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感想ありがとうございます。
休むに休めないこの空気感はなんなのでしょうか(^^)
「神様、お帰りなさいませ」
すっかりと夜も更けた頃に、カイは谷へとやってきた。
『小屋』のなかでまどろんでいたらしいアルゥエがカイの立てたわずかな音に目を覚まして、嬉しそうに外へと出てくる。そうしてそのまま平伏しようとするのを手で無理やりに止めた。
小さな小人族の少女の身体は、とても軽い。カイの『止め方』は彼女の服の背中を掴んで持ち上げるといういささか力任せなやり方だった。
「おじぎはいい」
「…ですが」
「いい。めんどくさい」
地面に降ろされたアルゥエは戸惑ったように瞬きした後に、一度深呼吸をして、気持ちを建て直した後に「そうせよというのでしたらそうします」と会釈する程度の頭の下げ方をした。
カイのほうは『神様』という呼称のほうも訂正したかったのだが、その場合自分が名乗らねばならなくなるので、小人族と胸襟を開くような付き合いをするつもりのないいまは受け入れるしかないと割り切っていた。
頭上の谷の形に丸く切り取られた星空が、谷底にわずかな光をもたらしてくる。カイはいま、別のことに猛烈に関心を持っていかれていた。
「…こ、この小屋は」
カイの驚きを含んだ声に、アルゥエがとたんに得意満面な笑みを浮かべた。
「神様、驚かそう、思って、できるだけ、整えてみました」
カイが谷にやってきたのは数日ぶりぐらいであった。アルゥエを受け入れた日からまだ半月ほどしか経っていないのだが、ポレック老から習い覚えているらしく、彼女の人族語はかなり流暢になっている。
カイはずいぶんと様変わりしたおのれの『小屋』を見て、目をきらきらとさせた。建物というのもおこがましい、子供の秘密基地という表現がもっとも好意的ですらあった『もどき』が、立派に『小屋』に生まれ変わっていたのだ。
そうしてすぐに、ある可能性に気付いて得意げにしているアルゥエに問い質した。
「小人族の仲間を谷に降ろしたのか」
カイの様子が変わったことに気付いたアルゥエは青くなったものの、すぐにそんなことはやっていないと抗弁して、おのれの両手を広げてカイに見せた。
切り傷擦り傷だらけの痛々しい小さな手だった。
「道具だけは降ろしてもらった。いま氏族は谷の上に村を作ってる。材料も貰ったけど、人は入れてない」
見れば小屋の隅には加工途中の木切れが散在しているし、そこにいろいろな工具も置かれている。小人族の手先が器用なのは、アルゥエも同じなのだとカイも理解した。
「ならいい。アルゥエ、すごいな」
「…! は、はい!」
「この板の隙間のやつは、なんだ?」
「それは氏族でも使ってる、『黒泥』というものです。草を集めて煮詰めると、鍋の底にそれが出来ます。水を弾くので、素焼のつぼとかにも塗ります」
「階段もある」
「それは作るのに、半日かかりました」
小屋の中に入ると、床がちゃんとまっすぐに水平に調整されていることにまず驚いた。アルゥエいわく、梃子で片方を持ち上げながら、地面の傾斜に合わせて大きさの違う玉石を置いただけの簡単な調整であるらしい。カイの切り出した材木が贅沢な厚みを持っているために、真ん中がたわむこともないようである。
床の隅も壁と同じく、材木の切れ端と黒い補填材で隙間が潰されている。
天井を見るが、そちらはまだ手付かずであるようだ。
「土地神様の墓所に、屋根をもたせ掛ける、失礼です」
「………」
「神様の作った壁、丈夫なので、そのまま載せても崩れない。アルゥエには無理なので、神様にやって欲しい」
まあその程度の改造であるなら簡単なことなので、屋根用に長かった板を半分にぶった切って、アルゥエの指示通りに外側から真ん中に向って、重ねるように板を載せていく。載せる側の壁のほうも、上端の接地面がアルゥエによってすでに切りそろえられていたので、ちゃんと傾斜がついていく。
板材の上には湖水の岸辺にいくつか露出していた岩を掘り出し、割り砕いてから重石として置いていく。屋根の隙間は換気のために必要だそうで、そのまま残すことになった。
うむ、すばらしい!
まさか自分専用の棲家を持てる日がこようとは。
そして小屋のなかには、奥側に藁山の上に布をかぶせたベッドまで用意されていたから、もう今晩の予定は決まったようなものだった。
「神様、よければ、…ふ、ふつつかものですが!」
「……?」
なぜかアルゥエが止めてくれといったばかりの平伏を始めたが、いまはベッドの寝心地を確認したいばかりのカイにそれを止める気は起こらなかった。
ベッドに飛び込むと、程よく乾燥した藁のにおいが湧き立った。
これはいいものだ。
「…あの、ふつつか…」
「…すぴー」
カイはそれほど睡眠を必要としていないというのに、日中の精神的な疲れからすぐにふかふかのベッドの虜となった。少しの間わたわたとしたと思ったときには、すでに眠りに落ちていた。
その背中をアルゥエがぽかぽかと叩きまくったのだが、頑健なカイの身体はそのような『攻撃』に小揺るぎもしなかった。
カイが眠っていたのは、たぶんそれほど長い間ではなかった。
何かの気配を感じてカイは起き上がった。その一瞬でカイは眠気を振り払っている。
「くぅくぅ…」
カイの横では柔らかい藁ベットに埋もれるようにアルゥエが熟睡していた。
夜にしか帰ってこないカイの生活サイクルに合わせるために無理をしているのだろう、まったく起き出す気配はない。
(…何だ、この感じ)
カイは小屋の外に出た。
いつもなら涼しげな虫たちの鳴き声が響いているのに、いまはなぜか静まり返っている。
すぐには何か判然としなかったので、湖水の水を汲んで顔を洗い、谷にいるときのいつもの日課にしている墓所の掃除を始めようとしたカイであったが……そのうちに遠く鳥たちが騒ぐ声が聞こえた。
直感に突き動かされるように、カイは墓所をつつんでいる大木をするするとよじ登り、鳥の声のしたほうを見た。『見る』ことに集中すると、『加護持ち』の優れた視力により、暗闇の向うにあるものが明らかとなる。
小人族たちが仮の集落を作っていたほうで、争いが起こっている気配があった。はっきりとは聞こえないものの、くぐもった人声と物音が響いてくる。
と、そのときいくつかの明かりが灯った。
最初は小人族たちが松明にでも火をつけたのかと思ったのだが……カイの目はその灯りに映し出された、小人族の数倍はある巨人の姿を見た。
潰れた巨大な鼻をひくつかせながら、草を刈るように手斧を振るっているのは豚人族だった。
そのときひときわ大きな声が起こった。
「谷の神様!」
明確な人族語でもあったために、それは明瞭にカイの耳に届いてしまった。
小人族たちが、豚人族の夜襲にあっている。
いまの叫びで目を覚ましたのか、小屋からアルゥエが飛び出してきた。その驚愕に見開かれたまなざしは氏族の集落のほうを見、そしてカイのほうを見た。
彼女は何も言わない。カイが小人族に許したのは谷の端に寝起きすることだけであり、庇護のもとに置くなどとは一言も言っていないからだ。
だが見つめる目には、避けがたくすがりつくような色が現れてしまう。
その間にも、谷の向うから「谷の神様!」という彼女の族人たちからの叫びが何度も起こった。
「豚人族、おじいさまの加護、奪いにきた」
アルゥエの言葉に、カイはすべての事情を察した。
小人族の土地と神の墓所を奪った豚人族は、その恩寵を得たポレック老を殺すことで、加護まで完全に奪い取ろうとしているのだ。
そうしてカイは、豚人族の姿にラグの土地を狙い続ける灰猿人たちの姿を重ね合わせていた。
(…そうか、だからやつらも村をしつこく襲うのか)
奪った土地が目当てではない。
そこにある墓所を奪っても、肝心の恩寵が空っぽであるならば意味がない。土地神の御霊が墓所に戻されることで初めて灰猿人たちの『加護持ちを得る』という目的が果たされるのだ。
カイの生まれたエダ村も含めた二村を奪ったものの、土地神の恩寵はいまだにモロク家が掠め取っている形なのだ。灰猿人たちがラグ村に執着する理由は実ははっきりとしていた。
外の土地に出たからこそ得ることの出来た『気付き』であった。
「やつら、むかつくな」
「…神様?」
「オレの谷に勝手に入ってきた」
カイは走り出していた。