沈黙の草刈り部隊
次郎はカレンダーの前でやきもきしていた。
すでに三月も十日。タイムリミットの四月十日まで、あますところひと月となっていた。
(はーやくしないと、作業する時間がなくなるよー)
次郎はすぐにでも集会を召集したかったが、お市に止められていた。
――先に自分の畑の面倒を見てなさい。
ふたりは毎日出て行くが、農家を訪れる風はない。山へ入ったり、JAの欣司のところへ出入りしているようだった。
農家たちはなんとも言ってこない。
女房ネットの噂では、井上農園から帰ってきて、亭主たちの元気がない、畑に出て行かない、という。三銃士も畑にいないようだった。
(ふだん、皆、ひとのリンゴを食べないからなー。ショックだったかもなー。しかし、時間がねーんだよ)
四月下旬の開花からは農繁期になる。その前に休養がいる。三月からぶっ続けで重労働させれば、故障も出るだろう。
(わかってんのかな。坊さんたち、若いからわかんないんじゃないのかな。柵だって十キロ以上あるのに)
その前に会議がいる。どんな柵を作り、パトロールをどう仕分けるか。金の問題をどうするか、人々の承認がいる。
次郎は頭が痛かった。
議論は荒れるだろう。議論になると必ずケンカが起きる。手が出れば、負けたたほうは出てこなくなる。勝手に決めれば拗ねる。
(時間かかるよ。時間かかるぜ、こりゃ)
いてもたってもいられず、次郎は部屋を出た。靴を履き、玄関の扉をがらりと開けると、
「うお」
反射的に飛び下がった。
モトがそこに立ち、同じようにのけぞりかかっていた。
「……」
モトは渋面を作って、次郎を見つめた。
「もうすぐ開花だぞ。おまえ、どうする気なんだ。獣害対策、やんのか」
翌日、三好家の座敷に六人の農家が集まった。
モトと辰吉もいた。残りの四人は四十代の比較的若い農家だった。
しかし、一同に会したものの発言がない。それぞれ、用心棒のように陰気に構えて座っているだけだった。
次郎はその中でひとり汗をかいていた。
「あのレンタル牛はいいですよねえ。調べたら、レンタルヤギもあるみたいで、――ヤギなら敷居が低いし、山の下草刈りにも使えそうだし、いっぱいいたらハイジみたい」
「……」
次郎はもよを肘でつついた。もよは赤べこのようにうなずき、何も言わない。会議の場に引き出され、ちぢこまってしまっている。モトも腕組みして座っており、助け舟を出さなかった。
末席にいた蒼が立ち上がり、近づいた。
「父さん」
スマホの画面を見せる。お市からメッセージが入っていた。
――もし、会議行きづまってたら、みんなで三好農園の山側に来いって次郎さんに言って。
次郎は戸惑った。何をやるのか聞いていない。
しかし、
「あの、ちょっと外の空気を吸いながら、話しましょうか。からだほぐしながらのほうが、話しやすいですし」
どうぞ、と廊下へ促した。
意外にも農家たちは素直についてきた。次郎に従い、三好農園の堺にある農道を歩いた。山に向かっていた。
農園の端に近づくと、草刈り機の騒々しいモーター音がしていた。
「ヘーイ、まさおー! ゴーゴー、まさおー! ヘイまさおー」
「お市、お市、もうおれの番だろ。もう十分たったろ」
「ヘーイ、逃げろー」
若い僧たちのにぎやかな声が聞こえてきた。
農家たちは目を瞠った。
山のふもとが明るかった。農園の柵から山にいたる土地の草がきれいに刈られ、地肌が見えていた。大河で区切られたように見渡せる。
農園と山の間に幅広い『緩衝帯』が出来ていた。
「おー、みんな―!」
自走式草刈り機に乗ったお市が手を振った。
「見て見てー、次郎さんの畑の部分はほとんど終ったよー。おれとこのマサオが走りまくったんだよ」
ゴーカートのような草刈り機にはMASAOとロゴがついている。テツ坊のほうは手斧で、しょぼしょぼ細木を刈っていた。
「お市がぜんぜん代わってくんないんですよ。十分交代だって言ったのに」
うちにもあるぞ、と農家がいった。
「うちのはジョージだけどな」
「うわ、ジョージお借りしたい」
モトが言った。
「いったん各自家に帰って、草刈り機持ってまた集まったほうがいいんじゃねえか」
「そうですね」
次郎がいそいで引き継いだ。
「じゃ、みなさん、草刈りしながら話すとしましょうか」
井上農園にショックを受けた農家はほかにもいた。
彼らはぐずぐず悩み、会議には来なかったが、三好家を気にしてはいた。
さりげなく三好家の前を通ると、大きな張り紙があった。
――緩衝帯を作ってます。草刈り機を持って、三好農園の北に参集。どなたでも!
次郎は背負い式草刈り機の長柄を左右に動かしながら、
(なしくずしに緩衝帯作っちゃってるけどいいのかね)
山の地権者は三好家である。が、全員の承認を得ないうちに、作業をさせてしまっていた。
文句を言ってくる者はない。
みな黙々と草を刈り、木を伐っている。会話もなかった。もっとも草刈り機の騒音で話す状態ではなかった。
(どっちにしろ、緩衝帯は要るからな)
柵を作る以上、周囲の草を刈る必要があるが、広い緩衝帯はそれ自体に動物の忌避効果があった。
日暮れ前、農夫たちは刈った草を集めて焚き火を作った。
やっと静かになっていた。次郎は話しだそうとしたが、
「ここだ、ああ、ご苦労様」
もよと京子が紙バッグを持って現れた。
「寒かったでしょう。おやき作ってきたから、食べてちょうだい」
「中はキノコときりぼし大根だよ」
お茶とまだ暖かいおやきがふるまわれた。農夫たちはおやきにパクつき、熱い茶をすすった。もくもくと喰う。眠そうに火に目をほそめ、手をあぶっていた。
結局、話し合いはなかった。次郎はしかたなく、
「明日も午後一時から、この続きをやります。来れる方はまたよろしくおねがいします」
その日から、緩衝帯づくりの作業がはじまった。
(いいんだろうか。全然話し合ってないけど、いいんだろうか)
次郎は草刈り機を使いながら、戸惑っていた。
大勢が黙々と草を刈っている。すでに農家のほとんどがそこにいた。
人々はともに作業し、夕暮れには並んで焚き火にあたり、差し入れを飲み食いした。それでも互いに口を聞くことはほとんどない。
「柵なんですが、複合電気柵でいいでしょうかねえ」
次郎は焚き火の前で、人々に獣害対策のアイディアを募った。だが、人々はもの憂く火を見ているだけで返事をしない。
(これイジメ? でもそれなら、そもそも来るはずがないしな)
次郎は困ってモトに相談した。モトは、
「勝手にやれ」
と言った。
「勝手にやったら、また文句言うんでしょうが」
「言わせとけ。どうせ話し合ったって、まとまらねえんだ。ちゃっちゃとやらねえと時間がねえ」
次郎は唸った。次郎にとってこの事業の大事は、団結である。柵を作るより、人々に打ち解けてほしかった。
モトは言った。
「みんな、ケンカしたくねえんだよ」
「――」
「もううんざりなんだ。だから、あえて口つぐんでんだよ」
次郎はおどろいた。
一応、みな何ごとか考えて来たのだ。挨拶もない、目も合わさない、ふてくされたような無言も、彼らなりの和を壊さない努力だった。
(……スタートライン、そこ)
次郎は、なんとも言えない思いがした。しかし、奇跡のように仲良くなる妙策もない。
モトは面倒くさそうに、
「あと来てないのは、シゲとよっしーと瑛太の三人か。よっしーはどうした? あいつは来るようなこと言ってたんだが」




