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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
谷の神様
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 カイはいつしかまともな防御を取ることもできなくなり、ただ圧倒的な暴力に押されるままに後ずさり、背後を遮った木に追い詰められた。そして致死性の乱打を浴びせられ続けていた。

 肉が焼け、爆ぜる。

 鋼鉄よりも硬いはずの骨がきしむ。

 意識は絶え間なく与えられ続ける苦痛に満ちている。

 それでもカイが耐え続けることができたのは、一筋の希望の光がまだ差し染めていたからだ。


 (まだか)


 カイの目は命の危機のなかにあってもけっして閉じられない。

 鎧武者の殺意がその手足から叩きつけられてくるのをつぶさに捉えながら、息をつめて機をうかがい続ける。

 魔法に対する耐性のことを考慮すると、チャンスはただの一回。

 おのれの手が確実に敵の命に届く瞬間を見極めねばならない。

 そしてその戦意を途切らせることのないカイの眼差しの強さに、鎧武者の面に狂気じみた笑みが広がっていく。手甲の鉄を巧みに使った裏拳のような打撃が変化する。

 カイの良すぎる目がその様を見ていた。

 指をまっすぐに伸ばした鳥の(くちばし)のような突きが、鋭さを増して身に迫ってくる。カイはその変化した攻撃がおのれに何をもたらすのかを見続けた。

 身をひねりその攻撃はかすらせるだけでやり過ごしたのだが……次の瞬間、接触した肌が血をしぶかせた。最後まで見届けたカイは、痛みよりも驚きに目を見開くこととなった。


 「応手セヨ!」


 辺土人がズーラ流という武術を習い覚えるように、豚人(オーグ)族にもなにがしかの武術が根付いているのだろう。鎧武者の血に濡れた指先が、小さな肉片を摘み取っていた。

 恐ろしいことに、鎧武者は一瞬のうちにカイの肉をつまみ、ひねるようにして引き千切ったのだ。

 鎧武者が狂ったように大笑した。これほど面白いことはないというように引き千切ったカイの肉片を見、それを口へと放り込んで咀嚼した。あとからやってきた激痛にカイは歯を軋ませて耐えた。


 「後継ガコレトハ……傲慢ノ報イヨ」


 恐ろしいことに、『加護持ち』の硬い護りを、指先の力だけでひねり千切って見せたのだ。豚人(オーグ)族の武術にある手わざのひとつであったのか。

 カイと鎧武者との間に、厳然とした『神格の差』がなければなしえない技だと、本能的に察した。

 『神格』で谷の神様が眼前の豚人(オーグ)に劣る……その認識が思考の毒のようにカイの脳髄に染み込み始める。カイの足が無意識に後ろへと下がっていく。


 (やつは指先だけでオレの護りの上をいった)


 つまりは、鎧武者は無手でいつでもカイを屠ることができるのだ。

 土地神には守る土地に応じた『格』をもっていることぐらいはカイも知っている。村の無学な兵士たちだって、ご当主様が《四齢》であり、オルハ様が《三齢》であることぐらいは知っている。

 そうしてどれほどオルハ様が武術の鍛錬をしていようと、ご当主様はまったく寄せ付けない隔絶した『強さ』を持っている。持たざる者たちから見れば『加護持ち』間の差など遠い話に過ぎなかったが、こうして歴然とした性能差を垣間見てしまうと、オルハ様がいつも悔しげにしている理由も分かろうというものだった。

 やつの体皮は鉄よりもわずかに劣るほどの硬さがある。

 同じ『加護持ち』として、カイの体皮にも同じだけの硬さがあるのかといえば、たぶんそうではない。たぶんもう少し柔らかいのだ。ゆえに鎧武者の指はカイの皮膚を(はさみ)のように挟んでひねるだけで千切れるのだ。

 そして鎧武者の殴打の力は、カイのそれとは比べ物にならないくらいに重い。

 この殴る蹴る飛び跳ねるなどの身体的な力は、一律に力が与えられるわけではなく、その個人が本来的に持っている筋肉の力に神が力を添えてくれているだけなのだと分かる。

 つまりは鍛錬によって出し得る暴力は増大させることが出来るのだ。

 ご当主様があれだけ強いのに鍛錬を欠かさずにいるのはそのためなのだと心の底から理解した。


 (はやまった……オレはこいつにまったく及ばない)


 神格の差もある。

 おのれの鍛錬不足もある。

 武術の練達にも大きな差があった。

 逃げねば、と思った。

 そのためには何とか相手に一矢報い、無防備な背中を見せられるだけの隙を作り出さねばならない。


 「…谷ハ我ガ犯シテヤロウ」


 カイはおののいた。

 ここで逃げてもこいつは谷にまでやってくる。しかもやってくるのはたぶんこいつだけではない。豚人(オーグ)たちが大挙して谷へと侵入してきて、谷の豊かな実りをむさぼりつくす様が目に浮かんだ。

 そして神様の墓所が犯され、そこにいるだろう少女……アルゥェが、間違いなく嬲り殺しにされる。豚人(オーグ)族の唾棄すべき習性が彼女をけっして楽には殺さないだろうとまで思い至った。

 カイは挑むべきではなかった。

 谷の神の加護があることを見せるべきではなかったのだ。


 (こいつを殺さなくては)


 谷が汚される。

 美しい谷が醜き者どもに蹂躙される。


 (殺さなくては)


 谷の神の後継が未熟者だと知れ渡る。

 加護を奪わんとする亡者が谷に押し寄せてくる。

 軽率さが招いた戦うという決断が、カイをもうのっぴきならないところにまで追い詰めてしまっていたのだ。


 (こいつを殺す!)


 生か死か。

 刺し違えてもこいつだけはここで倒さねばならない。

 そしてもしも次があるのなら、谷の神が何者であるのかを隠さねばならない。十分な力をつけるまでは正体を明かしてはならなかった。

 カイは右手を背中に隠した。もうあの『剣』に賭けるしかない。


 「マダ武器ヲ隠シテイタカ。我ニハ通ジヌゾ」


 鎧武者は完全にカイを侮って、こちらがどんな隠し武器を取り出してきても対処は出来るというように悠然と構えていた。カイが隠した右手で『光の剣』をかつてないほどの強さで形成しているのには気付かない。


 (…奴が遠い。長さがいる)


 カイは頭の中に描く『剣の形』を構築していく。そうすると『光の剣』は細くなるほどにするすると伸びて、その先端が地面の草に触れた。

 その瞬間周囲の草が切れ散って、反応が起こってしまった分だけ剣が縮んでしまう。

 鎧武者の様子の変化に、気付かれたかとカイは焦る。すぐさま後ずさる振りをしてそのあたりの草を踏みつけて誤魔化した。


 (長く……もっと長く)


 今度は腕を斜めにして伸ばせる空間を確保する。

 そうしてカイは鎧武者をきっと睨み据えて、お前など恐れてやるかというように利き足である左足を半歩だけ押し出した。

 鎧武者との相対距離は、だいたい2ユル。

 半歩進んで1と半ユル。

 最後の踏み込みの1歩でおそらくは残り1ユル。

 腰から上を前傾させれば残りは1ユルを切る。


 (霊力の余力はまだある……そうだ、1ユルの『光の剣』だ)


 踏み出していた左足の指が草の根を掴む。じりじりとカイの中で重心の移動が始まる。

 そしてその動きは武術に通じているのだろう鎧武者にも伝わっていた。

 むこうから向かってきてくれればもっと距離が縮むのにと苦い思いを噛み砕きながら、『カイの隠し球』を見極めるべく待ち構える鎧武者を眺めやる。

 これだけ追い詰めても戦意を失わないカイの様子から、何かがまだあるのだろうと奴は感付いているらしい。両腕で急所をガードした、まるでヘヴィー級のボクサーのような構えだった。

 なんだ、ヘビーキュウって。

 取りとめもない前世記憶に少しだけ笑って、カイはついに行動を開始した。


 (この剣に切れないものはないんだ)


 踏み出していた左足を起点に、カイの怪力が爆発的な突進力に転化される。左足の裏にぶちぶちと千切れていく草の感覚が伝わってくる。そいつらが地面にしがみついてくれているためにカイの発した力が効率的に運動エネルギーへと変換されていく。

 カイの背中から現れた右手が、相変わらず何も持たない素手であることに鎧武者は驚いたようだった。そうしてただの『手刀』と解してよいはずのそれを、鎧武者は鉄壁の防御で迎え撃った。格下とみなしたカイの攻撃を軽んじなかったのだ。

 鉄壁、という比喩はまさに正鵠(せいこく)を射ていたであろう。鎧武者がガードとして構えたその肉厚で太い両腕は、鉄に匹敵する頑丈な体皮だけでなく、その構造の芯となっているまさに鉄よりも硬いはずの極太の骨で構成されている。

 鉄製の武器による通常の攻撃であったならば、どれほどの威力を秘めたものであってもその腕をいくらか犠牲にすることによって完全に(はば)み得ただろう。

 だがしかし。

 鎧武者は知らない。

 けっして軽んじたわけではない人族の『加護持ち』が放った攻撃が、まったくの未知の概念で顕現した『見えざる剣』によるものであることを。

 その異界の知識がもたらした一撃の意味を、鎧武者も、その加護を与えているとうの神すらも、一瞬の後に初めて知ることとなったのだった。


戦闘シーンは難しいなぁと思う。

夢枕先生みたいに書けたらなぁ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 経験の浅いカイが圧倒的に格上の加護持ちに挑むという展開をジリジリとした描写が引き立てていてドキドキしながら読みました。次話で決着なるか。 一話ごとの字数がそれほど多くないのも読みやすくて…
[一言] 長いなw 光の剣を一振するまでが長い まるまる一話を費やしてまだ一振もしてないというw
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