第52話:処刑場の逆転劇と、舞い降りた白銀の神使
ジリジリと肌を焼くような極東の陽光が、帝都の中央処刑場を照らし出していた。
広場を埋め尽くす群衆の熱気と、冷ややかな視線。私たちは重い鉄の枷をはめられたまま、冷たい石畳の上に引き据えられていた。
「皆の者、静まれ!!」
一段高い壇上から、脂ぎった顔の役人が扇子を振りかざして声を張り上げた。
御簾の奥には、この国を統べる若き帝と、神の声を聴く巫女の姿が霞んで見える。
「ここに引き立てられたるは、かつて勇者と呼ばれたゲイル、およびその一味! 奴らは魔の狐に魅入られ、尊き筆頭祈祷師様を暗殺し、この帝都に災いをもたらそうとした大罪人である! 帝の御名と神託において、これより斬首の刑に処す!!」
役人の声が高らかに響き渡る。
伏魔殿の連中は、魔人であった祈祷師の死すらも自分たちの権力を盤石にするための「被害者ヅラ」に利用したのだ。群衆からは、かつての英雄に対する怒号と、戸惑いの声が入り混じって聞こえてくる。
「アネさん……すまない」
「前を向け、ゲイル。お前はもう、間違えていない」
隣で首を垂れそうになるゲイルに、私は短く告げた。
処刑人が、太陽の光を反射してギラリと光る巨大な斧を、ゆっくりと高く振り上げた。
群衆が息を呑み、広場が水を打ったように静まり返る。
役人が下卑た笑みを浮かべ、斧を振り下ろす合図を出そうとした、まさにその瞬間だった。
――チリン、と。
どこからともなく、澄み切った『鈴の音』が響いた。
それは、喧騒に包まれていたはずの広場の隅々にまで、いや、そこにいる全員の脳髄に直接響き渡るような、清らかで底冷えするような音色だった。
「……な、なんだ?」
「空が……!」
誰かが空を指差し、悲鳴のような声を上げた。
真昼の太陽が輝いていたはずの空が、突如として『黄金色』に染まっていた。
いや、空の色が変わったのではない。処刑場の上空を、太陽すらも霞むほどの圧倒的な神気を放つ、無数の『青白い狐火』が覆い尽くしていたのだ。
「ま、魔物だ! 魔王の残党の狐が、大罪人どもを助けに来たぞ!!」
役人がパニックに陥り、近衛兵たちに槍を構えさせる。
だが、誰も一歩も動けなかった。空から舞い降りてくるその存在が放つ、あまりにも重く、清浄な空気の圧力に、手足が完全に縫い付けられてしまったのだ。
光の粒子を撒き散らしながら処刑場の中央に降り立ったのは、九つの巨大な尾を揺らめかせる、神々しくも美しい白銀の妖狐――玉藻前だった。
『……愚かなことよ。真の魔に傅きながら、己の欲に目を曇らせるとは』
凛とした女性の声が、広場全体を震わせた。
近衛兵たちが恐怖に腰を抜かす中、壇上に座していた巫女が弾かれたように立ち上がった。彼女は御簾を乱暴に跳ね除け、玉藻前の姿をその目で直視した瞬間、ボロボロと涙を流し始めたのだ。
「ひ、控えよ!! 皆の者、武器を下ろして頭を垂れよ!!」
巫女の裂帛の叫びに、広場が凍りつく。
「あの方は……魔物などではない! 極東の霊脈を視てこられた、古の書物に記されしお稲荷様の大権現……『神使』であらせられるぞ!!」
「「「なっ……!?」」」
巫女の言葉に、群衆も、近衛兵も、そして若き帝すらもが息を呑み、次々と石畳に膝をついて平伏していった。
極東の民にとって、お稲荷様は信仰の根幹だ。その頂点に立つ大権現が、魔物であるはずがない。本物の神秘を前にして、人々は本能で理解したのだ。
玉藻前は処刑場に舞い降りると、私とゲイルを一瞥し、そして役人たちを黄金の瞳で射抜いた。
『伏魔殿の童どもよ。貴様らが筆頭祈祷師と崇めていた男の正体を、我が知らぬとでも思ったか。あれは霊脈を汚染し、この地を死の大地に変えようとしていた、西の魔王の残党だ』
「ヒッ……!! し、知らぬ! 我々は騙されていただけで……っ!」
『黙れ』
玉藻前の尾から放たれた青白い狐火が、役人たちの周囲をぐるりと取り囲み、その退路を完全に断ち切った。熱はないはずの炎だが、役人たちは魂を焼かれるような恐怖に顔を歪める。
『そして、ここに縛られている若き勇者と黒鍋の戦士こそが、我が山を魔人の手から護り抜いた恩人である。……これ以上、我が愛する極東の地を、貴様らの浅ましい欲で穢すというのであれば。この九尾が、直々に相手になろう』
「ひぃぃぃぃっ!! お、お許しをぉぉぉっ!!」
もはや弁明の余地はなかった。
神使そのものから直々に「魔人に加担した逆賊」の烙印を押された役人たちは、恐怖のあまり泡を吹き、その場に無様な姿で崩れ落ちたのだった。
圧倒的な静寂が広場を包む。
帝の命により、私たちの腕を拘束していた重い鉄の枷が外された。
「……まったく」
私は手首をさすりながら、立ち上がってため息をついた。
目の前で神々しい威厳を放っている白銀の九尾を見上げ、小さく肩をすくめる。
「見事なタイミングだが……あの狐の旦那、昨日の夜はリンの店で、あんなに美味そうに油揚げの天ぷらをかじってたってのにな」
私の呆れたような、しかしどこか親しげな呟きを聞いて。
玉藻前は威厳ある姿のまま、私にだけ見えるように、ウインクをするように片目を細めた気がした。
「ああ。本当に、とんでもない極東の神様だぜ」
隣で立ち上がったゲイルが、清々しい笑顔で言った。
こうして、伏魔殿の陰謀は完全に粉砕された。
大いなる神の使いと、泥臭い飯テロによる大逆転劇は、帝都の歴史に深く刻まれることとなったのだった。




