21弟から見た、兄と、あね。
名を呼べば、柔らかな笑顔と、優しい眼差しで応えてくれるその人。
いつだって、どんな時だって、名を呼べば、応えてくれる。
自分に向けられる瞳が、笑顔が、声が、仕草が、どれも、優しかった。
まるで、壊れ物に触れるように、躊躇いがちに、しかし、しっかりと。
それでも、知っていた。
彼女は孤独だと。
名を呼べば優しく微笑むその表情が、一拍前には酷く陰っていることを、知っている。
だから、呼ぶのだ。
何度でも、どんな時でも。
そうすれば、彼女の孤独が、少しでも薄れやしないかと。
兄を羨ましく思ったこともある。
無条件で彼女の側に立てるから。
なんの憚りも無く、彼女の名前を呼べるから。
けれど、気付いてしまった。
彼女は誰にも縋らない。
己の足で立ち、標を定め、歩んでいくのだ、と。
それならと、考えた。
“僕”は年下という変えようのない事実を利用しよう。
彼女を“あね”として慕い、当たり前のように側に居よう。
ただの“シエル”ではなく、“弟のシエル”を演じよう。
そうすればきっと、いつまでも、彼女は笑ってくれるから。
名を呼んだとき、優しく応えてくれるから。
「うん、魔獣はけっこう減ったし、怪我人の治癒も完璧。これなら、フリアちゃんも安心できるね」
「ありがとうございます。シエル様」
「本当に、今回は……どうなることかと……」
「フリア様が駆けつけてくださらなかったら、と考えるだけでも恐ろしい」
「それに、マイアーの方々にも、大変お世話になりました」
「ううん。僕たちは何もしてないよ。フリアちゃんが来てくれなかったら、何も、出来なかったから……」
ガロン兄さんが祠へ向かって暫く。
溢れる魔獣も激減し、瘴気も幾分薄くなった頃、手に武器を持った人々はやっとの事で一息入れている。
――瘴気が薄れているってことは、つまり……
“常夜の森”の最奥に鎮座する祠。
その方向に意識を向ける。
この森の瘴気は全てあの祠から湧き出ている。
祠から湧き出た瘴気が溜まり、濃度を増すことで魔獣が生まれ、さらなる瘴気で数を増やす。
いっそ祠を壊してしまえば、溢れる瘴気は消え失せないのか、とも思うが、それは禁忌らしい。
なんでも、あの祠自体が一種の封印の鍵となっているらしいのだ。
あの場所に祠がある事によって、本来なら国中に広がる規模で噴き出す瘴気が、ここいら一帯に収っているのだとか。
――フリアちゃんの目的は、魔獣を生み出す瘴気を薄くすること。
“人”に害を及ぼす瘴気を、魔力へと変換できるのはこの国で、否、この世界で今はたった一人だけ。
瘴気をその身に宿し、己の器を使って魔力へと変換する。
言葉で表現すれば、それだけだが、身体に負担がかかるなど、言うまでも無い。
宿体が持つ魔力を使用する魔術師は、器の大きさで保有する魔力に限りがある。
当然、魔術を使えば魔力が枯渇する。
それに、身体に宿る魔力の属性によって、得意不得意が出る。
厳しい訓練をこなせば、各属性の初級魔術くらいなら、なんとか使えるようになるらしいが。
魔力を回復するには時間がかかってしまうので、魔術師にとって魔力を消費することは極力避けたいことであり、もしも戦闘中に魔力切れを起こしてしまえば命の保証は無い。
魔術師は、魔術が使えなければただの非力な人間にすぎないのだから。
それ故、瘴気を魔力に変換することの出来る“バイアーノ”の者は“最強”と謳われる。
瘴気がある限り、魔力が尽きることなど無いのだから。
――その代償が、どれ程大きかったとしても、当人以外知る由も無い
――姿形はヒトであるが、根源は魔獣と同じ。
“あの一族”は“魔獣と同じ”、バケモノである。
そう、口にする人々が存在することを知っている。
――バケモノ
そう口にされるたび、彼女の瞳が凍るのを、これまで何度も目にしてきた。
髪が、瞳が、纏う魔力が、他とは異なるというだけで、どうして、心無い言葉を投げられなければいけないのか。
自分達を、その身を挺して護ってくれる者達を、何故、そこまで貶めるのか。
“圧倒的な強さを、人は恐れるものよ。”
“恐ろしいものを排除したく思うのは、人間の性なのでしょう”
“圧倒的な一つの力より、数の暴力の方が、遙かに強いのにね”
彼女はそう言って笑っていた。
寂しげな色を瞳に宿して。
誰よりも強く、誰よりも孤独な彼女の側に居たいと願った。
ただ、そこに居るだけの存在に、なりたいと願った。
「――兄さんも、同じ気持ちだと、思って、いたのに、なぁ」
極小さな声で、溜息と共に吐き出す。
――そろそろ、二人の元へ向かおう。
そう思い、足を進めようとした時、夕日に照らされ赤く染まる森に、あり得ない銃声が鳴り響いた。
「……この、音は」
「“対魔獣用”の銃です。もう、討伐は終えているはずなので……まぁ、討漏らしを見つけたのかもしれませんが」
「でも、いまの方向って、だいぶ奥からじゃ……」
「――確かに。討伐の最も深い場所がこの場所だ。これより先に、他の討伐部隊が向かっているとは思えない、な……」
「っ! ――僕が確かめてくるから、みんなは先に帰っていて!」
言うが早いか走り出す。
きっと、あの人達は他の部隊と合流して、無事に帰ってくれるだろう。
銃声の方角、“祠”のある場所へと一心に駆ける。
瘴気が薄まったおかげで、魔獣に出会うことも無い。
安心して転移魔術を駆使し、少しでも距離を短縮する。
どうしてだろう、なぜか、鉛でも飲み込んだかのように、胸が重い。




