第24話 越えてはいけない一線~自ら誕生日パーティーを台無しにした~
しばらくして——
裏庭の宴も、ゆっくりと終わりに近づいていった。
来客たちは三々五々に屋外の会場を離れ、再び本館の中へと戻っていく。
応接ホールはすでに整え直されていた。
華やかな照明の下、形の異なるボックス席がいくつも配置され、
それぞれが、計算された距離と視線の角度で配置されている。
人々は入場したものの、すぐには座らなかった。
まるで、何かの合図を待っているかのように。
まるで示し合わせたかのように——
視線は、一人へと集まっていく。
陸念安。
彼女が夏玖微を伴って席に着いたのを見て、
ようやく他の来客たちも次々と着席していった。
案の定。
彼女はすぐに、いくつかの見慣れない顔を捉えた。
配置はばらけているが、どこかで連動している。
一種の構造を形作っているように見える。
彼女には分かる。
それは仁川グループが国内に置いている主要な窓口の人間たちだ。
かつて資料分析の中で見たことがある。
——本来、この場にいるはずのない連中だ。
彼女はわずかに眉を寄せた。
胸の奥に、じわりと苛立ちが広がる。
そのとき——
一つの手が、そっと彼女の手の甲を叩いた。
軽いリズム。
それだけで、彼女の思考はふっと途切れた。
来客がほぼ全員着席したところで、
ステージに柔らかな光が灯る。
彼女の父親が前へと歩み出た。
「本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。」
落ち着いた声。
過不足のない礼節を備えている。
「ケーキセレモニーの前に、長話は控えましょう。」
軽く微笑み、言葉を続ける。
「では——今夜の恒例行事から始めましょう。」
その一言とともに——
扉が再び開かれた。
数名のスタッフが、巨大なケーキを押して入場する。
その高さは、成人男性に匹敵するほど。
純白のクリームが幾層にも重なり、
照明を受けて、華やかで、どこか現実離れした美しさを放っていた。
夏玖微の目がぱっと輝く。
「わあ……」
思わず小さく感嘆の声が漏れる。
陸念安は横目で彼女を見る。
わずかに開いた口、隠しきれない驚き。
その表情に、一瞬だけ視線を留め——
口元がほんのわずかに緩んだ。
「ルールは例年通りです。」
傍らに立つ執事が読み上げる。
「各テーブル番号の中から、十卓を抽選で選出します。」
「各テーブルから一名、代表者を出し、ケーキカットに参加していただきます。」
「衣装を汚さないための防護服はすでに用意してありますので、ご安心ください。」
抽選箱が運ばれてくる。
番号ボールが一つずつ取り出される。
「23番、13番、2番、35番、29番……」
夏玖微はテーブルの番号に目を落とす。
「9番。」
一瞬、彼女は固まった。
そして次の瞬間——
隣にいた人物へ、そのまま飛びついた。
「当たった!!」
陸念安はそのまま抱きつかれる形になり、
わずかに身体を止める。
だが、押しのけることはしなかった。
ただ少し呆れたように彼女を見るだけ。
その光景は、周囲の視線を集めた。
投資界で名の知れた陸念安が——
見知らぬ少女に抱きつかれている。
夏玖微はワンテンポ遅れて、自分の行動に気づく。
動きが固まり、そっと手を離す。
ちらりと陸念安を盗み見る。
相手の表情は変わらない。
咎める様子もない。
それどころか——
特に気にしていないようにすら見える。
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
そして、ほんの少しだけ——言葉にできない喜びも。
空気が一瞬だけ、奇妙に止まる。
だが——
まるで何かが“見過ごされた”かのように。
周囲の人々はふと首を傾げ、
視線を逸らしていく。
「……今、何を見てたっけ?」
誰も気にしない。
何も起きなかったかのように。
やがて夏玖微は、防護服へと着替えさせられ、
9番テーブルの代表としてステージへ上がった。
いわゆる「ケーキカット」。
だが実際には——
それは一種のゲームだった。
十人の参加者が巨大なケーキを囲む。
手には細長い柔らかいプラスチックナイフ。
足元には、それぞれの空の皿。
ルールは単純。
手は使えない。
皿で直接すくうのも禁止。
頼れるのは、その扱いづらい柔らかいナイフだけ。
それでクリームを皿へ運ばなければならない。
簡単そうに見えて——
実際は非常に難しい。
開始の合図とともに、
多くの参加者は様子を探るように動き出す。
だが夏玖微は違った。
一切の迷いなく——
ケーキの頂点へと刃を入れる。
動きは鋭く、無駄がない。
ナイフを軽く引き上げると、
クリームを一瞬でまとめ上げ、形を整える。
そして次の瞬間——
放つ。
「ぱしっ。」
大きなクリームの塊が、
正確に彼女の皿へと落ちた。
会場が一瞬、静まり返る。
遅れて、周囲も一斉に動き出す。
だが——遅い。
動きに迷いがある。
角度が甘い。
力加減も安定しない。
クリームは床に落ち、
あるいは空中で崩れ散る。
場は一気に混乱へと変わった。
時間が過ぎていく。
ケーキはどんどん削られていく。
そしてある瞬間——
もう“誰のものでもないクリーム”は残っていなかった。
全員の視線が、同時に一箇所へ向く。
夏玖微。
そして彼女の前に置かれた——
圧倒的な量を誇る、その一皿へと。
一人の中年男性が、真っ先に動いた。
ナイフを振りかざし、突っ込んでくる。
刃先がクリームに触れようとした、その瞬間——
「カチッ。」
音は小さい。
だが、はっきりと響いた。
彼のプラスチックナイフは——
中央から、きれいに折れていた。
夏玖微はその場に立ったまま。
手にしたナイフは、先ほど振り下ろした姿勢のまま止まっている。
表情は自然そのもの。
参加者は呆然とし、
観客席からは小さなどよめきが漏れた。
それ以降——
誰一人として、彼女の皿に近づこうとしなかった。
勝負は終了。
結果は言うまでもない。
夏玖微の勝利だった。
彼女には、銀製の小さな指輪が贈られた。
やがてケーキセレモニーが終わると、
会場の照明はわずかに落とされ、
人々のざわめきも自然と静まっていく。
陸念安の父親が、再び壇上へと上がる。
袖口を整え、ゆっくりと会場を見渡した。
「皆様。」
「本日の最後のプログラムに入る前に——」
わずかに間を置く。
期待を煽るような沈黙。
「一つ、重要なお知らせがございます。」
空気が一瞬、静まり返る。
すでに察している者も多い。
視線がわずかに揺れる。
彼は手を上げ、
客席の一角を指し示した。
「念安。」
その瞬間——
全員の視線が彼女に集まった。
陸念安は、すぐには動かない。
席に座ったまま、冷静な眼差しを保っている。
まるで、この瞬間を予期していたかのように。
次の瞬間——
彼女は立ち上がる。
落ち着いた所作で、
一歩ずつ壇上へと歩み出た。
その反対側から、
もう一人の青年も同時に上がってくる。
端正なスーツ姿。
整った容姿。
非の打ちどころのない微笑。
まさに教科書通りの「理想の相手」。
——仁川グループの長男。
任秉宥。
二人は並んで立つ。
距離は近い。
だが——言葉は交わされない。
客席では、
意味ありげな表情を浮かべる者もいれば、
小声で囁き合う者もいる。
陸父が再び口を開いた。
先ほどよりも、さらに確信に満ちた声で。
「ここに宣言する——」
「陸氏グループと仁川グループは、今後、正式に深度ある協力関係を築く。」
一拍置く。
視線が会場を巡り——
そして、自らの娘へと向けられる。
「さらに——」
「両家は、婚姻関係を結ぶ。」
その瞬間。
会場は静まり返った。
驚きではない。
——確認だった。
「それでは——」
彼は身体を半歩引き、手で示す。
「お二人から、ご挨拶を。」
言い終えても、完全には下がらない。
脇に立ったまま、視線を陸念安に向け続ける。
急かしはしない。
だが——圧がある。
これは“陽の罠”。
——受ければ、認めたことになる。
——拒めば、その場で決裂。
同時に仁川側の面子も潰すことになる。
場の空気が、極めて繊細に張り詰める。
誰も言葉を発しない。
だが、全員が見ている。
陸念安は手を伸ばし、
マイクを受け取った。
迷いはない。
顔を上げる。
観客ではない。
隣の男でもない。
——視線は、ただ一箇所へ。
壇下。
そこにいる夏玖微へ。
ほんの一瞬。
何かを確かめるように。
そして次の瞬間——
彼女は口を開いた。
「陸氏。」
あまりにも容赦のない一言。
会場がざわめく。
「一線を越えてる。」
声は静か。
抑揚すらない。
だがその言葉が落ちた瞬間——
空間そのものが、凍りついた。
彼女はそれ以上、何も言わない。
反応を待つこともなく。
マイクを管家に返す。
動作は迷いなく、簡潔。
そのまま背を向け、
壇を降りる。
歩みは変わらない。
だが、止まることもない。
まっすぐに——
夏玖微のもとへ。
その手を掴む。
そして——
全員の視線の中、
そのまま会場を後にした。
一瞬、ざわめきが広がる。
低い議論の声が波のように広がっていく。
壇上では——
仁川の御曹司の笑みに、初めてひびが入った。
陸父は何も言わない。
表情は沈んでいる。
それでもなお、表向きの平静は崩さない。
二人が去ったあと——
数秒の沈黙。
そして。
何かを支えていたものが、崩れたかのように。
客同士が顔を見合わせ、
小声で言葉を交わし始める。
席を立つ者も現れる。
空気は、もはや一つではなかった。
わずか数分のうちに——
先ほどまでの華やかな交誼ホールは、
急速に冷え切っていった。
この綿密に仕組まれた宴は——
最も重要な瞬間において。
——最も肝心な瞬間に、あっさりと崩れた。
【作者からのお願い】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「続きが気になる!」と思ってくださったら、下にある【ブックマークに追加】と、【評価の☆☆☆☆☆】をポチッと押していただけると、執筆の大きな励みになります!
皆さんの応援が、物語を動かす力になります。よろしくお願いします!




