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巡察使様が帰らない。
そんなことを言う一部の兵士らの主張がご当主様の耳にまで届いたのは、灰猿人たちを追い払ってからしばらくたってからのことだった。目撃していた櫓詰めの兵士らいわく、襲撃のさなかに、いきなり奇声を発して部屋から飛び出して行ったのだという。
ご当主様指揮のもと城館内をくまなく捜索して、その所在不明が空言でないことが判明すると、村は食器棚をひっくり返したような大騒ぎとなった。
真理探究官ナーダの『百眼』による捜索の結果、昨夜の灰猿人族らに持ち去られたらしき巡察使の死体が、森の奥深くに無残な姿で遺棄されているのが確認された。
巡察の随員たちはそんなバカな、ありえぬことだと激しく騒ぎ立てたが、それが事実だと告げる僧官の権威ある言葉に、結局は揺るがせられないひとつの前提として受け入れられ、それを踏まえたうえでの真相究明作業が積み上げられることとなる。
滞在する客間から、巡察使本人が突然空へと飛び上がったところを幾人かの兵士がその櫓代わりのテラスで目撃していた。なにゆえに部屋着のまま混乱する危険な村外へと飛び出していったのか、巡察使本人がどのような意図を持っていたのかはただ謎であったが、その直前に白姫様が夜伽女の引き取りにやってきていたので、部屋の中にくつろいだ格好の巡察使本人しかいなかったことは確認済みであり、そのときの『奇行』は本人の意志においてのみ可能であったとされた。
そうして灰猿人たちの攻撃力を軽視した巡察使は、おそらく酔った勢いで手慰みに亜人どもを殺そうとして、愚かにも足元をすくわれてしまった。
襲撃に『加護持ち』が複数加わっていたことは目撃情報があり、おそらくは運悪くそのいずれかに巡察使は討ち取られ、その『大戦果』に満足したことで灰猿人たちは撤退していったのではないか。推測された筋書きはそのようなものであった。
「…城館内で不審者を見た?」
ひとつだけその筋書きに馴染まない証言が城館勤めの女からもたらされたが、その身につけていた衣服が灰猿人のものではなく、辺土でも西のほうでしかあまり見かけない小人族ふうのものであったという内容から、ほとんど重要視されることなく調書にも記載されることはなかったようである。
そのときに廊下近くにいたという白姫様自らが「そんなものは見なかった」と強く否定したのが大きかった。
かくして『巡察使失踪事件』の究明に形が付き、ようやく落ち着き始めた随員たち関係者は、おのれたちが『虎の衣』を失ってしまっていることに遅まきながら思い至ったのだった。
一行の長である巡察使が国王の威を振りかざして好き放題していたことで、自然とそのまわりも少なからず『ご相伴』に預かって当たり前というふうが定着していた。ほぼ全員が『小巡察使』のように振舞っていたために、村人たちから初めて向けられる針のような視線に早々に耐えられなくなった。
僧官の「ここは急ぎ王都に戻るべきでは」という提言は即座に了承されて、一行は早々にラグ村を離れることになったのだった。
その見送りに立った村人たちの顔に、いつ以来かと思われるような満面の笑みが浮かんでいたことは言うまでもない。
***
「…あいつらが帰っても、減るのは変わんねえのか」
「客の食い残しを薄めた残飯スープじゃねえってだけで少しはマシだろ」
賓客の相手ばかりで最近顔を見ていなかったご当主様が、食堂の領主一家の席に見える。その隣にはオルハ様の顔もあり、村に日常が戻ってきたことをじんわりとカイは実感する。
その手元の皿には、黍を炊いて練ったダンゴと、堅い肉の入った薄い塩味スープが並んでいる。おそらくは蛙とやり合ったときに倒れてしまった黍を、村人たちが急遽刈り取りしたのだろう。このダンゴの由来がそうだとすると、こっちのスープの肉片は……まああんまり考えないでおこう。きっと天からの贈り物のように、お肉様が村の外にいくつか転がっていたのだろう。普段は食用にはしないものの、喰うに困れば食べ物にうるさい女たちもその辺は躊躇しない。
「…カイよ、この肉はオレらが命懸けで手に入れたやつなわけよ」
「……ああ、うん」
「感謝するんなら、いろいろと後で吐いてもらわねーとなー」
「そうだそうだ、抜け駆けしやがって」
席の両側からダンゴをひとつずつ奪い取られ、それでも何も言わないでいるカイに、思春期な不満を並べ立てる仲間たち。
「オレらが防壁で敵の『加護持ち』に矢を放ってるときに、おまえは坊さんの部屋でのんきに正座させられてたんだろ? ならこのダンゴは働いてたオレらの胃袋に収まるべきだと思うんだ」
「…エルサちゃんだったっけか、ちゃんと責任とってやれよ」
「………」
村が灰猿人たちに襲撃されたとき、カイが一時不在だったのはあの坊さんに呼び出されて説教されていたからだということになっていた。
自分の女がひどい目にあって、冷静さを失っていたカイを落ち着かせるための処置だったと坊さんからまことしやかに伝えられ、そのひと幕を見ていた女たちが訳知り顔で追認したことで、確定の事実としてすでに村人たちに知れ渡っていた。
むろんそれは、前提となるカイとエルサの関係性も広めることになったわけで、男たちからは死ね死ねの呪詛と怒りへの共感が、女たちからは過剰な同情となぜか急上昇した意味不明な好感が向けられることとなった。
奪い取ったダンゴを口でもしゃもしゃしながら、仲間たちのいじりは際限なく続く。マンソもそれをにやにやして眺めているだけである。
「…白姫様、なんかこっち見てるぞ」
「もしかして、おいら?」
「んなわけねえだろ」
隣のテーブルで別の班の男たちがバカみたいな会話を交わしている。
目先の痛い会話から意識を逃れさせたいカイは、なんとなく領主席の白姫様のほうを見て……そこでまともに視線がぶつかったことで瞬きしてしまった。
(…オレを見てた?)
白姫様もカイの視線に気づいたのか、少し慌てたようにわたわたとした後、不機嫌になることを決めたように改めてじっとりと睨んできた。
はっきりと睨まれたことで、カイが動転してしまったのはむろんあの城館に侵入したときの光景を思い出したためで、変装して仮面までつけていたというのに正体がばれたのかと短絡してしまった。
全身に冷や汗が噴き出して来るのを感じながら、いったん逸らしてしまった目を再び白姫様に戻すと、もうそのときはこちらを見てはいない。取り澄ました様子で黍のダンゴを口に運んでいる。
一瞬の偶然のようなもので、気のせいだと思いたい一心のカイであったが……悪い方面での希望的観測というのは得てしてはずれてしまうものである。
少なくなった夕食に不満を鳴らすすきっ腹を抱えながら、女宿舎を訪ったときのことだった。
もともと男が立ち入り禁止のこの区画にあのときカイが立ち入れたのは特別な措置で、あれ以来どれほど願っても入口での押し問答で終始してしまっている。カイは早く隠し持っている蛙の『神石』をエルサに食わせたいのだが、中に入れてもらえないためにもくろみは果たせないでいる。
むろん『加護持ち』としての力を駆使すれば、あるいは夜中に侵入したり強引な手法も取れないことはなかったのだが、
「…ごめんなさい。エルサが会いたくないって」
そのように言われては心がくじけてしまう。
エルサの容態を看ている女たちの言うことには、傷が思った以上に深くて膿んでしまっている。顔も腫れ上がってだいぶ苦しんでいるらしいのだが、そんな姿をカイには見られたくないと頑なに本人が拒んでいるのだという。
『加護持ち』としてそれなりに経験値を積んできているとはいえ、カイはまだ13にしかならない子供でもある。会いたくないと拒まれているというだけで相当にへこんでしまっていた。
その日も悄然とした面持ちで来た道を引き返そうとしたカイであったが、たまたまなのだろう、そこに通りかかった白姫様に捕まってしまった。
「…ちょっと、いいかしら」
やはり少しだけ睨まれてしまう。
いよいよかと覚悟を決めて、カイは例のことを詰問されるのを待ち構えていたのだが、出てきたのはまるで出来の悪い弟を叱る姉のような苦言であった。
あなたはまだ子供だと思ってたのに、もうそんなことまでしていたなんて。いくら相手が年上で、相手から求められたからってそう簡単にしていいことではない、責任だってどうやってとるつもりなのと、そんなことをつけつけと言われてしまった。
あれ? と内心首をかしげているカイの様子などお構いなしに、白姫様は女宿舎側の人間にいろいろと問うて、エルサが面会を拒絶しているという内容を聞きつけると、「ちょっと待っていて」と宿舎の中に入っていって、しばらくした後に「ついてきなさい」と中に入るように促してきた。エルサに面会を受け入れさせてくれたのだ。
さっきまで通せんぼをしていた女が仕方なさそうに肩をすくめている。白姫様の世話焼きは村では有名なのだ。
もしかしてバレてない?
それじゃあなんでこっちを睨んできたのだろうと考えてしまう。
そうこうするうちに例の部屋へと入ることができて、ベッドの上でこっちに背中を向けたままでいるエルサの姿が目に入った。「ひどいことは言わないでくれ」と無言の圧力が立ち会いの女たちから放たれてくる。
「…見ないで……お願い」
弱々しいエルサの懇願。
白姫様の『お節介』を無碍に出来る女はあまりいない。あの蛙野郎の傍若無人に、女たちを代表して矢面に立ち続けたのは白姫様であり、何かあるたびに彼女たちの諍いの仲裁をしてくれるのも彼女なのだ。白姫様に願われては、エルサも断りようがなかったのだ。
がしかし、いまのおのれを見られたくない本心に変わりはない。その血のにじむ背中がカイを完全に拒絶しているのが分かった。
とりあえずエルサに何かの処置を取るにも、人目が邪魔過ぎる。カイは二人っきりにしてくれと願ったが、さすがにそれは聞き入れてもらえなかった。カイが激情に駆られてエルサの傷を強引に見てしまう恐れがあるからだった。
(…くそ、何とかできるかもしれないのに)
蛙の『神石』を食べさせるか、あるいは治癒魔法を試みれば、エルサの苦しみをいくらかは軽くできる見込みがあった。しかしその機会はいまではなさそうだった。
部屋の隅でふたりの面会を見守っている白姫様が、隣の女に詳しい容態を聞いている。そうしてその白い顔に沈鬱なものが濃く浮かんだことで、エルサの予後が芳しくないことが明らかとなった。
(…もしかして、まずいのか)
たしかにぱっと見で分かるほどに、包帯の隙間に見える地肌が土気色を帯びている。そして怪我から何日もたっているのにいまだに止まっていない出血。
たいした医療技術もないこんな辺土の村で、大怪我を負うのはほとんど致命的なことであった。
カイはどんな言葉をかけてよいかも分からずに、ただやり場のない怒りに身を震わせていた。
そうして、今夜やると心に決めた。