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神統記(テオゴニア) 作者:るうるう

忍び寄る影

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遅くなりました。





 「…なんだ」

 弛んだ顎が震えた。
 辺土の人々を蔑むことしかしなかった小男の眼が見開かれている。

 「なんだその『象形紋(グリフス)』は」

 セベロの顔がまた怯えの色に染まっていく。
 無意識に後ずさろうする足が草にとられて、無様に尻餅をつく。動きにくい不利な体勢になったのを自覚したのか、転んだ豚が慌てて立ち上がろうとするように四つん這いになって足を掻くように動かしている。
 汚い尻が丸出しだ。
 ぐりふす?
 なんだ、何のことを言っている?
 圧倒的に知識ばかりが不足しているカイは、喉の渇きに苦しんでいる遭難者のようにその言葉に魅入られる。
 坊さんに少しばかり教えられて、おのれの無知を自覚してしまったカイは、知的生命に避けがたく備わっている本能……好奇心という名の度し難い衝動に心を揺らされやすくなっている。
 おそらくおのれの『神紋』についての何かだろうということはすぐに分かった。カイの額の真ん中には谷の神様の特異さの顕れなのか、人の『眼』のような形をした部分がある。谷の湖に映ったのを見たことがあるので気にはしていたのだ。南方の単眼族(サイクロプス)のようだとカイは思っていた。
 一瞬だけ、好奇心が勝った。
 知識を再び誘い出すべく、カイの口から挑発するような言葉が発される。

 「この『ぐりふす』が恐ろしいか」

 逃げようとあがくのに必死な小男の尻を蹴飛ばして、こっちのほうを向かせる。そしておのれの神紋を見せ付けるように顔を近づけた。
 セベロは血走った目をこれ以上もないほどに見開いて、カイの額の神紋を間近で見入った。セベロもまた死がこれほどまでに身に迫っているというのに、怖いもの見たさな好奇心を抑えられないようだった。知恵で秀でる人族の業というものなのか。

 「オレの『ぐりふす』でなにが分かる。言ってみろ」
 「……は、はは。人族の『象形紋(グリフス) 持ち』が辺土などに……王都以外にいるわけが」
 「…ここにいるだろう?」
 「………」

 怯えているのに、カイの神紋から目を離せない。
 セベロの息遣いだけがどんどんと短く早くなっていく。

 「中央にはいるみたいだな。オレの『ぐりふす』を見てなにが分かる。はやく言え」
 「……『象形紋(グリフス)』は特に強力な御柱にしか顕れぬ。きさまのような卑賤な辺土人に顕れるなど…」
 「…特別なのか?」
 「……そ、うだ」
 「……そうか」
 「…もしや、きさまが(・・・・)

 セベロの全身がわなわなと震え出す。
 何かに思い至ったのだろう、ひきつけを起こしたように坊さんの名前を連呼し始め、ふたたびその場から逃げ出そうとする。カイはその背中を踏みつけて、無情にも尋問を続けようとする。
 そのとき気配に気付いて、カイは顔を上げた。
 直感の赴くままに、何かを感じるラグ村のあるほうを見て……その防壁の上に、兵士たちに混ざってよく知った黒い僧衣姿の男を見つける。
 ほとんどケシ粒のように小さい影でしかないのに、その眼差しがまっすぐにおのれを見ていると確信する。カイが顕した神紋、谷の神様の『象形紋(グリフス)』までもがあの坊さんに見られたのだと分かった。

 (殺せ!)

 谷の神様が叫んでいる。
 あの坊さんを殺したくて殺したくてうずうずとしている。
 その明確な殺意の理由が、いまになってカイにも理解できたような気がした。

 (あの坊さんは危険だ)

 あまりにも胡散臭すぎる。
 ただの村人に過ぎないカイに対して、どうしてこんなに関心を抱いているのか(・・・・・・・・・・)が知れない。
 坊さんはただまっすぐにカイだけを見ていた。
 そして中央の偉い貴族様がいままさに殺されようとしているのに、いっこうに助けようというそぶりも見せない。その貴族の殺される様までをもしっかりと見届けようという、冷徹な傍観っぷり。

 「た、助けてくれ!」

 セベロの懇願を目の端で見ながら、カイは思案する。
 すっかりと違う方向へ意識を飛ばしてしまっているカイの様子に、セベロはじりじりと後ずさって距離を稼ごうとしている。一定以上の距離を稼いだら、そこから本気の逃げを打つつもりだろう。カイは見た目に無手であり、一撃で『加護持ち』の命を奪う強力な攻撃を持っているようには見えなかったろう。
 ちらりとその目が灰猿(マカク)人たちを撃退しつつあるラグ村を見たので、小男が村を安全地帯と見積もって距離を目測しているのが分かった。
 カイは坊さんに神経を配りながら、無情にセベロの期待を粉砕する。ずかずかと歩いて間を詰めていくその目は相変わらずそらされたままだ。

 (あの坊さんは、豚人(オーグ)のやつとやりあったのも全部見ていたんだろうか)

 それさえも見られていたというのなら、隠したところでいまさらなような気もする。しかし見られていない可能性もある。
 カイがいま一番気にしているのは、坊さんにおのれの魔法を見られることだった。魔法はその使い手だと知られるだけで著しく不利になる。魔法についての知識経験もただでさえあっちのほうが二枚も三枚も上手のようであるのに、攻撃の手札を知られるのは避けておきたかった。

 「わ、吾輩を殺せばどうなるか、きさま分かっておるのか」
 「…さあ」
 「吾輩が王宮へ生きて戻らねば、必ずやきさまらの村に厳しいお咎めが下されるぞ! モロク家は責めを負い、恥辱的な死を賜るだろう!」
 「………」
 「生きたまま『珠骨(※神石)』を引き抜かれる降人刑に処され…」
 「…ほんとうにそうなのか」
 「…獄吏に加護をむしり取ら……なにを言って」
 「加護もまがい物のやつの何を信じるんだ」
 「…くっ」

 こいつはおのれの神格についても嘘をついていた。
 その吹聴する脅し文句も、素直に聞く必要があるのかどうか微妙なように感じている。《五齢神紋(シンクエスタ)》という触れ込みだった巡察使が、実際は数枚落ちだった。
 ならば国で一番偉いといわれる『国王』が、そのままの力を先王から受け継いでいないと言うことだってありうるのではなかろうか。辺土が周辺の亜人たちに脅かされているのも、そもそもは国王の勢威が落ちて、人族の中央軍が周辺諸族を『間引く』のをやめたからだと言われているし、実際にここ数年来、辺土がどれほどの危機に見舞われても中央は軍勢を出してくれなかった。
 カイにしてみたら、生まれてこのかた一度も見たことのない『中央』なんてものが、本当にあるのかどうかすら定かではない。

 「吾輩は決して嘘など…」
 「…もういい」

 カイは腰に吊っていた切り取り用のナイフを手に取っていた。
 他は変装していても、道具類ばかりはやはり使い慣れたものがいいと、そのままになっていた。
 無造作にそれを突き刺そうとして、カイは予想外の反撃を受けた。

 「炬火(きょか)よいでませっ」

 カイの前に差し出されたセベロの手のひらから、ぶわっと赤い炎が生み出されて視界を包んだ。ほとんど条件反射で腕で目をかばい、竦んでしまった。
 中央には魔法を使う御使いがいる。白姫様がそう言っていたというのに。
 武技の鍛錬などに全く縁のなさそうなセベロのような男が、護身の技に魔法を習い覚えていてもけっしておかしくはなかった。予想していなかったカイが全面的に悪かった。
 数呼吸ほどのあいだ続いた炎が去り、カイがそれほどの熱さも感じなかったおのれがやけどひとつ負わなかったことを確認した時には、セベロの姿が消えていた。本当に温度の低い、見せかけだけの炎だったのか服も燃えていない。

 (殺せ!)

 カイは駆けた。
 逃げたセベロの背中はすぐに見つかった。わき目も振らずただ村に逃げ込むことだけを考えているその姿は、ちょうど撤退に入ろうとしていた灰猿人(マカク)の兵士たちの人波を掻き分けるような格好となっていた。
 灰猿人(マカク)たちが邪魔になって足を遅くしたセベロをカイは後ろから捕まえ、とっさに首に回した腕を締め上げて、徒手組手で最後の手段として教えられたことのある『首折り』が自然と繰り出されていた。おのれの体重をかけるまでもなく、『加護持ち』の腕力でひねられたセベロの頸椎はあっさりと折り砕かれた。
 自称《五齢神紋(シンクエスタ)》、横暴の限りを尽くしていた辺土巡察使セベロ・ガンダールの人生は、本人にとっても予想外の形であっけなく潰えたのだった。
 鍛え上げられた筋肉でよろっていれば、あるいはもう少しカイの怪力に抗えたかもしれない。この男はあまりにも身体をなまらせすぎていた。
 そうして退却する灰猿人(マカク)たちに紛れて、カイもセベロの死体を引きずりながら退却していく。
 巡察使の死は、闇から闇へにならねばならなかった。
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