第49話:ゲーム・オブ・スローンズ
今回の話、どこからインスピレーションを得たのかはもう一目瞭然ですよねwwww
アルタクレスタの瓦礫の広野。その外縁部に、いくつかの軍用天幕が整然と築かれていた。
急ごしらえの長い木卓の上には、ヘッセン王国の全図、詳細な交易路、刻々と変わる軍事報告書、そして戦火の中でようやく生存が確認され始めた各地の領主たちからの書状が乱雑に広げられている。
天幕の隙間から差し込む陽光が室内を暖かな色に染めていたが、それがこの場を満たす重苦しい鉄と血の空気を和らげることは微塵もなかった。
一人の高位の重装騎士が一同の前に立ち、未明に届いたばかりの最新の伝令を厳しい声で読み上げていた。
「――ここ数日、アルタクレスタ周辺の情勢はひとまず安定を保っております。我が領境付近において、敵の不審な動きは感知されておりません。アレッシオ王子の軍勢は、未だに我が陣営との直接的な武力衝突を執拗に避けている模様です」
カサンドラ王女は、車椅子に深く腰掛けたまま、その報告にじっと耳を傾けていた。彼女の両脇には、老将アルウィンと若き騎士エリックが硬い表情で控えている。ロゼット・ベイカーは少し離れた場所で腕を組み、壁に背を預けていた。そして吉田は、天幕の隅の暗がりに身を潜めるようにして、静かに成り行きを見守っていた。
重装騎士は冷酷な事実を告げるべく、報告を続けた。
「……しかし、王国のその他の地域は、未だに激しい内戦の戦火によって焼き尽くされ続けております。数多の領主たちが二人の簒奪者のいずれかに与し、各地で小規模な衝突が日を追うごとに増え続けております」
騎士は、そこで一度言葉を区切った。
「作物が植えられた畑は焼き払われ、無抵抗な村々は略奪の憂き目に遭っております。いくつかの要所では交易路が完全に遮断され、物流が崩壊しました。……飢餓と悲惨な貧困が、すでに領民の間で急速に拡大しつつあります」
天幕の内に、耐え難い沈黙が広がった。これこそが、カサンドラが最初から最も恐れていた最悪のシナリオだった。
内戦というのは、敵の軍隊を滅ぼすだけでは終わらない。それは無辜の家族を殺し、歴史ある都市を灰にし、やがてその土地の何世代にもわたる未来そのものを根絶やしにするのだ。
「我らの置かれた状況も、決して楽観視できるものではありません」
騎士の淡々とした声が、残酷な現実を突きつける。
「こうして公に旗揚げをしたとはいえ、現在我らが実質的に支配しているのは、このアルタクレスタとその極めて狭い周辺地域のみに過ぎないのですから」
ローズは、腕を組んだままゆっくりと首を振った。それは、無視しようのない絶対的な格差だった。
こちらの手駒は、わずか百人ほどの近衛騎士のみ。対する敵の陣営は、堅牢な城塞都市を丸ごといくつも従え、膨大な数の正規軍を擁し、巨大な要塞とそれを維持するための無限の軍資金を持っている。
常識で考えれば、これは最初から勝負にすらならない、ただの自殺志願者の戦いだった。
アルウィンが両手を卓上に強く突き、一同を見回した。
「だからこそ、我々は今この瞬間に動かねばならんのだ」
すべての視線が、その老将へと集まった。アルウィンは太い指先で、地図上のいくつかの要所を力強く指し示す。
「我々が仕掛けた『噂の流布』、すなわち情報戦は、予想を遥かに超える果実をもたらしてくれた」
エリックが不敵に口元を歪めた。
「今や王国の半数が、正統なる王位継承者たるカサンドラ様の帰還を噂しております」
「あるいは、残りの半数は、アレッシオがあのアルタクレスタでどれほど無様に、そして完膚なきまでに叩き潰されたかを嘲笑っている、というわけだな」
カサンドラの可憐な顔に、微かな、しかし妖艶な笑みが浮かんだ。その情報工作は、一歩間違えれば自滅しかねない極めて危険な賭けだった。だが、賭けは勝ったのだ。噂という名の魔物は、時として本物の軍隊よりも遥かに速く、広範囲に戦場を駆け巡るものだ。
密偵たちが街道や城砦を駆け抜ける間に、人々の妄想によって物語はさらに巨大に、誇張されていった。ある地方では、王女がわずかな手勢で数万の軍勢を消し去ったと語られ、またある場所では、カサンドラを守るために天の裂け目から神の光が降り注いだ、とまで本気で信じられていた。
そして何よりも。多くの者たちは、アレッシオが自分の無様な敗北を隠蔽するために「戦場に本物の魔王が現れた」などという、子供騙しの荒唐無稽な大嘘を必死に捏造しているのだと確信していた。
「アレッシオの『魔王が出現した』などという世迷言を信じる者は、もはやどこにもいない」
エリックが冷ややかに笑う。
「奴の威信は失墜し、我々の勝利だけが真実として一人歩きしている」
その言葉に、天幕内にいた数人の重装騎士たちからも、皮肉混じりの低い失笑が漏れた。
ローズは、静かに視線を動かして隅にいる吉田を見た。吉田は気まずそうに、天幕の布地の一点を見つめて完全に現実逃避を決め込んでいる。
(……まあ、今はそれでいいわ。好都合だもの)
この真実が誰にも暴かれない限り、彼らにはまだ、この絶望的な戦いを生き残る勝機がある。
アルウィンが、地図上の別の拠点を強く叩いた。
「現在、アレッシオとマクシミリアン――二人の簒奪者の主力部隊は、遥か南方の戦線で互いの喉元を締め上げ合っている」
「ええ、把握していますわ」
カサンドラが冷徹に応じる。
「ということは、奴らの後方は、今や完全にガラ空きの脆弱な状態にあるということです」
老将は、木製のコマを一つ、力強く滑らせた。
「狙うはここ――セレスティアル・リーチ。天を衝く霊峰の補給拠点だ」
その名を聞いた瞬間、居並ぶ騎士たちの視線が鋭くなった。
「……この地域における、アレッシオ軍の最大規模 の 兵站基地だな」
エリックが頷く。
「ここを落とせば、奴らの重要拠点をいくつか完全に孤立させ、干からびさせることができます」
「ウィロウメアも、エヴァーミストも」
「周辺の小規模な砦も、すべて一網打尽にできるな」
だが、ローズは不機嫌そうに眉をひそめた。
「……ちょっと待って。あなたたち、いとも簡単に言っているけれど、そこは敵の重要な兵站基地よ? 恐ろしい数の守備兵が常駐しているはずでしょ」
「最低でも五千。それなりの規模の軍勢だな」
エリックが何でもないことのように答える。
ローズは危うく、自分の唾を喉に詰まらせそうになった。
「……五千!? それを、私たちのたった百人の近衛騎士で叩き潰そうっていうの!?」
「ああ、その通りだ」
「正気の沙汰じゃないわ! 戦術的な計算が最初から破綻しているでしょうが!」
「分かっているさ」
「なら、どうしてそんなに落ち着いていられるのよ!?」
エリックは、大真面目な顔をして平然と肩をすくめてみせた。
「――なぜなら、それが俺たちに残された、唯一の選択肢だからだ」
ローズは絶望に耐えるように、ぎゅっと両目を閉じた。狂っている。この部屋にいる連中は、一人残らず頭のネジが外れている。
「あなたたちは、自分たちでは制御不可能な不確定要素に、この陣営の全財産を賭けようとしているのよ」
「その通りだ。否定はせん」
エリックのそのあまりにも迷いのない、真っ直ぐな返答に、ローズはそれ以上言葉を返すことができなかった。
車椅子の上の王女が、ふっと慈悲深いような、しかし冷徹な笑みを湛えた。
「ローズ……私たちは最初から、この戦いが勝率ゼロの不可能な試みであることを百も承知でここにいるのです」
彼女の妖艶な紫蓮の瞳が、室内の全員を射抜くように見つめる。
「私達には、従うべき大軍などありません。軍資金も、その大部分がエレノア・アラソーンと共にどこかへ消え去り、今や底を突きかけています。拠るべき堅牢な要塞すら、この手にはない。……けれど、私たちはこうして、まだ生き残ってここに立っていますわ」
その凛とした、力強い言葉に、並み居る騎士たちの背筋が、まるで一本の鋼鉄が通ったかのように一斉に真っ直ぐ伸びた。
「だからこそ、私たちは抗うのです」
カサンドラの声が、天幕の空気を震わせる。
「たとえこの身が戦場に散る運命であったとしても、我が祖国、我がゼドリエルの栄光を取り戻す戦いの中で、誇り高く死のうではありませんか」
誰も、その言葉を遮る者はなかった。なぜなら、その狂気じみた決意こそが、この場に集った百人の怪物たちの共通の意志だったからだ。
その時――。
「……あの、そもそも、普通に戦争をしなきゃダメなんですか?」
張り詰めた沈黙を切り裂いたのは、あまりにも場違いな、しかし確信を突いた少年の声だった。
全員の首が、一斉に天幕の隅へと回る。
発言したのは、吉田だった。少年は、自分が会議の進行を妨げてしまったことにひどく恐縮し、緊張で身体を強張らせながらも、その言葉を引っ込めようとはしなかった。
「その……戦争が起きている根本的な原因を、直接取り除いちゃえばいいんじゃないか、って思ったんです」
アルウィンが、鋭い隻眼の眉を跳ね上げた。
「……続けろ」
吉田は、ごくりと喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。
「この内戦が、王位を主張する二人の簒奪者のせいで起きているというのなら……」
彼の視線が、車椅子のカサンドラへと向けられる。
「――もし、その二人を今すぐ暗殺してしまえば、どうなるんですか?」
天幕の中が、完全に氷結したかのように静まり返った。誰も、一言の吐息すら漏らさない。外を吹き抜ける風の音さえも、一瞬にして消え去ったかのような錯覚。
「その二人が、この世界から綺麗に消えてしまえば……」
吉田は淡々と、しかし極めて合理的な提案を続けた。
「王女様が、ゼドリエル家の唯一の正統なる生き残りの血統になりますよね。そうなれば、各地の領主たちは、古い血の誓約に縛られて、彼女を唯一の女王として認め、忠誠を誓わざるを得なくなるんじゃないですか?」
その言葉を聞いた瞬間、重装騎士たちの目が見開かれた。エリックが呆然とパチリと瞬きをし、ローズもまた、衝撃に息を呑んだ。
最初に反応したのは、老将アルウィンだった。その白い髭の奥から、不敵で、地響きのような低い笑い声が漏れ出す。
「……ほう」
老将は、愉快極まりないと言わんばかりに呟いた。
「おいおい……とんでもないな。それはまさに、本物の軍師が思い描く極悪な思考だぞ、少年」
ローズは、もう一度卓上の地図に視線を落とした。考えれば考えるほど……その狂気的な提案には、恐ろしいほどの説得力と合理性があった。
「……もし本当に、アレッシオとマクシミリアンの二人を同時に排除できれば」
ローズが、その可能性を確かめるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「この泥沼の戦争は、一瞬にして強制終了させられるかもしれないわね」
エリックが頷く。
「理屈の上では、十分にあり得る話だ。……だが、それでも我々は、同時に圧倒的な武力を世間に示さねばならん」
「……どうしてですか?」
吉田が不思議そうに首をかしげる。
エリックは冷酷に地図の一点を指差した。
「なぜなら、あの欲深い貴族どもは、ただ血統が正しいというだけの弱い存在には決して平伏さないからだ。たとえアレッシオとマクシミリアンが死んだとしても、こちらに力がなければ、今度はあの貪欲な領主どもが王国の領土を自分たちで山分けしようと企み、新たなる群雄割拠の戦乱を始めるだけだ。そして、力の無い王女殿下など完全に無視される」
カサンドラの表情が、すっと厳粛なものへと切り替わった。その通りだ。血統の正当性だけでは足りない。彼らには、誰の目にも明らかな「大勝利」が必要だった。この王冠には、未だに不遜な反逆者どもを噛み殺すだけの鋭い牙と力が残されているのだと、全世界に知らしめなければならない。
王女は、数秒の間、完全に沈黙した。思考し、分析し、その天才的な脳内で、目に見えない無数の手駒をチェス盤の上で正確に滑らせていく。
やがて彼女は、冷徹な支配者の瞳で顔を上げた。
「――決まりましたわ」
一同が息を呑んで彼女を見つめる。カサンドラは深く、静かに息を吸い込んだ。
「これより、二つの暗殺部隊を編成します」
エリックの脳裏に、強烈な嫌な予感が過った。
「王女殿下、まさか……」
「エリック」
王女の鋭い眼光が、彼を冷酷に射抜く。
「お前は、ローズと共に征きなさい。お前たちの標的は、アレッシオよ」
エリックの目が驚愕に見開かれ、ローズもまた、同じように身体を強張らせた。
カサンドラは、休むことなく次の命を下す。
「アルウィン」
「はっ、御前に」
「お前は、吉田と共に征きなさい。お前たちの標的は、マクシミリアンよ」
天幕の空気が、再び完全に停止した。
王女は、地図上の最大規模の敵陣――セレスティアル・リーチをその瞳で見据えた。
「――そして、その間に……」
彼女の紫蓮の瞳に、逃れられぬ死を宣告するような絶対的な覇気が宿る。
「私は残された近衛騎士団を率いて、本隊として進軍します。私たちが、あの五千の守備兵が籠るセレスティアル・リーチを、正面から陥落させますわ」
エリックは危うく、椅子から飛び上がりそうになった。
「狂っていらっしゃる! それこそ自殺行為だ!」
王女はただ、優雅に微笑んだ。
「ええ、おそらくはね」
「殿下! 我々の手元には、もうわずか百人の兵しか残らないのですよ!?」
「――ただの百人ではない。我が王国の最高峰、百人の『近衛騎士』だ」
アルウィンが、エリックの言葉を冷酷に訂正した。
その意味の差は、天と地ほどに巨大だった。そこにいる男たちは、ただの徴用された雑兵ではない。王国の最高峰の精鋭であり、選りすぐりの化け物たちだ。王冠への絶対的な忠誠を誓い、一人で数十人の敵を容易く屠る一騎当千の怪物たち。
王女は、室内にいる全員の顔を、一人ずつ静かに見つめていった。そこに一切の迷いはなく、躊躇いも、恐怖の破片すら存在しない。まるで、これから起こるすべての血の代償を、すでに完璧に受け入れているかのように。
「案ずることはありませんわ、みなさん」
カサンドラは、実になめらかで、美しい微笑みをその唇に刻んだ。
「――なぜなら、この私に、完璧な『策』がありますから」
その瞬間、この絶望的な軍議が始まって以来、初めて全員の胸の奥に、猛烈な高揚感と好奇心が沸き起こるのを止められなかった。
なぜなら、カサンドラ・ゼドリエルがそのような顔をして笑う時。
それは常に、敵陣営にとって、本物の化け物が現れるよりも遥かに悍ましく、致命的な破滅が幕を開ける合図であることを、彼らは誰よりもよく知っていたからだ。




