第01話 Is it hope truly? ―それは真に希望か?―
―The end of the light of hope―
◆
〈ノヴァ=スティグマ〉
◇
突然の閃光――迸る光。切り裂かれる暗闇。視界に捉えられる煌めく星と、淡い蒼の粒子を微かに放つ光――。
強大な何かの力によって引かれ、堕ちて行く身体。心臓が熱く、まるで焔が宿っているような感覚に襲われる。しかしそれは、恐らくはまやかしの感覚。実際には心臓に焔など宿っていない。ただ――、『生きている』という鮮明で鮮烈な感覚に酔いしれているだけだ。
「アイン――アイン=ノッテ」
恐らくはそれが自分のこの魂に付けられた記号。名前。
目蓋の裏に、次第に煌めいていく光を視ながら、その光が強くなったその瞬間に目を開けた。
白い光の帯のようなモノが身体を覆う。光の帯はまるで青年を護るように包んでいく。無意識に何かの強い意思によって動かされる意識と身体に身を任せ、青年は――目を強く瞑った。
「〈ノヴァ=スティグマ〉」
自然と頭に浮かんだ言葉。煌めいて、静かに音もなく消えていった。
ノヴァ=スティグマ。それは一体何を指す言葉なのだろうか。目を一度閉じて――再び目を開ける。
そこは既に空の中ではなかった。辺り一面が青々とした草と、そして自分を中心としてその周りに咲き誇る色とりどりの花が、目に映った。身体はその花の上に倒れこむような形で横になっていた。
太陽の光が、その色とりどりの花達が、強烈に目に焼きつく。まるで輝いているようだった。
意識は既に鮮明になっていた。身体を起き上がらせ、周辺を見渡す。しかし、何も無い。ただ本当に在るのは、草や木々、花たちだけだ。
(……腹、減った)
空腹になっているのに気づいて、お腹を抑えて辺りを見渡し続ける。すると、近くにあった一本の樹に赤いりんごがなっているのに気づき、ゆっくりと立ち上がって手を伸ばし、簡単にもぎ取って口に運んだ。
シャクっという咀嚼音と共に、口の中いっぱいにりんごの果汁が広がった。空っぽの胃がわずかだが満たされる。
ひらひらと、目の前を蝶のようなものが飛んで行くのを見て、目で追ってしまった。その蝶は、銀色の鱗粉を散らしながらどんどん飛んで行く。
なぜかその蝶を目で追うだけでなく、足で追いかけていた。――どこに向かうのか、気になった。
追っていくと、そこは木々が開けている場所。その場所だけ、光が交差しながら入り込んでいた。そしてその光は、たった一本の巨大な大樹を照らしている。
「誰だ?」
背後から声がし、振り向くとそこには青年が居た。
白いシャツに黒いブーツ。片手に短剣のようなものを持って、コチラを不審な目で見る。
「アイン。アイン=ノッテ」
「アイン?知らないな……。君は何者なんだ?」
「わからない」
「わから、ない?」
『俺』は俯いて、地面を見る。地面には草花が咲いていて、色とりどり、鮮やかだ。
その花達に混じって、何か――先程の蝶と似た生物が隠れているのに気付き、手を伸ばしてソレを掴んでみる。
それは綺麗な羽根を持った、小さな少女の姿をした生物だった。手の中で甲高い声で喚きながら震えている。
「君――妖精が視えるのか?」
驚いた表情で俺を見る青年。
俺は『妖精』と呼ばれた小さな生き物をパッと離し、逃がした。キラキラと鱗粉を放ちながら草むらへ消えていった。
「『妖精』って何?」
「……妖精を知らないのか?」
「俺、何も覚えてないんだ。覚えてるのは自分の名前だけだった。目が覚めたのはここじゃなくて、――多分、草原みたいなところ。林檎の木があった」
「記憶喪失っていうやつか……」
青年は考え込むような仕草をし、再び俺の姿をジロジロと見渡し始めた。
「妖精っていうのはな。悪いモノを持った人間には視えないんだ。だからきっと、お前は悪い奴じゃない。と、いうか、視るだけじゃなくって掴んでみせたしな。普通の人間に出来ることじゃない」
ふっ、と足元を見ると、――いや、視ると、あの妖精と似た別の妖精たちが、俺を警戒しつつもじっと見ていた。
俺はその中の一匹を掴み、じっと羽根を視る。薄い膜のようなモノで出来ているようで、透き通っている。
「この森は――リンカーネイションフォレスト。輪廻の森って言われてる。きっとお前がここで目覚めたのも何か意味があるように思える。だから、暫くの間、俺の住処で落ち着くまで面倒見てやるよ」
「……ありがとう」
行く宛のなかった俺は、素直に礼を言うことにした。
掴んだ妖精がじたじたと暴れ始めたのに気付き、俺は急いで離してやった。キラキラと鱗粉を撒き散らしてどこかへ消えていった。
「あぁ、名前を言うのを忘れてたな。俺はアリス=ヴォイスだ」
「……アリス。聞きたいことが在るんだけど」
「何だ?」
俺は銀の葉がなった大樹を見上げた。
「あのでかい樹って、なんなの?」
「あぁ、あれはこの森の守護樹だよ。森に大きな結界を作り出してこの森を護ってくれているんだ」
アリスが歩き始め、それに俺も続いていく。此処は妖精といい、守護樹と言われるあの大樹といい。なんだか不思議なところなんだな、と思った。
さくさくという心地いい音を鳴らす草を踏みしめながら、真っ直ぐに歩き続ける。そして見えてきたのは、小さな木製で出来た小屋だった。
「ここが俺の家だよ」
誘われるがまま中に入ると、ふわ、と鼻を何か良い匂いが掠めた。
「ただいま。アエン」
「アリス。おかえりなさい――って、お客さん?」
奥から現れたのは、幼い少年。物珍しそうに俺を見ている。その右手には何故か未使用のフライパンが握られていて、そして左手にはフライ返しが握られていた。
「しばらくの間、世話をしてもらうことになった。――アイン=ノッテだ」
「え?世話って?」
アリスは少年に近づき、状況を説明しながら俺がどういった経緯で彼と出会ったのか説明した。
俺はその間小屋の中を見渡した。小屋の中は汚くはないが、綺麗というわけでもない。様々な道具があちらこちらに置かれており、何の書物かわからないものが床に散乱している。
その一冊を手に取り表紙をめくってみると、色んな文字やイラストが添えられており、理解するのはそう難しくはない。
二人が振り向く。俺は全て読み終えたその本の表紙をバタン、と閉じた。
「ん?その本気になるのか?」
「……いや」
「その本はな。古代の魔法文字で書かれた貴重な書物なんだ。なんでも古代魔法の詠唱と技術について記されたものらしいけど、俺にはさっぱり理解出来なくってな」
(俺は難なく読めたし理解も出来たけど――普通は読めないのか?)
だったら、俺は普通じゃないってことか。……なら、別にこの二人にこの本が読めたこと、言わないほうがいいな。
しかし、この本はもっと読み込んでみたい。俺は本の表紙を二人に向けながら言う。
「この本、借りてもいいか?」
「別にいいけど、大事に扱ってくれよ?」
本を脇に持ち、少年へ再び視線を移す。少年は笑みを向けた。
「状況は大体わかったよ。俺の名前はエアラ。よろしくねアイン」
エアラと名乗った青年は、綺麗な碧色の髪に碧色の目をしていた。少年なのにしっかりした丁寧な対応。年不相応だ。
「……よろしく」
フライパンを一時床に置き、空いた右手で差し伸べられた少年の手を、握り返した。
少年の手は異様に冷たく――なんだか生気が宿っていない感じがした。そのことに不思議に思い、アリスに聞こうと振り返ったところで、突然何か、冷たい空気がざわ、と首筋を伝った。
「どうした?アイン」
「――アリス」
アリスの目は虚ろで、目の前の光景も虚ろなものへと変わっていた。その虚ろな光景の中で、唯一現実に思えたのは今触れている本だけだ。
霧がかったような――フィルターでもかかっているような、そんな曖昧な視界。
その曖昧な視界の中、アリスは、エアラは。
「誰だ?お前ら」
そこに居たのは、アリスとエアラではない、名前なんて無い、バケモノだった。
「何言ってるんだ?俺達は――」
「それは俺の台詞だ。お前たちは何なんだ?」
バケモノと一括りにして言うにはまだ足りない。奇妙な黒い形状の影。触手のような細い腕と細い足。三日月のように歪んだ口元。
先程見ていた少年と青年の姿はそこには無い。しかし彼等の代わりに居たのは、見知らぬ金色の髪をした傷だらけの青年。
青年は黒い触手のようなもので縛り付けられ、バケモノの奥で貼り付けにされていた。
「……バレちゃった?」
せせら笑うバケモノ。奥で縛り付けられている青年へ視線を向け、今目の前で起こっている出来事を受け止め、一歩後ろへ下がった。
「『黒妖精』だよ――って、知らないよねぇ?記憶を失ってリンカーネイションフォレストに迷い込んだアイン君」
俺は周囲を見渡す。バケモノと、青年意外は先程見ていた光景と変わらない、森の風景。
化かされていた――のは、アリスとエアラと小屋だけのようだ。
それにしても『黒妖精』か。妖精と一体何が違うのだろう。姿形だけではないように思うけど。
「……!」
突然、黒妖精の背後に居た青年が目を開けて、俺の姿を凝視した。青年の瞳は髪と同じく金色だった。
そして大きく声を張り上げて叫んだ。
「逃げろッ!青年ッ」
「!」
叫び声と共に地面から湧き上がる奇妙な黒い物質。鋭い刃物の形状や、棒のような、鈍器のような形状をしたものまで様々な形状で襲いかかる。
なんとかソレを避けるが、避けきれなかったものは容赦なく身体を切り刻む。切られた頬から、赤い雫が静かに零れた。
血液は、頬から流れ落ちる時熱を持っているのに気づいた。――『生きている』。
「あー、起きちゃったかー」
軽く言ってみせたバケモノ。青年は尚も叫ぶ。
「早く逃げるんだ!黒妖精は――」
「ちょっとうるさいなぁ。黙っててよ」
ギリィ、という軋む音。同時に青年は苦しみ、彼を縛っている黒いものが更に締めあげているのがわかった。『生きている』。彼も、俺も。なら抗え。逃げることは、許されない。
――その時、突然目の前に赤い文字が浮かび上がった。
(焔……紅蓮……魔法?)
手を伸ばし、その文字に触れてみる。赤い文字は揺れ、陽炎のように揺らめいて、力あるものへ変わった。
「魔法――!」
触れた手が瞬時に熱くなり、空気は紅蓮の焔へと変化した。
先程浮かび上がったあの赤い文字。あれは、あの本に使われていた文字と同じ記号だった。
触れた瞬間に焔へと変わったメカニズムはわからないが、今はそんなことどうでもいい。戦える術があるなら――戦うしかない。
「そんな低級魔法でこの僕に勝てると思ってるの?あははっ!滑稽だ――」
再び浮かび上がった赤い文字に触れる。言葉は焔へと変わり、先程よりも火力が増したものへと変わった。
それを思いっきり、黒妖精へ放つ。
「なっにっ!?」
その焔を見て避ける黒妖精。想像以上の火力だったようだ。
立て続けに浮かび上がる様々な文字。――紅蓮、緋色、どれも真っ赤な焔を連想するような単語ばかりだ。
そのうちの〈紅蓮の業火〉という意味の文字に触れる。再び熱くなる右手。燃え盛る紅蓮の焔。その焔に怯えるかのように、黒妖精は後ずさりをした。
「低級魔法なのに、なんでッそんな火力のッ」
今度は確実に狙いを定めて、焔を黒妖精へ向けて放った。しかし今度の焔は弾丸という形ではなく、火柱の形で発現し、黒妖精を焼いていく。
文字は、目の前でチカチカと煌めいて揺らいで、消えていった。
呻き、苦しみながらその場に倒れこむ黒妖精。しばらく様子を見て、起き上がる気配がないことを確認し、縛り付けられた青年へ近づいた。
「――君は、一体何者だ?」
「わからない。俺は、きおくそうしつっていうやつらしいから」
彼を縛り付けていた黒い物質で出来た帯のようなモノを解きながら、言った。
黒い物質の帯を解き終え、俺は胸へ手を当てた。心臓はバクバクと音を鳴らし続けている。――『生きている』。
自由になった青年は、俺を呆然としながら見ていたが、立ち上がり、俺に向かって頭を下げた。
「まずは礼を言おう。助けてもらった。すまない」
「いや、別に。それより」
俺は黒妖精を指さした。
「あれ。何なんだ?『黒妖精』っていうみたいだけど」
「『黒妖精』は、妖精が魔の力に侵食された存在だ。ニンゲンを幻覚で欺き、命を喰らう」
「けど、黒妖精の周りには妖精たちが集まってた」
「妖精ではなく、あれも黒妖精の一種だ。幻覚で誤魔化してたんだろう」
青年が傷口に右手を当て、その右手が淡い光で包まれると傷を塞いでいった。あれも魔法というものと同じものなのだろうか。
倒れた黒妖精を再度見てみると、黒妖精だったものは黒い不気味な粒子になってどこかに散っていった。
「名乗るのが遅れた。あの黒妖精が勝手に俺の名前を使ってたが、俺がアリス=ヴォイスだ」
「アリス。お前はなんでこんな場所にいたんだ?」
アリスは話しづらそうに口を開いた。
「この近くにある村の自警団の依頼で、黒妖精を退治しに来たんだが――情けないことに、まんまと捕まってしまってたんだ」
「……この近くに村があるのか?」
「あぁ。そういえば、君は記憶喪失、なんだったな。行く宛もないのだろう。助けてくれた礼に、その村で宿を探す、というのはどうだ?」
「そうしてくれると嬉しい」
今度こそ、黒妖精ではないアリス=ヴォイスという青年の後を着いて行くことにした。
歩いて行く度に妖精たちが様子を伺いながら、近づいてき始めた。先ほどの『黒妖精』との事も、ああやって影で見ていたのだろうか。
「キミの名前は確か、アイン=ノッテだったな」
頷くと、彼は俺が持っている本に視線を移した。
「その本は?」
「あの小屋の中で見つけた。黒妖精曰く、貴重な書物らしい」
本の表紙を彼に見せ、言った。彼はその表紙を見ると、首を傾げた。
「古代文字で書かれた書物か……。キミ、それを読めるのか?」
「あぁ。内容はさっぱりだけど」
さくさくと草を踏みしめ歩きながら本の表紙を開いてパラパラとページをめくって俺は言った。内容は〈魔法〉、〈妖精〉、〈光〉、その仕組と工程について。しかし文字は読めるものの、内容がわからない。
ふと足元を見ると、先ほどよりも増えた妖精たちが居た。
「なんか、どんどん妖精が増えてないか?」
気づくと俺の周りには妖精がどんどん集まってきていた。不思議そうに顔を観察する妖精、興味津々に近づいてぺちぺちと顔を触る妖精、頭の上に顎を乗せる妖精。様々な反応を見せる妖精たちが集まっていた。
妖精は好奇心旺盛なのだろうか。
「妖精に好かれるというのはいいことだ。それは心が清いということでもある証だからな」
心が清い――俺が?少年姿の妖精の顔をじっと見る。しかし、彼等の言葉まではわからない。
何か言っているような感じはわかるのだけれど、それは空気がざわつく感覚までしかわからない。
「着いたぞ。此処がアッシュパイプ村――だ」
顔を上げ、本の表紙を閉じ、彼が言ったアッシュパイプという村を見た。その村は緑に覆われ、色とりどりの花達に囲まれた、自然豊かな村だった。
◇
豊かな自然に囲まれた村。『アッシュパイプ』。
妖精や聖なる獣―聖獣―たちが訪れる聖なる場所。リンカーネイションフォレストの守護樹の加護を受けているお陰で『黒妖精』や邪なる存在達はこの村には近寄ってこない。
その村の教会は異端者と呼ばれる者達を収容し、聖なる術で悪しき魂を取り除く儀式を行うことを目的に立てられた。そして、そこに『彼』――罪人と呼ばれ、名を名乗ることを許されない青年が、居た。
(――飯、)
出された昼食はとても食えるようなものではない、ネズミに出すようなもので吐き気がした。ここ数日、水以外は口にしていない。口にすることは許されない。
――狂っている。どちらが狂っているのか、もうわからない。俺なのか、この村のニンゲンなのか。
しかしその心配はもういらないだろう。今日で終わる――全てが。
「時間だ」
冷たい鉄格子の向こうで男は冷えきった目で俺を見た。冷たい鎖が――肌を刺す。
命の灯火はもうすぐ消えて、何もかも無に帰る。