表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王に恋をして、世界に裁かれた  作者: ケン・アラタカ
第一章:東京の女騎士
11/11

第10話:魔王の都の祭典


【ローズ視点】



 屋上から校舎の中へ戻る頃には、すでに一つの決断をしていた。  


やがて——  

キーンコーンカーンコーン……


 鐘の音が鳴り、授業の終わりを告げる。


 次の瞬間、教室は一気にざわめきに包まれた。椅子を引く音、笑い声、今夜の祭りの話。誰もが誰かと予定を立てている。


——私たちを除いて。


 私は何も言わず立ち上がり、吉田の机の横へ回り込む。彼は相変わらず椅子に座ったまま、静かに待っていた。周囲を見ないようにしているのが分かる。


「行く」


 短くそう言う。


 彼は小さく頷いた。


 車輪の取っ手を握り、そのまま教室を出る。廊下は人で溢れていたが、不思議と道は自然に開けた。視線やひそひそ声が向けられるが——気にしない。


 吉田も同じだった。


 外へ出ると、夕方の空気が肌に触れる。空はゆっくりと橙色へと染まり始めていた。


 リュウジン先生の鉄の塊(ゴーレム)が、入口の前で待っている。


 だが、私はすぐには進まなかった。


 理由は分からない。ただ——少し、迷った。


「吉田」


 彼がわずかに顔を向ける。


「七夕……行く?」


 その言葉に、彼の目が大きく見開かれた。だがすぐに視線を逸らす。


「俺は……行かねえよ」


 短い沈黙のあと、そう答えた。


「一緒に行くやつ、いねえし」


 何でもないことのように言った。だが、その声はどこか——作られているように聞こえた。


 私は、無意識に取っ手を握る手に力を込める。


「じゃあ」


 一拍置いて、言う。


「私と、行く」


 その瞬間——  シーン……


 周囲の音が、消えたように感じた。


 吉田は何度も瞬きをする。理解が追いついていない顔だった。


「……え?」


 頬が、ゆっくりと赤く染まっていく。


「お、俺と……?」


 私は頷く。


「こういうの、よく分からない。……一緒に行く、って聞いた」


 彼は視線を落としたまま、しばらく黙っていた。


「……悪い」


 ぽつりと、呟く。


「でも……行く。……一緒に」


 その言葉は小さかったが、確かだった。


 私は何も言わない。ただ、それで十分だった。


 吉田は歯をわずかに食いしばる。


「……ありがと」


 顔を上げないまま、そう言った。


 それ以上の言葉はなかった。


——必要もなかった。


 その夜。


 この静かで美しい街で——私は初めて、それを知った。


 七夕。


 祭りは、光で溢れていた。


 赤い提灯が屋台の上に並び、甘い香りと香ばしい匂いが混ざり合って空気を満たしている。子供たちが走り回り、恋人たちが笑い、遠くからは音楽が流れていた。


 すべてが——騒がしくて、生きていて、そして不思議なほど温かい。


 この日のために、キヨミさんが私にこの国の衣装を着せてくれた。軽くて柔らかな布は見慣れないものだったが、その感触はどこか、私の世界の遠い国の装束を思い出させた。


 視線を感じる。


 だが、それは戦場で向けられる恐れとは違う。


 驚き。興味。どこか敬うような目.


 何を言っているのかは、まだよく分からない。


 一方で吉田は、兄に着せてもらった衣装に身を包んでいた. 普段は病弱に見える彼の姿も、今は少し違う.


——初めて見た.


 心からの、笑顔.


 私は人混みの中、慎重に車椅子を押す. 最初は緊張していた彼も、次第に表情を緩めていった.


 屋台を一つひとつ見ていく.


 そのすべてを、記憶に刻むように.


「……きれいだな」


 吉田が小さく呟く.


 私は頷いた.


 なぜ人々が、こんな単純なものを楽しむのかは分からない.


 だが——彼の表情を見て、少しだけ理解した気がした.


 祭りそのものではない.


 ここにいることが、意味を持っているのだと.


 やがて、人々が空を見上げ始める.


 私もそれに倣う.


 その瞬間——


 ドンッ!


 夜空に光が弾けた.


 赤、金、青.


 色とりどりの光が広がり、やがて消えていく. まるで最初から存在しなかったかのように.


 歓声が上がる.


 だが、私の周りだけ——なぜか静かだった.


 遠くの喧騒と、前にいる吉田の穏やかな呼吸だけが、確かに存在している.


 言葉はない.


 それでも、不思議と居心地は悪くなかった.


 私は彼を見る.


 夜風が髪を揺らし、その合間から見える横顔は、どこか安らいでいた. 光を追うその目は、初めて何かを見る子供のようだった.


 どれだけぶりなのだろう.


 こんなふうに外に出るのは.


治療の神殿(びょういん)でもなく、


 哀れみの視線もない場所で——.


 再び光が弾ける.


 その輝きが、彼の瞳に映る.


 やがて、彼はゆっくりとこちらを向いた.


「……ありがと」


 その声は小さく、音に紛れそうだった.


 私はすぐには答えなかった.


 なぜ感謝されているのか、分からなかったからだ.


 私はただ、ここにいるだけだ.


 それなのに——


 胸の奥が、奇妙に重くなる.


 重いのに、どこか温かい.


 視線を空へと逃がす.


 私の世界では、夜は常に戦と共にあった. 火は破壊であり、喪失の象徴だった.


 だがここでは——


 人々はそれを見て、笑う.


 本当に、奇妙な世界だ.


「……ローズ」


 しばらくして、吉田が呼ぶ.


「……うん?」


 彼はすぐには続けなかった.


「来てくれて……よかった」


 その言葉に、私は返す言葉を持たなかった.


 だから——ただ、頷いた.


 彼には見えていなくても.


 よく考えれば、私はあまり話していない.


 話したくないわけではない. ——どうすればいいのか、分からないだけだ.


 最後の光が、ゆっくりと夜空へ昇る.


 そして——  ドォン……


 白い閃光が、一瞬すべてを照らした.


 やがて、闇が戻る.


 祭りは終わりへと向かい、人々は少しずつ帰っていく. 笑い声は遠ざかり、屋台は閉じられ、賑わいは静かな余韻へと変わっていった.


 私は再び車椅子を押す.


「……帰る」


「……ああ」


 出口へ向かう途中で、ふと気づいた.


 この世界に来てから初めて——


 魔王のことを、考えていなかった.


 戦のことも、使命のことも.


 ただ、歩いている.


 静かに.


 それが——少し、怖かった.


 なぜなら、自分の一部がここに慣れ始めていると気づいたからだ.


 あまりにも、心地よく.


 私は最後にもう一度、夜空を見上げる.


 忘れてはいけない.


 自分がここにいる理由を.


——だが、この夜だけは.


 考えるのを、やめた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ