39.希望(終)
「この間お前が言ってたこと、俺なりにずっと考えてたんだ」
んー……何の話だ?
「ユキさんが倒れた日、お前言ってただろ。何でオレの隣にいてくれるのかって。そんなの友達だからに決まってる! とか、俺がお前の隣にいたいからだろ! とか、その時は色々と思ってたんだけど、改めて考えてみて、なんか違うかもなって。見返りだとか恩返しだとか、そんなものを求めてお前に近づいたわけじゃない。俺はずっとそう思ってたけど、でも、実際は……」
一縷さんはまた黙った。口を何度か開閉させ、何かを言いかけ、そして苛立ち混じりに髪を搔きむしる。
「俺は、その……。お前を助けることで、過去の自分を救いたかったのかも……なんてな、あはは」
一縷さんは弱々しい声でそう言って俯いた。
「……何でそんなオドオドしてるんですか」
「こういうこと言うの、あんま好きじゃないんだよ。年下にはさ、いつだってカッコいい姿を見せたいじゃない? ぐだぐだ悩んでるカッコ悪い部分はあんま見られたくないのよ」
そう言えば、奥さんや娘さんのこととなると饒舌なのに、一縷さん彼自身の話を聞いたことはあまりない。
今思えば、敢えて避けていたのだろうか。攻撃は最大の防御という言葉もあるように、一縷さんは敢えてあけっぴろげな性格を装うことで、自分の弱い部分は見せないように振る舞っていたのかもしれない。
オレは一縷さんの過去を殆どと言って良いほど知らない。だけど、この人の弱みとも言えるだろうその部分を垣間見ることができたのは、その権利を少しだけでも得ることができたのは嬉しかった。
「そんなの今更だろ。オレ、初対面の頃からあんたのことカッコいいなんて思ったこと一度もないよ」
一縷さんは大袈裟に反応をしてみせる。
「え、ウソ! 僕ほどのプリティーダンディーイケメンビューティフルボーイなんて、世界中探してもそんなにいないと思うんだけど!?」
その自称が既にカッコ悪いよ。
「いいや。カッコ悪いね。あんた馬鹿だし、ヒモだし、無責任ヤローだし、鈍感だし」
「いくら何でも酷すぎじゃない? あと、ヒモじゃなくて専業主夫と言ってほしいなあ。これでもちゃんと、やることはやってんだからさ」
「……でも、それがあんたなんだろ」
オレの言葉に、一縷さんはきょとんと目を丸くさせる。
「カッコ悪くたって良いんじゃねえの。オレはそんなカッコ悪い小可さんのこと、嫌いじゃないですよ」
絶対に好きだなんて言ってやらない。あんたは調子に乗るだろうからな。
一縷さんがオレの言葉の真意を理解して調子に乗るよりも前に、話題を変えることにする。
「で、何の話だっけ。オレを助けることで、あんたの傷も癒やされるって話? そんなの、別に良いんじゃねえの。他意があるのは悪いことじゃないし、オレもあんたのその行動のお陰で散々助けられてきたし。こういうのって、Win-Winって言うんじゃない?」
本来ならば、「無私」の善意で済んでいたところを深掘りさせ、言わなくても良いことを言わせてしまったのは申し訳なく思っているのでフォローらしい言葉を投げかけてみるが、一縷さんの反応は微妙だった。
「あー、えーっと……そういう、現実的な話じゃなくってね」
オレはまた、言葉の選択を間違えたらしい。
一縷さんは腕を組み、うんうんと唸り始めた。かと思えば、
「俺が言いたいのは、えっと……そう!」
ぽんと手を叩き、歯を見せてニカっと笑う。
「お前の幸せは俺の幸せでもあるってこと。だから、ちゃんと幸せにならないと許さないからな。もしあの男に酷いことされたら俺に言えよ。今度こそぶん殴ってやる!」
オレの脳裏に、思い出の公園で見た桜の姿がふっと浮かび上がり、嵐のように素早く駆け抜けていく。
「……あんた、そういうとこだぞ」
「え、何が?」
「分かんないなら良い」
空港のアナウンスがしきりに飛び交う。
「希、そろそろ行かないと間に合わないぞ」
静観していた親父が話しかけてくる。
「今度こそ別れの時間が来たみたいだ。オレ、行かなきゃ」
「うん」
キャリーケースのハンドルを握りしめる。
「向こうに着いたらまた連絡するよ。じゃあな、小可さん」
踵を返そうとして、立ち止まる。
一縷さんが小首を傾げ、オレを見下ろす。
「ん? どうした? オレの顔に何かついてる?」
「……いえ」
しばしの別れが、オレの思考を大胆にさせる。
「小可さん。オレ、あなたに言い忘れてたことがあったんだ」
心臓が、ドクドクと早鐘を打つ。今にも口から飛び出してしまいそうだ。
「ん? 何のこと?」
「あまり人に聞かれたくないんで、耳を近づけてもらえますか」
普段通りを装わなくては。朝一さんがそうやって、親父を騙したみたいに。
「こう?」
「もっと近くに」
「はいはい」
「はいは三回」
「はいはいはい……って、なんか違うだろ」
オレの言う通りに顔を近づける一縷さん。
オレは一縷さんの肩に手を置き、頬に己の唇を押し付ける。ほんの一瞬だけ。目を閉じて、その感触を心に焼き付け、一縷さんから離れる。
「……ヘ?」
一縷さんは何が起こったのか分からないという顔をしていた。ゆるゆると手を持ち上げ、さっきまでオレが触れていた頬に添える。
「『月が綺麗ですね』
知らない言葉は、言う前に一度調べるべきだと思うぜ、一縷さん?」
からかうようにそう言えば、羞恥かそれとも怒りにか、一縷さんの顔が分かりやすく赤くなった。
どうやらあの後で、ちゃんと意味を調べておいたみたいだ。恥ずかしがるくらいなら、最初から調べておけば良いのに。
「お前な……」
「はは。びっくりしただろ」
「したも何も、この……」
一縷さんはわなわなと体を震わせ、苦し紛れに呟く。
クソガキ、と。
混乱し切った表情を見られてオレは満足だった。
これでもう、オレに悔いはない。
「良かったのか」
飛行機が発ってしばらく経過した頃、親父が不意に口を開く。
「何が?」
「あの小可という男には家族がいるんだろう。あんなことをしたら怒られるんじゃないのか」
母さんが亡くなってからも、決して再婚をしようとしなかった親父だ。恐らくそういうことには人一倍潔癖なのだろう。
もしかすると、オレと一縷さんがそういう仲だと勘違いしてるかもしれない。
「言っとくけど、付き合ってるわけじゃないからな。オレの一方的な片想いだ」
小可さんの名誉のためにも、一応訂正しておく。
「さっきのも、どうせあの人のことだから、過去の発言で揶揄われたってくらいにしか思ってないだろうしな。オレの思いには全然気がついてないよ。そういう人なんだよ、一縷さんは」
オレには人の男を奪う勇気なんて持ち合わせていない。何せ、相手は既婚者でオレはただの高校生だ。勝ち目がないことくらい端から理解している。
だから、冗談で済む範囲で気持ちを伝えることにした。
友達だと思っていた相手にそういう感情を向けられていたと知ったら一縷さんは傷つくだろう。お互いのためにも、オレの思いをあからさまに伝えるわけにはいかない。
こういうのも、逃げてるっていうのかな。朝一さん辺りにバレたら「ちゃんと向き合っていない」と言われるかもしれない。
でも、これで良いんだ。
思い出を作って別れるくらいは許してほしい。それ以上は望まないから。
全く。ユキさんと言い一縷さんと言い、オレの恋は叶わない運命にあるのかもしれない。
「……それはどうだろうな」
親父は不意に、ぽつりと呟く。
「え?」
「私はあの男のことをあまり詳しくは知らないが。だが、お前が言うように無責任だとは思わなかった」
うっすらと笑い、親父は頼んでおいたワインに口をつける。
「家族を捨ててお前を選ぶような奴だったなら、そもそもお前はあの男を好きになってはないだろう?」
冬が過ぎ、春が訪れようとしている。
オレは桜が好きだった。
風が強く吹き、桃色の花びらを辺りに散らすその様子は、儚くもあり、力強さも感じさせる。
生と死は表裏一体だ。終わりは始まりの合図でもあり、ひとつの恋が終焉を迎えることは、必ずしも永遠の死を意味するわけじゃない。
そう信じても良いのかな。
「……そうかもね」
カメラロールを開き、小可さんとユキさんの三人で撮った写真を眺める。
「クソガキ」とオレを呼ばわった先程の小可さんの表情を思い出し、快活に笑う眼前の好青年と比べながら、親父にはバレないようにこっそりと笑う。
余所行きのあの笑顔を最後に崩すことができたのが、オレは嬉しくて仕方なかった。
あと一話、番外編があります。




