81宣誓通り、なのですが。
ふわふわと漂う浮遊感。
風を纏い宙に浮くのとはまた異なる感覚である。
体勢が整わず安定しない。
それでもなんとか、天と地だけは違えずに浮けている。
漸く慣れてきた視線の高さで辺りを見渡すと、どうやらこの場所は“奈落の谷”の真上に位置するらしい。
以前、討伐の時に“奈落の谷”の真上に陣取った際に見た景色とだいたい同じだ。
だが、決定的に異なることが一つ。
己の下に“奈落の谷”が無い、ということ。
シェーグレン国とオズボーン国の間に深く穿たれた“奈落の谷”が突然消滅したなんてことは無いのだろうし、全く違う場所に移動したとも思えない。
絶対にここに、この真下に“奈落の谷”があるはずなのだ。
それなのに、無い。
--どうしてなのかしら。
考えても無駄なのだろうなぁ、と心のどこかで理解する。
これはあの“サラ”と名乗る女性に尋ねなければ解決しないのだろう。
残念ながら彼女の姿は影も形も、気配すら感じられはしないけれど。
知らない空間に独り取り残されてしまった。
おそらく、彼女が望む結果が得られるまでこの空間からの脱出は困難なのだろう。
――腹を括って探索するべきかしら?
そんなことを考えていると、突然声が聞こえた。
“巫女殿、わたしの伴侶となってくれないか?”
--っ、
振り返り、先の光景に鼓動が跳ねる。
聞き覚えなどないその声に、その言葉を発する人物に何故か胸が締め付けられる。
心の底から、喜びが溢れ出す。
止められぬその想いに身を焦がされながらも、冷静になれと己に言い聞かせる。
それでも、想いは収まってくれない。
眼前に広がる光景に、目を奪われる。
向かい合う男女が、そこにいた。
明るいグレーの長髪に、淡い金色の瞳。
ゆったりとしたローブに身を包み、柔らかく蕩けるような笑みを浮かべ、眼前の彼女を見詰める青年。
“わ、わらわで、よいのか?――――ほんとうに?”
“うん。わたしは巫女殿とともに歩みたい”
そう言われ、纏う真紅の衣よりもさらに頬を高揚させる女性。
肩口に垂れるモスグレーの髪を忙しなく弄くり回しつつ、同色の瞳に喜色を滲ませる。
しかし、一拍後に、表情を曇らせる。
”--だが……わらわは……異端者なのだ……”
”太陽の巫女として選ばれはしたが……オズボーン国の者として、ありえない異端者なのだ……”
彼女の言葉に呼応するかのように、木々がざわめきだす。
自然のものとは思えぬ、その動き。
--これは……魔力……?
“巫女殿”と呼ばれたその人が纏う空気を、注意深く窺うと微量ながら魔力を感知することができる。
オズボーン国の者は魔力を持っていないはずであるのに、どうして“巫女”と呼ばれるその人が魔力をを纏っているのか。
先程、彼女は自分のことを”異端者”であると言った。
確かに魔力の存在しないオズボーン国で、魔力を纏う彼女は”異端”であることに他ならない。
“異端である”ということ。
他とは違うということは、それだけで好奇の目に晒される。
フとした瞬間に、距離を置かれることも多い。
”その異端を、わたしは特別だと思っているよ”
”――ぇ……”
俯く彼女の肩を、正面の青年が優しく包む。
”他の者と違うことは、悪ではない。わたしは貴女のその力を、特別であると思っている”
”ーーーっ!!”
ぽかん、とした表情の彼女。
しかし、次第にその瞳には透明の雫が溢れ出す。
”実はわたしも、異端なんだ”
”わたしは、現人神であるけれど、神の性質よりも人間の血を色濃く受け継いだらしい”
”だから髪の色は純白ではないし、兄様のように己が役目のために非情に振る舞うこともできない”
慰めるように、彼女の頭を撫でながら、現人神と名乗る青年は呟く。
”ーー慈悲深いその心が、悪だと? わらわはそうは思わぬ。人に寄り添えるからこそ現人神ではないのか?”
顔を上げた彼女に、困った笑みを向けながら現人神は口を開く。
”人の血が濃い分、わたしは己の感情に抗えない。神の性質は人の感情を抑える役目を担っている。現人神は、常に心を動かさず民のよりどころでなければいけない。――でもわたしは、人の血を濃く宿して産まれて来たことを、嬉しく思っている。誰かにそれを異端であると蔑まれようと、わたしは堂々と胸を張る”
”なぜ……?”
”だって、貴女の心を感じることができるから。神の性質が強く出ると人の心の機微というものに、疎くなる。それは決して、悪いことでは無い。けれどわたしは、貴女の心に寄り添える私の中に流れる人の血が、堪らなく誇らしい”
そう言って晴れやかに笑って見せたその顔は、正に人のそれだった。
そんな光景を眺めながら、はたと思い当たる。
--これは、もしかすると……”欠片の記憶”だろうか。
たしかあの、サラという人は“喜びの記憶を抱く者”と言っていた。
と、言うことはつまりこれは“姉巫女”記憶の一部ということか。
--つまり、これって……
今、目の前で繰り広げられているあれやこれやは、恐らく、きっと、たぶん。
所謂“求婚”というものだろう。
あの青年は、自身でも言っていたが纏うものからして“現人神”だ。
白を纏うのはシェーグレン国では現人神しか居ないのだから。
そして記憶を呼び起こす。
確か、“奈落の谷”ができたときは“現人神”と呼ばれる人物が二人居たはず。
“双子の現人神”
あの現人神は弟の方か。
この後の展開を知っている身として、後に起こることは心の底から悲惨だ、と他人ごとながらに思ってしまう。
この後、あまり時を置かずしてあの二人は人身御供にされるのだから。
――――想いが通じた途端、“終わり”が来るなんて
しかも、“儀式は二人の兄妹の手によって行われた”のだったわよね。
――血の繋がった兄妹に、奪われる己の命
----あぁ、もう……。
嫌な予感しか、しないわ。
目の前で繰り広げられる、仲睦まじい光景から目を背けたくなる
けれど、これはきっと見届けなければいけないことだ。
目を背けたからといって、解決するわけではないのだから。
私の心情など露知らず、二人の世界は進んでいく。
“これからは、手を取り合って生きて行きましょう、フリア殿”
“えぇ、グレン様”
――っ!?
----は……、今、なんと……
驚き目を瞠った瞬間、目の前が黒く塗りつぶされる。
――――!?
――――!!
――――ま!
――リアさまっ!
「――フリア様っ!!」
「――――ぅ……ぁ……エルダ、様……?」
「よかった! 目を、覚まして、くれて……」
――――さっきのは、夢……?
焦った表情でこちらを見下ろすエルダ様と視線がかち合う。
背中には女性特有の柔らかな太腿の温かさを感じる。
肩にかかる腕が力強いのは、成る程彼女が武人でもあるということを改めて実感させられる。
--と、こんなことを考えている場合では、
「も、申し訳ありません、エルダ様。お手数を……」
「フリア様、本当に大事ないですか?」
心配するエルダ様に微笑みかけて、上体を起こす。
目の前には竜胆の寄添う巨大樹がそびえているが、その中で眠っていたらしい“彼女”の姿は何処にもなかった。
「あの……サラさん、は――」
「フリア様の、中に」
--やはり、そうか。
あれは“彼女”の記憶だったのか。
――ぐるぐるぐるぅぅぅぅ
「も、申し訳ないっ! 安心したら、その……っ!」
考え込んでいたところに、なかなか盛大なお腹の虫が鳴いた。
羞恥に顔を赤く染め、掌で押さえる彼女と目があう。
「--お腹、空きましたね」
そう微笑んでポケットを探る。
--確か非常事態に備えて、持ってきていたはず……。
「あの、それは……?」
「種です。さすがにその辺にたくさん湧いている魔獣を食べる気にはなりませんし……。せめて主食になるものを、と」
言いながら、地面に種を蒔く。
そして、成長促進の魔術を掛ける。
すぐに芽が出て、みるみるうちに花が咲いて穂が実る。
それを風の魔術を操作しながら脱穀し、水の魔術で洗米する。
土の魔術で竈と鍋を形成し、炎の魔術で加熱する。
暫くすると、つやつやとした輝きを放つ完璧な“ご飯”が炊きあがった。
「一時凌ぎではありますが、どうぞ」
「有難くいただきます」
さすがに味をつけるものは持ってきていないため、味無しのおにぎりになってしまったがエルダ様は満足してくれたようだ。
「それにしても、フリア様の魔力操作はお見事ですね。植物を育て、調理まで」
「とてもとても、訓練させていただいたので……。て、……あ」
もう一年ほど前になるのか。
あの日々を思い出し、ちょっと遠い目になりながら答える。
そうして、気付く。
「どうされましたか? なにか、気になることでも?」
「あぁ、いえ……。その……。別に“奈落の底”で食べなくても、帰ればよかったのか、と」
「――――た、たしかに……」
顔を見合わせて互いに笑いだす。
「そう言えば、私はどれ程気を失っていたのですか?」
ひとしきり笑い終えた後、とりあえずと思い聞いてみた。
「正確には判断できないが……。だいたい、半日くらい、か……?」
「えっ!? 半日も!?」
――ほんの数分だと思っていたのに
目を覚ましたときの、エルダ様の焦りようにも納得である。
己を迎えに来た人物が目の前で昏倒したら、そりゃあもう慌てるしかないだろう。
――本当に“迎えを待っていた”のかは別として、だ。
「--その、あまり気にしないでくれると、嬉しい」
「でも、焦らせてしまってごめんなさい。--勇んで迎えに来たのに、面目ないわ……」
はぁ、と小さく溜め息を吐く。
「――迎えが来るとは、思っていなかった」
「--え?」
「それも、バイアーノが」
ぽつり、呟いた言葉を耳が拾う。
「私は“欠片を起こす”目的で、自ら望んでここに来たんだ。--いや、少し違うな。--シェーラ様が、“為そうとした事”を横取りしてここに来た」
「横取り……」
エルダ様は拗ねたように微笑んで、巨大樹に手を伸ばす。
「この巨大樹に封印された“姉巫女の欠片”を呼び起こすのは、シェーラ様に下った神託だった。でもどうしても、私はあの方を危険な目に遭わせたくなかった。--だから危険を承知でここに来た。むしろ帰らない覚悟もしてきた。目を覚まして、フリア様を見たときは心の底から驚いた」
「たしか、“聞き慣れない”名で呼ばれたような気がするわ」
「--その節はすまなかった。フリア様たちに多大な迷惑を……」
頭を下げようとしたが、手で制す。
もう、終わったことだ。
いつまでも根に持ってはいられない。
「ところであの“欠片”は、目が覚めたら勝手に私を目指して来てくれるのかしら」
「--そうではないか、と思うのだが……。でなければフリア様を伴わずにシェーラ様が“奈落の底”に足を運ぶとは思えない」
「もしかして、“エルダ様から横取りされる”事まで見通していたりして」
「――――ない、と言いきれないところが、なんだかな」
再び視線が合い、微笑む。
二人とも揃って苦笑を浮かべるのだから、案外気があうのかもしれない。
「エルダ様は、これからどうするのです?」
「わたしは“役目”を果たそうと思う。--だが……それでは、フリア様が危険な目に合うと、知った」
「私が……?」
「あぁ、あの“喜びの記憶”が、フリア様の中に消える間際に私に告げた」
――“貴女が、依代を繋ぎ止められたら、いいわね”と
「それ、どういう意味でしょう……?」
「私にもさっぱり……。ですがわかることが、一つだけ……」
――取り込む“欠片”の数が増える程、“戻れなくなる”可能性が上がる、ということ。
「--眠り続けるのか、暴走するのかそれはわかりませんが……。それでも恐らく“フリア様”が目を覚まさなくなるのかと」
「--つまり身体を乗っ取られる危険性があるってことね……」
これは、少々厄介である。
エルダ様によると、今回は大人しく気を失っていたそうだ。
しかし、前回この場所でグレンと顔を合せたときは“かなり派手にやらかしていた”らしいので。
そして、考える。
四つに分れたというのだから“喜び”を手に入れた今、きっと残りの欠片の記憶は
“楽しみ”
“哀しみ”
“怒り”
だろう。
そして、順を追うごとに強く、深く心を蝕んでくるのだろう。
--あの怖ろしく憂鬱な茶番劇を、あと三回も視ないといけないのか。
しかも順を追って昏く、澱んだものであるに違いない。
はぁ、と思わず溜め息が。
それでも……
「では私はエルダ様と共に、与えられた役目を果たしましょう」
「しかし、フリア様……」
「――大丈夫です。きっと、私は負けませんので」
きゅ、と羽織っているローブの胸元を握る。
“どうかこれをお持ちくださいー!!”
出発直前、屋敷のクローゼットからこのローブを引っ張り出してきてオルガは言った。
“これは絶対に、本人に返してくださいねっ!”
いつもの間延びした語尾が消え去り、鬼気迫る表情で有無を言わさず着せられたそれ。
――本人の許可無く、大丈夫なのだろうか。
そう思いはしたが、彼女の勢いに飲まれてそのままここまで身につけてきてしまった。
――ちゃんと洗って返すから、おおめに見てよね。
もしくは、オルガに小言を言ってくれ。
――グレン。
そう声に出さず、吐息だけで持ち主の名を呟く。
――――私は、私の道を征く。




