準備をするのにもほどがある その1
長根駅のバスロータリーでは、そこここで女性達の小さなざわめきが起こっていた。
彼女達の熱い視線は、二人の男性へと注がれている。
ペールラベンダーのパーカーにテーパードのスラックスパンツ。
ブラックのキャンバスシューズの紐を結び直し立ち上がった一水信利は眼鏡を外し、瞼を押さえる。
「あれ、信兄ぃお疲れモード? 昨日ちゃんと寝なかったの?」
ピンクのオープンカラーシャツにデニムのスラックスパンツと白のスニーカーを履いた浦元征明が、隣に立つ信利へと声を掛けてくる。
「寝た、……はず。そのつもりだったんだ。なのに眠りが浅くて」
「えー、それって遠足前日の小学生じゃん。兄ちゃんもう二十七歳でしょう? なにやってんのさ、まったく」
征明がかぶっていたベージュのキャップをとると、バイザー部分を持ちながら信利の顔へと風を送ってくる。
心地よさに目を閉じて、風を受けているその姿に、周囲にいる女性たちの視線がさらに集まっていく。
「まぁ、気持ちはわかるけどね。っていうかさ、まだ集合時間の二十分前だよ。早く来すぎなんじゃないの」
「それは事実と認めよう。だが、それを言うお前はなぜここにいるんだ?」
ふふんと鼻を鳴らし、征明は胸を張る。
「決まってんじゃん。希美ちゃんが来た時に『遅れてごめんなさ~い! やだ、待たせてしまいました?』って聞かれた時に、『いいや、俺も今、来たばかりさ』って言うためだけにっ!」
くいくいと、立てた親指で自分を指しながら、征明は信利へと言い放つ。
「俺は今、ここにいるんだよぉ!」
よくぞそこまで、無駄な情熱とエネルギーを放出できるものだ。
違う意味で感心しつつ、信利は征明へと口を開く。
「……そうか、よくわかった。とにかくお前は帰れ」
「いや、全然わかってないよね? ……あれぇ? ひょっとして兄ちゃんってば、俺を追い出して、希美ちゃんと二人っきりになろうとしてる?」
何ということを言ってくるのだ。
動揺を抑えつつ、信利は反論する。
「ばっ! 馬鹿を言うんじゃない! そんなことがあるはずなかろう!」
「そーお? じゃあ俺、帰らなくていいよね~?」
してやったりという顔で、征明はニンマリと笑っている。
「そうだ! せっかくだから兄ちゃんに指南してあげるよ。いい? 女の子には、優しくしなきゃいけないんだ。何か大きな荷物があったら、自分が持ってあげる。歩道を歩くときは車道側に自分が立つ。そしてっ!」
征明は、びしりと指を信利に突きつけてきた。
「可愛いと思ったらすぐに伝えてあげること! まごまごせずに、思ったことをしっかり言うことが大事だからね」
「理論上ではそれは分かってはいる。だがその実行には、向き不向きというのがあってだな」
「でもそれを克服するために、希美ちゃんと友達になったんでしょう? って、お! 希美ちゃん来たぁ……?」
何やら裏返った声で、征明は希美の到着を告げてくる。
察するに、希美の服装が可愛らしくて言葉を失ったというところか。
『可愛い』という言葉を、今の自分が口に出すことは難しい。
だがせめて、彼女の良いところは褒めたり伝えることが出来れば。
どうかその勇気が出てくれるようにと祈る。
第一声は何というべきか。
そんなことを考えながら、信利は征明の視線を追う。
「……嘘だろう?」
勇気ではなく、自分が思ってもいない第一声が出てしまった。
山だ。
背中に黒い小山を背負った希美が、こちらへと向かってくる。
思わず出た言葉に、同意と動揺をもって、征明が反応してきた。
「いや、兄ちゃん。あれは本物の希美ちゃんだ。ある意味で間違いなく希美ちゃんだと思う。……多分」
間違いなくなのか、多分なのかどっちなのだ。
そんなツッコミすら言葉に出せず、希美が自分達の所に軽い足取りでやってくるのを見つめる。
――いや、違う。
驚きすぎて、二人共が動くことが出来なかったのだ。
「あれ? 時間通りだと思っていたのに! やだ、待たせてしまいました?」
征明が、あれほど望んでいた言葉。
それを希美が言っているというのに、その征明は希美を見つめるだけで声すら出せなくなっている。
時間通りに彼女は着いたのだ。
それなのに返事がないことで、彼女が不安そうに自分達を見上げてくる。
このままではいけない。
慌てて、信利は口を開く。
「いや、私達も来たばかりです。それにしても」
信利は、彼女が背負っているリュックを指さす。
大きい、とにかく大きいのだ。
どうみても、日帰りの散歩に持ってくるサイズではない。
「昨日の連絡が、うまくいっていなかったようですね。今日は……」
「はい、伊織公園でお散歩ですよね! とっても楽しみです!」
「よかったね、兄ちゃん。連絡、しっかり伝わってるみたいだよ」
抑揚のない声で、征明が話しかけてくる。
何にしても、大きな荷物を自分より力のない女性に持たせるのは良くない。
だが、今度は征明が先に動いた。
「希美ちゃん、よかったらそのリュック俺が持つよ!」
「え、でもこれは、私が持ってきたものですし」
自分達を見上げながら、希美がリュックの肩紐の部分をぐっと握りしめる。
「そっか、じゃあさ。俺の荷物と交換しよっ!」
征明は、希美のリュックの二十分の一の大きさにも満たないボディバックを掲げる。
「俺がさ、格好良く頑張るところ見てほしいんだ。……ダメかなぁ?」
首をかしげながら問うていく征明に、希美は両手をぶんぶんと横へと振る。
「全然だめではないです。じゃあ、お願いしようかなぁ」
そっとリュックを地面へと下ろすと、征明に向かってぺこりと礼をする。
「では、交換をお願いします」
「うん! もちろん喜こん……でぇ?」
征明の言葉が、再び裏返った。
どうしたことかと彼を見やれば、口元に笑顔があるものの、目が泳いでいる。
「征明、どうしたん……」
「じっ! 実は俺さ、今日は車で来ているんだよね。駅のパーキングに止めてあるんだ! さっ、行こう!」
信利の言葉を遮り、ぎこちない動きで、彼はロータリーから移動を始める。
彼と合流した際には、車の話などしていなかったのだが。
疑問を抱きつつ、信利は征明の後を追うのだった。




