第15話 再生魔法
魔法名:再生魔法
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説明:生物の回復を促進させる。
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記録:
目を開けた。
目の前のベッドに寝かされていた女の子が、目を開けた。焦点の合わなかった瞳がゆっくりとこちらを向く。唇が動いた。
「せんせい」
三日ぶりの声だった。
母親が泣き崩れた。娘の手を握って、何度も額に口づけした。女の子も弱々しく握り返した。その指先に、昨日までなかった力があった。
私は息を吐いた。張りつめていたものが、一気にほどける。
よかった。
本当によかった。
この瞬間のために、十年この村で医者をしている。
再生魔法は、生き物が自分で治ろうとする力を押し上げる。傷なら早く塞がる。熱なら早く引く。骨なら早くつく。奇跡ではない。体が元から持っている働きを、少し急がせるだけだ。
師匠は言っていた。
「良い魔法だぞ。術者の魔力は使わない。患者自身の魔力で回る。だからお前は何人にでもかけられる」
その言葉の通りだった。私はこの魔法で村人たちを治してきた。薪割りで斧を滑らせた男。肺を悪くした老婆。木から落ちた子供。みんな回復した。みんな礼を言って帰っていった。
だから、今回も同じはずだった。
最初は旅の商人だった。高熱、咳、赤い斑点。見たことのない病だったが、未知の病そのものは珍しくない。旅人は病を運ぶ。冬ごとに流行り病の顔は変わる。私は診て、薬を煎じ、寝かせ、それでも苦しそうなら再生魔法を使う。それだけだ。
商人は回復した。
二日で歩けるようになった。三日目には粥を食べ、四日目には笑った。礼を言って、村を出ていった。
その翌週、同じ症状の患者が三人出た。
私は全員に再生魔法をかけた。全員、一度は良くなった。熱が下がり、水が飲めるようになり、顔色が戻った。家族は泣いて喜んだ。
その翌日に、また悪くなった。
前よりもひどく。
咳は深くなり、斑点は濃くなり、息をするたび喉の奥で嫌な音がした。私は薬を変えた。煎じ方を変えた。部屋を暖かくし、寝具を替え、水を飲ませた。再生魔法ももう一度使った。
また、一度は良くなった。
そしてまた悪くなった。
その繰り返しだった。
村に不安が広がるのは早かった。狭い村だ。誰が咳をしたか、誰の家で泣き声がしたか、すぐ知れ渡る。井戸端で声が潜む。扉が早く閉まる。子供が外で遊ばなくなる。
私は家々を回った。朝から晩まで回った。熱を測り、胸の音を聞き、薬を配り、魔法をかけた。
私なら治せると思っていた。
治せなければならないと思っていた。
ある夜、最初に目を開けたあの女の子の家に呼ばれた。呼吸が苦しいという。駆けつけると、女の子は布団の中で肩を上下させていた。母親が泣きながら背中をさすっている。私は迷わず再生魔法をかけた。
女の子は少し楽になった。呼吸が浅くなる。母親が何度も頭を下げた。
「ありがとうございます、先生」
私は頷いた。
そのとき、そうする以外のことを知らなかった。
翌朝、隣村から使いが来た。似た病人が出たという。私は薬箱を持って馬に乗った。隣村でも同じことをした。熱を測り、胸の音を聞き、再生魔法をかけた。みな一度は持ち直した。
一週間後、隣村は沈黙した。
家の戸が開かない。井戸に誰も来ない。犬だけが痩せて歩いていた。私は馬上で立ち尽くした。何が起きたのか理解できなかった。理解したくなかった。
元の村に戻ると、こちらも同じだった。
半分が寝込み、半分がそれを看ていた。看ている者も咳をしていた。私はそこで考えるのをやめた。考えている暇があれば、一人でも診るべきだと思った。
家を回った。
また回った。
翌日も、その翌日も。
再生魔法は便利だった。私の魔力は減らない。手は震えない。足もまだ動く。眠る時間さえ削れば、いくらでも回れる。私は村で唯一の医者で、唯一の魔術師だった。倒れるわけにはいかなかった。
だから、もっと強くした。
軽く背を押すだけでは足りないなら、もっと深く。もっと長く。体の奥まで届くように。熱の芯まで、咳の根まで、病の巣まで届くように。
患者はそのたび、一瞬だけ良くなった。
目を開ける。水を飲む。家族の名を呼ぶ。立ち上がろうとする者もいた。
そのたびに、私は安心した。
そのたびに、次の日にはもっと悪くなった。
熱は前より高くなった。咳は前より深くなった。痰に色が混じり始めた。皮膚の斑点は広がり、昨日まで歩いていた男が、今日は起き上がれない。
なぜだ。
薬が違うのか。煎じる水が悪いのか。食事か。井戸か。旅人か。空気か。
再生魔法が悪いはずがない。
この魔法で私は十年救ってきた。間違うはずがない。これまでだって治してきた。村人たちはみな知っている。私も知っている。
なら、今回は病が悪すぎるのだ。
そう思った。
そう思おうとした。
だが、頭のどこかで、ずっと同じ光景が引っかかっていた。
一度良くなる。
それから、もっと悪くなる。
一度良くなる。
それから、もっと悪くなる。
私は夜中に目を覚ました。窓の外は暗かった。机の上の薬草も、診療記録も、洗っていない器具も、全部見慣れたものだった。
その中で、師匠の言葉だけが妙にはっきりしていた。
患者自身の魔力で回る。
患者自身の。
患者の体の中にあるもので。
体の中に、あるもの。
私は立ち上がった。椅子が倒れた。診療記録を掴んだ。発症日と悪化日、魔法の使用回数を書き並べる。震える指で頁をめくる。最初の商人。三人の患者。隣村。あの女の子。全部同じだ。
再生魔法の後に、少し持ち直す。
その後、強くなる。
まさか。
いや。
違う。
違うはずだ。
そんなことがあるはずがない。再生魔法は治療だ。回復だ。命を助けるための魔法だ。
私は記録を閉じた。
考えている暇はなかった。もう夜明けだった。まだ助けられる者がいるかもしれない。まだ息をしている者がいるかもしれない。
私は外へ飛び出した。
村は静かだった。
静かすぎた。
最初に向かったのは、あの女の子の家だった。最初に目を開けて、「せんせい」と呼んでくれた子だ。もしまだ生きているなら、今すぐ何かしなければならない。何か。たとえそれが何かわからなくても。
走った。
扉の前に、母親が座っていた。
泣いてはいなかった。
ただ、膝の上に小さな手を置いていた。もう握り返さない手を、両手で包んでいた。
私を見上げた。
その目にあったのが責める色だったのか、祈る色だったのか、私には最後までわからなかった。
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あとがき:
再生魔法は、長く善性の魔法と考えられていた。
術者の魔力を消耗せず、対象の回復を早める。小規模な傷病に対しては有効であり、実際、多くの命を救ってきた記録がある。問題は、この魔法が何を「対象の回復」に含めるかを厳密に区切っていなかった点にある。
体内に侵入した病原体もまた、生きている。
再生魔法は宿主だけでなく、宿主の内側に存在するものにも作用しうる。病原体がその効果を受けた場合、回復と増殖が促進される。さらに対象自身の魔力を消費するため、術者は疲弊せず、誤った治療を大規模に繰り返すことができる。
善意で使われるほど被害が拡大する。
再生魔法が禁忌に指定された理由は、そこにある。
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会話:
「…………」
「…………」
「…………」
「……きつかったか」
「きつかったっす」
「……そうか」
「本人はずっと助けようとしてるじゃないっすか。むしろ真面目すぎるくらいに。だから途中まで、読んでる側も『たまたま今回は変な病なんだろ』って思いたくなる」
「思いたいだけだ」
「いや、でも思うっすよ。だって医者が治療して悪化させてるなんて、普通は考えたくないじゃないですか」
「考えたくないことほど、記録ではよく起きる」
「しかも魔力を使わないのが最悪っすね。善意のまま何十人でも何百人でも回れちゃう」
「善意に歯止めはない。どの禁書も変わらない」
「……変わらないっすね」
「…………」
「……あの、一個だけ」
「なんだ」
「……これ、一個前のリセットの原因に似てないっすか」
「…………」
「伝染病で世界が壊れた、って前に聞いたじゃないっすか。この世界の一個前に。それって、もしかして」
「…………」
「あ、いや、違ったら──」
「……次の記録に移ろう」
「…………はい」




