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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
谷の神様
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9/5冒頭部分の改稿






 (…麦を焚いたら、『ごはん』になるのだろうか)


 目の前には、袋の口の開いた麻袋があり、中にはもうすぐ畑に播く予定の麦種子が詰まっていた。

 カイはそれを手に掬い取って、考え込んでいた。


 (こいつだと『無理』なのか……でも『コメ』なんて知らねえし)


 『コメ』を焚くと『ごはん』になり、それに塩をつけて固めたものが『おにぎり』というものらしい。それをさらに黒い布キレのような『のり』で巻くのが最上らしいのだが、辺土のような土地でそれが見つかることはなかろうと内なる知識が囁いている。

 とてつもなくおいしいものらしい『おにぎり』を、いつか食してみたいものだと思う。辺土しか知らないカイには想像するしかないのだが、例えば物が何だってあるという国の中央にいけば『コメ』や『のり』だってあるのかもしれない。そんな遠くから嗜好品を求めるというのは、まさしく贅沢な行為だった。

 たぶん、行商の人にその品を買うから持ってきて欲しいと依頼して、何ヶ月も待ってようやく手に入るといったところだろう。むろん行商の人の手間賃もあるから、途方もない大金が要求されるはずだ。

 辺土でそんな大金を何とかできるのは、唯一領主家のような裕福な人たちであり、たくさんの村人から租税を集めるような立場に立たなければおそらくは無理だろう。ただの村人に過ぎないカイは、生まれてこの方実際に手にしたことのあるお金は『1シェケム銅貨』という小銭だけだった。

 『おにぎり』を手に入れるためには、自分も領主家のようなお金の一杯手に入るえらい立場まで駆け上がるしかない。

 しばらく考え込んでから、カイはあっさりと悩むことを放棄した。

 先祖の血筋ですでに決まってしまっているこの社会の仕組みを、何の力もない村人のひとりに過ぎないおのれがどうこうできるはずもない。唯一見込みがあるのは領主家の娘の婿に納まることぐらいだが、白姫様みたいな姫様はたいてい地村の領主家に夫人としてもらわれていくのが常なので、正直その婿になるという仮定は想像さえできなかった。


 (谷の神様の加護はもらっているんだから、オレだってえらくなったのかもしれないんだけどなー)


 「カイ、ぼさっとしてないで早く運んじまうぞ!」

 「…ああ、わるい」


 仲間に怒られて、カイは慌てて手元の麦袋の口を結わえると、持ち上げて運び始めた。

 彼の周りでは、何人もの男たちがてんやわんやで同じ麦袋や剥き身で転がっている根菜や瓜なんかを運び続けている。そこは城館の庫裡のひとつで、食べる用ではない大切な『種』を保管している部屋だった。

 本来ならば麦種子なんかはもうすぐ畑に播いてしまうやつだし、種芋なんかはわざと放っておいて芽を出させたりするのだが、今日はそいつらを一切合財運び出して、地下にある秘密の倉庫に隠す作業を行っているのだ。


 「巡察使様が来る前に、全部隠してしまうのだ!」


 その日、ラグ村は年に一度の厄介なイベントを迎えようとしているのであった。



***



 巡察使。

 それは定期的に都から辺土へとやってくる使節のことだった。

 辺土に散らばる小領の立ち入り調査を行い、現在の人族の国、『統合王国』の国力情報をまとめ上げるという役務を負った巡察使と、その補佐を勤める総勢5人ほどの官吏たちである。

 本来であるならば、ただ各小領の実情を調べて回るだけが目的の使節であるのだが、中央の支配が弱まり、地方の独立不羈(どくりつふき)が進むなかで、いまでは贅沢な饗応と多額の袖の下を強要するだけの非常に厄介な『招かざる客』に成り果ててしまっていた。


 「父上、巡察使様が到着される由、先触れの使者がまいりました」


 城館最上階にある当主の執務室にそれを報せたのは長子のオルハだった。

 こっそりと階下の様子を盗み見するための小窓から顔を上げた当主ヴェジンは、「そうか」と短く言って、続きの間に控えていた小間遣いの女たちに「用意だ!」と腹の底に響くような声で命じた。

 群がり寄ってきた女たちに着替えさせながら、ヴェジンはオルハに問うた。


 「巡察使さまはどなたであった。名は使者の口上で伝えられたのであろう?」

 「…いえ、前年とは違う名のようでした」

 「…また入れ替わりがあったか。面倒な」

 「宮廷での風向きが変わったらしいとは、バルター伯様からうかがっていました。先触れのお使者様から伝えられたのは、《五齢神紋(シンクエスタ)》にあられるガンダール土候家のご当主、セベロ様なるお方がこたびの主務様のようです」

 「《五齢神紋(シンクエスタ)》か……我が家よりも格上だな」

 「モロク家最上は父上のラグ本村神、格は《四齢神紋(クワート)》です。残念ながら我が家が格下です」

 「モロク家もかつて三村をつつがなく治めていた頃には、五齢神紋が現れた当主が何人も出た。領は本村のみとなったとはいえ、研鑽を積み武威を高めればいずれわれもその域に達しよう。…ふむ、その巡察使殿には一度手合わせを所望してみるか。家格は劣るが、度重なるいくさで鍛えられてきたラグ本村神のご加護、けっして家格だけの中央領主になど劣らぬことを証明してやろうぞ」

 「父上、バルター辺土伯様からまたお叱りを受けることがないよう。伯からはすでに釘を刺されております」

 「…ちっ」


 ヴェジンが舌打ちすると、オルハはわずかに眉根をしかめて小間遣いの女たちに指図した。父が着心地を優先して着付けをゆるくするため、着崩れないようにきつく締め直せと注文をつけたのだ。

 貴族界での序列を示す法衣に身を包むと、『鉄の牡牛』の図太い体躯がすっかりと隠されて、そこに意外なほど行儀のよさそうな大柄の紳士が現れる。

 父親が巡察使を迎えるべく部屋を出るのその背中に、オルハも付き従う。廊下に居並んで待機していた夫人やその他の子弟たちも、二人の後に当然のように続いた。

 一族総出で出迎えねばならない、そのぐらいにもてなさねばならない客人であるのだ。

 歩きながらも、父子の会話は続く。


 「ところで食料の移動(・・・・・)は終ったのか? オルハ」

 「つい先ほどひととおりは終ったようです。ぐずぐずと手間取っていたので、きつく叱っておきました」

 「そうか……くれぐれも我が家の『余裕』を嗅ぎ付けられぬようにな。ここで見つけられたら目も当てられん」

 「多少奪われても、そのときは下民の割り当てを減らせば済む話です。わざわざ隠すまでもなかったのでは…」

 「…オルハ」


 じろりと一瞥されて、オルハはわずかに顔をしかめながら口を閉ざした。

 ラグ本村神を宿した当主の力は権威の面でも、実際の暴力の面でも一族のなかで大きく抜きん出ている。

 しかしオルハはさらに反骨心を刺激されたように、眼差しを強くして言葉を継いだ。


 「…いいえ、むしろこちらからあちらに『手土産』を差し出してでも、中央にツテを得るという考え方もあるのかと。多少の損などはこの際…」

 「愚か者め、そのようなぬるい考えでいると中央の欲深どもに根こそぎにされかねんわ」

 「しかし、父上…」

 「村人はモロクの子よ。あまり粗末にはするな」

 「………」


 不服気に口を閉ざすオルハに、ヴェジンは言った。


 「人は食わねば弱る。村人たちが弱れば、ラグを守る力も弱まるだろう。…だがモロク家の跡継ぎはおまえだ。そうしたいのならば、このわしの死後にそうするがいい。…そのときはだれも止めはすまい」


 父子の会話にほかの家族は口をさしはさまない。

 ただいまひとりの『加護持ち』、ジョゼのみがその白い面を険しくさせて、兄の背中を睨んでいた。



***



 「きやがったぞ! あれがじゅんさつしとか言うやつか」


 食料の移動を終えて、カイを含む兵士たちは指示されるままに城館を出て、村の正門近くにやってきていた。そこにはすでに祭りのような人だかりができていて、おそらくは村人全員、千人近くがいまここに集められているのだろうと思われた。

 兵士らは儀仗兵よろしく道端に並ばされて、槍を構えろと言われた。都からのお役人から侮られぬよう村の戦力を誇示するのが目的だ。

 ややして迎えに出ていた一隊から、角笛による報せが響いた。村人たちが急に貼り付けたように笑顔になって、歓呼を送り始めた。

 その人だかりのなかを、ややして姿を現した4頭立ての馬車が土ぼこりを上げながら通り過ぎる。村に飛び込んできたかのようなその意外な速さにみなが驚いたようだったが、その立派なつくりの馬車が何本も矢を突き立てており、ぶつけたように損傷している箇所も見られたことで状況への理解が速やかに広がった。


 「…亜人族に襲われたみてぇだな」

 「おっ、隣村のやつらじゃんか。護衛についてきてたのか」


 馬車に遅れて騎乗の兵士が幾人か駆け込んでくる。馬など領主が狩り用に数匹保有しているくらいで、辺土ではかなり貴重なものである。おそらくは隣村でも頭立った腕利きの兵士らなのだろうが、やはり疲労困憊していたのか一騎が落馬するように崩れ落ち、村の女たちから悲鳴が上がった。


 「だれか運んでやれ! 手当てを!」


 こういうときは機転の利く者ほど人より早く動く。マンソが素早く列から飛び出して、落馬した兵士に駆け寄った。むろん流れ的に、救護はマンソを含むカイの班(・・・・)が行うことになった。

 カイは乗り手がなくなって暴れ出しそうになっている馬の手綱をとっさに握って、抑えておく役となった。言うまでもなく動物の世話などしたことのないカイは鼻息の荒い馬をなだめることも出来ず、さらに暴れさせそうになった。


 (…静かにしてろ)


 引っ張った手綱を首をよじることでもぎ取ろうとしていた馬であったが、カイが無言でその持てる怪力を発揮すると、(いわお)のように手綱が動かなくなって、とたんに馬が怯えて首をたれた。

 飼育員が見たら猛烈に腹を立てたかもしれないが、いまはそれどころの雰囲気ではなかったので、誰も見向きもしない。

 カイたちの前を通り過ぎた馬車が、城館の門前あたりでようやく停止して中の人を吐き出し始めていた。車体の金飾りが、金色に陽光をきらきらと跳ねさせている。そして3人目ぐらいに出てきた一番服が立派な人物が、城館前に待っていたご当主様自らに迎えられていた。

 あれがくだんの巡察使様なのだろうと、カイは察した。


 「…街道まで亜人どもが出てるのか」

 「急いで討伐隊を出さにゃ」


 まわりでは年かさの兵士らがざわめいていた。

 女の誰かが、また畑が荒らされるのかとつぶやいた。

 今度は何人死ぬんだと、別の誰かが吐き捨てるようにつぶやいた。

 まるで村に『死』を連れてきたのがあの馬車であるかのように、村人たちの険しい視線がその日の賓客らに向けられたのだった。


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