悪役公爵の得たものと失ったもの
申し訳ございません!
こちらと次のエピソードが抜けておりました!
「お茶を淹れましょうか」
「ああ、頼むよ」
シルヴァールはアシュフォードが驚くほどに多方面に才能を発揮した。書類の作成は正確で計算も速いし、アシュフォードが使用人を頼らず身の回りのことはほぼ全て自分の手で行うと知ってからはその手伝いまでするようになった。
それも、何故か嬉々として。
「なかなか旦那様の領域までは至りませんが」
「はは、これでも20年はやってるんだ。お茶に関してはそうそう負けられないな」
初夜の夜に彼に本性を知られてから、アシュフォードの口調が徐々に気安くなっていった。
「うん、美味いよ」
貴族とは思えない程砕けた話し方なのだがその口調は柔らかで品があり、15歳も年下の若輩者に対しても敬意と思いやりを向けてくれる。
これまで好色な視線や家格の高い者からの傲慢な言葉を数え切れないほど浴びてきたシルヴァールは、アシュフォードの穏やかな人柄がすっかり気に入っていた。
執務室のドアがノックされ、アシュフォードとシルヴァールは軽く視線を合わせると、シルヴァールは心得たようにアシュフォードの膝に乗った。
アシュフォードはその腰に腕を回して抱き寄せる。
シルヴァールの手はアシュフォードの肩に置かれ、そうして執務机の向こうからは顔が見えないようにそっと顔を背けた。
無理矢理にそうさせられているかのように見えるように。
アシュフォードは時折使用人を呼びつけてはその姿をわざと見せつけた。
そうすれば買った花嫁に執着する悪辣侯爵の醜態を、使用人達が面白おかしく広めてくれるのだ。
「入れ」
「アシュフォード様、失礼致します」
執務室に入ってきたのは、先々代の頃からネルベルク公爵家に仕える執事長であった。
新婚夫夫としては間違っていないような気もする姿の2人に、ほんの一瞬、視線が彷徨う。
老獪な執事長にしては珍しい事だった。
彼は表向きアシュフォードにも忠実であったが、アシュフォードからすると『ネルベルク公爵家』そのものに仕えているという印象だ。
「シルヴァールを何故客間に?」
初夜の翌日、執事長に訊ねたところ、
「ようやく仰いましたな」
とやり返されてアッシュは苦笑するしかなかった。
原作でそうなっていたからとは言えない。
「王城より夜会の招待状が届いてございます」
銀のトレイに載せられた封筒は、最も格式の高い意匠のもので、王家の紋章の封蝋が押されていた。
「来たか」
王族の面々が次々と脳裏に浮かぶが、どれもうんざりする程に楽しそうだ。
「御使者が返事を持ち帰るよう命じられていると」
「まあ、そうだろうな。シルヴァール」
「はい」
「便箋の用意を」
「かしこまりました」
シルヴァールはするりとアシュフォードから離れて、キャビネットの方に向かっていった。
それは使用人もおいそれとは近付けない、重要な書類や印章が収められたキャビネットだ。
「奥様に管理をお任せに?」
「ヴィクトールが不在だからな」
「当家の従僕は1人きりではございませんが」
「あの美しく憐れな妻よりも信頼出来る者がいるなら推薦してみろ」
自分が実の親に大金で売られたと知っている花嫁は、逃げる事など出来るはずが無い。
しかも今はアシュフォードが片時も離さず、ある意味牢獄にいるに等しいだろう。
「旦那様、こちらを」
革のトレイに乗せられた便箋は、ネルベルク公爵家の家紋が漉き込まれた最上級のものだ。
アシュフォードは何も指示して居なかったが、きちんと正しいものを用意した。
貧乏伯爵の三男に何ができると使用人達は侮っているが、後ろ盾も無く貴族学園を主席で卒業するような男が、只者であるはずが無い。
その事実を知る使用人は、この執事長位なのだが。
貴族的な修飾過多の、長々とした文面を乱暴に訳すならば『お前結婚したんだって?興味あるから夜会に連れて来い。必ず夫夫同伴で来いよ!』といったところか。
「尊き方々は、随分とお暇であらせられるようだな」
了承の返事をこれまた装飾過多で長々とした文面を手早く書き上げる。こちらも訳すならば、『忙しいんですけどね。お呼びとあらば参上しますよ。うちの嫁すげえ美人だから驚くなよ』となるだろう。
封筒に収め、返事をしたためている間にシルヴァールが用意していた蝋で封印を押す。
「これを使者殿に」
「かしこまりました」
それと、とアシュフォードは続けた。
「仕立屋を呼んで妻に公爵家に相応しい衣装を用意しろ。いつまでも伯爵家にいるつもりでは困る」
シルヴァールは粗末では無いが、高級品とも言いがたい、使用人のお仕着せに近いようなシンプルなシャツとトラウザーズを着ている。
公爵夫人の着るようなものではないだろう。
「それと、ヴィクトールが戻ったらこちらに顔を出せと」
「仰せの通りに」
執事長は一礼して退室していった。
妙な気詰まりから解放されて、一気に脱力する。
「執事長は見ての通りやり手だから気をつけてくれ。俺はいつでも試験を受けてるようなもんだ」
そう言って苦笑する。
「試験、ですか」
「まあ、ギリギリ赤点ではない、というのが俺のスタンス。しかしキミの事はきっと印象が変わっただろうよ」
アシュフォードはシルヴァールの魅力は美しい顔だけではないと、少しずつ広めていくつもりであった。
そうやって、物語のエンディングに向けて、シルヴァールの居場所の立ち位置を強固にしていく。
「旦那様が赤点とは思えませんが」
「花嫁を金で買って、夜毎無体を働く男だぞ」
「無体なさってくださってもよろしいのですよ」
「そーゆーのはよくないと思いまーす」
シルヴァールの言葉を冗談だとでも思ったのか、アシュフォードは軽く流してしまった。
シルヴァールは地獄みたいな実家から連れ出した自分に、感謝しているのは間違いない。
恩義から花嫁の勤めを果たそうと気負っているのだろう。
シルヴァールには、まだ出会っていない運命の恋人がいる。
本当ならすぐにでも引き合わせてやりたかったのだが、そういう訳にはいかなかった。
できうる限りに原作の流れに合わせなければならない。
運命の出会いは、夜会の後だ。
しかし原作通りにと躍起になるほど、自分の保身のために若い2人の時間を無駄にさせている様な気もするのだ。
「……すまん」
アシュフォード本人にさえ何に向けたのか分からない呟きが零れた。




