垓下
翌朝、引き留める貞義に礼を言い、一行は尾張に向かう。
「尾張足利は守護家じゃ。どうする?」
長生はかなり面倒な案件に感じ、ヒナギクに問う。
「ああ、高経な。そもそも足利本家以上に源氏の本流に近い。新田に似とるが、あっちは無官、こっちは尾張守護。やりにくいの」
鎌倉幕府の守護なのだ。長生は、できればすっ飛ばして先に進みたい。
「この足利本家からの書状を届ければ、それでよいのでは?」
長生が言うのをヒナギクは聞く。あらためて、長生を見てみる。
「どうした?」
ヒナギクは笑う。
「まあ、高経が鎌倉に伺候しておればいいが、いると、ムリじゃろうなあ」
ヒナの言い方に、長生は変な気分になる。
「どういう意味?」
聞いていた紫苑が問う。
「まあ、いきなり殺されることはないと思うよ」
ヒナギクは、謎を残したままツキの頭をなでている。
足利の私的な書状を携える形なので、公的な守護所ではなく、私邸を訪ね、来意を告げる。かなり待たされ、次に奥に通される。
夜になって、呼ばれた。足利高氏に似て、色白で丸顔の男が見ている。
「ヒナギク君か、久しうござるの」
笑みも浮かべずに見ていた。
「足利高経、こっちにおったか。鎌倉かと思ったが」
高経はおもしろくもないように言う。
「姫君もわかっておろう? 今はできるだけ在地がいい」
すると、高経の目にヒナギクの後ろに控えた武者が映る。
「姫、その者は?」
ヒナギクはニヤッとする。
「私の家臣じゃ。関長生と、その妹の関紫苑」
言われた長生は下を向いたまま、頭を下げる。紫苑もあわてて倣う。
「兄の方は、強いな」
高経はまじまじと長生を見る。
「強いぞ。豪剣じゃ。私はそういう家臣を得た」
ヒナが言う。それを聞いて、はじめて高経が笑う。
「ヒナギク君にさえ、これだけの武者をつけたか! どうやら、本気じゃな」
高経は猛烈に長生に興味を持つ。奥に向かって声を上げる。
「瓶子と、何か持ってこい!」
どうやら、足利高経はヒナギク一行の品定めをしていたようだ。そして、価値が高いと見た。だから、小宴を開くことにしたのだ。
「聞いたことがある。お前、武蔵で噂の関羽の武勇、じゃな? かしこまらんでいい。好きに話せ」
言われて、長生はようやく顔を上げる。紫苑もマネをする。
「どう言われているかは、存じません」
そう答えた。
高経は質問を変えようと考える。
「お前がヒナギク君につくのだ。たんまり、積まれたのだろう?」
すると、長生はニヤリと笑い、高経を見る。
「もちろん、たんまりと積んでいただきました」
その顔に、高経は笑う。
「は、高氏が何を言おうが知ったことではないが、ヒナ様にお前ほどの豪勇がついた、というのがおもしろい。ワシは強い方に味方する。ヒナ様に味方する日が来るかもな」
とんでもなくキナ臭い話だ。だが、高経は高揚していた。
「関長生、何か見せろ」
長生は頭を低くする。
「ならば、剣舞でも」
「詩は?」
「垓下」
長生は覇王項羽の最後の詩を言う。高経は満足する。ヒナギクが言う。
「私が吟じましょう」
「力は山を抜きぃ、気は世を覆う~」
剣を抜いた長生は、ヒナギクの詩に合わせて舞う。構え、踏み込み、振りかぶる。動きにムダはなく、寸分もブレない。振ると、剣風が起る。
「ときに利あらずして~、騅逝かず」
長生は数歩飛んで、大きく回転する。下半身の馬力と、上体のしなやかさに高経が見惚れた。
「騅逝かざるを~、いかんすべき」
立て続けに左右に薙ぐ、ヒナギクの声に合わせるように、切っ先が突っ走る。
「虞や、虞や、汝をいかんせん」
長生は思う。敗亡を前に覇王項羽が愛する虞美人の末を思い嘆いた部分だ。
ヒナギクをそうはしない。思いが切っ先に宿る。音節ごとに剣がうなる。最後の一振りのすさまじさ。そして、両腕を広げ、天の方を向いた。
高経は呆然とした。口をポカンと開け、次に手を叩いた。
「あっぱれ、じゃ」
高経はまだ長生の背中を見ている。
「関長生、お前を雇いたい。何がいる?」
長生は剣を鞘に収めながら振り返る。
「武人の心は、銭や扶持では動きません。思いで動くのです」
長生の後ろに、煌々と月が輝いている。恐ろしく似合う武者だった。
「お前を従えたヒナ様が堂々としているのもわかる。まさに関羽の武。お前とは、戦いたくない。味方でおれ」
長生が笑って応じる。
「高経様が、そう生きていただければ、長生は終生、お味方です」
その言葉が足利高経にはうれしかった。武神関羽を麾下にした曹操の気分だった。
「何が起こっていたのですか?」
紫苑はわからなかった。もちろん、長生の剣舞のすさまじさは、彼女にもわかった。でも、高経がなぜ、あれほど驚いたのかわからない。
「高経はの、武者を見る目に長けておる。強く猛き者を見抜く力がある。だから、尾張足利の軍は強いし、強い方になびく。兄様の剣なら、まあ、イチコロじゃ」
ヒナギクの説明で、紫苑も合点がいく。とにかく、長生の舞は恐ろしかった。でも、気高くもあったのだ。舞とすべきではない、すべて斬撃なのだ。なのに、美しい。
「合理的な高経にとって、私なんかはどうでもいい娘。でも、兄様がいると意味が変わる。たった3人と1匹でも、価値ある軍団に見える。あの男の長所であり、弱点」
ヒナがさらに続けた。なるほどな、と紫苑は思う。
「まあ、これで三河、尾張の足利への役は果たした。後は河内と丹波にヒナが顔を出せばいい」
長生が話を整理した。でも、ヒナギクがニヤニヤと笑ってる。
「兄様、最後の、虞や、虞や、のところ、私を思ってくれた?」
意表を突かれた長生は、急にあわてる。図星だが、そうです、とは言えない。
「もうね、剣風がね、ヒナ、ヒナ、って呼んでるみたいで、うれしくて……」
ヒナギクが思い出して呆ける。
「兄様は高経様に剣技を披露しただけよ!」
紫苑が久しぶりにムッとして言う。
「違うなあ~、そうではないと思うよ」
相変わらず、ヒナはニヤニヤしている。吟じていたからわかる、剣の声があったのだ。




