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《殺せ》
谷の神様が騒がしい。
なにをそんなに苛立っているのか。
《やつを殺せ》
ほんとにこの神様は誰かを殺すのが好きらしい。いや、手段として手っ取り早いと考えている、といったほうがいいのか。
その殺意が向う相手はいまカイが殺したいと思っている蛙野郎のほうではない。あの坊さんのほうだ。
何でそんなに殺したいと思っているのか、神様は何も理由を言ってはくれないのでカイが推し量るしかない。
(『加護持ち』だということがばれた…)
一点、そのことでは谷の神様と思いは共有できる。
由々しきことだった。『加護持ち』だと知られずに村での生活を維持していこうと腐心していた矢先であったというのに、何でばれたのだと叫び出したい気持ちはあった。
カイはいま、谷へ向って走っている。なぜかというと、目的は亜人に変装するためのものをそこで集めるためだった。さらに正確に言えば、小人族のポレック老に相談するつもりだった。あの老人はずいぶんと長生きで、ものを知っているふうだったから、いろいろと助言ももらえるのではないかという期待もあった。
ほとんど風のように辺土の大地を疾駆する。もうあたりは夕刻という時間帯も過ぎて、夜の暗がりにつつまれている。今日は雲が多くて星もあまり見えない。雲間にうっすらと見えるわずかな星空は、『加護持ち』の優れた視力を助ける貴重な光源である。よく燐光を瞬かせている星ほど移動速度が早い。大霊河の本流に近いほど流れは早くなり、強く輝く。
あの坊さんは、なんでカイと鎧武者の戦いを知っていたのだろう。いや、知っているというよりはその目で見ていたような言い草だった。
『百眼』……オルハ様とやり合っていたときに坊さんが口にしていた秘術で、遠くから覗き見ていたというのだろうか。
そうしてそこに至って、カイはいままさにその『百眼』でおのれの動向をどこかから覗き見られているという危険性に気付いた。
《やつを殺せ》
谷の神様の殺意がようやく理解に近いところまで降りてきた。
なるほど、このままでは谷の場所が坊さんにばれてしまう。
カイは想像する。『百眼』というのが百個の目というそのままの意味であるというのなら、それがいまカイとともに移動しているはずである。目のいい辺土の民ならば誰しもが知っていることだが、どれだけ目のいい人でも見える範囲は数ユルドの内からは出ない。なぜならば遠いものほど小さくなっていくものだし、大地には物を隠してしまう遮蔽物は多いし容赦ない起伏もある。
この世界には、『大地は丸い』という概念はない。ふと頭に浮かんだへんてこな『地球』という映像が、カイの脳髄を上滑りして消えていく。大地が丸いから一定距離で完全に見えなくなるという理屈は良く分からなかった。
カイは走りながら、おのれの前後左右、それらしき『気配』はないか見回した。ポレック老が言っていたように見えるのならば……『百眼』がカイのそれと同じ『魔法』の理屈で生み出されているというのであれば、それは霊力を使ってのものであり、坊さんのそれが光となって見えるのではないかと思ったのだ。
鎧武者のときもそうであったが、宿主が望めば内なる神様は与える加護に変化を加えることがある。そういう理屈がカイの身にも起こったのか、その視界に劇的な変化が起こった。
ポレック老の言う霊光の世界が実像と被るように広がっていた。
この力を使えば、魔法での不意打ちが難しいものであるということが実感として分かる。鎧武者がカイの『隠し技』を見て、せせら笑ったのも仕方がなかったのかもしれない。
『魔法』はけっして無敵でも万能でもないのだ。
「……あった」
カイは見つけた。
カイの右手頭上に、追随してくる光の玉がある。
どのようにしてその『魔法』を編み出しているのか見当もつかなかった。カイの『魔法』はまだ自然に存在する『現象』を模倣している段階にしか過ぎなかったが、その『百眼』はそんな単純なものではなかった。
「…目玉」
遠くのものをつぶさに見て取る能力とは、すなわち『目玉』そのものをその場所にまで飛ばすというものであった。
見る、という行為は、その場にある光の様態を網膜に焼き付けることを言っているわけであり、遠くのものをまるでその場にいるかのように見たければ、術者はそこに目玉を持っていくしかない。人の受像器官は眼球しかないのだから。
ただし、この『目玉』は魔法により編まれている。
たぶん見ている像も、いまカイが見ているものと同じ『霊光の世界』なのではないだろうかという推測が立つ。
そしてよくよく見れば、糸のように細い光が延々と後方にまで伸びていた。それを見て『視神経』という単語が頭をかすめる。目玉と脳髄を繋ぐ神経組織なのだという。
カイはバーニャ村に向っていた足を、手近な森へと向けた。
そうして試すように、わざと木々の密集した中に分け入り、意味もなく右に左に動いて『目玉』の動きを観察した。
想像通り、後方へと繋がっている糸が絡まり出した。糸は木々を透かして通るわけにはいかないようだ。霊光は微弱ながら森の木々にも宿っているのが見えたから、それらの存在を無視した透過など出来ないのだろう。
と、『目玉』が急に上空へと昇っていった。鳥の目の高さまで至ってから、こちらの後をつけ始める。捜索隊の時は、こうやって上から見られていたというわけか。
ならば。
カイは森の中を全力で駆け出した。
森は木々が枝葉を広げているので、上からはなかなか見付けづらいだろうと計算する。夜であるならば、闇の特に濃い場所を見つけて突っ込んでいけば、そこはたぶん影になった『上から見えていない』場所に違いなかった。
体皮の丈夫な『加護持ち』ならではのむちゃくちゃな突破行は、功を奏した。うろたえる『目玉』を後方へと置き去りにして、カイは森をどんどんと駆けて、四半刻も引き離した後にようやく目的地である『谷』に方向転換したのだった。
《やつを殺せ》
あの坊さんは、たしかに胡散臭かった。
谷に着くなりカイはアルゥエの息災を確認した後、谷の縁に作られた小人族の集落ヘと向った。頭を撫でてやったアルゥェが、「メスのにおいがする」とへばりついてきたので、引き剥がして捨ててきた。めんどくさいやつだ。
カイの到来を感じたらしいポレック老がすぐに家から出てきたので、手早く用件だけ伝えた。
他種族に見える変装道具が欲しい。そう要望を告げると、ポレック老は子細を聞きもせず、かしこまりましたと奥へと引っ込んで行った。そして持ち出してきたのが、小人族の服だった。
「…一族でもっとも偉大な戦士が身につけていた服です。小人族と思えぬほどに大柄だったお方のものですので、谷の神様の身の丈にも合うかと」
「…これ、おまえたちの大事なものと違うか」
「…いえ、着る者もなく死蔵されていたものですので、お構いなく」
「そうか」
納得して、カイはその服をポレック老に着させてもらった。
小人族の服は人族のそれによく似た、身体の前で合わせて帯紐で締める感じのものなのだが、人族のものよりも造りは凝っていて、伝来の幾何紋様が染め付けられている。
そしてその服は小人族でもかなり価値があるに違いない、毛皮が多く使われていた。襟首とかも毛皮がふんだんに使われていて、とても暖かそうだ。
「小人族は、身の丈以外は人族とそれほど変わりません。あとはこの仮面でも付けていただければ、だれがどう見ても小人族の『加護持ち』にしか見えないでしょう」
身につけた服を見回して、カイは満足げに頷いた。こんなにも立派な服を着たのは実は初めてであったりしたのだ。
「これから、なにをなさりに?」
「『加護持ち』を殺しにいく」
「…ご助勢は」
「いらない」
「…そうですか。余禄がいただけそうでしたが残念です」
遠慮のない物言いは、カイの好みに合った。
思い出したので、後からやってくるだろう鹿人に便宜を図ってやってくれとカイは言った。ポレック老は少しだけ驚いたふうにしてから、「かしこまりました」と慇懃に応じた。手っ取り早いやり取りも気持ちが良かった。
そうしてまた駆け出したカイを、集まってきていた族人たちが一斉に手を振って送り出してくれる。カイは心に生じた温みに少しだけ笑った。
(…終ったら、エルサも谷につれてこよう)
きっと喜ぶに違いないと、カイは思った。
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ご飯を食べていく仕事があるのです。