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キッサキハシレ、ツキトワラエ  作者: 葛城 聡
二章 赤坂城赤鬼
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大塔宮

 伊賀でサクラと過ごした後、吉野を経由して紫苑(しおん)は赤坂城へ戻ることになっていた。吉野は反幕派の重要拠点だった。

 金峰山寺(きんぷせんじ)を中心に多くの寺社が連なり、比叡山や興福寺と同様に僧兵という兵力を蓄えていた。

 ただし、修験者の霊山でもあるため、女である紫苑では入れぬ場所も多い。いつものように山のふもとでやりとりし、書状を届け、必要なものを受け取る。

 そこに数名の公家のような一団が通る。いや、腰に太刀があるので武者なのかもしれない。

「ほお、長巻(ながまき)を持ってはおるが、娘じゃな。ここらではめずらしい」

 ひとりの背の高い公家らしき者がこちらを見て言う。

 紫苑は警戒した。何者かわからぬ人間だ。幕府方の可能性もある。

 すると、もうひとりの若い武者風の男が紫苑を見る。

「あれ、関紫苑(せきのしおん)様では? ほら、赤松で会いましたよね。赤松則祐(のりすけ)です。坊主オヤジのせがれですわ」

 そう言って、ニッと笑う。

 紫苑は安心した。たしかに、播磨で会った赤松則村の子のひとりだった。

「ここで会えたのも何かのご縁、面通しくらいはしておきませんか?」

 その則祐が公家風の男に言う。

「噂の関長生(せきのながたか)の縁者であるなら、ぜひ、そうしたいが……」

 男が紫苑の方を一瞬見て、あわてて目を逸らした。

「じゃあ、紫苑様、女人禁制というても、途中までは行けます。そのあたりで、白湯(さゆ)でもご一緒に」

 則祐の言葉に紫苑は少し笑ってうなずいた。


 門をふたつほど抜ける。建屋がいくつもあり、その中のひとつに誘われる。

「女人であっても、ここまでなら誰も怒らん。これからも、紫苑様は通してあげてくれ。あんなところに立ちんぼさせておいていい方ではないぞ」

 則祐が守衛をする者たちにそんなことを言う。

「楠木様のところからの伝達ですか?」

 則祐が次は紫苑に聞く。

「まあ、そんなところですね」

 紫苑は軽く笑って返す。さっきの公家風はもじもじしてしまう。

「宮様、紫苑様はね、見ての通りのおそろしいほどの美人です。でもね、(よこしま)な気持ちはいけませんぞ。これで、私よりも圧倒的に強い。しかも、紫苑様の兄は長生様です。現世におる関羽です。誰も勝てません。あれだけは、ムリです」

 則祐が必死に言うので、宮と言われた公家風の男もさすがに笑う。

「ヒナギク、そう呼ばれる妹がいると聞かされています。その妹を守る天下一の剣士がいるとも聞きました。いつか、お会いしてお礼を申し上げたいと思っておりました。あなた様がその剣士の妹君なのですね」

 紫苑はただ驚く。宮という呼び方は冗談でもなんでもなく、そのままなのだ。この人はヒナギクの兄の誰かなのだ。

「叡山で仏に仕えておりますゆえ、大塔宮(おおとうのみや)などと呼ばれています。お会いできて、本当にうれしい」

 応じられずに、驚き続ける紫苑。公家風の男は、この回天事業の中心にいる人だった。そして、ヒナギクが会ったこともないと言った男だ。

 すると、則祐が急に割って入る。

「宮様、今日はここで留まりませんか? 誰も、宮様でさえ、紫苑様には指一本触れてはなりません。長生様に首をはねられます。ワシのオヤジさえ、ワシを殺します」

 その言い方に宮が不思議な顔になる。

「そこまで、怖いのか?」

 則祐は笑う。

「長生様はやさしいですよ。でも、剣先だけがこの世を超えて怖いのです。ウチのオヤジは、ただ見たまんまに怖い」

 大笑いする宮。紫苑に向き合う。はじめて目を合わし、頭を下げた。

「紫苑殿、何かご縁を感じます。ヒナギクの話をしてくれませんか? もちろん、あなたには指一本触れません。まだ関羽に斬られたくはない」

 紫苑は少し考えてから、うなずく。

「私はそんなに立派な娘ではありませんよ。でも、たしかに関長生の剣は恐ろしく、赤松則村様のお怒りは、雷鳴でしょう。なるべく、触れぬようにしましょう」

 そう笑う。そんな紫苑の顔を見て、宮はまた目を逸らす。則村は、むしろ、ボーっと見ていた。


「そこにお芋があるのです。丁寧にほじくるのです!」

 宮が芋の茎をたどらされる。必死に掘る。ゴロゴロと芋を掘り出す。

「よくできました! でも、これだけでは、おいしゅうない!」

 紫苑は宮と則祐を誘う。

「寺内では殺生できません。ですが、私たちは腹が減る。外に出ましょう」

 勝手に言い、弓を携えて山を下る。

「ほら、鳩がいます。さあ、宮様、則祐様、がんばりなさい」

 面食らった宮と則祐。だが、互いに武芸は磨いていた。

「スゴイ、スゴイ! 鳩と兎を射れましたあ。今日は、おいしい鍋になりますね」

 朗らかに褒められ、なんだかうれしいふたり。紫苑に言われるままに動く。

 気がつけば、目の前で鍋がグツグツと煮えている。霊山近くであっても、このあたりはまだ戒律にうるさくはない。それ以前に、誰も見ていない。

「煮えましたね。則祐様、味噌とノビルも入れてしまいましょう!」

 ただただ、則祐が従う。すぐに、うまそうな匂いに満ちる。

「食べませんか? これは、おいしいやつですよ」

 みんなで器によそう。目で合図して、口にする。

「ああ、おいしい!」

 宮と則祐は、口にした味に驚くと同時に、紫苑の笑顔に驚く。これは、たまらない!


「鳩も兎も命を絶ってごめんなさい。でも、私は元気になりました。あなたたちの命をいただき、私は明日を楽しく生きます。すみません」

 紫苑は幸せそうに鍋の肉を喰らいながら、そんなことをつぶやく。宮にとっては、女神がそう言っているようにさえ思う。

「紫苑殿は、いつもそんなことを言うの?」

 宮が不思議そうな顔になって聞いた。

「うん、いつも、そう思っています。私なんかはね、本当はゴミなんです。でも、ヒナと兄は、違うと言ってくれる。そうかもしれない。そうありたい、と思う。すると、いろんなことに感謝したくなるのです」

 紫苑はやっぱり笑う。月光に冴える美しい姿を宮は正視できない。

「私はヒナギクと名乗る妹がいると聞いたことがあるだけです。顔も知らない、関係のない存在だと思っていました。でも、紫苑殿と会うと、たまらなく、その妹に会いたいと思ってしまう」

 紫苑はゆっくりと笑う。

「宮様、そのときは、少しだけ気を遣ってあげてください。今日、あなたを知って驚きました。宮様って、兄の長生にそっくりなんです。背が高くて、やさしそうで、なのに、峻烈で……」

 宮が何も言えなくなる。

「ヒナギクはね、生まれてはじめて、そんな人を好きになったんです。あなたのお噂を聞き、心の中に持っていたのかもしれません」

 大塔宮は思う。父のめざすことのために、身からすべてを振り払い、生きてきた。これからもそう生きるだろう。でも、振り払ったものの中に、自身を幸福にしてくれるものがあったのかもしれない。

「あなたや長生殿のようなやさしい方に囲まれて、ヒナギクがうらやましいな。私には室もあれば子もあるが、根本的には、この則祐みたいな、悪童じみた者しかおらん」

 宮は自虐的に笑って、また椀を口にする。なんとも、うまい。何か飾るところが抜け落ちた気がしてくる。ようやく、まっすぐに紫苑の顔を見ることができた。

「宮様、おいしい?」

 笑う紫苑を、本当に美しいな、と思った。



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