第二十話 一五七〇年
第二十話 一五七〇年
雪はまだ残っていたが、元日の朝の空気だけはどこか澄みきっていた。
城下からは、早くも初詣に向かう人々の足音がかすかに聞こえてくる。
すずは、侍女に手伝ってもらいながら袖を整えていた。
今日は年の初めであり――自分が十六になる年でもある。
「鬢曽木……わたしも、もうそういう歳なんだ……」
鏡の前で髪を整えながら、小さくつぶやく。
十六歳は女子の“成人”を意味する年。
婚家に来てからずっと幼いと見られてきた自分も、ようやく節目を迎えるのだと思うと、胸がそっと締めつけられるようだった。
お市の部屋を訪れると、侍女たちが静かに出入りしていた。
お腹は秋に比べさらに大きく、部屋はいつもより暖かく保たれている。
「すず様……来たのですか」
お市は、やわらかな笑みを浮かべた。
以前のような棘は薄れ、身重のせいか気力を使うのが難しいらしく、言葉は控えめだ。
「正月の支度が色々と増えてしまって……すず様、迷惑をかけていますよね」
「そ、そんな……迷惑なんて! お市様のお身体が第一です」
すずは慌てて首を振る。
お市の目元がかすかに緩み、ふっと息をついた。
「……十六の年、ね。鬢曽木も、もうすぐでしょう。
すず様は立派に務めていますよ。殿が目をかけるのも、無理はないですね」
その言い方に、少しだけ含むような響きがあった。
けれど、それは以前の鋭さとは違い――ただ、自分の立場ゆえの複雑さがにじんでいるだけのように思えた。
すずは丁寧に頭を下げ、お市の部屋をあとにした。
正月の儀式が城で始まると、すずは忙しく動き回った。
贈り物の受け取り、膳の確認、客人への挨拶の準備。
その合間に、家中の人々から
「十六になるのだな、おめでとう」
「もう立派な娘御だ」
と声をかけられる。
自分が“幼い側室”と見られてきたことを思うと、少しだけ胸がむずがゆい。
でも――悪い気はしなかった。
昼下がり、廊下で帳面を抱えていたすずの前に、長政が静かに歩み寄ってきた。
「すず」
呼ばれた名に振り返ると、長政はいつもの落ち着いた顔で、しかしどこか柔らかい表情だった。
「十六の年、おめでとう。」
「……っ、あ、ありがとうございます……!」
すずは慌てて頭を下げる。
その様子に、長政は少しだけ目を細めた。
「正月の支度、よく働いてくれていて…すずがいて助かった。」
「い、いえ……私は、まだ失敗ばかりで……」
「十六になるのだ。自信を持て。
……すずは、よくやっている。」
静かで穏やかな声が、すずの胸に深く響く。
その瞬間、遠くで太鼓の音が鳴り響いた。
城下の神社から聞こえてくる、新年を祝う音。
長政が窓の外へ目をやり、少しだけ表情をゆるめた。
「すず。今年の冬は厳しい。
雪の中を走り回ることも多いだろう。
だが……無茶はするな。」
その言葉に、すずはそっと頷いた。
「殿も……どうかご無事で。
私、殿のお役に立てるよう……もっと精進いたします。」
すると、長政はほんの一瞬、言葉を選ぶように黙し――
「……すずは、すでに十分だ。」
とだけ告げた。
すずの胸が熱くなる。
数日後の夕暮れ。
正月の宴が終わり、侍女たちが道具を片付けている。
すずは庭に面した縁側に出て、冷たい空気を吸った。
細かな雪が舞っていて、夜の灯に照らされてきらきらと光っている。
『十六になったんだ……。
成人の年……。
殿は……どう見てくださっているんだろう……』
ほのかな不安と、胸の奥のくすぐったい期待。
そのどちらも、冷たい空気の中で静かに混ざり合っていく。
雪が舞い落ちる音も聞こえない静かな正月の夜。
すずは袖を抱き、そっと目を閉じた。
『今年も……殿のおそばで、がんばれますように』
その願いは、小さくても揺らぎのない灯のように、胸の中で温かく灯り続けていた。
この頃の成人はだいたい15~16歳くらい(現代の中学生くらい)でした。
男子は元服という成人式的なことを行います。
ここで幼名から正式な大人の名前に変わり、初めて成人としてみられます。
女子は鬢曽木というこれまた成人式
的なことをします。
詳細はまた後ほど触れますので、『こういうことがあったんだな〜』くらいに思ってくだされば幸いです。
そして今回は浅井にとっても、日本史にとっても大きく動く、一五七〇年の幕開けです。
史実で知っている方も、本作で初めて知られる方も楽しんでいただけたらと思います。




