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第43話:アレッシオ一世・ゼドリエル “若き者”

 夜明けは、山々から静かに降りてくる冷たい霧と共に訪れた。


  隠れキャンプは、すでに完全にその平穏を失っていた。

  早朝から、甲冑や剣が擦れ合う金属音が森の中に響き渡り、騎士たちが着々と準備を進めている。


  王女の陣営に属する百人の男たちが、屋敷の前に列をなして整列した。

  朝の光を浴びて、磨き上げられた鋼鉄が鋭くきらめいている。


  最前線には、巨大な灰色の馬に跨ったアルウィンがいた。

  その佇まいは、近衛兵を率いる最高指揮官としての圧倒的な威厳に満ちている。

  老人は深い真剣さを湛えた眼光で兵士の一人一人を見つめ、その暗いマントが風に激しく揺れていた。


  吉田は王女の傍らに立ち、その軍勢をじっと眺めていた。

  甲冑こそ身に着けていないが、その背中には黒い剣を背負っている。

  このような戦の空気に慣れていない彼は、それでも必死に背筋を伸ばし、毅然と立とうとしていた。


  彼の隣には、ローズとシェイリーが控えている。

  ローズは再び、自身の身体のラインに美しくフィットした銀色の甲冑を身に纏っていた。

  肩にかかる黒髪を揺らしながら、目立たないようにと選んだ、ごく普通の長剣の具合を確かめている。


  シェイリーは、俊敏に動けるようにと軽量の革甲冑を着用していた。

  背中には相棒である弓を背負い、その尖ったエルフの耳をピクピクと動かしながら、周囲の気配を油断なく警戒している。


  さらにその前方には、カサンドラ王女の姿があった。

  彼女の車椅子は、乗馬用に特別に改造された特製の鞍へと替えられている。

  馬が静かに佇む中、二人の高位騎士が護衛として片時も離れず彼女の脇を固めていた。


  アルウィンはわずかに首を巡らせ、王女へと視線を向けた。


「姫殿下……これより、開けた平原へと進軍いたします」


  カサンドラは視線を上げた。


「……アルタクレスタへ?」


「はっ。もしアレッシオが我らを狙っているならば、屋敷に籠城して包囲されるのを待つより、こちらから地形を選んで迎え撃つ方が遥かに有利にございます」


  王女は数秒の間沈黙を保ち、静かに頷いた。


  その時、森の奥からエリックが数人の兵士を引き連れて姿を現した。

  彼らは両手を縛られ、顔中が泥と生傷にまみれた五人の男たちを引きずっている。


「木々の間に潜んでいたところを捕らえました」


  エリックは忌々しそうに報告した。


「アレッシオの精鋭たる弓兵どもです。昨夜、警戒を怠るなと言ったローズの読みは正しかった。この間抜けども、我が軍の要であるロゼット・ベイカーの首を狙うよう命じられていたと白状しました」


  その言葉を聞いた数人の騎士たちが、怒りのあまり武器を抜いて叩き斬ろうと身構えた。


「待ちなさい。殺してはなりません」


  カサンドラ王女が鋭く制した。

  捕虜たちは驚愕に目を見開いて顔を上げた。王女の配下の騎士たちでさえも当惑の表情を浮かべて互いを見合わせたが、彼女の命に背く者は誰もいなかった。


「すべてが決着するまで、彼らを幽閉しておきなさい」


  彼女は冷然とそう締めくくった。


 ◆


  それから間もなくして、軍勢は進軍を開始した。

  騎士の隊列は、まるで森を縫うように進む鋼鉄の蛇のごとく、ゆっくりと山を下っていく。

  霧が徐々に晴れていく中、馬の蹄の音と甲冑の擦れ合う音が静かに響き渡っていた。


  シェイリーは遥か前方を進み、人間には不可能なほどの超人的な敏捷さで木々の枝から枝へと跳躍していた。

  いつでも弓を放てるよう構えながら、周囲の警戒を一身に担っている。


  ローズは王女の騎馬の近くを歩き、吉田はそのすぐ隣に従っていた。

  少年は思わず、隣を歩く彼女の姿に目を奪われていた。

  その凜々しい甲冑に身を包んだローズは、普段同じ部屋を共有しているときの彼女とは、まるで別人のように見えたからだ。


  ローズはその視線に気づいた。


「……どうかした?」


  日本語でそう問いかける。

  吉田は慌てて視線を逸らした。


「いや……なんか、雰囲気が違うなって」


  ローズは片方の眉を上げた。


「それは、良い意味で? それとも悪い意味?」


「すごく……強そうに見える」


  ローズはふっと小さく吹き出した。


「あなたは相変わらず、この場所にまったく馴染めていない異邦人にしか見えないわね」


  吉田は不満そうに顔を歪めた。


「俺、戦ったことなんて一度もないし……」


「なら、さっさと慣れることね。自分から『王女の忠実な騎士』になりたいって言ったのは誰だったかしら?」


  ローズは彼を小馬鹿にするように横目で睨みつけた。


「バカなことを言ったツケよ。大人しく覚悟を決めなさい」


  彼女の辛辣な言葉に吉田は黙り込み、緊張のあまり生唾を飲み込むしかなかった。


 ◆


  最前線では、最高指揮官であるアルウィンが愛馬の上で優雅に手綱を握り、騎士たちは完璧な隊列を維持したまま行進を続けている。

  王女は流れる森の景色を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「あの山の中に三ヶ月も潜み続けていたのだ……。遅かれ早かれ、表に出る時は来ていたのでしょう」


  やがて軍勢は完全に平地へと降り立ち、しばらく進むと、目の前にアルタクレスタの無残な廃墟が姿を現した。


  全員の間に、墓場のような沈寂が降りた。


  家々は無残に破壊され、いまだいくつかの焼け跡からは黒い煙が細く立ち上っている。

  大気の中には、生々しい血の匂いと焦げた灰の臭いが不気味に漂っていた。


  吉田は胃の奥が不快にねじ切れるような感覚を覚えた。

  あまりの光景に顔を青ざめさせる。そこはもう人間の住む街ではなく、まるで巨大な墓標の群れのようだった。


  瓦礫の隙間から、生存者たちがゆっくりと姿を現し始めた。

  老人、傷を負った女性、泥にまみれた痛々しい子供たち――生き残った、ほんの僅かな民の姿だった。


  愛馬に跨る王女の姿を認めた瞬間、彼らの多くがボロボロと涙を流し、その場に膝を突いて平伏した。


「カサンドラ姫殿下……っ!」


「王女殿下……!」


  その声に宿る絶望と悲痛は、あまりにも生々しかった。

  一人の男が、乾いた返り血に汚れた衣服を揺らしながら、ふらふらと前へ歩み出た。


「アレッシオの兵どもが……」


  男は憎悪を滾らせて低く呟いた。


「あまりにも残虐でした……。街を徹底的に破壊し、民を一人残らず虐殺したのです……っ」


  辺りの空気はひどく重苦しく沈み込み、吉田は耐えかねて視線を落とした。


  だがその時、アルウィンが突如として馬を進めた。

  誰もが息を呑み、反応することすらできない一瞬の間。


  ――シュルッ!


  老人は一切の躊躇なく愛剣を抜き放つと、


  ――ドスッ!


  容赦のない鋭い突きで、その男の胸を真っ直ぐに深く貫いた。


  吉田は恐怖に目を見開き、完全に顔を蒼白に染めた。


  生き残りの住人と思われたその男は、


  ――ゴハッ!


  と大量の血を吐き出し、何が起きたのか理解できぬままその場に膝を折る。


「な……ぜ……っ」


  アルウィンが冷酷に刃を引き抜くと、男の身体は


  ――ドサッ!


  と地面に力なく倒れ伏した。

  ローズは険しく眉をひそめ、遠くからその様子を見ていたシェイリーは一瞬で老指揮官の意図を察した。

  老人は冷徹な面持ちのまま、愛剣の刃に付着した血を静かに拭い取った。


「おかしいとは思わんかったのか?」


  アルウィンの声は、氷のように冷たく響いた。


「あのアレッシオという男が、これほど五体満足な成人男性を生き残らせておくはずがなかろう」


  その警告の言葉を聞いた瞬間、騎士たちは即座に動き、周囲にいた残りの「住人たち」を完全に包囲した。

  正体を看破されたと悟った偽の住人たちは、一斉に懐から隠し持っていた短剣を抜こうとし、その場で密偵としての本性を露呈させた。


  吉田の背筋に、凄まじい戦慄が走った。

  近衛兵を束ねる最高指揮官アルウィンは、他の誰よりも早く敵の罠を見抜いていたのだ。


 ◆


  この騒動の後、今度こそ本物の生存者たちが、必死の形相でボロボロと涙を流しながらカサンドラの前へと這い寄ってきた。


「私たちは……あの恐ろしい夜、川へと飛び込んで、ほんの数人だけで辛うじて街を逃げ延びたのです……っ!」


  老いた男が声を震わせ、縋り付くように言葉を続ける。


「残りの者たちは、まだ森の奥深くに潜んで震えております……! 兵どもが去り、すべてが静まり返ったら、またこの街へ戻ってこられると信じて……どうか、どうかお助けください……っ!」


  王女はその破壊し尽くされた街を、深い悲しみを湛えた瞳で見つめた。

  混沌とした世界に毅然と立ち向かうように、彼らに向けてわずかに頭を下げた。


「ゼドリエル王家を代表し、皆に深く謝罪いたします」


  彼女の声は静かだったが、確固たる信念に満ちていた。


「このような大罪を犯した者たちは、王位を脅かす不当な簒奪者です。私が必ず、奴らに正当な裁きを下すと約束しましょう」


  シェイリーは群れから少し離れ、完全に焼け落ちた酒場の残骸を静かに見つめていた。


「あのクソ親父……」


  彼女の声はかすかに震えていた。普段の快活さは消え失せ、初めて見せる痛切な悲しみがそこにあった。


「私が店で酔っ払うたびに、いっつも怒鳴りながら叩き出してたくせにさ……」


  破壊された広場を騎士たちが制圧していく中、時間はひどく緩慢に流れていった。


  ――突如として、遥か彼方から軍用喇叭の轟音が地を這うように響き渡った。


  全員が一斉に顔を上げた。

  シェイリーは素早く崩壊した建物の最上部へと駆け上がり、地平線の向こうを凝視した。その瞬間、彼女の瞳が驚愕にカッと見開かれる。


「……来たよ」


  廃墟の街に、突如として猛烈な突風が吹き荒れた。

  遥か地平線の向こうから、巨大な砂煙が生き物のように地を這って進撃してくる。


  それは、数千に及ぶ圧倒的な大軍勢だった。

  押し寄せる巨大な軍隊の列の中に、不気味な黒と黄金の軍旗が幾流も翻り、まるで狂い咲く蜂の群れのようにこちらへと迫ってくる。

  長槍兵、弓兵、そして堅牢な重装騎兵――それは大地を埋め尽くす、鋼鉄の濁流だった。


  鉄の嵐が進軍するその最前線。一頭の騎馬の上で、若き金髪の王子が冷酷な笑みを浮かべていた。


  アレッシオ・ゼドリエル。王位を狙う、若き怪物の進撃だった。

体調不良のため、しばらくの間更新をお休みさせていただきます。



(^~^)

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