大塔宮
伊賀でサクラと過ごした後、吉野を経由して紫苑は赤坂城へ戻ることになっていた。吉野は反幕派の重要拠点だった。
金峰山寺を中心に多くの寺社が連なり、比叡山や興福寺と同様に僧兵という兵力を蓄えていた。
ただし、修験者の霊山でもあるため、女である紫苑では入れぬ場所も多い。いつものように山のふもとでやりとりし、書状を届け、必要なものを受け取る。
そこに数名の公家のような一団が通る。いや、腰に太刀があるので武者なのかもしれない。
「ほお、長巻を持ってはおるが、娘じゃな。ここらではめずらしい」
ひとりの背の高い公家らしき者がこちらを見て言う。
紫苑は警戒した。何者かわからぬ人間だ。幕府方の可能性もある。
すると、もうひとりの若い武者風の男が紫苑を見る。
「あれ、関紫苑様では? ほら、赤松で会いましたよね。赤松則祐です。坊主オヤジのせがれですわ」
そう言って、ニッと笑う。
紫苑は安心した。たしかに、播磨で会った赤松則村の子のひとりだった。
「ここで会えたのも何かのご縁、面通しくらいはしておきませんか?」
その則祐が公家風の男に言う。
「噂の関長生の縁者であるなら、ぜひ、そうしたいが……」
男が紫苑の方を一瞬見て、あわてて目を逸らした。
「じゃあ、紫苑様、女人禁制というても、途中までは行けます。そのあたりで、白湯でもご一緒に」
則祐の言葉に紫苑は少し笑ってうなずいた。
門をふたつほど抜ける。建屋がいくつもあり、その中のひとつに誘われる。
「女人であっても、ここまでなら誰も怒らん。これからも、紫苑様は通してあげてくれ。あんなところに立ちんぼさせておいていい方ではないぞ」
則祐が守衛をする者たちにそんなことを言う。
「楠木様のところからの伝達ですか?」
則祐が次は紫苑に聞く。
「まあ、そんなところですね」
紫苑は軽く笑って返す。さっきの公家風はもじもじしてしまう。
「宮様、紫苑様はね、見ての通りのおそろしいほどの美人です。でもね、邪な気持ちはいけませんぞ。これで、私よりも圧倒的に強い。しかも、紫苑様の兄は長生様です。現世におる関羽です。誰も勝てません。あれだけは、ムリです」
則祐が必死に言うので、宮と言われた公家風の男もさすがに笑う。
「ヒナギク、そう呼ばれる妹がいると聞かされています。その妹を守る天下一の剣士がいるとも聞きました。いつか、お会いしてお礼を申し上げたいと思っておりました。あなた様がその剣士の妹君なのですね」
紫苑はただ驚く。宮という呼び方は冗談でもなんでもなく、そのままなのだ。この人はヒナギクの兄の誰かなのだ。
「叡山で仏に仕えておりますゆえ、大塔宮などと呼ばれています。お会いできて、本当にうれしい」
応じられずに、驚き続ける紫苑。公家風の男は、この回天事業の中心にいる人だった。そして、ヒナギクが会ったこともないと言った男だ。
すると、則祐が急に割って入る。
「宮様、今日はここで留まりませんか? 誰も、宮様でさえ、紫苑様には指一本触れてはなりません。長生様に首をはねられます。ワシのオヤジさえ、ワシを殺します」
その言い方に宮が不思議な顔になる。
「そこまで、怖いのか?」
則祐は笑う。
「長生様はやさしいですよ。でも、剣先だけがこの世を超えて怖いのです。ウチのオヤジは、ただ見たまんまに怖い」
大笑いする宮。紫苑に向き合う。はじめて目を合わし、頭を下げた。
「紫苑殿、何かご縁を感じます。ヒナギクの話をしてくれませんか? もちろん、あなたには指一本触れません。まだ関羽に斬られたくはない」
紫苑は少し考えてから、うなずく。
「私はそんなに立派な娘ではありませんよ。でも、たしかに関長生の剣は恐ろしく、赤松則村様のお怒りは、雷鳴でしょう。なるべく、触れぬようにしましょう」
そう笑う。そんな紫苑の顔を見て、宮はまた目を逸らす。則村は、むしろ、ボーっと見ていた。
「そこにお芋があるのです。丁寧にほじくるのです!」
宮が芋の茎をたどらされる。必死に掘る。ゴロゴロと芋を掘り出す。
「よくできました! でも、これだけでは、おいしゅうない!」
紫苑は宮と則祐を誘う。
「寺内では殺生できません。ですが、私たちは腹が減る。外に出ましょう」
勝手に言い、弓を携えて山を下る。
「ほら、鳩がいます。さあ、宮様、則祐様、がんばりなさい」
面食らった宮と則祐。だが、互いに武芸は磨いていた。
「スゴイ、スゴイ! 鳩と兎を射れましたあ。今日は、おいしい鍋になりますね」
朗らかに褒められ、なんだかうれしいふたり。紫苑に言われるままに動く。
気がつけば、目の前で鍋がグツグツと煮えている。霊山近くであっても、このあたりはまだ戒律にうるさくはない。それ以前に、誰も見ていない。
「煮えましたね。則祐様、味噌とノビルも入れてしまいましょう!」
ただただ、則祐が従う。すぐに、うまそうな匂いに満ちる。
「食べませんか? これは、おいしいやつですよ」
みんなで器によそう。目で合図して、口にする。
「ああ、おいしい!」
宮と則祐は、口にした味に驚くと同時に、紫苑の笑顔に驚く。これは、たまらない!
「鳩も兎も命を絶ってごめんなさい。でも、私は元気になりました。あなたたちの命をいただき、私は明日を楽しく生きます。すみません」
紫苑は幸せそうに鍋の肉を喰らいながら、そんなことをつぶやく。宮にとっては、女神がそう言っているようにさえ思う。
「紫苑殿は、いつもそんなことを言うの?」
宮が不思議そうな顔になって聞いた。
「うん、いつも、そう思っています。私なんかはね、本当はゴミなんです。でも、ヒナと兄は、違うと言ってくれる。そうかもしれない。そうありたい、と思う。すると、いろんなことに感謝したくなるのです」
紫苑はやっぱり笑う。月光に冴える美しい姿を宮は正視できない。
「私はヒナギクと名乗る妹がいると聞いたことがあるだけです。顔も知らない、関係のない存在だと思っていました。でも、紫苑殿と会うと、たまらなく、その妹に会いたいと思ってしまう」
紫苑はゆっくりと笑う。
「宮様、そのときは、少しだけ気を遣ってあげてください。今日、あなたを知って驚きました。宮様って、兄の長生にそっくりなんです。背が高くて、やさしそうで、なのに、峻烈で……」
宮が何も言えなくなる。
「ヒナギクはね、生まれてはじめて、そんな人を好きになったんです。あなたのお噂を聞き、心の中に持っていたのかもしれません」
大塔宮は思う。父のめざすことのために、身からすべてを振り払い、生きてきた。これからもそう生きるだろう。でも、振り払ったものの中に、自身を幸福にしてくれるものがあったのかもしれない。
「あなたや長生殿のようなやさしい方に囲まれて、ヒナギクがうらやましいな。私には室もあれば子もあるが、根本的には、この則祐みたいな、悪童じみた者しかおらん」
宮は自虐的に笑って、また椀を口にする。なんとも、うまい。何か飾るところが抜け落ちた気がしてくる。ようやく、まっすぐに紫苑の顔を見ることができた。
「宮様、おいしい?」
笑う紫苑を、本当に美しいな、と思った。




