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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
ラグ村の少年
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09

やっとスタートラインです。







 (…オレは……死んだのか)


 ここ数日、常に何らかの『苦しみ』とともに過ごしてきたおのれの身体が、陽だまりに温められたような心地よさにたゆたっている。

 灰猿(マカク)族に吹っ飛ばされて大怪我し、豚人(オーグ)族には腹を刺された。

 おのれが弱かったがゆえに負わされた人生の『負債』から、いつの間にか解放されている。脈絡を感じられずに、カイはその状態を『夢』であると断じた。

 本格的な覚醒感が薄らぼんやりした意識の霧を払っていく。

 目を開けると、柔らかい光が眼底へと降り注ぐ。


 (朝、か…)


 小鳥のさえずりと、ひんやりと響く虫の声。

 梢の葉の緑を透かした淡い陽光が、カイを包んでいた。

 まだ半ば『夢』であると思っていた。持ち上げた上体は不調とは無縁で軽やかに意思に沿い、首を回すたびにきりきりと痛んだ肋骨にも違和感はない。

 身体の隅々にまで力が横溢(おういつ)し、彼が動き出すことをうずうずと待ち構えているようだった。

自然と、手が脇腹の傷口に添えられる。

 そしてそこからも痛みが拭い去られていることに気付く。


 「…痛く、ない?」


 すり傷が一夜経って痛くなくなるなんてことはよくあることなので、単に麻痺したんだろうと思い、束の間の逡巡を振り払うように服の裾を広げていく。

 大量の血で固まった布地がバリバリと肉から剥がれていく。覚悟したかさぶたを剥がす痛みもなく、傷口があっただろう場所を目測していったのだが……発見した傷口は薄い桃色の新しい肉に覆われていて、まるで怪我からひと月以上経っているような治り方をしていた。

 痛みはないものの、傷がたしかにあった証拠を見つけて、カイはいまが夢などではない現実であることを認識する。

 やにわに、カイは立ち上がった。

 そうしてうねうねと波打つ巨大な根をまたぐように少しだけ移動すると、おのれを受け止めてくれていた大木の全景を確認しようとした。その大木になぜだか看病を受けたような感謝の念が沸いていた。

 大木は巨大な岩を砕くようにそそり立っていた。岩の隙間に根を張った若木が、その成長の力で硬い巌を割り砕いたのだと知れて、素直にすごいやつだな、と思った。

 割り砕かれた岩のほうも、かなり大きかった。四角いいやに形の整った岩だなと思い、根に取りまかれているそれを見て回った。

 そうして、カイは息を飲んだ。


 「…墓、なのか」


 カイが見上げるほどに大きいその四角い岩は、いまは割れてしまっているものの、元は一辺が2ユルほどもある正確な正方形をしていたことが分かった。

 その湖に面した一面に、明らかに何者かの手で刻まれた碑文があり、その様子がカイに『墓』を連想させた。

 辺土ふうのものではない。

 辺土では人が死ぬと土葬が基本で、丸く盛り土をして目印の木か石を置く。そんな簡単な庶民のそれとは違い、この墓はしかるべき身分の、例えばラグ村で言えば領主家であるモロク家の墓所に近かった。

 いや正確に言うなら、彼ら一族が葬られる墓地の中心にある、土地神を祀った神霊廟のそれに似ていると言ったほうが近い。モロク家の墓所はラグの城館の地下に隠されており、カイも年に一度の大掃除の時にちらりと見ただけなのだが。


 (…これって、アレと同じもんじゃないのか?)


 碑文には無数の蔦が這っていて、感謝の念もありそいつを剥がし始める。何年も……あるいは何百年もそんな感じで放置されていたのか、張り付いた根がしぶとくて、蔦を全部引き剥がしても、彫り込まれた碑文の目にも古い枯れた根がこびりついてしまっている。

 体調が良いこともあって、カイはその蔦の残骸を軽く火で燃やしてしまうことを考える。背の届かない高いところにある根は掃除のしようがなかったので、いっそのことさっと燃やせば綺麗になると踏んだのだ。

 どうせ自分の出せる火魔法なんてたいしたもんじゃない、とたかをくくっていたこともあった。


 「火よ…」


 魔法行使は10秒。

 手元近くの根を燃やしてみて、うまくいくようなら骨折の時と同じようなやり方で小さく燃やすのを繰り返してみよう。粗く絡んだ根を断ち切れば、その後は綺麗に剥がれるだろうと予想する。


 (碑文のゴミを焼け…)


 イメージしたのは、とりあえず眼の高さにある一部の根であった。

 しかしカイはそこで驚かされることになる。前にも見た、『向うの世界』からぼんやりと移ってきたかのような火種が指先ら現れるまでは一緒だった。火種のありようはカイ自身がイメージしたものであるから、その通りに限界したのだといっていい。

 が、そこから先の『結果』が彼のイメージを大きく裏切ったのだった。

 指先から放たれた火が碑文のゴミに燃え移ったと見えた刹那……まるで碑文そのものが赤い光を発したように一気に火が燃え広がり、数呼吸もせぬうちにあっさりと焼き尽くしてしまったのだ。


 「は……え?」


 碑文のゴミの、特定の一部を焼くのがカイのイメージであったが、その一部は恐るべき勢いの炎で一瞬で灰になり、余剰したエネルギーが行き場を求めて想定外の大枠の目標、『碑文のゴミを焼け』という字義の示すところを自動的に達成したのであった。

 ただしその乱暴な火魔法のせいで、碑文は煤だらけになってしまった。

 カイはその有様を呆然と見上げ、ややしてそれを成したおのれの手の方を見る。どうしても理解が追いつかない。

 もう一度火魔法を行ってみた。


 (火よ)


 ほとんど間髪もいれずに、指先に火が灯った。

 それが火魔法の姿なのだということもなく、たんにカイがそのようにイメージしただけだった。その証拠に、『ファイヤーボール』的に手のひらに浮かそうと試みると、あっさりと実現できた。

 呆然と『ファイヤーボール』を出したままでいたのは1分ほどであっただろうか。その頃になってようやく霊力の枯渇を間遠に感じて、慌てて供給の元栓をひねって魔法を停止した。

 実際のところ、まだ霊力には余裕を感じた。

 昨日までの魔法行使限界が約10秒ほどであったことを思うと、時間にして6倍、しかも消費量が明らかに大きいだろう『ファイヤーボール』を出しっぱなしにしていたわけで、たぶん霊力そのものは単純に 10倍近く無駄遣いしていたはずである。

 このときカイは、おのれの成長をそれなりに理解はしているつもりだった。

 なんせ気絶前に、あの豚人(オーグ)の『神石』をたった一人で独占して口にしたのだ。それなりに『レベルアップ』していてもおかしくはないと思っていたのだ。

 が、彼のなかの何者かが、「計算が合わない」と警鐘を鳴らしている。

 灰猿族の『神石』を5人で分けて食べたときの成長は、体感的にどれだけ高く見積もっても1割程度……希望的な部分を極力排除すれば、おそらく数パーセントをそれほど超えない程度であったろう。

 その恩恵を仮にひとりですべて受け取ったとしても、1、2割ぐらいの成長要因しかないはずだった。灰猿族よりも豚人(オーグ)のほうが兵として強いのならば、もう少し上方修正もできようものなのだが、それがあったとしてもここまでの差は生まれないと思う。


 (…もしかして……オレは『加護』を受けたのか)


 朽ち果てつつある古き時代の墓所。

 外観から神霊廟である可能性が非常に高いその構造物に、半死半生のおのれは一晩の間看取られていたのだ。姿なき何者かに見守られているような感覚は漠然とあった。

 この古い廟が長く忘れ去られていて、その加護をたまたまおのれが『拾って』しまったという可能性はないのだろうか。この険しい地形に隔離されていたらしい状況が、そのような経緯をカイに想像させてしまう。

 そうしてカイはおのれの姿を確認すべく、谷底の半分を占めている青く澄明な湖水に顔を映してみた。

 そこにはなんら変わることのない、少し間の抜けた見慣れた顔があり、やや安心するもののいまは確認すべきことがあるのだと気持ちを改める。


 (火よ)


 指先に再び火魔法を発した。

 そうして意識を集中して、火のゆらめきを徐々に大きくしていく。

 そして炎が松明ほどの大きさになったところで、おのれの顔にある変化が現れ始めたことに気付いた。

それは顔の表面に波打つ紋様のように現れる。


 (隈取りが……オレの顔に)


 それは『加護持ち』……土地神の加護を得た者に現れる顕著な特徴であった。人の顔が千差万別なように、土地神もまたそれぞれに違う紋様を持っているという。

 波と渦巻きを組み合わせたような紋様のなかに、一部記号らしきものが混ざっているのが確認できる。

 カイの紋様はかなり特徴的で、額に大きな目のような模様がどんと鎮座しており、まるで南方で猛威を振るっているという悪名高い単眼(サイクロプス)族のようだと思った。


 「…は、ははは」


 隈取りは加護持ちの証であり、人族の国では支配階層の人間である証でもあった。『特権階級』という言葉が頭に浮かんで、カイは冷や汗をかきながら腰砕けにぺたんと坐り込んだ。

 全身に走るおののきに、我が身を抱くようにして耐えた。

 ありえないことが起こってしまったようだった。


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