地に辿り着く事ができるだろう。


――その、座標を知っていれば。


“バイアーノ領”


地図上でだいたいの場所は把握できる。

しかし転移魔術は“目的の場所”に行ったことがなければ使用出来ない。

つまり、今の己が彼女に会うためには、半月の期間をかけて、陸路で地道にそこまで行かなければならない。


――そんな時間はきっと、ない。

己の直感が告げてくる。

彼女の心(フリア)を守りたければ、急げ”と。



あのとき、現人神(ユリエル)は気付いていなかったが、彼女の瞳は冷たく凍りついていた。

あの、初めて出逢った日。

魔力を解放した彼女の姿を見た誰かが、彼女のことを“バケモノ”と呼んだ、その時と同じように。

彼女の心は冷え切っていた。


その、黄金の瞳に、誰も寄せ付けぬ“拒絶”の色を宿して。


――どうしよう

どうしよう

どうしよう……



このままでは、彼女を傷つけたまま、二度と会うことが叶わなくなってしまう。


嫌だ、嫌だいやだ、

そんなの……、嫌、だ……!


なにか

なにか、方法が……




「あら、グレンさまではありませんか。フリアさまもいらっしゃらないのに、こんなところで、なにをしておいでなのです?」

「――アメーリエ、様。……フリアの、従姉妹の……」


もう随分前に、紹介された覚えがある。

ここがフリアの屋敷だ、と認識した上で、この状況を見てなにも感じないのは、ある意味凄いのではないだろうか。

ふと、このアメーリエ嬢が、“バイアーノ領に隣接する領の娘”であったことを思い出す。


「アメーリエ、様は、“バイアーノ領の座標”は、わかりませんか」

「残念ですが、わたくしは魔力がありませんので、“座標”とやらは全くもってわかりませんわ」

「――そう、ですか……」


王太子殿下の妃候補というのは、それなりの身分を保障される。

対して己は“一介の魔術師”ということになっている。

身分で言えばアメーリエ嬢の方が上。

身分が上の者に対して、不躾に話しかけておきながら、その返答に落胆の色をみせるなど本来であれば罰せられてもおかしくはない。


だというのに、アメーリエ嬢はそんなことを気にする素振りを見せずゆっくりと歩きながら語りだした。


「でも、そうですわね……。その昔、フリアさまとガロン様と、シエル様の四人で“隠れ鬼”という遊びをしたことがありましたの」

「――は、はぁ……」


隠れ鬼


名前だけなら聞いた事がある。

確か、鬼役が、他の人間を探して、鬼役に見つかった人間が次の鬼役になる、というものだったと記憶している。

それが、どうしたのだろう。


「わたくしたち、絶対にフリアさまを“鬼役”にしませんでしたの。だって、フリアさまは得意げに笑うのです」

――“座標とかわからないけれど、この人のところに行きたい! って強く思えば、この三人だったら誰のところにでも行けるわ!”――

「って。それ、反則ですわよね」

「強く、思えば……」

「まぁ、どうしてわたくしたち相手だと“フリアさまが最強”なのだろう、とその時はわかりませんでしたの。けれど、今になって思えば、簡単なことだったのですわ」

――だって、わたくしたち、フリアさまを間に、全員血縁関係にあるのですもの。


「――貴方とフリアさまの間にも、なにか、共有するものが、あったらいいですわね」


そう、言い残してアメーリエ嬢は去って行った。


「フリアと、共有している、もの……」


す、と目を閉じる。

己の中を巡る魔力に、意識を集中する。


二度も彼女に、魔力を分け与えられたこの躯。

己の魔力とは色の異なるその、僅かに残った彼女の魔力を掴む。


――頼む、フリアのところに、俺を……!


祈るように、願う。

僅かな残滓を、手繰り寄せる。

すぅ、と、足下に陣が現れる。



真っ白な地面に描かれた陣が消えたとき、そこには白亜の現人神がその身を横たえていた。

そして、しばらく経った後、僅かに身じろぎをしたのだった。



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