82過きた時間と、心の距離。
窓の外には一面の雪。
見渡す限り白く染まった世界を眺めながら、そっと呟く。
「――さすがに、時間がかかりすぎでは……」
「今回は大丈夫、ですわ。……フリアさま、ですもの」
テーブルを挟んで向かい側に座る彼女は、素っ気なく言い放つ。
しかし、カップに添える手が小さく震えているのがわかる。
――どうしてこんなに捻くれてしまったのか。
--彼女はいつも、自分に正直で、素直な人であったのに。
はじめて出逢った時の記憶を辿る。
もう、随分と昔で、はっきりとは思い出せないけれど。
彼女はいつも太陽のように明るくて、己には眩しかったことだけは、はっきりと憶えている。
「これまで、何度も、数え切れないくらい、失敗して、それでも、諦めず、繰り返して、やっと。--やっと、時が巡って来たのだもの。これで、やっと、わたくしたちは、解放される……」
「そんなに思い詰めるくらいなら、初めからフリア嬢に話せばよかったのに」
「そ、そんなことっ、できるわけがないわっ! それに、誰が信じるものですか……。--わたくしたちが、“全ての始まり”であるなんて」
俯く彼女に手を伸ばす。
栗色の長い髪。
その髪が、かつて、息を飲むほど美しく鮮やかなモスグレーだったことを、きっと、今は、己だけが、憶えている。
「初めて、君たちを見たとき、“奇跡”というのは存在するのだな、と思ったよ」
「--わたくしだって、初めて二人を見たときは、“奇跡”だと、思ったわ」
――“ユリエル”には私だけの記憶がある。
“もう一人の己”とは、決して共有することのない、“ユリエル”だけの、記憶。
バイアーノが、“姉巫女の一部”だということは、掲げる紋で理解した。
目の前の彼女が、“姉巫女”と呼ばれていた存在であるということは、まみえたその時に確信した。
そして、バイアーノとアメーリエが、親は違えど共に、時を同じくして生れ、揃って“選ばれて”己の手の届く場所に居ることに、心が震えた。
――わたくしには、わたくしだけの、過去がある。
わたくしだけが憶えている、過去の記憶の数々。
なんどもなんども生まれ変わって、その度に、“己の罪”を償おうと足掻いた。
けれど、“心”はすでに分れていて。
唯一、こちらの世界で“依代”となるバイアーノは、他の“心”に妨害されて頼れない。
いっそ、己がバイアーノに転生するまで待とうかとも思ったが、そんな奇跡は一向に訪れない。
あるときは、“ユキノシタの指輪”の存在をマイアーに伝えてバイアーノを危険から遠ざけようとした。
そして、機会があれば己の手で指輪を回収し、“素質のある者”をみつけては、指輪を託して故郷へと還した。
あの谷の底で、巨大樹に封じられた“心の欠片”が、目を覚まさないように。
あの欠片は、指輪に反応して目覚めてしまう。
“バイアーノ”として目覚めた心の欠片がどうして“魔獣と敵対”したか、その理由まではわからない。
けれども、それは奇跡に近いことで。
もし、他の欠片が目覚めてしまえば、魔獣以上の脅威となってこの国を襲うだろう。
“依代”を用意できたとして、“依代”となるバイアーノが心の欠片に飲まれてしまえば、被害は更に拡大する。
“真実”を知った上で、“こちらの世界に残りたい”と強く思う者でなければ、意味が無い。
もう、何度目かすら忘れた生の中で、小さな“奇跡”を見た。
幼い頃、“王太子殿下”を目にしたとき、“あの人だ”と確信した。
姿は普通の“現人神”だったが、たしかにあの人は“双子の弟”だ、と。
己と共に世界を渡り、いつしかこちら側に流れ着いて来たのだろう。
そして、もう一つ“奇跡”が、手の届く場所にあった。
物心ついた時から、共に顔を合せるその従姉妹。
己と同じ日、同じ時刻に生れたそのバイアーノ。
これだけでも奇跡だと思ったのに、バイアーノの名は“フリア”と言った。
かつて、己が罪を犯したときに冠していたその名。
そして、さらに“奇跡”は積み重なった。
己が“年頃”と呼ばれる年齢に達する年に、王太子殿下の“妃探し”が始まると父親に聞かされた。
必ず、二人で選ばれなければならないと、当時彼女の婚約者であったガロン様を排しようとしたが、そんなに事がうまくは運ばなかった。
選定の時が迫るなか、焦りだけが募る日々。
しかし、ガロン様の“突然の心変わり”で、めでたく二人は“妃候補”に選ばれた。
そしてその後宮で、さらなる“奇跡”を目にしてしまった。
温かな部屋でテーブルを挟み、向かい合って笑い合う男女。
一人は、己の従姉妹である“フリアさま”そしてもう一人、漆黒の青年。
その名は、“グレン”。
記憶を持つ現人神と姉巫女。
心の依代となり得る彼女。
そして、依代の心を繋ぎ止めることができるであろう漆黒の青年。
ここまで“奇跡”が重なったことなど、今まで一度として無かったのだ。
だから、きっと、今回が、最初で最後の“罪滅ぼし”だ。
大丈夫、きっと、うまくいく。
だって、“かつての姉巫女”と“かつての双子の弟”は、今、こうして共に在る。
思い残すことは、無い。
そして、“姉巫女の欠片”は意志を持ち、“封じられた故郷”へと還ることを望んでいる。
--ただ、ひとつだけ。
心がざわめく事がある。
――漆黒の青年が遠方に行ってしまった、ということ。
--彼女が“その時”を迎え、“留まる方法”を見失ってしまったとき、連れ戻せるのは漆黒の青年だけなのに。
いつ、帰還するのだろうか。
今、彼女は“人助け”のために、オズボーン国から請われて“奈落の底”にいる。
あそこは、“全ての始まりの場所”だ。
--もし、なにかの因果で、彼女が“心の欠片”を取り込んでしまったら……。
--もし、彼女が、“戻れなく”なってしまったら。
「ねぇ、ユリエル様」
「どうしたの、アメーリエ嬢」
「――漆黒の魔術師は、今、どこにいらっしゃるの?」
「……いきなり、どうしたのかな?」
「フリアさまをこちら側に繋ぎ止める事ができるのは、あの漆黒の魔術師だけだわ。遠方に派遣されたと聞いているけれど、“その時”が来るまえに、早く呼び寄せていた方がよろしくてよ」
「――――うん、そうだね」
ユリエル様は、寂しげに微笑む。
どうして、そんな表情をするのか、わたしにはわからない。
けれど、彼は彼なりに二人の未来を案じている。
だからきっと、最悪の結果にはならないと信じている。
「た、大変ですーっ!! 現人神様っ、いちゃこらしてる場合じゃないですー! 大変ですーっ!」
「オルガ? 何があった?」
室内に響き渡る慌ただしい声。
勢いよく飛び込んできたオルガに問いかける。
--今、あまり聞き慣れない言葉が聞こえたような気もするが、ここは触れないでおくべきだろう。
威勢のいい声と、第三者の登場に彼女も目を見開いている。
そして、視線が交わるとその表情は苦笑に変わる。
きっと、考えたことはわたしと同じだろう。
そんな、ほっこりとした雰囲気は口を開いたオルガの言葉で吹き飛ぶわけだが。
「“奈落の谷”から、魔獣が溢れてきますっ! とてつもない量ですー!」
「なんだってっ!?」
――――ガタタ、
勢いよく立ち上がったために、椅子が床と酷く擦れた音がした。
すぐにでも招集をかけて、討伐の体制を整えなければ。
しかし、歩き出す前にオルガが続ける。
「あ、でもー、こちらには向かってこないですー」
「----どういう、ことなのかな……?」
「湧き出た魔獣はー、よくわからないんですけどー。網、のようなもので囲われていてー、“奈落の谷”に縫い止められているみたいに見える、って。テオ様からの伝言ですー」
「“世界が繋がった”のね! --でも、だとしても、変だわ……」
オルガの言葉を聞くなり、下を向いていた彼女が、ガバ、と効果音が付きそうな程勢いよく顔を上げた。
しかし、再び考え込むように視線だけを下げてしまった。
「“世界が繋がった”ということは、“四つの欠片”が一つになったということだよね? それは、わたしたちが望む結果が得られたということでは、ないのかな」
フリア嬢が“姉巫女の欠片”を全て取り込んで、“封じられた故郷”へと還す。
いま、正にそれが為されようとしているのではないのか。
それなのに、何故、彼女はそんなにも暗い表情をするのだろうか。
「“この世界”と“封じられた故郷”が繋がるのは、ほんの一瞬だけのはずなのに……。貴方も、知っているでしょう?」
「--あぁ、うん、まぁ。--あまり、思い出したくは、ないけれど」
心も、身体も、命さえも、全て失ったあの瞬間。
確かに世界は繋がっていた。
どの程度世界が繋がっていたかはわからない。
なぜなら、すでにもう、己の感覚は全て消え失せてしまっていたから。
曖昧に答えるわたしを一瞥し、彼女は眉間に皺を寄せつつ口を開く。
「考えられることは一つだわ。――――フリアさまが、目覚めないのよ」
「っ!!?」
「“依代”が還さなければ、“ユキノシタ”はいくら喚ばれても向こうの世界に行けないわ。漆黒の青年をすぐに呼び戻して! 手遅れになる前に、早く!」
「“奈落の底”に行ってくるよ」
言うが早いか、屋敷を出ようと扉に手を掛ける。
しかし、そんなわたしを彼女は止める。
「“現人神”じゃだめよ! “彼女の望む者”でなければ、フリアさまを起こすことはできないわ。ただでさえ、“白亜の現人神”は“姉巫女”に嫌われているのですわよ!?」
「――――わたしが、行かないと、だから」
振り返り、一言告げる。
わたしの言葉に、ポカンとした表情の彼女を残し、屋敷から出て自室に戻る。
戻るとすぐにクローゼットから“魔術師”のローブを羽織り、“奈落の谷”へと急ぐ。
す、と胸に手を当てる。
意識を集中させ、“彼”の様子を探る。
彼女の名が出たというのに、“彼”からの反応は、無い。
――もう、諦めて、しまったのだろうか。
“人間の心”が深い眠りについた今、己の心は、揺らがないはずであるのに。
心が、ツキリと痛む。
――愛する者と、裂かれる哀しみ。
それは、己も一度経験している。
届かなかった想いを知る絶望も、悠久の時が過ぎた今も、心の底に巣喰っている。
今現在の“現人神”としての心は揺らがない。
それでも“感情を持っていた記憶”は、今も未だ憶えている。
だから、わたしは手を伸ばした。
かつて、ともに歩めなかった彼女が、再び目の前に現れたから。
なんの躊躇いもなく、手を伸ばせる場所に居るのだから。
だから、今度こそと願った。
--けれど、“彼”は
かつてのわたしと同じ痛みを味わうこととなるのだろうか。
それとも、もう、そんな感情さえ届かぬ場所へと沈んでしまったのだろうか。
彼にそれを課したのは己だというのに……
――だめだ。
気を散らしている場合ではない。
――最後は結局、貴女次第になってしまうのだけど……。
己の不甲斐なさに打ちひしがれつつ、今、必死に抗っているであろう彼女の元へと急ぐ。
――もう、悲しい“終わり”は、来なくていい。
神頼みなど、がらではないけれど……
心から、願わくば……




