準備をするのにもほどがある その2
いつも饒舌な征明が黙々と前に進んでいく。
言葉を発しない、その理由を尋ねるタイミングを信利は計る。
長根駅に隣接したコインパーキングには、確かに見覚えのある彼の黒い車が停まっていた。
ポケットから鍵を取り出しドアロックを外すと、征明は後ろを歩いていた希美へと笑いかける。
「荷物は後ろに乗せるから。希美ちゃんは、先に座って待っててくれる?」
征明の言葉に、希美は嬉しそうに頷くと後部座席へと乗り込んでいった。
今ならば、大丈夫だろう。
信利は征明へと声を掛けた。
「おい、征明。一体どうし……」
「……兄ちゃん、彼女の荷物をトランクに入れるのを手伝ってほしいんだ」
はつらつさのない、ひどく疲れ切った征明の声が、自分の声とかぶさる。
昨日は気づかなかったが、具合が悪いのだろうか。
「征明、体調がすぐれないのであれば、私が運転して家まで送ろう。だから今日は」
「違うよ。違うんだよ、兄ちゃん。いや、実際に知ってもらった方が早い」
トランクに近づき、征明は自分へと手招きをする。
「とにかく黙って、このリュックを積んでほしいんだ」
言われるままに、彼が背負っている希美のリュックへと手を掛ける。
「ぐっ、これは一体?」
「うん。このリュック、すごく重いんだ」
「ちょっと待ってくれ。彼女は確か……」
信利は、駅での希美の様子を思い返す。
「すごく軽快な足取りで、近づいてきたように見えたんだが」
「うん。しかも床に下ろした時も、まったく重そうなそぶりすらなかったよ」
動揺はあるものの、このまま彼女を待たせるのもまずい。
考えるのはあとにしよう。
そう結論を出し、二人がかりでトランクへとリュックを載せていく。
「ところで。今日は車で来ているなんて、聞いていなかったんだが」
「いや~。遅刻はしないまでも、希美ちゃんより早く来るためにはバスだと間に合わなくってさ。だから車でここまで来たんだよ」
あの一言のためだけに、ここまでするとは。
さらにはその言葉も、征明ではなく自分が言ってしまったわけだが。
「でもさ、車で来て正解だったよ。あの重い荷物を持って、移動してもらうのは大変だもんね」
「確かにな。偶然の産物とはいえ、そこは感謝する。おっと、あまり彼女を待たせてもいけないな。じゃあ運転は頼んだぞ」
◇◇◇◇◇◇
「わー、凄い景色ですね! こんな場所があるってどうして私、知らなかったんだろう」
ぐるりと周囲を見渡し、希美は子供のようにはしゃいでいる。
伊織公園は高台にある、自然豊かな場所だ。
散歩やジョギング、遊具も設置されていることもあり、周囲には様々な年齢層の人々が集まっている。
「あっ、あそこの石碑、何か書いてある! ちょっと見に行ってもいいですか?」
十mほど離れた場所を指さしたかと思うと、希美はすでに駆け出している。
なかなかの早さで走っていくその姿を見送りながら、信利は呟かずにはいられない。
「「いや、何で走れるんだよ」」
隣に立つ征明から、全く同じ言葉が聞こえた。
遠ざかっていく黒い小山を眺めながら、彼女の身体能力に驚く。
車から降りた後、再び荷物を持つと提案した征明に彼女は言ったのだ。
「先程、持っていただいたので、大丈夫ですよ! これちょっと重いですからね~」
トランクから「よいしょぉ!」と持ち上げ、颯爽と背負う姿を二人は見つめることしか出来ない。
「兄ちゃん、俺さ。『ちょっと重い』の認識を、これから変えていかなきゃいけないのかもしれない」
「奇遇だな、私もそう思っていたところだ」
その認識を変えさせた本人はと言えば、二人に向かって大きく手招きをしている。
自分達が近づくのを確認した彼女は、芝生の上でリュックを下ろし、中からレジャーシートを取り出していた。
随分と準備がいい。
感心しながら傍にたどり着くと、希美がシートから立ち上がった。
「あの、お二人は今日のお昼ご飯って、どんな予定ですか?」
征明の方を見れば、その顔には『何も考えていませんでした』と書かれている。
とはいえ、自分もそれは同じ。
この「散歩」が、どれくらいの時間になるのかもわからなかったのだから。
「申し訳ない。私も彼も、何も考えていなくて」
信利の言葉に、彼女はほっとした表情を浮かべていく。
「よかった! って、言ってもいいのかな? 私、お弁当を作ってきたんです。もしよければ、ここで食べていきませんか?」
「え~、希美ちゃんの手作りのお弁当ってこと! それ凄くない、いいの?」
「もちろんですよ、そのために頑張って作ったんですから!」
希美がガッツポーズをしながら、自分達を見上げている。
とてもありがたい提案だが、信利には気になることがあった。
「いいのだろうか。征明、お前すごく食べるだろう?」
「え~、兄ちゃんが心配していたのってそこ?」
「当然だ。女性だけの三人分と男性がいる三人分では作る量も違うだろうからな」
「あ~、まぁ確かにね。でも、足りなかったらこの後に、どこかで調達すればいいからさ」
確かにその通りではある。
彼女が作ってくれた分をいただいて、その後に考えればいいか。
「ありがとう打木さん。では、お弁当を分けてもらえますか?」
自分の言葉に、彼女の顔がぱあっと明るく輝く。
「よかった! たくさん作りすぎちゃったから、どんどん食べて欲しいです!」
心から嬉しそうにそう語り、彼女はリュックへと手を入れると、大きな風呂敷包みを取り出した。
シートに置き、するりと風呂敷の結び目を外した途端、征明が歓声を上げる。
「えっ、希美ちゃんこれってお重箱ってやつ? すげぇ、三段重ねだぁ!」
「ふふ~、運動会みたいでしょう? 作っている自分もワクワクしました!」
いつにも増して目をキラキラと輝かせながら、征明は彼女を見つめる。
「やったぁやったぁぁぁ! これ全部、食べてもいい?」
「あら、言いましたね? できるものならどうぞ!」
まるで子供と母親とのような会話。
だがきっとこれは、彼にとって過ごしてみたかった、叶わなかった願いをやり直させてもらえている。
そんな時間なのかもしれない。
ーーもっとも、母親役となってしまった彼女には、知ることのない思いなのだが。
二人を見つめる信利の脳裏に、幼い頃の征明の姿が浮かび上がる。
明らかに年齢から逸脱した、小さすぎる体。
信利の母が準備した、彼の年齢に合わせたはずの服はぶかぶかで、やせ細った体をさらに強調させてしまっている。
手足にあるのは、無数の青あざ。
それを見て言葉を失っている自分へと、うつろな表情で彼は近づいてくる。
数年ぶりに再会したいとこは、感情の無い目で自分を見上げ、こう言ってきたのだ。
「おかあさんが、ごめんなさい」と。