23どうか心に、居場所をちょうだい。
開け放った窓から風が吹き込み、手元の書類をさらっていく。
ひらひらと舞い上がるそれらを、どうこうするでも無く眺める主に思わず溜息を漏らす。
「ユリエル様。フリア嬢が居ないからといって、少々腑抜けすぎではありませんか? このままですと、彼女が帰って来たときに、書類に追われて会いに行くことが叶いませんよ?」
「……わかっている」
不機嫌さを隠そうともせずに、不自然に風を発生させ、散らばった書類を手元に戻す。
――全く以て力の無駄遣いである。
渋々ながら、仕事を進める主を眺めながら、思う。
なにも、その姿で“ユリエル様”をこなすことはないのではないかと。
目の前には、魔術師の服に身を包んだ白亜の現人神が黙々と書類を捲っている。
通常ならば、魔術師の服装を身に纏うのは漆黒の青年なのだが。
今朝方、フリア嬢に届いた手紙を渡して、帰って来てから、ずっとこの格好である。
外装はそのままで、中身だけ本来の姿に戻るという、誰がどう見ても違和感しか無い不可解な格好だ。
“ユリエル様”に用事があって訪れた者は、何故、魔術師の服に身を包んでいるのか、と疑問視するだろうし、“グレン様”を探したとしても、もちろん、外見は“ユリエル様”なわけで……。
しかし、“ユリエル様”に謁見できる身分の者は限られているし、“グレン様”を探す人は皆無である。
結局、誰の目にも触れず、中途半端はその様子は、今に至るまでそのままだ。
「……アルノルフ、何か、言いたいことでも?」
「まぁ、無いと言えば、嘘になりますね」
見詰めすぎたのだろうか、とうとう主の方から声を掛けられてしまった。
夕日が差し込む部屋の中で、頬杖を付きながら書類と向き合うその顔は、至極つまらなさそうだ。
もう既に仕事の殆どを終えているのだろう。
目的の人物が帰ってくるまでの暇つぶし、ということか。
「……今日中には、帰ってくると、言っていたが」
「そのようですね。しかし、何が起きるか予想は出来ませんから。もし、帰りが日付を跨いだとしても、しょうが無い事かと」
「わかっている。別に、罰する気など、更々無い」
「……左様ですか。では、わたくしは下がらせていただきます」
一礼して去って行くアルノルフを見送り、本日何回目かもう、数えることを諦めた溜息を溢す。
「――婚約者、か……」
以前、本人が言っていた。
“笑ってくれても構わない、と。”
一般の魔術師団員に、どの程度話を聞かせていいか、迷った末の話だったのだろう。
“常夜の森”や“バイアーノの呪い”などは暈かされていたが、ほぼ嘘偽り無いものだった。
「女性に、傷は、さすがに……」
言葉に出して、改めて深く反省する。
己の思いつきで、願いを込めた“白羽の矢”が、まさか直接本人に刺さるなどとは思ってもいなかった。
父に報告した際、これでもかと言うくらい叱られた。
生れて初めてだ。あんなに激しく叱られたのは。
それでも、その叱責が、間違っているとは思わない。
なぜなら、“フリア”だったから、助かったのだ。
他の誰かだったら、確実にあの矢は人を死に至らしめる。
それ程強い力を宿した代物だったのだから。
「早く、消してやりたい、けど……はぁ、“グレン”じゃ力が制限されるから、なぁ」
己には二つの力が同時に存在している。
“現人神”の姿で使用できる力は“神力”。
俗に、神通力などと呼ばれる代物。
それに対して、“人間”の姿で使用できる力は“魔力”と呼ばれる力。
魔術師達と同じものだ。
“神力”で生成した“白羽の矢”の矢傷を消すには、“魔力”ではなく“神力”を使用する必要がある。
必然的に“ユリエル”の姿で無ければ癒やすことは出来ない。
――もう暫くしたら、約束の期限だ。
最初の謁見の時に、まず、治癒しよう。
そんなことを考えながら、闇夜に浮かぶ月を眺める。
今日中に戻る、と言っていたので、そろそろ戻って来てもいい頃だ。
いや、しかし、向こうで予想外の出来事が起きて、約束の刻限に間に合わない場合もある。
アルノルフにも言ったように、罰する気はさらさら無いが、心配なものは心配なのだ。
頬杖をつきつつ、窓の外を眺める。
そうしているうちに、ふと、妙案が浮かぶ。
――――見送ったのだから、出迎えるのもいいかもしれない。
日が沈んでから、女性の元へと足を運ぶのは褒められたことでは無いが、なにも部屋の中で待つわけでは無いのだから、問題ないだろう。
室内に直接フリアが戻って来れば、声を掛ければいいし、屋敷の庭に転移してきたなら、出迎えられる。
きっと、驚きはするものの、邪険に扱われる事は無いだろう。
そう、一人で結論付けて、“ユリエル”から“グレン”へと姿を変える。
最近はこちらの姿で出歩くことが多くなったので、すっかり魔術師の服が板に付いてしまった。
「--っ!? なっ、なんだ!?」
さて、行こうか。
そう思い、部屋を出ようとした刹那。
未だかつて経験したことのない程の衝撃が肌を刺す。
“奈落の谷”から溢れ出す瘴気よりも更に濃い力が、一瞬にして駆け抜ける。
しかし、身構えたのも束の間、一呼吸後にはその力の気配すら綺麗に霧散した。
「! --まさか、フリア!?」
“魔力が不安定で……”
そう、彼女が言っていたのを思い出す。
“魔力が暴走しないように、お守りを渡された”とも。
領地でなにかあったのかもしれない。
一抹の不安を抱え、屋敷の門へと移転する。
さすがに、部屋の中まで押し入ろうなどとは思えない。
…………しようと思えば、できるのだが。
「フリア、なにか――」
――なにか、あったのか。
紡ごうとした言葉は途切れた。
門の前に立っただけで、圧倒的な魔力の壁が立ちふさがっているような、そんな感覚。
意を決して敷地内に足を踏み入れる。
門から屋敷に近づくにつれて、魔力が渦巻き、呼吸がし辛い。
やっとの思いで、屋敷のドアに手をかけたとき、中から漏れ聞こえる声に、言葉を無くす。
――愛されたいなど、願わない。
――殺したい程、憎んでいるのなら、生れた時点で、消してくれたら、よかったのに。
「――え……」
扉を隔てたその向こう側。
魔力が渦巻くその中心で、今朝方微笑んでいた人物が、悲痛な声で叫んでいる。
“母の死”を“婚約破棄”を“自身に傷を負った”事でさえ、“笑って流せ”と戯けていた彼女が、誰に助けを求めるでも無く、たった独りで慟哭している。
出会ったのはつい最近で、彼女の生い立ちも、課せられた使命も、伝聞でしか知らない。
けれど、彼女が強いと知っている。
力はもちろん、それ以上に、心が。
どんなに恐れられ、忌避されても、それを“しょうがない”と飲み込む強さを知っている。
“バケモノ”と誹る者に対しても、護る優しさを知っている。
幼い頃の彼女を、己は知らない。
きっと、今よりもっと世界は狭かっただろう。
閉ざされた世界で、幾度となく傷を負ったはず。
それらを全て受け止めて、己の足で立っている彼女は、他のどんなものよりも美しいとさえ、思った。
その、彼女が慟哭している。
「――――っ」
かける言葉が、見つからない。
この扉を開けば、彼女を慰めてやる事はできずとも、側に寄りそうことは出来るだろう。
しかし、それがわかっていても、あと一歩が踏み出せない。
――自信が、無いのだ。
この扉を開けて、拒絶されるのが、これ以上無いほど、怖ろしい。
「――――……」
暫くして、屋敷は静寂に包まれる。
相変わらず、息苦しい程の魔力が渦巻いてはいるが、中にいるその人は落ち着いたらしい。
人より優れた聴覚で中の様子を伺うと、荒い呼吸は聞こえるものの、先程のように何か言葉を紡いでいるわけではない。
もしかすると、泣き疲れてそのまま寝てしまったのかもしれない。
呼吸の乱れは、夢見でも悪いのだろうか。
気にはなるが、やはり、扉一枚を越える気にはなれない。
彼女の傍で、己が彼女に寄添うことが出来ない。
それでも、夢に魘されているなら、その夢から解き放つことは、出来るかもしれない。
そう閃いて、瞼を落とす。
月の神の子孫である“現人神”は、神力以外に特別な力を持つ。
月は、夜の象徴であり、夜は夢の入り口である。
それ故、相手の夢に干渉する事ができる。
「――――」
「――グレン……?」
「っ!!」
“夢”を探すように注意深く意識を向けていると、フイに聞こえた彼女の声。
こんな夜分に、何用だ。
などと、不審がられてしまったのではないか、と背中から汗がたらりと滑る。
--あぁ、もう……
こんな展開、望んでなんかいないのに!




