85本当の出会い。
ハッとして目を開ける。
視界に映るのは、眉を寄せ、焦燥の感情を纏った漆黒の青年。
「よかった、目が、覚めたん、だね……」
「――――……、」
焦燥感から一変、安堵の表情を浮かべた彼は、柔らかに微笑む。
「--え……ここは……どうなって――」
暗く、深い場所に居たはずであるのに、空が見える。
そればかりか、辺り一面に咲き誇っていた花や、あの巨大な樹はそこになくて。
周囲に溢れかえっていた魔獣や死霊すら、どこにも見当たらない。
ただ、高く遠くに輝く太陽と、それに照らされて煌めく白亜の宮殿と、真紅の神殿。
シェーグレン国とオズボーン国の、ちょうど真ん中辺りに、二人は佇んでいる。
ここは、“奈落の谷”があるべき場所だ。
この、下に、“奈落の谷”が穿たれているはずなのだ。
--まさかまた、記憶に引き摺られた……?
ここ数日、“姉巫女の欠片”が視せてくる“過去の記憶”の中で彷徨っていた所為で、夢と現実の境が曖昧になっているのかもしれない。
「--フリア……どう、したの……?」
しきりに周囲を見渡す私を不思議に思ったのだろう。
漆黒の青年は私に言葉を投げる。
「――“奈落の谷”が、無い……」
「--そりゃぁ、“元凶”が“還った”のだから、もう、あの谷の役目は終えたのでしょう?」
「--そう、なのね」
――あの、執事が残して去って行った言葉達。
どれをとっても、いいこと尽くめだった。
もう、人々が魔獣に怯える必要も無いし、バイアーノが、“愛すること”を恐れなくてもよくなったのだ。
晴れやかな空を見上げ、思う。
--私は、ちゃんとここに留まることができたのだ、と。
また、今回も助けられてしまった。
グレンが来てくれなければ、私はあのまま消えていたのだろう。
私の心を動かすことができるのは、もう、きっとグレンだけだ。
それはつまり、私にとっての“唯一”が……
「--グレン、貴方だって、ことなのね」
朱に染まった、袖口を握る。
刺された傷は漆黒の青年が塞いでくれたのだろう。
もう、痛みすら感じられない。
ただ、少し、怠いだけ。
「フリア……どう、したの……?」
ゆらり、立ち上がった私に、漆黒の青年が声を掛ける。
僅かにふらついた私を、その腕で支え立たせてくれる。
その、彼を見て口を開く。
「--私、貴方に、伝えたいことが、あったの……」
「――なに……?」
「ずっと、ずっと、言おうと、想っていたことだったの」
「うん」
「ちゃんと、こちら側に残ることができたら、絶対に伝えようと思って、いたの」
--どうして、私は、過去形で話すのだろう。
頭の片隅で、そんな事を考える。
「--あのね、もしかしたら、凄く迷惑かもしれないのだけど……。私の、私が望む、“ただ、一人のひと”は……――」
「待って。まだその先は、言わないで」
「--っ?」
言葉を遮るように、彼は私の口をその掌で塞ぐ。
突然の行動に、目を丸くして二の句が継げない私をよそに、今度は彼が話し出す。
「僕も、フリアに伝えなければ、いけない事があるんだ」
――いつか、伝えると、約束したよね。
そう言って微笑む、彼の表情は読めない。
いや、違う。
私が、きちんと彼を見ることができない。
――ぼく…?
--あれ、“彼”は、そんな、一人称だったかしら……
長い間、会っていなかったのだ。
もしかしたら、己の記憶違いかもしれない。
それに、“遠方で勤務”したことで、心になにか変化があったのかもしれない。
そこは、敢えて指摘するべきではないのだろう。
誰だって、“違う自分”になったときは、気恥ずかしいはずだ。
ぶっきらぼうな物言いを止め、丁寧で紳士的な青年へと成長を遂げているのならば、それは温かく見守ってあげるべきだろう。
「フリアは、王太子殿下からの求婚を断ったのだよね」
「えぇ、光栄には、思うのだけど……」
「--他に、気になる人が、居るの?」
「っ、!!」
彼から放たれた言葉が、深く心を揺さぶる。
――どうして、貴方が、それを聞くの……
先程の話の流れで、おおよその見当は付いているはず。
それなのに、こんなふうに直接尋ねてくるのは、どうして……
「--それは。……その人は、僕、だったりする?」
「--、ぁ……」
にっこり、と、柔らかな笑みを向けられているのに、どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう。
なにか、なにか答えなければ、そう、思いはするものの言葉が出てこない。
私が答えないことを予想していたように、漆黒の青年は再び口を開く。
その言葉が、今度こそ、私の心を見えない刃で貫くとも、知らずに。
――いいえ。知っていたのかもしれない。
わかっていて、なお、言葉にする必要があったのだろう。
「僕は、フリアと一緒には、居られないんだ」
そう、告げたかと思うと、ゆらり、と彼の姿が揺れる。
まるで、幻影のように。ゆらゆら、曖昧になったかと思うと目の前の漆黒の青年は、あっという間に白亜の現人神へと姿を変えた。
「ごめんね、フリア嬢。彼はわたしなんだ。ずっと、伝えようと思っていたのだけど。……本当に、ごめんなさい」
深く、こちらに向かって腰を折るその人に、全身から熱が引いていくのがわかる。
「もし、真実を知って、なお、フリア嬢が現人神とともに在ってくれると、いうのなら。わたしは再度、貴方に求婚しよう」
--真実を、知って
--私は……
――わたし、は……




