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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
谷の神様
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32






 カイが碑文を読んでいたことを悟られないように、物を探す振りをしながら坊さんのほうへと合流すると、なぜだか坊さんは以前と変わりなく正面の碑文とにらめっこを続けていた。


 (…あれ)


 怪訝に思いつつも、カイはそれ以上その違和感にとらわれることなく、坊さんのつぶやきに耳をそばだてる。


 「…この墓に眠る土地神は、ナゼルカゼェルと申されるようです。僧院には墓所の暗文を紐解く技があります。恩寵を与えられた『加護持ち』はまだ存命しているようですね……古くに(いしずえ)された神のようですが、残念ながらわたしの探している予言の神ではなさそうです」


 坊さんのつぶやきは、むろん同行の兵士たちに聞かせるためのものだったろう。おのれの探索に命を賭けさせている者たちなのだ、その収穫として何が分かったのか、機密性の薄いものならば知らせることが最低限の礼儀であったろう。

 求めるものではないと分かった後は、決断も早かった。

 坊さんを先頭にカイたちは墓所からの脱出に移った。墓所に滞在したのは四半刻(30分)ぐらいのことで、おそらく豚人(オーグ)族の軍勢が戻ってくるまでにいくらかの間があっただろう。

 帰途はもう迅速さのみを求めたので、すぐに物音で豚人(オーグ)兵らに見咎められたが、振り切ることに専念して構わず走り続ける。

 いまにして思えば鹿人(ウーゼル)族の『加護持ち』がまだ存命していたからこそ墓所の重要性が薄れ、警備のほうも手薄で放っておかれていたのだろうと思う。カイは素直に、運が良かったと思った。

 森の端の茂みに身を潜めていた仲間たちとも合流し、人族の集団は慌ただしい帰還の途に就いた。まずはともかく安全地帯とみなせる蜥蜴人(ラガート)の低湿地を目指し、わき目も振らず必死になって駆け続けた。

 蜥蜴人(ラガート)の縄張りを煙幕として足取りを消し、湿地を踏み越え川を渡り、ついには灰猿人(マカク)族の影響下にあった森にまで抜けた。

 亜人種同士の争いに敗れて勢力範囲が変化しつつあるその一帯の森は、いまこのときばかりは安全である見込みが高かった。彼らはそこでようやく足を止めて、野営の準備を始めた。もうあたりはすっかりと夜であった。


 「まだ追いついてきていないやつがいる」

 「ガンズとエレがいねえ」


 『神石』の摂取で能力の向上するこの世界では、どうしても身体能力に個人差が大きくなる。しばらく待つうちに遅れていた者たちがどんどんと集合してきたが、最後の者が合流を果たしてからしばらく待っても、二人ほど姿の見えない者があった。

 ラグの者たちは、無言で互いの顔を見てまず4つの班のリーダーたちが坊さんの目に入らぬところで集まった。

 むろん行方知れずになった者たちをいかにして探し出してくるか、その相談であった。行方知れずの二人は同じ班所属で、リーダーのカリクが毛深い両腕を擦りながら済まなそうに言った。


 「…オレらの班が探しに行く。悪いが何人か、腕利きを貸してほしい」


 坊さんは兵士たちがこそこそと話し合いをしているのを分かっているのだが、見ないふりをしてくれている。むろんこの集団で最も戦闘力の高いのは坊さんなのだが、護衛対象の客人に骨折りを願うのはむろん本末転倒である。


 「…オレがいく」


 まずカイが申し出て、他の二つの班からも一人ずつが抽出された。

 兵士の中で最も序列の高いカイが同行することになって、カリクはほっとしたように笑って、「頼む」と頭を下げた。彼の後ろで不安げに見守っていた班員たちも、頷き合って出発の準備に入る。

 班の仲間のところに戻ったカイは、マンソに後のことを任せると言い、自分の荷物をまとめて身に着けた。疲れ切って坐り込んでいる仲間たちは「おまえはまだ元気そうだな」と苦笑いしながら「がんばれ」とこぶしを合わせてきた。


 「運が良かったな。今夜は明るい」


 マンソの言葉に、カイは空を見上げた。

 雲ひとつない星空に、億万の宝石が輝いている。その光輝が濃く集まった天紋、大霊河(イスピ・リオ)が頭上にまばゆく立ちあがって見える。

 輪廻へと還る霊の通り道だといわれる星々の天河である。


 (『銀河系』の断面? …似てる?)


 不意に頭に浮かんだ『天の川(ミルキーウェイ)』というなにかの言葉があったが、それとは似て非なるものだということも同時に理解していた。

 天の霊河にある光輝はその流れに沿ってゆっくりと本当に動いている。そこに輝く宝石の一つ一つが厳密には『星』ではないことも前世記憶との食い違いのひとつだった。この世界の夜に現れる星辰(せいしん)は、ごくゆっくりと水にたゆたうようにその位相を変え続ける。

 カイはその魂を吸い寄せられるような美しい景色に見入りつつ、手を振って踵を返した。たしかに今夜ほど明るかったらなんだって見つけられそうだ。


 「行こう」


 カイたち捜索班は、再び来た道を戻り始めたのだった。




 そうして野営地をたってから一刻あまり、もうずいぶんと後戻りしてきた。

 最初かに疲れ果てている捜索隊の足取りは重い。野営地への帰りも考えると、そろそろ限界なんじゃないかとカイだけでなく全員が思っていたに違いない。

 しかし仲間の命がかかっているカリクの班がなかなか音をあげないので、捜索は終らない。

 蜥蜴人(ラガート)たちの縄張りは相も変わらず彼らの気配はなかったが、代わりにその縄張りを抜けた先の、現状豚人(オーグ)族の支配領域と思われるあたりは、かなり危険な状態となっていた。

 豚人(オーグ)たちが隊列を組んで山狩りを行っていたのだ。

 蜥蜴人(ラガート)族の領域境界の草むらに潜み、しばらく豚人(オーグ)族の山狩りとかしましい鳴き声が飛び交うさまを眺めた。

 カリクとその仲間たちが、冷や汗をかきながら生唾を飲み込んでいた。その仲間を思う目にも、絶望の色が浮かんでいた。

 カイも含め、そこにいる人族はみな、豚人(オーグ)族の山狩りが逃げたおのれたちをいぶり出そうとしているものなのだと短絡していた。留守中に墓荒らしをしようとした余所者がいたとするなら、その村人たちは怒り狂って逃げた余所者を追うだろうと、すとんと理解できてしまったのだ。


 「…この先はさすがに探せねえな」

 「でもガンズとエレが…」

 「ぐず二人の命のためにオレらが死んだら帳尻が合わねえ。こっから先はもういやだ。言い張るのならお前たちだけでいけ」

 「…おい、なんか奴らがこっち指差してねえか」


 誰かのつぶやきに、反射的にみなが腰を浮かせた。

 蜥蜴人(ラガート)の縄張りだとされている湿地に潜んでいても、一時的になら彼らがそうしているように豚人(オーグ)族も侵入する決断ぐらいはできる。

 そうして悪いことは重なるもので、そんな最悪のタイミングで森の向こうで人族のものらしき悲鳴が起こった。

 まだはぐれのふたりが生きていることを知ってしまったカリクたちと、退却に傾いていたほかの3人とで足並みが乱れてしまった。


 「あいつらがいる!」

 「待てッ」

 「無理だ!」


 声のした方へとカリクたちが駆け出していくのを、カイたちは止めようもなかった。声を出したことでこちらの所在も相手にばれてしまった。付近の豚人(オーグ)兵士が仲間を集めながらこっちに寄せてくる。

 カイは歯噛みした。

 おのれが本気を出せば寄せてくる豚人(オーグ)兵士たちを蹴散らすことなど造作もないと分かっていた。だが同時に、おのれが『加護持ち』だということを迂闊にばらす気も毛頭なかった。


 (…オレは薄情なのか)


 いまのおのれの居場所を捨てる覚悟さえあれば、こいつらを助け出すことは出来る。しかしその後はカイの居場所が村にはなくなる。同じ兵士仲間としての付き合い程度はあるものの、そこまで仲がよいわけでもない相手の無謀な行動の尻拭いに、おのれがいまの生活すべてを投げ打つ覚悟が出来るかと自らに問えば、即座に否であった。

 他の班から出されたふたりも、飛び出したカリクたちについていこうとはしなかった。


 「逃げよう」

 「あいつらはバカだ」


 ふたりが踵を返して逃げ出すのを見計らって、カイもその場を後にした。

 愚かなカリクたちに豚人(オーグ)兵士たちが群がり寄って、あっという間に肉塊に変えてしまう。短い悲鳴が上がっただけだった。

 人の命の何という軽さか。カリクたちの『神石』を奪い合う争いが起こったために、こっちへと寄せてくる豚人(オーグ)たちの数が明らかに減った。


 「待って…」

 「助けて!」


 遠くからカリクたちが死ぬ原因になった『ぐず』たちの救いを求める声が上がったが、誰も振り向きもしなかった。

 カイたち3人は、体力があるからこそ選ばれた者たちだった。全速で逃げればどうにかなるという確信を持ってわき目も振らず逃げているわけだが、そこで不測の事態が起こった。

 豚人(オーグ)族の呼び合うような甲高い叫び声が起こった刹那、突然ひゅんと風を切って飛来した何かが、カイたちの逃走経路上の木に突き立ったのだ。


 「…ッ」


 豚人(オーグ)族のよく持っている手斧だった。

 そうして足を止めてしまった3人の前に、がさりと草を掻き分けて現れたのは見上げるように大きな巨体だった。

 いつそこにいたのか。どうやって現れたのかが分からなかった。

夜空のわずかな光に鈍く光る鎧がぎいぎいときしるように音を鳴らした。


 (『加護持ち』…!)


 豚人(オーグ)の軍勢を率いていた巨漢の鎧武者だった。


燃料が足りない

11/16 設定参照ミスの訂正。神様の名前を訂正しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 感情に任せず、常に天秤を心に持つ。本当に必要なものを描写してるのはとても良い。
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