06
灰猿族の侵入でこうむった耕作地の害を、ラグ村の人々が総出でどうにか復旧し得た頃……別の場所、別の亜人種による侵入騒ぎが西のほうで発生した。
報せは辺土で最も足の速い、白頭鳩で空から届いた。脚に付けられた鳩の所有者の紋章は、バルター辺土伯。辺土領主たちの多くが寄り親とする大領の主のものだった。
助勢の依頼ではなく、厳然とした上位者の招集命令であった。
ラグ村は兵たちの傷がまだ癒えぬというのに、出し惜しみなく救援部隊を編成した。村の最低限の守備戦力を残した雑兵50人に、決戦戦力である『加護持ち』1人からなる部隊が急ぎ村を発ったのだった。
部隊の長はむろんその『加護持ち』である領主家長子、オルハである。そして50人の雑兵のなかには、カイの姿もあった。
「急げ! 会盟に遅参するわけにはいかないぞ!」
オルハの叱咤で、兵士たちは無言で足を速める。
争い続きの辺土で殺し合いを続ける者たちは、それなりに殺した相手の『神石』からレベルアップの恩恵を受けており、足腰が強い者が多い。
また、オルハの逸る気持ちが皆に移ったわけではなく、全員がやる気に溢れていた。
先日ラグ村が隣村の助勢に助けられたとき、慣例に従って事後に少なくない『礼物』を贈っていた。食糧事情のよろしくない辺土でもっとも喜ばれる贈り物が、保存の利く穀物であるのは自明である。ラグ村もそれぞれの村に少なくない小麦を贈っていた。
その逆パターンもむろんあるわけで。
助勢に駆けつけて見事その土地が守られた暁には、相応の食料が手に入る。先日の『出費』のせいで村全体の食料配分が厳しくなっているので、たとえ数袋でも小麦が手に入るのならば死ぬ気で戦いに参加する意義もあろうというものだった。
今回の被害村はバーニャ村という西の方の少し離れた村で、救援の要請は辺土領主連合の盟主、バルター辺土伯の名で行われている。バルタヴィアという辺土一の城塞都市と周辺7箇村を治める大領の主である。
その名前で要請されたと言うことは、つまりは侵入した亜人族の脅威がそれだけ大きいことを意味している。すくなくとも辺土の北一帯の小領主たちすべてが掻き集められていると言って過言ではなかったろう。
そしてそこへどれだけ早く参じるかを、寄り親に対する忠誠度を盟主であるバルター辺土伯に量られてしまうという側面もある。
参じた小領主が輪となって酒を献じ合う、紐帯の強さを確認する『会盟の儀』に列して初めて各領主たちの面目が施される。
「…カイ、痛えんならあんまり無茶はすんなよ。まだ治っちゃいねえんだからよ」
「…わーってるよ、気にしないでくれ」
仲間から気を使われて、カイは苦笑いしつつ心配いらないと首を振る。
カイの骨折は、当然ながらまだ完全には治っておらず、胸の辺りをさらしのようなボロ布できつく縛っての参戦だった。
何でそんな怪我人が敢えて選ばれたのか。そんなもの下っ端に分かろうはずもない。役立たずを口減らしのために戦場に放り込んだなんて理由であっても驚きはなかった。
正直、走っているだけでつらくはあるのだけれども、カイの怪我は周囲が思っているほど大きなものではなくなっていたりする。騒動を起こして折檻されたのが10日前ぐらいであったが、それ以来カイはこつこつと『治癒魔法』を試み続け、肋骨数本に及んでいた骨折をどうにか修復することに成功していたのである。
痛みは主に『治っていないかもしれない』という不安からくる幻痛であろうと本人は推測していた。
半日を移動に費やして、ラグ兵たちは西北へ50ユルドほど進んだ。
目的地はバーニャ村の近郊、深い森と集落との間にある広い土地だった。
「…うへぇ……ここいらみんな元は畑かよ」
開けた土地は、もともとバーニャ村の人々が長い年月をかけて開墾した麦畑であるらしかった。すでに激戦があったのか、その大切な土地が無残に踏み荒らされ、横たわったまま放置されている死体がいくつも散見された。
死体から出る諸々の体液は、当然のことながら油と塩分に富み、畑にはかなりの毒なので、戦後は地獄のような復旧作業が待っている。そのあたりまで想像して、ラグ兵たちは顔をしかめていた。
50人のラグ兵が接近するのを見つけたのか、領主連合軍合流地の世話をしているバーニャ村の兵士が駆けつけてきて、明らかに将と分かるオルハを案内し始める。
むろん雑兵たちもその後を無言でついていく。
少し行った緩やかな丘の上に、木の柵で囲った本陣が見えてきた。真ん中のテント群にまで呼ばれているのはオルハだけらしく、50人は柵の外側でとどめられた。
見れば他の村の兵士たちも、そのあたりで所在なさげにたむろしていた。
「全部で500人くらいはいそうだな…」
「割と大事だよな、やっぱ」
「…転がってた死体を見たか? 敵はやっぱり豚野郎みたいだぜ」
上位者が不在なために、すぐに雑兵たちの噂話がざわめきぐらいに大きくなる。「ちょっくら聞いてくるわ」と、なかのひとりが他の村のやつらのところに駆け出した。情報収集はほんとうに命に関わるので、その行動を止めるようなやつはいない。
そうして本陣のテントでオルハが状況説明を受けている合間に、雑兵たちは自助努力でおおよその状況を把握したのであった。
土地に侵入してきた亜人族は豚人族。
身の丈2ユルを超え、体重も人の数倍はある巨大な種族である。攻めかかられたときのその圧力は、いかつい親父が泣き言を言ってしまうレベルで、ほんと洒落にはならなかったりする。
侵入してきたその数はおよそ150~200くらい。辺土でもかなり大きい部類に入るラグ村でさえ兵士は120人であるから、中規模のバーニャ村にはまともに抗うこともできなかっただろう。緒戦はあっさりと侵入を許して、兵士が10人ほど、畑仕事の村人が20人ほど犠牲になってしまったという。
ひと当たりしたあとはなんとか守りの堅い村の中に立て籠もって防戦に成功し……からくもバルター伯の助勢を得ることができたというわけだ。
しかし被害の方が悲惨だった。
人族に忌み嫌われる豚人族……その性向を知る者ならば言わずとも察するところなのだが、若い女を好んで攫って、やつらは高ぶりのままに嬲り者にする。子ができるわけでもないのだが、人族女性の嫌がる悲鳴を楽しむためらしい。そんな村の若い女たちが幾人も攫われているのだという。
むろんのこと、バーニャ村の生き残りたちは、豚人族に対する憎悪の炎に身を焼いている。
「相手は豚野郎か……もっと豚っぽくしてくれてたらなんとか食えるんだがなぁ」
豚、と言っても豚人族は首から下は少し肉付きのよい人に近い造りをしている。二足歩行していれば筋肉のつき方など人と似てしまうのだろう。
「…試しに食ったやついるんだっけか」
「まずくはなかったそうだぞ」
「まずくはないのかー」
当然のことながらラグ兵たちはいつも空きっ腹である。
誰かのお腹がぐうっと鳴って、副長格のセッタという枯れ木のような男が煮炊きの準備を始めようと言った。寒くない雨期明けなのでテントなどなくとも寝られるが、煮炊きにはかまどが必要だった。
領主連合軍は最終的に700人ほどにまで膨れ上がった。
バルター伯の連れてきた手勢が200、そして辺土北部の小領主、20家あまりの混成部隊500がこの地に合流した格好であった。集結完了まで2日を要した。
人族の兵気が急速に膨れ上がったことで恐れを抱いたのか、豚人族は夜襲を掛けてくることもなく、次の日も目立った動きは見せなかった。
陣を構える領主連合側は実のところ心のどこかでほっとしていたのだけれども、それで黙ってはいられなかったのがバーニャ村の連中だった。村の女たちが何人も攫われたままなのだ、戦いの準備が整ったのなら即座に攻め込んでくれと騒ぎ出した。
「…気持ちは分かるんだけどなぁ」
「やつらも攻めて来ないし、もしかしたらこっちの数を見て逃げ出してるんじゃねえのか」
駆けつけたはいいものの、正直こちらから進んで殺し合いをしたいという人間は連合軍にはほとんどいない。しょせん他人の土地のことであり、貴重な村の働き手を失いたいなどとは率いる領主たちも思ってはいなかった。
本陣のなかでどのような議論が交わされたのかは分からない。しばらくして自陣へと戻ってきたオルハが、盛大なため息とともに出陣の準備をするようにと命令をしてきた。どうやらバーニャ村の領主の説得工作が軍勢の棟梁であるバルター伯を動かしたらしい。
「豚人族も森の中でこちらの様子をうかがっている。やつらもまだ逃げ出してはいない」
兵の間にあった希望的観測を払うために、オルハはそのようなことを言って、防具を身に着けだした。 バーニャ村が独自に放った斥候が、豚人族たちの陣張りを監視し続けているらしい。攫われた女たちの声がしなくなったとバーニャ村は相当に焦っているという。
辺土の盟主として、バルター伯は子である小領主を見捨てるわけにはいかない。波乱要因のひとつである豚人族をひと叩きしておくことにもむろん意義はあるわけで、結局数の優勢を信じて正面から攻め込むという決断を下したのだ。
身体能力に優れる亜人族と、障害物の多い森の中で戦うというのはいささか以上に不利なのは間違いない。バーニャ村の土地を守る開けた土地での防御戦を予想していた雑兵たちは、はっきりと表情を曇らせていた。森の中では、得意の槍衾による集団戦もあまり機能しない。
「オレら、帰れんのかな」
誰かがつぶやいて、いくつかの舌打ちが続いた。
バーニャ村のやつらには申し訳ないのだが、数人の人間を救うためにその10倍の命を失ったら……それも他村の人間を助けるために失ったといったら、ラグ村の人間は豚人族ではなくバーニャ村の人間を憎むことになりかねない。
合流地から、人族の軍勢が静かにあふれ出した。
不利ではあっても数に大きく勝る連合軍が負けるとは誰も考えてはいない。
初夏の陽光に銀色の光を跳ねさせる槍の列。
ラグ兵らも主兵装の槍は手放さない。ただそれぞれが携行しているナイフの位置だけは神経質に調整している。障害物の多い森での戦いが、どんなものになるのか薄々皆が察していた。
そして案の定、豚人族との戦いは凄惨を極めたものとなった。