第43話:狐の社と、風化する信仰
水源を取り戻した村を後にして、私たちは極東の中心である『帝都』へと馬を進めていた。
案内役として同行することになったゲンと共に街道を進むうち、道の脇に奇妙な石の建造物を頻繁に見かけるようになった。
赤い前掛けをした狐の石像だ。ひっそりと森の入り口や街道の辻に佇んでいるが、その多くは苔生し、ひび割れ、ひどく手入れが行き届いていないように見える。
「ゲン。この狐の石像はなんだ? 西の大陸では見ない風習だが」
私が馬の上から尋ねると、ゲンは少し寂しそうな目で狐の石像を見つめ、軽く頭を下げてから答えた。
「ああ、あれは『お稲荷様』の神使だ。極東じゃあ、狐は五穀豊穣……つまり、あの美味い米を育ててくれる山の神様の使いとして信仰されてる。昔から、土地の霊脈を護ってくれているありがたい存在さ」
「なるほど。だが……神の使いにしては、ずいぶんと寂れているな」
「……嘆かわしい話さ」
ゲンは自嘲気味に息を吐いた。
「昔はどの社もピカピカで、供え物が絶えなかった。だが、ここ数年で帝都が豊かになるにつれ、都の連中は『目に見えない神様』より『目の前の金』ばかり信じるようになっちまった。時間をかけて祈るより、手っ取り早く山を切り拓いて金山を作ったほうが儲かるからな。今じゃ、信仰心なんて田舎の年寄りくらいにしか残ってねえ」
私は立ち止まった少し大きめの社の前で、首を傾げた。
苔生した狐の石像の足元に、黄色くて四角い、スポンジのような食べ物が、ぽつんと一つだけ供えられている。
「……あれは?」
「『油揚げ』だ。狐の好物とされていてな。大豆の汁を固めて『豆腐』って白い食べ物を作るんだが、それを薄く切って、高温の油で二度揚げした手間の塊さ。外はカリッと、中はフワッとしてて、汁をよく吸うんだよ」
「大豆を豆腐にし、さらに油で揚げるのか……」
極東の人々の食への執念たるや、一体どれほど深いのか。
私がゴクリと生唾を飲んでいると、ゲンはため息をついて社の奥、帝都の方角にそびえる巨大な霊山を見上げた。
「……ルミナ。あの霊山こそが、東の勇者ゲイルが向かっている場所だ。あそこに『魔王の残党である古の妖狐』が目覚めたって話、したよな」
「ああ。だが、狐が土地を護る神の使いなら、なぜ魔物扱いされているんだ?」
「帝都の『伏魔殿』の連中の強欲さだ」
ゲンは忌々しそうに、腰の刀の柄を叩いた。
「帝都の役人や大商人どもが、あの霊山を切り拓いて別荘地や金山を作ろうと企んだ。だが、山の神使である妖狐がそれに怒り、業者を追い払った。そこで連中は、自分たちの欲を通すために妖狐を『魔王の残党』だとでっち上げた。……都の連中も、すっかり信仰を忘れちまってるからな。『金儲けの邪魔をする古い化け物を、勇者様が退治してくれる』って、手放しで喜んでる始末さ」
「……なるほど。権力者からすれば、正義感に溢れ、裏の事情も知らずに強大な魔法をぶっ放してくれる若者は、最高に都合のいい『鉄砲玉』というわけだな」
私は呆れてため息をついた。人間の小悪党たちの、よくある浅ましい利権争いだ。
だが。
「……なぁ、ゲン。その『霊山の開発』と『妖狐の討伐依頼』を主導したのは誰だ?」
「え? ああ……ここ最近、帝都で急激に権力を握った『筆頭祈祷師』だ。顔を白い布で隠した不気味な野郎で、皇帝に取り入ってから次々と強引な政策を推し進めてるらしいが……それがどうした?」
――チリッ。
私の首筋を、ひどく冷たいものが撫でたような気がした。
「ゲン。もし、東の勇者が霊山で爆裂魔法をぶっ放して妖狐を討ち取り、霊脈が完全に破壊されたら、この土地はどうなる?」
「そりゃあ、作物は枯れ、土地は穢れちまうだろうな」
「そうだな。……金山を作るどころか、人間が住めない痩せた土地になるはずだ」
「…………あっ」
ゲンの顔色が変わった。
そうだ。ただの『人間の強欲』にしては、結果が致命的すぎる。
土地の開発で私腹を肥やすのが目的なら、山そのものを破壊して霊脈を枯らすような真似は絶対に避けるはずだ。なのに、手加減を知らない『東の勇者』に討伐を丸投げした。
まるで、最初から極東の地を『使い物にならなくする』こと自体が目的であるかのように。
「……気のせいなら、いいんだがな」
私は過去の過酷な旅の中で嗅いだことのある、質の悪い『嫌な気配』を振り払い、険しい顔で霊山を睨みつけた。
「とにかく、ただの金儲け以上の嫌な臭いがする。急ごう、ゲン。そのゲイルって性急な若者が取り返しのつかない馬鹿をやる前に、少しキツい『お灸』を据えてやらなきゃならないようだ。……あの狐の好物だっていう『油揚げ』をたっぷり持ってな」
私たちは馬の腹を強く蹴った。
薄れゆく信仰と、その陰で蠢く不気味な違和感。
無知な正義が振り下ろされる前に真実を確かめるべく、私たちは全速力で極東の帝都へと駆け出した。




