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第十九話 成長

第十九話 成長

 十二月に入り、近江の空気は急に鋭くなった。

 朝、城の廊下を渡るたび、裸足に近い足袋の裏へ冷たさが突き上げる。

 白い息を吐きながら、すずは袖を押さえて走っていた。

 最近は、お市さまが臨月に入り、ほとんど部屋から出なくなった。

 お腹はずいぶん大きく、階段も廊下も侍女たちが支えて付き添わないと歩けないほどだ。

 そのため――必然的に、正室の役目の一部がすずへと回ってきた。

 書状の受け渡し、贈り物の確認、客人への茶の手配、さらには年末に向けて家中へ出す品の仕分けまで。

「……ひゃっ……さ、寒っ……!」

 息を切らしながらも、すずは文箱を抱えて走る。

 もともと小柄な身体で、そこまで体力があるわけではない。

 けれど、任された仕事を投げ出す気はなかった。

 何より――

『殿のお役に立ちたい……』

 その思いだけで、忙しさの重みも少し軽くなる気がした。

「すず、もうここまででいい。あとはこちらで運ぶ」

 不意に声をかけられ立ち止まると、長政がそこにいた。

 昼近くの弱い日差しを背に、すずの腕いっぱいの贈呈品の包みを見て、小さく眉を寄せる。

「すず。……これは市に代わって任された分か?」

「は、はい……でも、私、できます。殿のお手を煩わせたくなくて……」

「煩うなどと思うものか。」

 すずの手から荷を取り上げると、長政はふっと息をこぼした。

 それが、呆れたようでいて優しくて――すずは胸の奥が温かくなる。

「すずは……よくやってくれている。

だが、無理をするな。顔が赤い。寒さにあてられたか?」

「だ、大丈夫です……!」

「大丈夫ではない顔をしている。」

 たしなめる声が柔らかくて、すずは思わず俯いた。

 長政の視線は厳しくはなく、ただ心配しているのがよくわかる。

「市の分もあるゆえ、増えた仕事に手が足りぬのは承知している。

だが……すず、そなたが倒れては元も子もない。」

 その言葉に、胸の奥がじんとした。

 自分が担っているのは代役であり、本来は正室の務め。

 それなのに、「任せた」と言わず、ただ“すず自身”を気遣う声だった。

「すず様、次の品はこれです!」

 お市付きの侍女たちも、すずが一生懸命なのを知り、いつしか自然に手を貸すようになっていた。

 まだ十五歳で、少しドジで、すぐに慌てる――

 だが、丁寧で、よく聞き、よく見、覚えが早い。

「すず様、火鉢の炭を足しておきましたよ」

「そちらの帳面、私が持ちます」

 そんな声が次々にかかり、すずはなんとか一日を乗り切っていく。

 それでも、夜になるころにはぐったりと力が抜けた。

『今日も、いっぱい失敗した……でも……殿が、少し笑ってくれた……』

 長政の品を運ぶのを手伝い、「ありがとう」と短く告げてくれた時の表情が引っかかる。

 冷たい空気の中でも、その声だけは温かかった。

 夜、帳場の片付けを終えたすずは、火の落ちた囲炉裏の前で膝を抱え込んだ。

 頬が冷え、指先もかじかむ。

『月のものが止まってしまったせいで、もう私……殿のお役に立ててないのに……』

 思い出すと胸が痛む。

 忙しさの理由のひとつは、お市が身重であるからだ。

 お市はお腹が重く、迂闊(うかつ)に動けない。

 自分は妊娠していない。

 そこが比べられれば、お市の苛立ちの矛先が自分に向くこともある。

『でも……今は、この仕事だけは……こなしたい……』

 小さな決意を抱いた時。

 ふと、戸が静かに開いた。

「すず?」

 驚いて振り返ると、長政だった。

「……まだ起きていたのか。」

「す、すみません……片付けが少し残っていて……」

「雪が降りそうだ。冷える。手を見せろ。」

 長政の声はいつもより低く、落ち着いていて――

 すずは、胸がきゅっとなるのを感じた。

 そっと手を取られる。

 長政の掌は温かく、すずの指先はすぐに熱を吸い込んだ。

「……冷たすぎる。今日はもう休め。続きは明日でいい。」

「でも、殿……!」

「代役まで任せて、これほど勤めているのだ。……十分すぎる。」

 柔らかい声音。

 すずの肩の力がふっと抜けて、小さく息をこぼしてしまう。

 長政はその様子を見て、ふとのぞき込むように言った。

「すずが、真面目に励んでくれるのは嬉しい。

だが……俺は、すず自身が無事でいてくれることのほうが大事だ。」

 胸の奥が、熱くなる。

 静かな火鉢の前。

 雪が降りはじめたのか、外の気配がしんと冷たい。

 その寒さの中で、長政の言葉だけが、すずの心を深くあたためた。

「……ありがとう、ございます……」

 すずが小さく頭を下げると、長政は微かに息をつき、

「すずの働き、確かに見ている。

市の代わりとしてではなく……お前として、な。」

 そう告げると、手を離す代わりに、そっと火鉢へ炭を足した。

 すずのために。

 その仕草が、胸にじんわり染みていく。

 この冬、きっとまた忙しさは続く。

 けれど――すずは小さく拳を握った。

『……殿に恥じないように、がんばろう』

 雪が舞う十二月。

 小さな側室は、静かに、確かに成長していた。

作者はすずよりも怠惰です。

なので、これからはすずを見習ってきちんと責任を持って仕事をこなしたいと思います。

……結局思うだけね()

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