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草刈りへのいざない(強制)

 よっしー――吉居は草刈りに出るつもりでいた。


 去年の秋、自宅の物置で、クマに出くわした。吉居は泡を喰って逃げ、クマも逃げたので無事だったが、獣害に無策な集落に苛立っていた。


 やっと動き出したと聞き、草刈り機を背負って家を出ようとした。

 そこで、イヤなものを見てしまった。


 仇の『天狗屋』が、同じように草刈り機を背に農道を歩いていた。

 吉居はまわれ右して家に戻った。


 天狗屋というのは、農閑期だけ蕎麦屋『天狗そば』をいとなむ近所の農家である。凶暴な紀州犬を飼っており、農園内に放していた。


「その犬がうちのポン太郎に噛みつきやがったんだ」


 吉居は若枝を折り曲げ、針金を巻きながら、いまいましげに話した。


「ポン太郎はその時、一歳になってなかったんだぞ。赤ちゃんみたいなもんだ。かわいそうに足のとこ四針も縫ってよ」


 ポン太郎とは、吉居夫婦がかわいがっている黒毛の柴犬である。

 夫婦が激怒して天狗屋を責めると、


 ――お宅の犬がうちに入り込んできたんだから、当然。


 とあやまらなかった。

 以来、天狗屋は吉居の不倶戴天の敵となっている。

 お市は言った。


「他人の犬にケガさせるなど、万死に値する。交際断絶するのももっとも。――しかし、いかがなものでしょう。その不埒な天狗屋はみんなと仲良く草刈りして、被害者はさびしく恨みをかこっているというのは」

「……」

「よっしー。仲直りしろってんじゃないんですよ。ただ、この集落のために集まるんだ。奥さんをクマから守るためだよ? ポン太郎だって、クマとは戦えないでしょ。――チャッと、なんも考えずに、自転車に乗って行くのです。ここは男を見せるのです」


 だが、吉居は意固地になってしまっていた。


「親父のおれが日和ったら、ポン太郎にすまねえよ」


 その時、それまでつっ立っていたテツが、


「じゃ、ポン太郎に聞いてみよう。――ポン太郎!」


 テツが呼ぶと、リンゴの木の間を黒い柴犬が風のように駆けて来た。

 吉居は内心おどろいた。吉居と女房にはなついていたが、他の人間に愛想はふりまかない犬だった。


 しかし、テツがしゃがみ、その首を撫でてやると、尾をふり、親犬にするように顔をなめようとした。


「よし。ポン」


 テツは屈んで、聞いた。


「親父さんがうちで怨霊みたいに恨んでいるのと、昔みたいに友だちと楽しくやってるのと、どっちがいい」

「……」


 ポン太郎はオレンジ色の丸眉のついた顔をかしげ、テツを見ている。

 テツは咽喉の奥から細い裏声を出し、


「タノシイノガイイー」


 そう言って、よっしーを見た。

 吉居はあきれて言葉が出ずにいる。

 テツはさらに、


「ポンよ。親父さんがこのままずっと、集落で孤立していてうれしいか」

「――」

「オレ、オヤジニハ、ハッピーデイテホシイヨ。オヤジガオコッテルト、オレツライ」


 だろ、とまた吉居を真顔で見る。


「……」


 吉居はくだらなさになんと返したものか迷っていたが、つい鼻から噴いてしまった。

 それを見て、お市が、


「あ、笑った! 笑ったら負け。はい、負けー。はい、いってらしゃーい。自転車はあちらー」

「なんだそりゃ」

「笑ったら負けー。人は笑いながら怒れないー。怒ってないー。はい、おりておりてー」


 吉居はブツブツ言ったが、脚立を降りてしまった。ポン太郎がまとわりつく。


「オヤジ、イクンダ、ガンバレ」

「うるせえよ! おまえらもう――その枝、かたしといてくれ」


 吉居はしぶしぶ農園を出ていった。





 イケメン若手農家、遠山瑛太の家はめずらしく大きくゲートが開いていた。

 長いトラックが尻をつっこみ、倉庫に接している。瑛太は荷台からせっせとダンボールを運び出していた。


 食品加工会社から、仕上がったリンゴジュースが届いていた。

 この冬に収穫したリンゴで出来たもので、瑛太はこれをネット通販で売っている。割高だが、評判がよく、売れ筋商品だった。


 しかし、若い運転手は荷下ろしを手伝ってくれない。スマホをいじり、瑛太がひとり大量のダンボール箱をおろすのを待っていた。

 瑛太はそれをうるさく言える人間ではなかった。


「それ下ろすの?」


 いつのまにか、坊主二人組みがそばにいた。

 瑛太が答えるのを待たず、がっちりした坊主のほうが荷台に駆け上がった。

 慣れた手つきで二輪のキャリーを使い、ダンボールを積んで出てくる。


「下にいな。中で積むほうをやってくれ」


 坊主はキャリーを置いて、また駆け上がった。


(よけいなことすんな)


 瑛太は思ったが、言うのは面倒だった。いちいち荷台にあがるのも面倒である。黙ってダンボールを倉庫に積み上げた。

 背の高い坊主のほうは、それを見て、


「それってお客さまが自分で倉庫にしまうものなの?」

「――」


 彼はトラックの運転席にむかって、運転手に言った。


「荷物降ろすの手伝ってよ。そういうのもドライバーさんの仕事でしょ」

「いや、特に決まりはないんで」


 若い運転手は降りてこない。坊主は、


「ほかの会社さんはちゃんと運び込みまでしてくれるよ。パズルしてないでサービスしなさいよ」

「――」


 運転手は舌打ちしたようだった。


「こっちは運送、が仕事なんですよ。倉庫にしまうのは、自分でやっていただきたいんですよね」

「いや、そっちでやってきただきたい」

「みなさん、自分でやってますよ」

「ほんと。じゃ、この録音、信濃フルーツファクトリーのお客様係に聞かせるけど、いいよな?」

「――」


 運転手は降りてきて、ドアを乱暴に閉めた。

 不愉快そうに荷台に上がり、ダンボールをキャリーにどさどさ重ねる。投げるように積むのを見て瑛太は、


(だからイヤなんだ)


 坊主の口出しを恨んだが、当の坊主はその様子を見て、


「それ、一本八〇〇円よ。割れたら、箱代も含めて弁償してもらうから」


 運転手はキッと坊主を睨んだ。が、ダンボールは静かに置いた。


(……)


 瑛太はひとまず荷運びに専念した。ところが、背の高い坊主はうしろについてきて、


「ここさ。おれらがやっておくから、あんた受け取りだけ書いて、行ってこいよ。草刈り」


 草刈りの話はとっくに断っている。

 井上老人の訪問も門を閉ざして入れなかった。当然、井上農園にも行っていない。

 集落とつきあう気はない。だが、このふたりは少しもそれを理解せず、勝手に入ってくる。


「瑛太さん」


 背の高い坊主は言った。


「コミュ障はあんただけじゃないんだよ」


 瑛太は表に出さなかったが、みぞおちを打たれたように息をつめた。

 坊主は少し離れたところに立ち、


「この集落のおっちゃんたち、ほとんどがひどいもんよ。草刈りの現場で洗練された会話が飛び交ってると思ったら大間違い。みんな借りてきたネコみたいに、ひとっことも口聞いてないから。コミュ障がひとりまじっても全然目立たないよ」


(――なんだこいつ)


 瑛太は坊主の不躾にうろたえかけていた。


 瑛太には軽度の吃音があった。急いで話すと、言葉が詰まる。言葉が詰まると、恥ずかしくて涙がこみあげそうになる。それがまた恥ずかしくて、ひとと話せなかった。中学生の頃から一貫して、人生のまん中にその問題があった。

 それでも、知らない人間には、


 ――クールで無口なキャラ。


 と思ってくれるかもしれないという期待があった。お市はその期待を粉みじんにした。


「集落全部コミュ障だから! 全員高倉健気取りの日本語三級だから。あんた目立たないよ。あんたもいいとこにやってきたね。どうせ、中学ぐらいからヒキやってたんだろ。高校もろくに行ってなくて、農業ならひとりで作業できると思って、やってきたんじゃない?」


 瑛太は血の気が引く思いで、ダンボールを積んでいた。


(わかんのか? 坊主ってそういう力あんのか?)


「瑛太さん。しゃべるの苦手ならさ、スカして気取ってちゃダメだよ。助けてもらわなくちゃ。それには顔見せて、こういう機会があったら、自分も手を出す。しゃべらなくていいから。みんなコミュ障だから、助けてくれるよ。じゃないと、今みたいに人に軽くあしらわれて損をするんだよ」


 瑛太は坊主の口がこわかった。

 こまねずみのようにダンボールを積んだ。早く終わらせて、早くここから出てってもらわなければならない。

 坊主は後ろからくっついてきてなお口説く。


「都会に住んでるならまだしも、こんな自然の厳しい山村に住んでるんだからさ。安全保障のためと思って、かかわりもとうよ。山崩れがきても、掘り出してもらえないよ? あんた、声も出ないでしょ」


 瑛太は泣きそうになっていた。ほとんど駆け足のようにダンボールを積み、倉庫を満杯にした。

 三人いるとやはり早かった。しかし、瑛太はそれをよろこぶどころではなく、運転手から受け取りをひったくり、サインしてトラックを出した。

 ふたりの坊主にも、


「うちは、(獣害の被害は、な)いっ」


 せいいっぱい声をふりしぼって言い、母屋へ逃げた。



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