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神統記(テオゴニア) 作者:るうるう

谷の神様

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10/11 鹿でナーラだとせ〇とくんになってしまうというご指摘になるほどと思いました。
鹿人(ウーゼル)の少女の名前を『ナーラ』⇒『ニルン』に変更いたしました。足の早そうな名前です。





人の目にはけっして見えざる微細世界にある(ことわり)……物を物たらしめる物質の成り立ちに関心の目を向ける者など、果たしてこの世界にどれほどがいたことだろう。

「***ッ!」

鎧武者の言葉が、素に戻った。
それだけの驚きが奴の内側で爆発したのだろう。
カイの振り下ろした無手の攻撃が、かするどころか触ってさえもいなかったにも関わらず、おのれの身に深々と食い込んできたのである。
カイの『見えざる剣』は、ほとんど抵抗らしきものもなくするりと鎧武者のかかげた左腕の手首近くに滑り込み、その頑強な腕をすっぱりと断ち切った後……肩の肉に深く食い込んだあたりで、その刀身をなしていた力をすべて吐き出し切っていた。
見えざる剣は、前世記憶に沿って分子間結合に干渉する。
魔法という意思ある力が本来ならば恐ろしく強固であるべき分子の結合を容易く解き、その対価として込められた霊力を逐次消費していく。
対象無指定の、生体に対する魔法干渉がはなはだ非効率であることは、『治癒魔法』と根を同じくしている。カイはそうした理解もなく、ただ持ちうる力でごり押しするのみである。
『見えざる剣』は、結果として用途半ばにしてその蓄力を蕩尽して消え去った。バレン杉を切り倒すときと同じであった。

「**ッ、***!」

驚愕の面持ちで半歩退いた鎧武者に、カイは勢いのままにさらに一歩踏み込んだ。
魔法は次撃で無効化されてしまう。その恐怖心が、カイに次の攻撃を急がせた。踏み込みつつ再び『剣』を右手指先に形成する。ともかく急いで鎧武者に新たな傷を与えねばならない。
微調整する時間さえ惜しくて、おのれの身ごとぶつかるように間合いをつめた。そうして返す刀のように横へと()いだ。
ブバッ!
鉄の胸当てが横に断ち割られ、中の肉が血の花を咲かせた。
ほとんど反射的な反撃であったのだろう、鎧武者の無事な右拳がごつんとカイの左側頭部を殴打した。その威力に頭を首ごと持っていかれて、一瞬意識が飛びかかる。カイがよろける間に、鎧武者が逃げるように大きく後退する。
まだだ。逃がさない。
踏み止まって『獲物』の位置を確認したカイは、もはや捨て身の精神で地を蹴った。『加護持ち』同士の超常の戦いで、数歩程度の距離などないにも等しい。
どんっ、と空気の層を突き破るように接近してきたカイを、鎧武者は前蹴りで突きのけようとして、その脚の側面がまるで皮を剥ぐようにすっぱりと斬り飛ばされる。
カイの用意した『剣』が不可視ゆえに、鎧武者の脚が自分のほうから刃に触れたのだ。カイはまたしても『剣』が消えてしまったことに歯噛みしつつも、再び霊力を振り絞って4度目の『剣』を練り上げる。
バレン杉をカットしたときよりもよほど力を無駄遣いしている自覚はある。もう霊力に余裕はなくなっていた。

「…ナゼ切レル!」

鎧武者が吠えた。
その世の理不尽に怒りを叩きつけるような怒声を耳にしても、カイにはいま起こりつつある『異常事態』に対しての気付きはなかった。
鎧武者を護っている土地神の加護……それが魔法に対する耐性として顕れるというのなら、もうそろそろその『耐性』とやらが発動してもよい頃だった。
しかし何も起こらない。
いや、何かは起こっていたのかもしれない。
それがただ、的外れな加護として発動していたというだけならば。
『加護持ち』の体組織を変質させることで得られるのが土地神の護りであるというのなら、そもそも分子同士の結合を切り離していく『剣』には抗いようもなかった。
脚の片側の肉を大きく失った鎧武者は、踏ん張ろうとして体勢を崩してしまった。踏ん張るために必要な筋肉を失ってしまっていたのだ。
カイはもはや余計なことなど何ひとつ考えず、ただ『剣』と一体となってしゃにむに鎧武者の懐へとぶつかっていった。
狙うはただその『神石』のみ。『加護持ち』の急所のひとつたる胸の『神石』だった。
生き物の身体の中にできる『神石』は、大体が胸の辺りに隠されているものだが、必ずしもそうであると限ったものではない……手探りせねばならぬ程度にはその位置がばらけて存在するものだということぐらいは分かっている。カイにとってもそれは賭けであった。胸を一突きして、もしも『神石』を仕留められないときは、すぐそばの心臓をえぐる。
心臓を破壊しても、『加護持ち』であるならばもしかしたら致命傷にならないという可能性もあったが、そのときはもう仕方がないだろう。
鎧武者の無骨な(かぶと)が後ろにずれて、転がり落ちた。
傷だらけの赤黒い豚人(オーグ)戦士の顔が、星明かりの下にさらけ出された。

「*****ッ」
「**、***!」
「***、****…」

そのとき周囲からひきつれたような豚人(オーグ)兵らの悲鳴が上がった。
おそらくは氏族の誇る大戦士の、負けるはずのない戦いを遠巻きにして見守っていたのだろう。『加護持ち』同士の戦いの場には下っ端の兵士は絶対に近寄らない。ラグ村でもそうだが、戦いの邪魔になるようなことをしでかすと、あとで勘気に触れてろくなことがないのだ。
カイの手が、『剣』のこじ開けた体皮の穴から鎧武者の肉の中にずぶりと沈んでいく。力の抜けた鎧武者が自分のほうへと倒れこんできたために、どんどんと手がめり込んでいく。
そうして力尽きて『見えざる剣』が消えうせて、素手でしかなくなったカイの手が、ごつごつとした塊に触れていた。やや呆然としていたカイはその瞬間に我に返り、肩で鎧武者の身体を押し返しつつ、鷲掴みにしたその塊を体内から引き抜いていた。
鎧武者の『神石』だった。



周囲に集まっていた豚人(オーグ)族らに、そのまま囲まれると思っていたのだが、士族の大戦士である鎧武者が打ち倒されたと判明した瞬間に彼らは算を乱したように逃げ散り出した。
よほどこの鎧武者は仲間内に武威を誇っていたのだろう、そんな存在に勝ってしまったカイに、挑みかかろうなどという発想は浮かばなかったらしい。
ひとり取り残されたカイは、足元で物言わぬ亡骸となった鎧武者を一瞥し、その呼吸が完全に止まっていることを確認したあとでようやくほっと息をついたのだった。
何とか谷を守った。
ただその想いだけが、胸にあった。
そうして手に握っていた鎧武者の『神石』を持ち上げて、その川に洗われた歪な岩のような形をした骨の塊を検分する。
子供の頭ぐらいはありそうな大きさで、それがためにカイの『剣』も命中したのだろう。骨の一部に、『剣』が刻んでしまった跡があった。
すでにその部分には穴が開いていて、髄が見えてしまっている。土地神が宿っているうちに食ってしまったほうがいろいろとご利益があるのは知っているので、急いで食べることにする。
切れ目に両手を差し込み、割くようにふたつにする。汁がこぼれ出てしまったので、慌ててそれを口にたらしこむようにして飲み下した。臓腑に染み渡っていくような旨味が口いっぱいに広がった。
豊潤な汁ッ気がなくなったら、今度は髄をかじり始める。恐ろしく食いでのある『神石』だった。外側の琥珀色の半透明な部分よりも、芯の辺りにある赤味の増した部分のほうがうまい。かじり取り、咀嚼する。そうして喉に流し込むあたりで、あの感覚がやってきた。

(オレの力になれよ)

何かがカイのなかから逃げ出そうともがいている。
その感覚がなくならないうちに、残りの髄もどんどんと胃に納めていく。そうして神通力を濾し取られた鎧武者の土地神が、カイの中から霞のように薄くなって去っていった。
そのとたん、カイのなかの『神石』が高熱を発し始める。カイのなかの土地神……谷の神の存在が上書きされていく感覚。二度目であるので自失することはないものの、やはり立ってはいられなくなるほどの脱力感が、発熱とともにやってくる。
まあいまは豚人(オーグ)たちも逃げていってしまっているし、身に迫るような危険はないかと算段はしている。
なんとなく物影を探して、初日に宿営としたような鬱蒼とした草むらの中に倒れこむ。その根方に背中向きに丸くなる。万一の時にそのほうが急所を隠せると思ったのだ。
吐く息が熱い。
草の匂いにつつまれながら、カイは意識を手放した。


***


物音が途絶えた。
静寂が森に満ちると、いままで息を潜めていた虫たちがひそやかに鳴き出した。最前まで恐るべき戦いが繰り広げられていたことなど想像も出来ないような、静かな夜の森の景色だった。

「***…」

つぶやいた声が、森の空気に溶けていく。
ゆっくりと立ち上がり、頭に載ったままであった草の葉をつまんで捨てる。

「**、***」

伸ばした首のコリをほぐそうと頭を傾げると、頭上で引っかかった低木の枝ががさがさと音を立てた。自慢の角がこういうときは本当に邪魔になる。
ニルンは一度、かつて村のあったほうを眺めやり、ぐっと拳を握り締める。
もうあそこには誰もいない。みな殺されたのだということをニルンも理解していた。
族人はすべて殺された。
土地神の加護を完全に奪うために、豚人(オーグ)族に皆殺しにされたのだ。
ニルンたち鹿人(ウーゼル)族は古き盟約に従って友族たる灰猿(マカク)人族に助けを求め、死に物狂いで抵抗を続けたものの、ついには負けた。灰猿(マカク)人族も噂ほどには当てにならなかった。
帰依まで与えていたというのに、寄り親である灰猿(マカク)人の『加護持ち』は、あの恐ろしい豚人(オーグ)の鎧武者にはまるでかなわなかった。
ニルンはすべてを犠牲にして生かされた。村の長であった母親は、豚人(オーグ)族に土地神をとられないように、村から軍勢を引き離した後に自ら命を投げ出した。そうして娘であるニルンには、墓所にある隠し部屋に潜めと命じた。ニルンが加護を受け取り、逃げる。非力な一族が最後に成した『意趣返し』だった。
『意趣返し』を完成させるためには、ニルンは絶対に捕まるわけにはいかなかった。

(灰猿(マカク)人は、頼るべきじゃない)

盟約で友たるはずだった灰猿(マカク)人たちは、豚人(オーグ)族の軍勢を怖れてあっさりと逃げてしまった。豚人(オーグ)の鎧武者が強過ぎただけなのかもだけれども。
それに彼らは欲深い。
豚人(オーグ)族から救った後に、鹿人(ウーゼル)の角を百本寄越せと言ってきた。豚人(オーグ)との小競り合いで亡くなっていた鹿人(ウーゼル)兵の角も、前払いだとか言って死者への悼みも示さずに切り取って持っていってしまった。
きっと自分の角も、狙われるに違いない。

(…それよりも)

ニルンはもう一方の、生い茂った草むらを見る。
その中に隠れている鎧武者に打ち勝った小さい戦士を想う。
強大な豚人(オーグ)族に意趣返しするのならば、頼るのはこっちだろう、と。
墓所から逃げ出すのに利用した、墓荒らしの人族の一人であるらしい。さぞや強い『群れ』を率いているのだろうと、ニルンは皮算用した。
草むらの中からは、静かに寝息が聞こえてくる。
彼女はしばし熟考したのち、その眠りを妨げぬよう、その場に静かに坐ったのだった。
感想ありがとうございます。
気持ちが高ぶると筆が早くなります。
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