交差する言葉 3日目
本ページは「3日目」にあたりますが、文字数の関係上冒頭は「2日目」の続きからになっております。
「れーくーん」
「…………」
「あはは、寝ちゃった」
蓮はギルくんから貰ったぬいぐるみを抱いて、横向きに寝ていた。こんな姿初めて見る。体が熱い。額を触った時の蓮の体温と同じくらいだ。
……ギルくんに蓮が体温高かったことを言うべきかな。
「……れーくんがね、俺の家で寝るときってだいたいれーくんが体調崩したときなの」
突然そんなことを言う。
「学校から帰るときに体調悪そうにしてたら俺の家に連れて行くんだ。れーくんが先に早退したときはどうしても連れて行けないんだけどね。だから、俺のベッドで寝ることあんまりないから、れーくんのぬいぐるみぎゅーってしてるところあんまり見れないんだけど、これでいつでも見れるようになる。あはは」
それでぬいぐるみを選んだのか。この歳で貰うのは嬉しいものなのかと思うけど、蓮なら心で喜んでそう。蓮はぬいぐるみを買ってもらうなんてこともなかっただろうし。現に今も抱いて寝てるし。
「れーくんね、こういう修学旅行とか慣れない環境が何日か続いたら体調崩しちゃうの」
「…………」
「だからね、さっき敬助くんがれーくんをぎゅってしてた時気づいたと思うんだけど、温かいというより熱かったでしょ? ……たぶん熱出しちゃってる」
「…………」
これが俺とギルくんの蓮と過ごした日の差なんだろうな。俺はそんなことわからなかった。蓮にごまかされて。
ギルくんは蓮の枕元まで移動して、さらさらとした前髪を上げて額を触った。
きっと蓮は慣れない環境をストレスに感じるんだろうな。その熱もストレスから来た熱。いつから熱を出していたのかはわからなかったけど、少なくともホテルに帰るときには出し始めてたのかも知れない。眠たいという理由だけかもしれないけど軽くフラフラしてた。
蓮は自分の体の不調について本当になにも言ってこない。俺らを頼ってくれない。蓮にとって俺らは信頼できる人間じゃないのか? 俺のこと信じてくれてないのか?
ギルくんは蓮の頭を優しく撫でていた。
「れーくんね、寝てるときに頭撫でたらちょっと悲しそうな顔するんだ。なんでだろ。三年くらいずっとわかんないままなんだ。敬助くんはなんでだと思う?」
ギルくんはやっぱり蓮の過去を知らない。蓮の傍で生きた過去はあるけど、蓮の家のことを知らないみたいだ。
「さあな。嬉しいんじゃないか」
「嬉しい? でも悲しそうな顔だよ?」
「……きっと嬉しいんだ」
「……そっか」
他人の過去を勝手に教えることはできないから、ギルくんがここで引き下がってくれてよかった。
「ギルくんは部屋に戻らなくていいのか?」
「うん。まだ寝るまで時間あるし、れーくんの様子見ときたい。あーほんとグッパーで決めようなんて言わなきゃよかったー」
言わなかったら、俺は蓮と違う部屋だったのかな。俺は言ってくれてよかったって……思ってしまう。
……そろそろ荷物まとめよっかな。お土産の袋が何個かあるのは少し邪魔くさい。
お土産は親にあげるものと妹の心美にあげるものを買ってきた。仏壇に置くくらい許されていいはずだ。どうしても食べ物は俺らが食べることになってしまうから物だけになってしまうけど、それでもいいかな。せっかくなら大阪の名物食べてほしかったけど……。
駄目だ、悲しくなってきた。こんなときまで心美のこと考えて泣きそうになってたら怒られる。笑え、笑え……。
こういうときは蓮の顔を見て悲しみを吹っ飛ばすのがいい。立ち上がって蓮が寝ているベッドを見た。まだギルくんはいて蓮の背中を優しく叩いてる。蓮は悲しそうな顔をしていなく、ずいぶん癒されてるみたい。俺もその顔を見て癒される。
ギルくんの傍にしゃがみ込めば、幸せそうに話しかけてくる。
「れーくんって、起きてるときはいつも無表情でなにか言いたそうな顔もしないんだけど、寝てるときは素直に表情に出してくれるから、俺も嬉しいんだ。さっきはちょっと悲しそうな顔してたけど、今はすっごい楽そうな顔してる。
一回ね、受験シーズンにね、れーくんがすっごく体調崩してお昼に寝てたんだけど、静かに泣いてたんだ。それ見て俺すっごく悲しくなっちゃって、俺にできることないかなって、それで温泉に連れて行ったんだ。
れーくんつらいとか苦しいとか全然外に出さないから、ほんとにほんとに俺心配で、今回の修学旅行も心配だったんだ。れーくんの苦手が詰まっちゃってる行事だから。実際、熱出しちゃってるし。でも泣かないからまだ大丈夫なのかなって。
このあと俺部屋戻んないと駄目だけど、もしれーくん泣くようなことあったらいっぱい撫でてあげてくれない? れーくんお母さんもお父さんもいない」
とっさにギルくんの口を抑えた。
「んーんんん?」
この部屋には蓮の事情を知らない柊がいるんだ。今の言葉を聞かれたかと思って柊のいるほうを見てみたけど、イヤホンしてスマホを横にして親指ですごい叩いてた。たぶん音ゲーしてる。聞かれてないならいいか。
「あんまりペラペラと蓮の家のこと言わないようにな。今だって柊がいる。イヤホンしてるみたいだからよかったけど」
「あ……うん。気をつけるよ。でもとにかく、……その、いないから、学校であったことも楽しかったことも話せる人いないから、家でずっと寂しい思いしてると思うんだ。俺が悲しいことあったときとかはお父さんに話すことあるけど、れーくんはお母さんたちにできなければ、俺にもしてくれないから。もし泣いてたらいっぱいよしよししてあげて」
「……たくさんしとく」
ギルくんは抜けてるところがあるけど、その分蓮のことをすごい思ってるみたいだ。ずっと過ごしてきたから、蓮が抱えてる思いを少しくらいは理解してるんだろうな。俺はあのことへの思いくらいしかわかってあげられない。他のことへの思いを理解してあげるには過ごした年月が少なすぎる。
俺はギルくんには勝てない。
「なあギルくん」
「なあに?」
ギルくんは蓮の肩を優しく撫でて、頭をチラリとこちらに向けた。
「ギルくんにとって蓮はどんな存在?」
「……俺にとって、れーくんの存在? そうだなぁ……。あはは、難しい質問するね。パッて思いついたのは大好きで大切な存在だけど、たぶん違うよね。敬助くんが求めてるのは」
「…………」
「あはは……」
俺はこの質問に真剣に向き合いたいんだ。
「そうだなぁ……真っ暗だった場所に、光を照らしてくれた救世主、みたいな、俺を救いだしてくれた人みたいな。……同じ言葉か。あはは。でもそんな感じ。れーくんは俺を救ってくれた優しくて大好きな、すっごい大切な人かな。今から離れるなんてできないよ。これからも一緒にいて、一緒に過ごしたい。将来はれーくんと一緒に住んじゃおっかなーなんて言ってるんだけど、れーくんは嫌だって。あはは。理由聞いたらうるさくするだろうからって。俺そんなにうるさいかな。あはは。あ……ごめんね俺の話ばっかりしちゃって。敬助くんは? れーくんはどんな存在なの?」
「……俺は……」
俺にとって、蓮の存在……。
「俺に生きることを教えてくれた、いや、生きる理由をくれた人……どっちもかな。でもギルくんと同じ感じさ」
「あーパクられたー、あはは」
「ちょっと借りただけさ。……でも俺を救ってくれたのは確かだし、蓮を少しでも救えてたらいいと思ってる。……絶対に失いたくない存在」
「……俺も。れーくんはみんなのヒーローだね」
一瞬淡い空気に包まれた感じがした。夢を見ているような、そんな意識が薄れた感じが。けど、それは扉が勢いよく開かれたことによって途切れた。
「わっ!」
「寝る時間だぞー」
「……びっくりした……。もっと静かに開けてよ先生」
「静かに開けて英川の耳元で囁けばいいかー?」
「そんなこと言ってないよー。それされたら絶対俺怖くてもっと叫んじゃう」
「はっはー。とにかく、英川も部屋戻って布団に入ってこい」
「はーい」
少し残念そうな声で言ったあと、立ち上がって小声で言った。
「じゃあ、れーくんのことお願いね。泣いてなくてもいっぱいよしよししてあげてね」
それだけ言うと、部屋から出ていった。泣いてなくとも撫でられるなら撫でるさ。
「新藤はもう寝てるのか。……影島、柊が気づいてないみたいだから言ってあげてな。おやすみー」
蓮が熱を出していること言っておいたほうがいいかと思ったけど、返事をする前に扉を閉めていった。まあいいか。明日には下がってるかもしれないし。
――いっぱいよしよししてあげてね――
背を叩かれなくなった蓮はいつもと同じ、なに考えてるかわからない顔をしてた。でも少しだけ顔が緩んでる。軽く撫でてあげれば、やっぱり悲しそうな顔をする。起きてたら絶対に見せてくれない顔。
人間が寝てるときは確かに無防備だけど、蓮は無防備すぎる。感情をすぐに出すし、酷ければ泣きもするみたいだ。……今思えば、あの時も少し悲しそうな顔をしてたかもしれない。
でも、俺が十分にできないことを大切な人がしてくれるなんて、どれだけ嬉しくて微笑ましくて、羨ましいことか。蓮はただ食べて寝て、人生を楽しんでくれたら俺はそれだけでいいんだ。できれば感情がなければ、なんて思わないでほしい。
俺でいいならいくらでも抱いてやれる。一緒に寝てやれる。だから、一人で生きようとしないでほしい。
体が妙に熱くて目を開ける。頭がぼーっとしてここがどこかもわからない。ただ真っ暗で、二人分の寝息が聞こえる。きっと隣室からのいびきも聞こえる。
そうだ、修学旅行で今はホテルにいるんだった。
頭がはっきりしてそう思いだすも、とにかく熱くて布団から出て服を揺らす。
今は何時だろう。もうすぐ起床時間だろうか。そう思ってスマホを探して画面をつける。時刻は三時二十六分。起床時間まではあり余る。
起床時間まで起きることは断念して布団を被り直す。が、体の内から熱が湧き出て目が冴えてしまう。きっと、熱を出している。八度前後の。
熱い。でも、明日のためにも寝たい。けど寝れない。普段ならできることができなくなるというのはどれほどストレスがかかるものか。改めて思う。
いっそのこと本でも読もうか。そう思うがここには昨日泊まった宿のような文机がなければ椅子の上には誰かの荷物が載っていて、それをどかそうとした音で起こしてしまうかもしれない。
だから必然的に床に座るか、ベッドで読むかになるが、床だと尻が痛くなるし、ベッド、特にこれくらいふかふかなベッドだと逆に集中できない。
「…………」
もういい。諦めよう。
体調もあまり良くないし、今のうちに少しでも悪化させないように寝ていよう。眠れなくても目だけ瞑っていよう。目を瞑るだけでも休養できているとかなんとか見たことがある。
いつもながら、なぜかこうして体調が悪くなれば、特に熱を出せば寂しさがどこかから湧き出てくる。目頭が熱くさえなってくる。
ぬいぐるみを強く抱き直す。
駄目だ。これ以上は。気分を晴らさないと。
チラと左右を見てケイと柊の寝ている様子を見る。ケイは天井に向かって、柊は僕に背を向けるように寝ている。
もう一度ケイを見る。なぜかはわからない。けどケイはすごく、安心できるんだ。
ゴソゴソと布団を動かして足元を不安定にさせながら立ち上がる。そしてケイのベッドに近づいてあわよくばと少しだけ掛け布団に入る。……すごくあたたかい。
やっぱり安心する。ケイが傍にいると。
布団の下には腕があってそれを僕の背に回した。そうするととても温かくなる。心地よくて温かくて、眠たくなってくる。いっそのことここで寝てしまいたい。
そう目を瞑ればすぐだった。
「――きろ蓮」
起こされている……?
「朝だぞー」
起こされている。重い瞼を薄らと開けてみれば、制服姿のケイが覗き込んでいた。
「おはよ」
「……おはよう」
どうやら僕はきちんとベッドで寝ていたらしい。ケイの傍で寝たのは夢だったか?
「昨日は一番だったのに、今日は最後だな」
そうらしい。柊も制服に着替えている途中だ。
「それより、今日起きたら蓮が俺のベッド横にいたんだけど?」
夢じゃなかったらしい。
けど、ケイの傍に行った理由、寂しくなったなんて情けないことを言えるわけもなく、僕はただ「知らない」と白を切った。
「ふーん? もしかして……俺がベッド間違えてたとか?」
「違う、ケイは間違えていない。ただ……」
「ただ?」
「……なんでもない」
顔を逸らしてはケイを背にして寝転ぶ。
体が重たい。もう一度寝たい。ぬいぐるみを引き寄せて足で蹴飛ばされていたらしい布団を被った。
「寝るな。べつになにがあったとかは詮索しないから、準備だけ、もう三十分もすれば食堂行くんだからさ」
ケイに布団を引き剥がされる。寒くて体を丸めた。
「べつに空いてない」
「空いてなくとも朝は食べないとだろ。ただでさえ脂肪ないんだから、倒れるぞ」
「……そんな簡単に倒れない。僕はケイではない」
「そりゃどうも」
のっそりと起き上がって、軽く頭痛がするのを覚えた。この程度なら過ごせるだろうが、悪化してしまえば周りに迷惑をかける。できるだけ安静にしておきたい。
目をこすって洗顔したあと制服を探り出す。ネクタイや靴下といった小物類も探す。が、どうも腕時計が見つからない。底にいってしまったみたいだ。まあいい。あとで探そう。
ベッドに座って寝巻きから制服に着替えていく。その間ずっとケイが見てきて少しやりづらかった。なにかと問うてもなんでもないと答える。やけに真剣そうだったから、余計にわからなかった。
眠気覚ましにコーヒーを買ってこようかと思えば、ケイが買ってあると渡してきた。ここまで気を利かせてくれるのは逆に怖い。が、構わず飲んだ。冷えた体が温まる。抱き心地のいいぬいぐるみを抱えているのもあるかもしれない。ぬいぐるみは偉大だ。
「…………」
腹が痛くなってきた。わかりやすく腹からぎゅるると言う。くだしたな……。
トイレに入ろうとドアノブをひねろうとするが、あいにく誰かが入っている。けどすぐに水の流れる音が聞こえた。もう出てくるらしい。助かる。
扉から出てきたのはケイだった。出てすぐに僕が立っていたからか少し驚いていた。
「どうした?」
「……腹痛い」
「そりゃ悪かった」
潔くどいてくれてトイレに入る。
昨日ヘンなものを食べたかというと食べてはいない。それに昨日は班員やギルと同じものを食べたからもしヘンなものに当たったとすれば他の人も当たっている。が、そんな様子はない。
となれば単に僕の腹や体が弱い故の腹痛。
トイレに出たら今度はケイが前に立っていた。
「……また入るのか」
「いや、さっき酷い顔してたから大丈夫かなって。便秘?」
排泄音は聞かれたくないから立たないでほしかったんだが。
「……構うな。それに話が汚い」
「……下痢?」
「耳は付いているか。……下痢」
「水飲んどけよ。それと移動中腹痛くなったら我慢すんなよ。薬買ってこようか?」
「要らない」
そもそも外に出られないだろ。
ケイは部屋には戻らず、外に出ていった。
腹も落ち着いた。トイレに行く前と同じようにベッドに座って、しばらくコーヒーを飲んで時間が来るのを待っていた。
途中隣の部屋からドタドタと音が聞こえ、止んだかと思えばギルが部屋に入ってきて抱きついてきた。そのときコーヒーをこぼしそうになって焦る。
「ギル、昨日もだったな。飲んでるときに勢いよく」
「昨日じゃないよ、一昨日だもん」
向かい合うように僕の脚に尻を置いてからひょっこり顔を上げて、どうでもいいことを反論してくる。
「とにかく、いきなり抱きつくな。今度したらほんとに家に上げない」
「……わかったよ。れーくん喜ぶかなってしたのに……」
どう考えたら喜ぶと思ったのか知りたいが、そんな意図があったとはな。
「……してもいいが、時と場合を考えろ。わかったか」
「えへへ、ありがと」
わかったかを聞いたんだがな……。
ギルが僕の胸に顔を埋めて嬉しそうに笑っている。なにかあったのだろうか。
落ちないようにぬいぐるみを傍に置いて、背中だけ支えてコーヒーをすすった。ギルの髪の毛からいい香りがするがコーヒーと混ざってヘンな味がする。
「……れーくん、しんどくない?」
ふいの図星をつかれた質問に噎せた。ギルはどこまで観察眼が優れているんだ。それにさっき顔を合わせたばかりなのにいつ気づいたんだ。
落ち着いてから声を出す。
「……少しだけだ。心配するほどでもない」
「そう? ……絶対の絶対にほんとにしんどくない?」
「ギルは心配しすぎだ」
「だって……れーくん、自分の体と全然相談しないんだもん。すぐ無理するし、無理してほんとにしんどいときも俺に言ってくれないんだもん。俺……心配なの。ほんとに」
さっきの笑顔はどこかへ消え、今度は悲しそうな顔をしたまま胸に額を押し当ててくる。
ギルが思うほど自分の体を大切にできないんだ。悪いな、こんな奴が傍にいて。謝罪の意を込めて軽く頭を撫でた。本当に申し訳ない。
「……あ、れーくん前髪……前見えないでしょ。今日はね、俺とお揃いにしてあげる!」
それだけ言って部屋に戻っていった。
ギルとお揃い……。昨日は分けた前髪を少し浮かせていたが、今日はそれの浮かせない髪型とでも言おうか。
帰ってきたギルはルンルンで前髪や髪全体をいじっていく。僕は目を瞑って待っていた。
「……ギルは髪をいじるのが好きなのか」
「えぇ? うーん好きなのかな? でもたぶん好きだと思う! 敬助くんのあの長い髪とかヘアセットしてみたいなーって思うもん」
「将来は美容師か」
「んー、どうだろ。あはは。でもれーくんがなってって言うなら俺なるよ! なればいつでもれーくんの髪触れるし!」
「……自分がなりたいと思うものになれ」
将来か……。ずっとこのままがいいというのは、ワガママだろうか。
「あ、英川くんいた。もうそろそろ食堂に行こうと思ってるんだけど、準備できてる?」
開けっぱなしの扉から覗かせたのは制服をきちんと着ているいつもの総務だった。僕はギルの髪いじりに付き合ったあと、時間が来るのをコーヒーを飲んで待っていた。ギルも髪をいじりだす前と同じように僕の上に座っていた。
「俺はもう完璧! れーくんもコーヒー飲んでるから完璧!」
腕時計を着けれてないんだがな。戻ってきてから探そう。
「そう? 準備できてたら廊下で待ってて。鍵は持ってきてね。でないと入れなくなるから」
「はーい」
もう食堂へ集まる時間だったのかと、時間を確認しようと左腕を出すが、そこに腕時計はない。本当に不便だ。
ギルに乗られていて動けない代わりに、枕元に置いていたスマホを持ってきてもらった。それで時間を確認する。すればすぐに画面を消してコーヒーをすすった。
「……さっきなに見たの?」
「時刻」
「あれ……腕時計は? いつも着替えるときにしてるのに」
「鞄の底にいってしまったらしいから、あとで探す」
「じゃあ、俺も一緒に探すー」
もう準備はできているから、廊下に出たほうがいいだろうと思っていたが、ギルがなかなか降りてくれない。鼻歌を歌いながらずっと背中に腕を回して、夏のセミが木に引っ付いてるみたいに離れない。
ケイが部屋を出ようと促してくれたことでやっと降りてくれた。飲みかけのコーヒーをテレビの台に置いて僕も向かう。
柊はまだなのかと部屋を出る前に思って声をかければ「……ちょっとまだ。先に出てて」ということなので先に廊下で待っていた。
六人廊下に集まってから食堂へ向かう。昨日は心身ともにボロボロな状態で食堂に行ったから場所を全く憶えていなかった。だから一番後ろでギルを隣に付けながら歩いていた。
「今日の朝ごはんなにかな。昨日ハンバーグとか洋食なのいっぱい出てたから、朝ごはんも洋食なのかな。でも朝ごはんで洋食だとすれば、パンとかになっちゃうよね。パンってあんまりお腹保たないんだよねー」
「さすがに白飯は出るんじゃないか? 成長期の学生にパンはあんまり考えられない」
ギルの声を聞いていたらしいケイが、顔だけ振り返って言う。
「俺いつもごはん食べてるのに全然背伸びない……。背伸びしてれーくんと同じくらいになれるもん。れーくん背高いなーっていいなーって思ってたら、れーくんより高い敬助くんが出てきて、もっといいなーって思っちゃって。敬助くんなに食べたらそんなに大きくなるの?」
朝食の話はどこにいった。
「大して変わらないさ。三食、たまに四食食って、寝てを繰り返してるだけ。運動とかもそこまでしない」
「んー。俺もそんな感じなのにー。敬助くんってよくお昼寝するでしょ? その分身長伸びてるのかな?」
「さあ。ある程度の遺伝とかは関係あると思う。俺の父さんも高いほうではあるから」
「あー出てきた遺伝。遺伝でなんでも決まっちゃうんだから」
ギルは悲しみを抑えたようにムッとする。ギルのその頭髪も肌色も、身長も遺伝によって受け継がれたものだからな。遺伝がなければ、ギルは普通の日本人になれていた。恨んでも仕方ないことだが。
僕のこの体も遺伝であいつらから受け継がれたと思えば吐き気がする。捨てられるなら今すぐにでも捨てたい。
「……そういえば、ケイの髪色も受け継がれたものだな」
ケイは昔から赤みがかった茶髪をしている。よく見たら赤色があるとわかる程度だから、ぱっと見は茶髪だ。ギリ校則に違反しそうな髪色をしている。それは親から教員に言っているからなにも言われずに済んでいるんだろうが。この学校に頭髪検査がなくてよかったな。
「あぁ。母さんからだと思う。今はミルクティーにしてるけど、昔の写真見ればわかる」
ミルクティー……? 今は髪色の話をしていた。どこから飲み物が出てきたんだ?
「ミルクティーいいよね! 俺あの色好き。卒業したら染めてみよっかな」
ギルのその髪色は唯一無二の色なんだから、僕的には捨てないんでほしいんだが、無理意地はしない。
「れーくんが髪染めるとしたら何色似合うかな」
「シルバーグレーとかかっこいいと思うけどな」
シルバーグレー? 銀色の灰色? そんな色にして僕を老けて見させたいのか?
「あー! それすっごい良さそう! 高校卒業したら一回してみようよ!」
「しない。僕は……」
いや、けど自分を捨てるという意味ではしてみてもいいのかもしれない。
「気が向いたら」
「え、いいの! じゃあ絶対しよ!」
「僕は気が向いたらと言ったんだ。絶対はなしだ」
二人分の笑い声が聞こえる。
高校卒業まであと約一年ちょっと。無事に終わればいいんだが。
「英川くん、荷物片付けて」
「あはは、はーい」
コーヒーを飲み終えてから腕時計を探そうと、ベッドの上で飲んでいれば朝食を食べる前と同じようにギルが乗って、セミのように貼り付いていた。が、総務に呼ばれて立ち上がった。
「洗面所とかに保湿クリームとか置きっぱなしなんだった。片付けてくる」
季節外れのセミは木から剥がれたら自分の部屋に戻っていった。木はコーヒーを飲み干した。
ギルは人一倍美容意識がある。女と同じくらい、もしくはそれ以上に気にかけている。僕は美容なんて興味ないしわからないから日焼けだけ避けている。
朝食はおいしかった。が、少しだけギルにあげた。手のひらサイズのパン四つとコーンスープ、やけにおいしいドレッシングが掛かったサラダ、二枚のハムの上に載った目玉焼き、デザートと牛乳が出された。
牛乳は小さいパックのもので、小中学時代の給食を思いだした。けど、パックで飲んでいた時期はそう多くなかった。中学の後半でパックに変わった憶えがある。それより前はずっと瓶でとても重たかったことも覚えている。そして年に一度は必ず誰かしらが落として割れる。それを考えたらなぜパックになったのか、容易に想像できる。
もう少し早くにパックになってほしかった。そうだったら牛乳の内容量の他に瓶の重さが加わって、二人で持つのがやっとという重たさを味わわずに済んだだろうし、冬場に手を酷く冷やす必要もなかった。
……そういえば、小学三年生のときに当番の奴が牛乳の入ったケースを返さずにいた奴がいた。そしてなかなか誰かが片付けに行く様子もないし、調理員に迷惑がかかるだろうからって僕が返しに行こうとしたことがあった。けど一人で持ったことはなくて、実際持ったらすごく重たくて、バランスを崩して大惨事になりそうになったとき、ケイが助けてくれた。優しく声をかけてくれて、一緒に調理室まで持っていってくれた。……あの頃から変わらない。ずっと優しい。
そんなことを思いだしながらさっき牛乳を飲んでいた。
ギルにはパンを一つとデザートをあげた。今回のパンはロールパン二つとクロワッサン二つだった。
二種類ずつ余ったパンのどちらを食べたいかという問いに、ギルはクロワッサンと答えたので、クロワッサンをあげた。デザートは食べられないことを確信していたから、パンをあげるときに一緒にあげた。下条が羨ましがっていたのを見たのか、総務から半分ほど貰っていた。
コーヒーを飲んだことだし、腕時計を探すか。出るまで時間があることを確認して、ボストンバッグを掘りあげた。丁寧に畳んであった服を丁寧に出してベッドの上に置く。それを繰り返して日用品も全て出した。
それでもなかった。
「…………」
困った。
鞄の中にないとすれば、衣服などの間に挟まっているか、風呂から上がったときにどこかに落としたか。だが、落としたとしても風呂はこの部屋の浴室を使ったのだから、この部屋からボストンバッグ、僕のベッドがある道のりにしか落ちるはずがない。この限られた範囲でも見つからなければ誰かに盗られたという可能性も出てくる。
いや、人を疑う前にまず身近なところを捜してからだ。衣服をボストンバッグに直しながら間に挟まっていないか見るか。
「こんなにばら撒いて、どうしたんだ?」
ケイが荷物を挟んだところにしゃがむ。
「あぁ。いや、なくし物をしたかと思ったんだがひっくり返せばあったから、今から戻すところだ」
腕時計ごとき、大事にしてしまうのは迷惑だ。べつに高価なものだったわけでもないからべつに構わない。今日少し不便に過ごすくらいだ。
「俺も手伝おうか?」
「なら、そこの袋取ってくれ」
ついでに綺麗に入れ直そう。
「なに入ってるんだ?」
「……使った下着類」
「……ごめん」
思わぬ答えだったらしく、ケイの顔が真っ赤になっていた。悪かったな。
ケイが手伝ってくれたことで順調にボストンバッグに収まっていき、今チャックを閉めた。結局なかったな。どこにいったのだろうか。
「そういえばコーヒーもういい? 捨てに行こうと思ったんだけど」
ケイが僕が飲んでいたコーヒー缶も一緒に持って話しかけてきた。
「ああ。悪いな」
「いいさ。ついでだし」
ケイは部屋を出ていく。
入れた憶えはないが、リュックも見てみるか。ボストンバッグを壁沿いに置いた代わりに、リュックを引き出してきた。
大したものは入っていないから、本だけ先に出してあとはリュックごと床にひっくり返した。騒音が響かなくなってから見てみるがやっぱりなさそうだ。リュックの内部と外部にあるポケットを開けて見てみるがやはりない。部屋で落としたか、誰かが盗ったか、みたいだ。
こちらも綺麗に入れ直していく。なんとかギリギリでケイが帰ってくる前に全部入れられた。が、床に落としてないか見れなくなってしまった。どうしたものか。
出発まであと何分か。それによっても捜す方法が変わってくるかもしれない。時刻を見ようと左腕を出すがないんだった。
「……あれ蓮って腕時計してなかったっけ」
ケイにはバレてしまうし……。
もう開き直って捜そうか? いや、ケイをどこかに連れ出してから……。
思考を巡らせていれば、
「――――!」
隣の部屋からギルの叫び声が聞こえた。様子を見に行こうと思ったが、続けて、例のあの黒い虫の名を叫んでいた。虫が出ただけか。心配はなさそうだ。けど、ちょうどいい。
「ケイ、見に行ってやれ」
「え? ……俺が?」
「ケイが。もしかして虫が怖いなんて言わないだろうし」
「…………」
ケイは煽ればすぐに動き出す。今回もうまくいったみたいだ。今のうちに捜そう。廊下から先生やスタッフが走っていく様子があったが、きっとギルの部屋を見に行ったのだろう。
「…………」
「…………」
視線を部屋に戻したとき、ずっと部屋にいて僕の奇行にも気づいているだろう柊と目が合う。
「腕時計、見てないか」
「……知らない」
知らないか……。
一通り捜したがやっぱりなかった。残るは誰かが盗ったか僕の見落としかだが、正直見落としはあり得ない。どこを見てもなかった。いくら僕が記憶力のない人間だとしても、確実に全部見た……はずだ。
もし誰かに盗られたとすれば、この部屋に出入りした者になる。候補者はこの部屋に割り当てられたケイと柊と一応僕、それにギルと総務だ。
総務は朝に体調不良者がいないかという確認で覗きに来た。が、総務は候補から消えるだろう。入ってきたと言えども、扉の前までだ。僕のボストンバッグがあるところまで足を運んでいない。
他に、ギルは絶対そんなことをしない。長年ギルといたが、僕の物を盗ったことがない。それは人の物を盗ることはいじめと、犯罪と同じだとわかっているからだろう。だからギルの可能性は低い。いや、ないと言い切りたい。
……なんだか、本当の人狼ゲームみたいになってきた。
ケイも盗らない人間だと信じたい。ケイは、そう信じたい。そうなれば残るのは柊になってしまうが、あのテーマパークで改心していたのではないのか? 心を少しだけ開いて、他人と触れる感覚を味わって、他人を許せるようになったのではないか? どうしても柊と過ごした時間が少なくて、より怪しんでしまう。
いや、もういい。これ以上人を疑いたくない。ケイであれ柊であれ、一人の人間なことには変わりない。なにか思うことがあったのかもしれない。腕時計なんていくらでも……とはいかないがブランド物じゃなければ買える。今日が不便になるだけだ。
「退治できたみたい」
ケイが帰ってきた。
「そうか。それはよかった」
口を緩ませる。
が、少なくとも、僕の顔に笑みは含まれていないのだろう。
今日の主な活動場所となる道頓堀に向かってる途中、事は起きた。
赤信号で最前列で止まっているとき、ちょうど車が前を通ろうとしたとき、柊が後ろから押された。
後ろのほうからそれを示唆するような発言が見られたが、本当にするとは思わなかった。それでもその言葉で警戒していたからすぐに動けた。
柊を守ろうと、柊の上に覆い被さって頭を中心に守った。車は悲鳴を上げながら僕の頭すれすれで止まってくれたみたいだ。思わず安堵の溜息が出る。
「怪我してないか」
「……馬鹿じゃないの」
いったい誰がこんなことをしたんだ。立ち上がって押されたほうへ睨みつけるが、案の定誰かわからない。
いやその前に運転手……。後ろを振り返れば、この状況に当惑している人がいた。若い男性だ。
「あの、当たってはないんで警察も呼ばなくていいですよ。本当にご迷惑をおかけしました」
深々と頭を下げた。下げれば、車に乗って走っていった。姿が見えなくなるまで頭を下げた。あの人が一番の被害者であってもいい。
「ね、ねぇれーくん……」
声のしたほうへ顔を向けたら、ケイがギルに支えられながら、顔を真っ青にして目に涙を沿え、過呼吸を起こしていた。
「ど、どうしたケイ」
ケイのこんな姿見たことない。なにがケイをこうしたんだ。先に逃げ場のある柊を押した奴を捕まえたいのだが、ケイがこうでは動けない。
ケイは立つことが耐えられなかったみたいで、ゆっくり頭が低くなっていく。とにかく先にケイを落ち着かせよう。そのあとでいい、犯人探しは。
リュックを下ろさせたあと、優しく抱きしめる。体がずいぶん震えて僕の声は届かないかもしれない。それでも、呼びかけては背中を優しく叩いた。早く落ち着いてくれなければ、犯人を逃してしまう。信号が変わる前に……。
「……蓮」
「……誰も死んでいないから安心しろ」
ケイがこうなった理由。ずっと考えていた。
ケイは過去に交通事故で、車で、妹を亡くしている。それがトラウマで、そのときに似た今回の光景とが重なってフラッシュバックを起こしたんだろう。トラウマに似たものを目の前で見せられては、誰しもこうなってしまう。
ケイはまだ震える手でそっと僕に腕を回して抱きしめる。僕はまだ息をしている。
「っ……」
信号が青になったときの、視覚障害者に向けた音が鳴り始める。駄目だ。
「動くな!」
抱くケイの腕を解いて立ち上がった。名残惜しそうに裾を掴む。
僕の声に生徒は耳を傾けようとせず、もう一度力強く言った。
「動くなと、言っただろ!」
同じ学校の制服を着た生徒。求めているのはそいつらだけ。
「動くなと言ったのは同じ学校の生徒だけです。他の方は通ってください。ご迷惑をおかけしています。……それと」
聞いたのは男声。
「女も行け。用があるのは男だ。柊を押した奴……出てこい」
女子生徒はそそくさと横断歩道を通って少し人が減る。
僕は普段からこんなことをする人間ではない。だからか、僕が声を出したときは妙に静かになってくれた。
「……一人ひとり声を確認する必要があるのか。そんなことをしないと出てこれないのか」
誰もが沈黙を貫く。
僕は相当怒りを覚えている。命を軽々しく見た人間に。殺人未遂者に。
「れ、れ……くん」
「……怒鳴って悪いな。ケイを連れて行ってくれないか。僕の欲望のために犯人を逃しはできない。総務も班員を連れて行ってくれ」
「…………」
そうは言ったものの、ギルも総務も動こうとしない。総務たちにこんな姿、いつかの誰かのような姿を見せたくはなかったんだがな。本当に久しぶりにこんなに声を上げる。
犯人が逃げるなどしていなければ、柊のすぐ後ろにいたここらへんの人間が怪しい。視線を尖らせていれば、案の定目が泳いでる奴が二人いた。目の前に立って口を開ける。
「……お前らか」
「お、ちがっ」
はっ、焦って口もろくに動かないか。こいつらで決まりのようだ。声を張って迷惑をかけた男子生徒たちに言う。
「もう行っていい。本当に迷惑をかけた。ついでに誰か教師を呼んできてくれたらありがたい」
二人の胸元をがっしり掴んで道の端に連れ出した。本当に強く握って逃げられないように。僕の握力は弱いからな。下手したら逃げられてしまう。
班員も含め横に移動すれば、ぞろぞろと横断歩道を渡っていった。本当に迷惑をかけた。
さて。
掴んでいた胸元を手前に放り投げる。一人はバランスを崩して地面に尻を付けた。
「お前らがしたことの重大さ、わかってるか」
「だ、だから俺らはつ、突き飛ばしてないって」
確実にこの二人だ。声も喋り方も完全に一致している。物的証拠はないがそもそも、
「なら、なぜ今突き飛ばしていないと言ったんだ。柊が突き飛ばされたとき、なにがあったのかわかる者は最前列にいた人間にしかわからないと思うが」
「は、はぁ? 二列目でも見ようと思えば見れ」
「柊が押される瞬間を、か?」
見ようと思えば見られる。つまりこのあとに起こることがわかっていたということだ。そうでなければ「二列目でも見えた」と言えばいい。
少し待って横断歩道が赤信号になったことを確認する。一人の胸ぐらを掴んで車道前に後ろ向きに立たせる。そして、ギルにケイの目を隠すよう言う。
最後に隠したことを確認し、耳を研ぎ澄まして車の走行音を聞く。
……今だ。
立たせた奴の胸を押した。
「っば!」
そのあとすぐに車が横を通っていく。
手は胸元から伸びるネクタイを掴んでいる。
前を通った車が蛇行運転をしていないか追って見る。視界から消えたら、情けない顔を貼り付けた目の前の人間を見る。
「…………」
「な、なにす……んだよ」
醜く涙を添える。本当に愚かだ。
「これが柊が味わった恐怖だ。殺人未遂者」
「…………」
それだけ言えば足に力を入れなくなったから、ぱっとネクタイを離して地面に膝を付かせる。
「……二度とこんなことするな。もし次があったら命はないと思え」
誰かが教師を呼んでくれたらしく、あとは任せた。あの二人は学年主任から酷く怒られて、僕も少しばかり怒られた。が、こういうのもいいものだ。全く教師に怒りを感じない。あいつらにはそれ相応の罰が受けられるだろう。
あいつらは人の命をなんだと思っていたのだろうか。いくらでもあるゲーム内の主人公の命? それとも命がなくともロボットのように動く? そんな甘くないんだ、この世は。命を失えば動かなくなるんだ。
いくらクラスメートから嫌われているからと言って、あいつら自身が嫌いだからと言って、そいつの命を奪うようなことをしていいわけではない。もし奪ってしまえば、あいつらは殺人者になる。あいつらは犯罪の意味を、人殺しの意味を、わかっているのだろうか。
「れ、れーくんこれ……もういいの……?」
今ので相当ギルを怖がらせてしまったみたいだ。体が縮こまって、声も小さい。昔によくこんな顔をしていた。させてしまっていた。
「本当に悪かった。ありがとう、もういい。というかまだ隠してたんだな」
「……いいって……言われなかったから」
目隠しを解放されたケイは、第一に僕に腕を回してきた。トラウマはその人の心を酷くえぐる。今はそっとしてやるのがいいだろう。
「蓮がガチギレしたら怖すぎだろ……」
「……昔はもっと乱暴だった。……酷い話、何度かクラスメートを殴ってしまった。今殴れば反省文を書かされるだろうから、容易にはできないが」
「やっば……」
下条から本当に引かれてるみたいだ。総務も同じなのか、こんな僕を見るのが衝撃だったのか、全然声を出さない。たださっき起きたことを現実だと受け止められていないようにパチクリ瞬きをする。
「で、でもね、れーくんが……その、人叩いちゃったときって、全部俺のためだったの。だから悪く思わないで。……俺に対しての……い、いじめの時だけ手だしちゃってただけで、れーくん自身に対してのいじめは一回も手出してないの」
僕自身のいじめ……。本当にギルの口は柔らかい。思わず溜息を吐いた。
「いじめられてたの……?」
「あははは……でももう昔の話だし、ね。全然気にしなくていいから」
ギルのは中学に上がったあと収まったが、僕に対してはいつまでも続いた。理由は今もわからない。
「ギルは……弱そうだからわかるけど」
「な、なにそれ!」
「蓮がいじめられてたとはなー。全然想像つかねー。でもなんで自分のときだけ手出さなかったんだよ。ギルに手出してたなら出せただろ」
「誤解されそうな言い方やめろ。ギルに手を出していた奴に手を出した、だからな。ギルには一切……いや、何度か出しそうになったか。……本当に悪かった」
「れーくんまで。いいのに……」
「……僕に対してのいじめなんかどうでもよかった。ギルに手を出す奴が許せなかっただけだ」
「ひゅー男前!」
……ギルが過去の話を持ち出してきたから嫌な記憶が吐きそうなくらいあふれ出てきた。気分が悪い。なにかを考えていないと……考えても意味はないか。もう頭痛もするし腹も気持ち悪い。
「……もうそんな話はやめて、歩くぞ。ケイ、動けるか」
少し上に視線を向けて、顔を覗き込んでみる。今の話をして過去を思いだしたのか、ケイは地獄を見たような顔をしていた。
どうして僕を助けてくれた人間がケイなんだろう。きっとケイまで嫌なことを思いださせてしまった。
「……行こうか」
無理やり手首を掴んで、今度は青信号で車が走っていないことを確認してから渡った。ケイはまだ癒えきっていないのか、歩道を渡る間酷く僕の腕を掴んでいた。
無理に連れてしまったことは悪いが、こうでもしないとケイはいつまでもこのままだ。
手を引いて連れていれば、ケイは離せとでも言うように手を引くから素直に離した。もう地獄を見たような顔はしていなかったが、それでも悲しそうな顔はしていた。静かに「もう過去の話だ。ケイはなにも気にすることはない。今は自分の傷を癒せ」と耳打ちすれば、こくりと頷いたから前を向いた。
道頓堀に着いたときに班ごとに記念写真を撮り、各自で昼食を食べるよう言われている。
昼食については下条が調べ尽くしてくれており、下条曰く「たこ焼きの食べ比べ!」をするらしい。どこかの店で食べるのがいいと思っていたが、食べ歩きの、しかも食べ比べとは……少し楽しそうだ。大阪と言えばたこ焼きなところがあって、おいしいイメージしかない。期待してもいいだろうか。
道頓堀川にかかる橋の一つ、えびす橋から見える壁に「グリコサイン」というマラソン選手のような人が両手を上げている絵があった。それを真似しながら撮りたいということなので、下条と照れくさそうにするギルと総務も並んで三人で撮っていた。
今までは総務を先頭にした若干の二列で並んで歩いていたが、今度は下条を先頭にして進んでいく。……心配しかない。
グリコサインの横を通って商店街のようなところ、には行かず左に折れる。すぐに見えたのが蟹の模型だ。たまにテレビで見るものが、今目の前にあるとは不思議な気分になると同時に現実味がない。
下条とギルが蟹の模型が飾ってある店に入ろうとしていたが、蟹は高級料理だということを知らしめたら諦めた。ここは高校の修学旅行の小遣いで食べられるようなところではない。
これが大阪のノリ、と言わんばかりの大々的な看板や模型を横目に、着いたのが一店舗目のたこ焼き屋らしい。いかにもそう思わせられるタコの模型があった。
食べ比べをするにあたって、王道のたこ焼き以外のトッピングの載ったものを食べてしまえば味が変わって、味の違いもわからなくなる。だから事前にトッピングの載っているもの以外は食べないと決めていた。なのに下条は順番が来たらすかさず「味比べセット」を頼もうとしていて、総務が止めていた。
「さっきのはなしで、たこ焼き八個入りを一つお願いします」
たこ焼きは焼き立てがおいしいに決まっている。作り置きなんてしていないから出来上がるのに少し時間がかかった。
箸を三本貰って、初めにギルと下条とケイが食べる。
「はふっはふっ」
「うっまー!」
「こんなにもたこ焼きがおいしそうに見えたことないよ」
ギルは出来たてを冷まさず口に放るものだから、はふはふとずっと言っている。
ケイはきちんとたこ焼きを割って冷ましている。
その間もギルははふはふ言うものだから、ギルのリュックから水筒を出して渡してやった。
「……ふー、熱かった……。でもすっごくおいしかったよ!」
ギルから箸が渡される。僕もいただこうか。
誰かのようにはふはふ言わないためにもケイを真似て割る。
「たこ焼き割って冷ますとか、にわかだなー蓮は」
「……いいだろ、どう食べたって」
総務はちまちまと確実に食べて、柊は全く熱くないかのように二口で食べきってしまう。
割って形も崩れたたこ焼きの一部に少し息を掛けて口に入れる。
……おいしい……。なんだか、中がとろとろしている。案外冷まさずに食べたほうがおいしいかもしれない。少し後悔する。それでも普段食べないような味や食感でとてもおいしい。もうあと半分くらいしかないと思えば名残惜しいくらいだ。さすが本場のたこ焼き。
残りの二つをいつの間にかギルと下条が平らげていて、次のたこ焼き屋へと向かう。と言ってもほぼ真向かい。あからさまのたこ焼きの模型がデカデカとある。
「すげぇ! たこ焼きがあるぞ!」
「こんなにおっきいたこ焼きあったらお腹いっぱいになっちゃう」
そんなこんなと反応を見せているうちに総務が六個入りを買ってくる。
「味の違いとかわかるかなぁ」
「うまけりゃなんでもいいだろ!」
下条はな。
今度もギルと下条とケイが先に食べる。ギルと下条はただおいしそうに、ケイはなんとなく味の違いをわかってそうに食べる。
食べ終わったら箸だけ渡されて、次のたこ焼き屋がすぐ隣だからと、買いに行った。受け取った箸で食べる。
おいしい。が……味の違いを表現するとすれば少し難しい。
それでもいつも食べるものとは全然違って、すごくおいしい。
ギルたちが帰って来るのを待っていると、ギルがさっきよりもニコニコして帰ってきた。手には……たこ焼きか? なにかチーズのようなものが載ってある……。
「お待たせー。あそこの店員さん面白くて」
それでこんなにも笑顔なのか。……それよりもそのチーズはどうした。
「これチーズ?」
「そう! 真也くんがね、味の違いがわかんないからチーズ買おって」
食べ比べがしたいと言ったのは誰だったか。まあいい。せっかくだからこういうのもありだろう。
「あ、今度は三人が先に食べて!」
なぜか先を譲る。それには下条やケイも頷いていた。……なにを企んでいる。
けど、こんなにもおいしそうなものが目の前にあるのに食べないわけにもいかなく、箸を受け取った。……ここもおいしい。チーズが載っていてさらにおいしい。
食べ終わったからと、ギルに箸を渡せば、妙にニコニコして食べない。
「ちょっと俺連れて行くね」
ケイと下条に確認を取って先に食べた僕らを呼ぶ。
「ちょっとさ、さっき俺らが買った店にネギがいっぱい載ってるのあって、それもおいしそうだから一緒に買いに行こ!」
僕らの背中を押す。なにがしたいんだ?
着いたのはやはり二店舗目の隣にある店。店名は、
「しらんがな! だって。面白いよね」
まさかそれだけのために連れてきたのか?
「ほら並んで並んで」
ギルに押されて列に並ぶ。
暇つぶしにメニューを見る。さっき僕らが食べたものの他に、チーズの載っていないもの、明太子が載っているものまでもある。そしてネギが載っているもの。トッピングとしてあるみたいだ。プラス百円でネギのトッピングが……。
「ん」
いや、違う。よく見たらプラス百万円と書いてある。トッピングに百万円もするのか? と、普通のたこ焼きの値段を見るとこちらはこちらで七百万円もする。……なるほど。
「次のお客様!」
「ネギトッピング一つください!」
「はいよ! お会計がネギトッピング追加で、八百万円です!」
それに総務と柊は困惑の表情を見せる。ギルは盛大に笑っている。
「あ、あのえっと、八百万……ですか……?」
「ウソウソ、八百円でーす!」
ネタバラシをしても総務は困惑したまま。
「総務、あれだ。大阪のノリだ」
「そうっす!」
大金を払わなくていいとわかったのか、総務の肩が一気に下がる。今もギルは後ろで笑っている。
「よかった……。ほんとに八百万も払わないといけないのかと思った……」
「あははは! 俺さっき買いに行ったときこれされてすごく焦っちゃって、ネタバラシされたらもう面白くて、れーくんたちにも味わってほしいなって思って」
そういうことだろうとは思った。
八百万……ではなく八百円を店員に渡す。
「修学旅行ですかー?」
「そうなんです! 初大阪! それでたこ焼き食べ比べしてるんですよ!」
「うわぁええなぁ! けどな、ここいらじゃうちの店が一番なんやからな、他の店には負けへんでぇー? はいこれネギトッピングなぁ! 食べ比べ終わったらどこの店が一番おいしかったか聞かせてな! ま、うちの店が一番やけど! ははは! おおきに!」
お礼を言ってケイたちがいる場所に戻った。
二回会ったギルがすでに仲良くなっている。あれが大阪のノリ……。味わえないノリだ。府外のものからしたら少し追いつけないが。
「お、帰ってきたー」
「どうだった、あそこの接客」
「八百万円払わないといけないと思って焦っちゃった……。あれが大阪のノリなんだね。ちょっと怖かったけど、お店の人はすごく優しかったな」
「まあ、せっかく大阪に来たんだし、大阪のノリ味わわずに帰れないでしょ! これ冷めないうちに食べよ!」
あそこの接客の仕方が印象深くてたこ焼きを忘れていた。さっきのとは違ってネギがたくさん載っている。
「あとこれ、チーズの誰か食えよ。さっき俺とギル食べたから。敬助ともう一人」
下条の言葉で柊と総務で目を合わせたら、
「ぼ、ぼく……貰っていい……?」
「ああ」
そしてネギの余ったものは、僕と総務が食べた。ネギが加わっただけかもしれないがだいぶ味が変わっておいしい。が、少し多すぎやしないか?
数個食べたら腹がいっぱいになった僕は、ギルたちがおいしそうに食べる姿を見て口を緩ませていた。
そんななか、柊が声を細めて僕を呼んだ。ギルたちがこちらに気づいてないことを確認したあと、少し離れたところまで連れられる。
ギルたちに聞かれたくないことなんだろう。一度ギルたちの目を向けた。こちらには気づいていない。
「……なんだ」
「……さっきの……車の……その、ありがと」
「……そんなこと構うな。人として当然のことをしたまでだ。感謝なんて必要ない」
「……あと……ごめんなさい」
柊が目の前で腰を曲げていたことに気づくには数秒要した。
「……なにに謝って」
「これ……。ぼくが、盗ってた」
腕がピンと伸ばされて、その手の中には僕の腕時計が入っていた。
「……柊だったんだな」
「……ごめんなさい」
頭を下げながら差し出されるそれを受け取り、左腕に着けた。やっと左手首に違和感がなくなった。
「なんでこんなことをした」
「……蓮くんと影島がより戻したから……蓮くんがぼくに話しかけてこなくなって……それで」
「構ってもらうために盗ったのか」
上げた頭で静かに小さく頷く。
「呆れた」
そんなことで人のものを盗ってたのか。柊も一種の犯罪と言えてしまうことをした。車にひかれそうになったとき、僕が助けたのはなんだったんだ。僕はギルのように優しい人間ではない。犯罪者を助ける義理なんてないと思っている。
「……ただ」
全部声に出してしまっていたらしい。今気づいた。今気づいて、今柊を傷つけた。
その頃にはもう、柊の顔に希望なんてものは見えなかった。ただ今までにないほど怒りに満ちた顔で、
「……やっぱり蓮くんもそうなんだ……。ぼくなんか、誰も必要としてないんだよ!」
「待てっ、柊」
目に涙を添えて走っていってしまった。
まずいことをした。とにかく捜しださなければ。
すぐにあとを追いかけるが、小柄な柊は人混みをすっと抜けて見失ってしまった。僕はそこで見失ってしまう。
……今度は、きちんとギルたちに伝えよう。また間違えないために。
さっきの場所に戻れば、まだギルたちがいた。
「あ、れーくんいた。これすっごいおいしいよ! ……ってなんでそんな息切らしてるの?」
「柊を……逃がしてしまった」
「逃がした、って?」
経緯を飛躍しないようきちんと説明した。捜しても腕時計がなかったこと。柊が盗っていたこと。盗ったのは理由があったこと。それで柊を言葉で傷つけてしまったこと。
「そっか……」
「……柊くんなにかに巻き込まれてないかな……」
「とにかく、柊を早く捜し出さないとなにをしでかすかわからない」
死をほのめかすことを言っていた。今もきっと柊のリュックには……。
「じゃあすぐ捜しに行こ」
最後の一口を食べて箸をケイに渡して、すぐに駆け出そうとするギルだが、
「ギル待て。……僕らは先に捜しに行く」
まだ食事中で捜しには行けない総務たちに向き直る。
「あとで僕たちも捜しに行くね」
後ろでケイは俺も行くのかと言いたげな顔をしていたが、すぐに戻る。
「助かる。巻き込んで申し訳ない」
「ううん。むしろ巻き込んでくれたから今度は心配して怒ることもないし、俺は嬉しいんだよ」
焦らす気持ちと裏腹に、ギルの笑顔には救われる。
「未知の場所というのを忘れないように心がけて、必ず一人で行動しないように頼む。僕らも気をつける。なにかあったら電話をかける」
「元気出せよ!」
顔がこわばっていたのだろう。下条に励ましの言葉を貰ったかと思えば、背中を叩かれて口にたこ焼きを突っ込まれた。熱くて吐き出しそうになるのを、口に空気を入れて、ほんの少しだけ冷ましてなんとか飲み込んだ。食道に温かいものが通っていくのがわかる。
「口に突っ込むなら冷ましたのを突っ込め」
「たこ焼きは熱いのがおいしんだからな! へへっ」
正論ではあるが。
「悪いが、もう捜してくる。手を貸してくれるのならさっき言ったことを忘れないでくれ」
「おうよ! 気をつけろよな!」
こんな広いところで柊を一人行動させてしまった僕が悪いんだ。誰に押しつけることもできない。柊は僕が見つけないといけないんだ。
さっき柊を見失ったところまで行けば人混みは晴れていた。少し行けば、左右と真っ直ぐに道がつながっている。案内は任せっきりだったから、正直さっきの場所がどこなのかもわからない。ここがどこなのかわからなければ逃げ場所の見当もつかないが、きっと柊も手当たり次第逃げたはずだ。僕も柊も状況は同じ。
今年の運勢はどうだったか。直感で右を選ぶ。
ギルが付いてきていることを確認しながら、右を、左を見て柊がいないか確認しながら進んでいく。
「ちょ、ちょっとれーくん。待って……」
声がして足を止めた。ギルが息を切らしていたのは見てわかったが、僕も酷く切らしていたのには今気づいた。口から息を吐き出しては吸って、喉が痛む。苦しい。頭が痛い。
「すごい道……外れたと思うけど……戻れるの……?」
「す……スマホが、あるだろ……。そ、それに……柊が範囲内に……逃げている保証は、ない」
「れーくん顔真っ赤だよ。……走ったから熱出てきたんじゃない? ……無理してない?」
ギルが僕の頬に触れようとするのを防いだ。今はこんな僕の体調で行動を妨げられないんだ。ギルは手を払ったことが信じられないような顔をしていた。
効率良く捜し出すのには手分けをする必要があるが、ここは未知の場所だ。さっき総務たちに言ったことを守らないわけにはいかない。なによりギルを一人にさせられない。
酸欠で頭がフラフラする。気持ち悪い……。
ここは今どのあたりなんだろう。地図で確認したほうがいい気がする。なんとなく足を進めながらスマホ画面をつけると、グループチャットでケイから連絡が来ていた。
『今どこらへんにいる? 違う方向捜したほうが効率いいだろ』
そうだ、そうに決まっている。さっと現在地を確認したあと返信しよう。
開くのに時間がかかるマップにいらつきを覚えながら腕時計をなんとなく見る。
「…………」
さすがにもう開いただろうとスマホ画面に目を移すと、
『充電残量がありません。強制終了します』
……は?
間もなくして画面が真っ暗になる。
待て待て待て。何度電源ボタンを押してもつかない。
なんでこんなにも早く充電がなくなるのかと思い返すと、確かに昨日、いや一昨日からだったか、充電しないままだったんだ。二日も充電しなければなくなるに決まっている。
けどいい。ギルに見てもらおう。ギルなら充電もしているはずだ。
「ギル、スマホの充電が…………ギル?」
さっきまでそこにいたはずのギルがいなくなっていた。
「ギル、どこだギル」
あたりを見渡してもどこにもいない。もしかしたら柊のときみたいに、人混みに紛れてしまったのか?
相手がケイなら一人になったとしても任せていたが、ギルはこういうときものすごく気が弱くなってしまうんだ。ほうって置いたら泣きじゃくってしまうかもしれない。きっとすぐ見つかるだろうし先にギルを、
――ぼくなんか、誰も必要としてないんだよ!――
いや……柊は僕が見つけないといけないんだ。それにギルはスマホを持って充電もあるはずだ。なんとか合流できるはずだ。……今は連絡の取れない柊を優先しよう。
どこだ。どこだ。どこにいるんだ。
どこを捜しても柊はどこにもいない。さっきより頭がはっきりしなくて長くこの体が保たないのはわかる。体が動かなくなる前に柊を見つけないといけない。
もっと奥の、人目につかないところ……。
「離せっ、離せ!」
微かに声がして、不意に僕が捜し始めた場所からかなり離れたところにいるのがなんとなくわかった。雰囲気が違って、人も少ない。むしろいない。
そんななか、声がする。遠回しに助けを呼んでいる。今は柊を捜さないといけないんだが、人がいないこんなところでほうっておくわけにもいかない。声のするほうへ近づいた。
この角を曲がったところから聞こえる。立体型の駐車場だろうか。
中に入って声のするほうへ近づく。
ここだ。この奥からする。様子を見ようと慎重に顔を出せばそこには、
「ひいらっ……」
柊が男に連れられようとしていた。車に無理やり乗せられようと。
すぐに顔を引っ込めたが僕の声に気づいたらしく、男が「そこに誰かいるのか」と聞いてくる。そして足音も聞こえる。二人……。
体中に心音が響く。どうする、どうする……。
「隠れているのはだぁれだ」
声は男。ならば、
「うっ……」
姿を現した瞬間に男の急所を狙って一人はなんとかなった。もう一人……。
ポケットに入っているマルチツールがあるのを確認する。
「……おい? どうした」
まずい。こっちに来るか……? いや、足音は聞こえない。
「……なにが目的だ。そいつを解放しろ。……警察は手配済みだ。周辺は包囲してある」
「……蓮くん……?」
「んー、お友だちかなぁ? そんなお友だちがサツ? 周囲を包囲してるー? しかもよそものー? なにアホ抜かしてんねん!」
声でわかったのか……。脅さないほうがよかったか。
「相棒をやったのには褒めたる。やけどな、自分怪我したないんやったらなんもせずに引くのがおすすめやで。……どないする?」
反響して相手までの距離が測れない。けどきっと相手はこいつとあいつの二人。一か八か……。
ポケットからマルチツールを出してナイフを出す。
「……なにが目的か答えろ」
「それ以上喋ったらこっちから行くけど?」
足音。口を塞がれてもがいている音。近づいてくる。
まだ。……まだ……まだ。
「にげ、逃げて!」
今だ。
ナイフを突き出して、
「そんな程度のもんで抵抗って言うんやったらっ……」
相手が反応できないほど素早く急接近して同じく急所を狙った。思いっきり、出せる限りの蹴りのサプライズを贈れば、悶えてうずくまる。ひとまずは安心できそうだ。
僕は安堵の溜息を吐くと同時に、すぐ傍の壁にもたれてしゃがみ込む。つもりだったが、体を支えきれずに横に倒れてしまう。体がもうそろそろ駄目になる。
「蓮くん!」
柊は自分の心身に癒しを与える間もなく、僕に駆けよってしゃがみ込んだ。そして僕の顔が赤かったからか、頬に手の甲を当てた。柊の手はひんやりとしていて気持ちいい。
「バカバカバカ! なんでこんなのになるまでぼくを捜したの? なんでぼくなんかのために……」
――ぼくなんか……誰も必要としてないんだろ!――
柊にそう思わせてしまった僕の罪滅ぼしだ。まさか、こんなのに巻き込まれているとは思わなかったが。
「しっかりして……」
体を起き上がらされる。頭がぐるぐると回った感覚に侵されて気持ち悪い。
けどいつまでもうなだれてはいられない。先に急所を贈った男が唸って「よくも……」と声が聞こえる。
「……蓮くん立てる……?」
柊に支えてもらいながらどこかを歩き出した。
地面を歩いている気がしない。どこか宙を歩いているような。頭がフラフラして気持ち悪い。体が熱い……。
「……うわっ」
僕がよろけたせいだ。支えてもらっていた柊を巻き込んで転ばせてしまう。けどすぐ傍に来る。
「蓮くん……」
それでも自分のことよりも僕を心配する。
「……今もう合流したって連絡したから、影島たち来るの待と……?」
「まだ場所は伝えてないんだろ……」
「伝えてないけど……」
柊のスマホを奪い取る。画面はグループチャット。
『れーくんとはぐれちゃった』
『どこにいるの?』
『ねえ』
『れーくん返事して』
『ギルくん場所は?』
『わかんないけど、見覚えあるたこ焼き屋さんまで戻ってこれた』
『ならそこで待ってて。蓮どこいる』
『返事しろ』
『蓮』
『ごめんなさい。蓮くんと合流した』
今度も心配をかけてしまった。もうかけたくなかったのに。
『僕だ。スマホの充電が切れたから柊のスマホから送っている。ギルを連れてえびす橋まで戻れ。そこまで行く』
送ったあとスマホを返した。
「……こんなの送って、馬鹿……? そんな体でいけないだろ!」
「ただでさえ優れないのに……大声を出さないでくれ……。それに僕の体をこんなのにしたのは……誰だったか。……とにかく」
もう決めたことだ。合流すればいいだけ。
僕が立ち上がろうとすれば、柊が「動くなよ、じっとしてろって」と言われて肩を押す。
「ここにいたって……合流できない」
酷くフラフラしながら足に力を入れて立ち上がった。
「馬鹿……」
歩き出せば素直に柊も付いてきた。今度も肩を持たれて支えられながら歩き出す。途中、荷物貸してと言われて言葉に甘えた。いや、半ば強制的に取られた。
「右曲がる」
道は柊に任せて下ばかり向いている。周囲の安全を確保する気力もない。
ずいぶんと歩いて、やっと見たことのある風景まで来れた。ここまでくれば合流はすぐだろう。
えびす橋に着いた頃には、僕の体は支えられてないと立てないくらいフラフラしていた。ケイが来るにも時間がかかるだろうと橋に座ってもたれ込む。本当にしんどくて、いつの間にか意識が飛んでそうだ……。
「……蓮くん、ほんとに大丈夫……?」
瞑っていた目を薄らと開ける。
「……たぶん」
「たぶんって……」
今度は前髪の下から触れられた。保冷剤を当てられているようだ……。
「あつ……。何度あるの。さっきよりも上がってるし。英川たち早く……あ、あれそうじゃ」
どうやら柊は見つけたらしいが、ギルたちは僕らの居場所をわかっていないらしく、柊は僕のリュックを預けたら離れていった。
ギルは合流できていたのか。よかった……。
ポケットからスマホを取り出して電源ボタンを長押しする。が、やはり充電が切れていてつかない。このあと行く大阪城の写真、撮れないな……。
ギルから貰ったキーホルダーがカチャリと音を立てる。僕はそれを失うまいとスマホと一緒に握ってギルたちを待つ。
目を瞑って事の終結がついたことへの溜息が出た。本当に大変だった。柊のこともだが、修学旅行そのものも。今日の夜眠ったら明日は一日中目を覚ませそうにないかもしれない。
いや……もう夜なんて言わずに、今から眠ってしまってもいいか……。
きっとここらへんに蓮と柊がいるはずなんだけど……。来たときより人が増えていてどこにいるのかわからない。
「大丈夫かなれーくん……」
俺も心配だ。熱出したままずっと柊のことを捜してただろうし、もしかしたら悪化してるかもしれない。早く蓮のところに行かないとなんだけど……。
「あ、あれ柊くんじゃない?」
どこかを問う前に、目の前に柊が現れた。柊の姿を見て俺は怒りを覚えたけど、今はそのときじゃない。きっとどこかで蓮を待たせてる。早くそっちに案内してもらいたい。
「……あの、本当に迷惑かけてごめんなさい」
柊は深々と頭を下げた。迷惑かけたのなら先に謝るのが普通かもしれないけど、今はそれが先じゃない。
「あとで怒ってやるから、先に蓮がどこにいるか案内しろ」
「……こっち」
人を避けながら柊に付いていく。
少し進んだら蓮が見えた。壁にもたれてリュックを傍に置いて座ってる。ずいぶんぐったりしてる。
蓮に近づいたそのとき、傍に立っていた男が蓮のリュックを奪っていった。気づいた蓮は立ち上がろうとするけど床に手を付かせる。俺はすぐに駆け出して無事に奪い返した。現役高校生をなめるな。
奪っていった男は中年のおっさんだった。俺が奪い返したら颯爽と逃げていったから、警察には連絡しない。したとしてもたぶんここじゃ見つからない。
人波をくぐりながら蓮のいたところに戻る。戻っても蓮はぐったりしてる。
「あ、敬助くん」
「リュック、紐くらいは掴んどけよ」
「……がとう」
初めが聞こえなかった。それくらい声に張りがない。
手を出して返せという素振りもないから傍に置いた。……というかなんでこんなに重たいんだ。
「敬助くん、れーくんすごく熱いの……」
蓮の前にしゃがみ込んでいたギルくんはさっき額に触れたであろうポーズで止まっていた。俺も熱さを確認しようと触る。
正直、なにかの感染症にでもかかってるくらい熱かった。汗もかいてる。けど正確な数字じゃないし、一旦は先生の指示を仰ごう。
それにこれがストレス性の熱だったとしてもこんなにぐったりするものか? ストレス性の熱はそんなに高くは上がらない。上がる事があっても稀。
他に見落としてるなにかがあるんじゃ……。今日一日の蓮の行動を振り返る。
「……蓮、今日水飲んだか」
「…………」
「……確かに見てない」
垣谷に目を合わせても首を横に振る。柊に目を合わせても見てない、と。
蓮のリュックを開けて、あるはずの水筒かペットボトルを探す。けど入ってるのは冷たくなった缶コーヒーだけだった。
昨日の夕飯で出た水を飲んだきり、一口も飲んでないんじゃ……。
それに朝飯も半分くらいしか食べてない。
「……なんにも口にせずに、死にてぇのか」
俺のリュックからペットボトルを出して、抵抗されても手を押さえて無理やり飲ませる。気管にでも入ったのかペットボトルを無理やりに口から離されたときに咳き込んでいた。
落ち着いてからもう一度、俺の気が済むまで、ペットボトルを空にする勢いで飲ませた。
思えば柊を捜し始める前よりも顔色も悪くなってる。走るの苦手なくせに、走って捜しでもしたんだろうな。それで体温も上がらせて……。
とにかく、まずは集合場所になってるところに行こう。今から行けば二十分も余るけど、この時間なら誰か先生はいるはず。
「正直、蓮がいつまで保つかわからないから、もう集合場所に行こう。蓮動けるか」
「…………」
蓮は目を瞑って動かない。
ずっと、さっきからずっと、蓮が柊を捜し出したときからずっと、俺の鼓動は速まり続けてる。
「れーくん……?」
ギルくんが肩を軽く動かしたことで、薄らと目を開けた。
「立てる? 歩ける?」
蓮は返事をする代わりに動けると言うように体を起き上がらせて立ち上がるけど、酷くフラつきを見せてギルくんの腕の中に収まった。そして足に力を入れなくなって地面に手を付ける。
「わっ、れーくん!」
駄目だ。こんな状態で歩かせるわけにはいかない。
「誰か蓮のリュック持って。蓮おぶっていく」
どこかに向けて蓮のリュックを手に伸ばせば、
「俺持つよ」
「影島くんのも貸して。持ったままだとやりづらいでしょ」
「それはありがたい」
それぞれのリュックを持ってもらって、手の空いてる下条と柊に蓮をおぶるのを手伝ってもらった。蓮はほぼ脱力状態で意識を失ってるように思えた。でもたまに抵抗するような素振りを見せてたから、たぶん熱さだとかで頭がやられてるのかもしれない。
集合場所は商店街を南に行ったところに集合することになっていて、そこまではずっと商店街を南にまっすぐ歩いてた。
おいしそうなニオイがするたびにギルくんと下条が反応して中に入ろうとしてたけど、垣谷と柊が押さえてくれた。でも、食べ歩きできるものだけは買わせてあげた。ここでしか食べられないものを食べれるのに食べさせないほど鬼じゃない。
ギルくんは優しくて、買ったものを俺や蓮に食べさせてくれた。けど、途中から蓮は食べることもしなくなった。代わりにしんどそうに呼吸する音が耳元から聞こえ始める。背中に伝わる蓮の鼓動もずいぶんと速い。
「けい……」
耳元で言われたら嫌でも聞こえる。小さな蓮の声を聞き取った。
「……おもたいから、おろせ……」
いまさらそんなこと言うのか。それに全然重たくないし、むしろ軽すぎるくらい。
「重たくないからもう寝とけ」
「…………」
これ以降耳元で囁かれることはなくなって、ギルくんの言葉にも反応しなくなった。意識を失ってしまったのかと思いもしたけど、ときどき唸るような声が聞こえたからたぶん寝てる。
「……蓮のスマホ、誰か……落ちそう」
腕を俺の肩に置いて垂らしてる手にスマホが握られてた。いつの間にか付いていたキーホルダーが揺れて、スマホが今にでも落ちそうだった。
俺の声を聞いてくれたギルくんが落ちそうになったところ、ギリギリで受け取ってくれる。
「っと、セーフ。れーくんずっと持ってたんだね」
蓮はもう寝て、スマホが落ちかけたことなんて知らないだろうな。
えびす橋から集合場所までは十分くらいで着くはずだったけど、食べ歩きできるものを買ってたから十分くらい遅くなった。さすがに集合時間十分前だと、数人の先生はもちろん、他の生徒もいた。
着いてからは真っ先に保健室の先生に垣谷が伝えてくれた。
「新藤くーん?」
「…………」
反応せずに寝息を苦しそうに立ててる。
「……高いわね。いつから熱あったの?」
「……たぶん、昨日の夜、早ければホテルに帰るあたりからだと思います。蓮、自分の体調のことほんとに言わないんで」
「それはよく知ってるわ。それでよく英川くんから心配されてる。咳とかしてる様子あった? 頭痛そうとか」
「いや、咳は……水飲ませるのに噎せたくらいで。でも昨日の夜から水飲んでないのと、朝飯を半分くらいしか食べてなかったので、そういう要因もあると思ってます。……蓮は昔からこういう環境の変化に弱いみたいで、小中の修学旅行も体調崩したとか言ってました」
「あら、そうなの」
こういうのにはギルくんのほうが詳しい。俺は聞いたことしかわからない。
「んー、とにかく一旦座らせてあげようか。あっちに椅子があるから付いてきて」
椅子というのかはわからないけど、腰掛けられそうなところは確かにあって、空いていた場所に蓮を座らせた。寝てるのもあって、もちろんぐったりしてる。
「横にさせたほうがいいかな」
先生が持ってたリュックを枕にして座らせた蓮の体を寝転ばせた。けどそのときに蓮が良い顔せずに目を開けた。
「よかった……」
「目覚ましちゃったか。けどちょうどいいや、酔い止め飲むでしょ? この間に飲むことになってるから飲んで」
さっき横にさせたのにすぐ起き上がって酔い止めを飲む。飲んでもずっとぐったりしてる。
「しんどいでしょ、横になっときな」
半ば強制的に肩を押されて横になる。ほんとにしんどそう。
「鼻水とかはない? 頭痛とか」
「…………」
「蓮」
「……ない」
俺が言わせたみたいになってる。いやそんな感じかもしれないけど。どうせ素直に答えてても嘘だったんだろうな。
「ほんとかしらね。新藤くんすぐ嘘つくんだから。さっき影島くんから聞いて、ストレスから来てる熱なら、学校に帰ったらすぐ良くなるのね。でもまだこのあと大阪城に行くことになってるの。感染症じゃないから帰らされることもないから、木陰で休むのがいいかなって思うんだけど、どうする?」
「…………」
……寝てるし。
「……まあ寝つくのがお早いこと。まあ、城内に入るかどうかはそのときの体調見ながらでもいいわよね。そのときの先生に任せちゃおーっと」
人任せ。
でも大阪城なんて遠出しないと見られないくらいだから、さすがに見せてやりたい。蓮の体調次第だけど。
「影島くん。バスで移動するまであと……十五分くらいなの。それまでここで寝かせて、もしまだ動けなさそうなら悪いんだけど、またおぶってくれない? 他の男性の先生に頼んでもいいんだけど」
「たぶん、先生でもおぶれますよ。ほんとに軽いんで」
「私がおぶるのはさすがにまずいわ。軽いとかじゃなくてね。一応こんなだらしない格好してるけど私女なんだからね」
……確かに。
「俺おぶります」
時間までギルくんたちと同じところにいたけど、保健室の先生に呼ばれて行けば、さっきよりほんの少しだけ楽そうな顔してる。
体を起こそうとしたことで蓮が目を覚まして、自分で歩こうとするけど、やっぱりまだフラつきがあったからおぶろうとする。けど嫌がるから隣で支えてあげてと先生に言われてそうせざるを得ない。
でも会話を成立させられるほど頭がはっきりしてそうで安心する。リュックとスマホはどこにいったかと聞いてくるほど元気になってくれたみたい。
「ギルくんが持ってる」
「……そうか」
隣で支えながら先生と一緒にギルくんたちがいる場所へ戻れば、すかさずギルくんが心配して、さっきより楽そうなことがわかれば喜んでた。
「れーくん先に帰らない?」
「感染症じゃなさそうだからね。感染症ならば近くの病院で診てもらって、必要があれば親御さんと一緒に帰ることになってたけど」
「え、でもれーくんのおか」
また言いそうになってる。俺が口を塞ごうとする前に蓮が自分でギルくんの口を抑えてた。熱があっても家庭のことを言われるのは嫌らしい。
「ん? 新藤くんのなに?」
「……なにもありません」
「そ、そうそうなんにもないー。あははは……」
「……そう?」
バスがあるところまではクラスで動くことになっていて、今から俺らのクラスが動く。そこまでは十分くらいかかった。
その間蓮は、ずっと俯いたまま俺の隣を歩いてた。小さくなった歩幅にある程度合わせてゆっくり俺も歩く。大阪城までには前を見えるようになってればいいんだけど……。
バスに乗り込んだら、蓮を先に窓側に座らせて、その横に座った。ギルくんが本当は座る予定だったけど、「もしなにかあっても俺なにもできないし、敬助くんのほうが知識あるから」ってここを譲ってくれた。
「隣失礼するぞぉ」
けどバスが進み出してからは、俺の隣に担任の先生が座った。本当は通路になってるけど、蓮の様子見ということで、通路側にある椅子の下から簡易椅子を出して座っていた。
先生が横にいるから少しの緊張があったけど、慣れてきたら緊張なんてしなくなった。蓮が俺の肩に頭を預けてくれたり、寝息が耳元で聞こえるっていうのもあったからかもしれない。
「影島、ここまで新藤おぶってくれてありがとうな」
「い、いえ。……友だちとして当然のことです」
蓮の寝息を聞いてたら、突然呼ばれたから少しびっくりした。蓮は起きてない……みたいだ。よかった。
「それより、飯食べるよう指導してくれませんか。おぶったときほんとに軽かったんです。たぶん五十は超えてないです。あの身長で五十以下は……」
「確かに身体測定したとき、あんまり健康な体重っていうわけではなかったな。もとから少食かもしれないから軽く言っておく」
「……ありがとうございます」
小三のときの蓮は普通くらいは食べてたと思うんだけどな。ようかんとかの和食が出たときは白ごはんを少なくして代わりに俺呼んで一緒におかわりしてたし。でも、クラスに一人はいる大食いくらいは食べてなかった。俺より少しだけ少ないって感じ。
成長に伴って食べる量も増えるわけだけど、もしかしたら蓮はあの量からさほど増えてないのかもしれない。本当に食べさせないと栄養失調で倒れるかもしれない……。休みの日とか家行ってみるか。来た理由を言ったらインターホンに応じてくれないかもしれないから、なにも言わずに。
そういえば蓮のスマホの充電切れてたって言ってたよな。今のうちに充電させとこ。ギルくんからスマホを預かってモバイル充電器につなげる。
大阪城に着くのには二十五分くらいしかかからなかった。けどその短時間で蓮は深い眠りにつけたらしく、呼びかけても起きなかった。それでも、ちょうど着いたくらいに突然ビクリと体を動かして起きた。
「……着いたぞ」
「…………」
どこに着いたのかわからなかったのか、その言葉を不思議そうに首を少し傾け窓の外を見た。窓の外を見てもどこか変わった風景しか見えない。
窓を見ている間に頬に触れてみたら、少し熱が下がってるみたいだった。寝れば現実で起こってる事々が遮断されるから、ストレスが緩和されるのかもしれない。……けど、このあと人が少し多いところに行くからもしかしたら、また上がり始めるかもしれない。
「降りれるか」
そもそもバスから降りれなかったら、蓮は大阪城が見える木陰で休む羽目になってただろうけど、なんとか降りれて聞けば動けるらしい。フラつきがわかるほどでもないから、中まで入れるかもしれない。……フラつくなら俺がまたおぶっていくのにな。
そのことを道中に話していれば、控えめだけど中に入りたいとは言っていた。やっぱり、普段来なくて普段見ることのない場所は行きたいよな。ただ、入る前からフラつきそうなら休むとも。俺がおぶって行こうかと聞けば、これ以上迷惑をかけられないとさ。
「れーくん元気?」
バスから降りて、ギルくんは元気そうな蓮が相当嬉しいのか同じ質問を繰り返してる。
「…………」
けど、蓮は面倒臭がって答えない。それでも嬉しそうにギルくんは笑う。
「れーくんお城だよ、お城! 大阪城!」
「あぁ」
「お城! お城!」
楽しそうだなギルくん。
「大阪城って日本で一番高いんだって!」
「……そうか」
返事が面倒臭いのか、ただしんどいのか、ずっと一言しか喋らない。それにギルくんは少し口角を下げる。
「……英川くん、クイズ出していい?」
悲しそうな顔しだすからその配慮かな。
「クイズ?」
「うん。大阪城についてのクイズ」
「いいよ! 聞きたい!」
笑顔になったギルくんを見て垣谷は微笑む。
「じゃあさっき、大阪城が日本で一番高いお城って言ってくれたでしょ? なら日本で一番大きなお城はどこでしょうか」
「えぇ? 一番大っきいお城?」
日本で一番大きいとされてる城は姫路城だな。高さが一番なのが大阪城なのは知らなかったけど。
「えぇー大阪城?」
「ぶー」
「なら……平城京?」
その答えに垣谷は一瞬困惑して微笑し、柊は笑っていた。俺は歴史が得意というわけじゃないけど、平城京が城じゃないことは知ってる。
「な、なんで笑うの? 平城京ってお城って漢字付くじゃん!」
「平城京は確かに城って付くけど城じゃないよ」
笑いながら言ったのは意外な柊だった。けど、ハッとしてからはさっきの発言をしてなかったかのように、そっぽを向いた。
「あのね、平城京はお城じゃなくて、そのとき、時代で言う奈良時代の都なんだよ」
「えっ! 都って……ことはいっぱいお家があるみたいな……?」
「うーん、まあそんな感じかな?」
「俺ずっとお城だと思ってた……。だから平安京から平城京に変わるのあるじゃん」
「……逆だ」
「……逆じゃないかな」
蓮と垣谷の声が重なる。
「あれそうだっけ? とにかくそれでお城の場所わざわざ変えたのかなって思ってた」
ギルくんは言っちゃ悪いけど相当馬鹿なのかもしれない。絶対本人には言わないけど。
「……修学旅行が終わったらまずは歴史の勉強をしようか」
口を緩ませながら蓮が言う。
「勉強嫌だー。歴史覚える必要ないよ!」
それは思ったことは何度もある。
「あ、あれそうじゃね! 大阪城!」
ずっと真っ直ぐだった道を曲がった頃、今まで黙ってた下条が指を差して声を上げた。指差す先を見れば、確かに城のてっぺんのようなものがあった。けど、たぶんまだまだ遠い場所にある。
「すっげぇ、あれ本物か……」
「ふふっ。近くで見たらきっともっとすごいよね」
蓮も城というのに初めて触れるのか、下条とは違って静かにだけど、興奮してるのか目が輝いて見えた。俺は城にはあんまり興味ないけど、いざ目にしたら腰抜かしてるかもしれない。蓮は木や建物に隠れて見えなくなるまで、ずっと目を奪われていた。ちょっとずつ元気を取り戻せてたらいいな。
見えなくなってからはずっとクイズの出し合いで暇を潰していた。今度は蓮も顔を上げて様子を見て。
「じゃあ問題ね。大坂城が舞台となった戦いはなんでしょ」
大坂城が舞台の戦い? ……あぁ、大坂の陣か。まんまだな。
「ほい! 関ヶ原の戦い!」
「ぶー」
「はい!」
「英川くん」
「本能寺の変!」
「ぶー。惜しいな、それは京都だよ。しかも関ヶ原より前の」
「えぇー?」
ギルくんは歴史が苦手みたいだな。本能寺の変はそれをモチーフにした歌が有名だよな。戦いよりも。
「れーくん答えなに?」
「……大坂の陣」
「あぁーなんかそんなのあったなー。もう忘れてるわー」
「なら、下条くんがさっき出した『関ヶ原の戦い』は何年に起こったでしょうか」
関ヶ原の戦いの年代か。俺年代はほんとに覚えられないんだよな。終戦日くらいしか覚えてない。
「あ、はいはい! わかる気がする……。さっき総務さんが本能寺の変の前って言ってて、本能寺の変は一五八二年だからそれよりあとってことだよね。なら……」
「あ! 一六〇〇年!」
「下条くん正解」
「えー! 俺せっかく考えてたのにー!」
ヒントは与えないようにな、ギルくん。その考え方は良かったけど。関ヶ原の戦いってすごいキリが良い数字なんだな。覚えとこ。……使うときなんてないと思うけど。
「じゃあ、次は俺が出す! んーっと、れーくんの誕生日はいつでしょーか!」
「……はあ?」
自分の誕生日を問題にされるとは思ってなかったらしく、さっきのは本当に疑いをかけた「はあ?」だった。
蓮の誕生日か……。あの一年間で教えてくれなかったからな結局。素直に知りたい。もしかしたらもう過ぎてるのかもしれないけど、誕生日プレゼントは贈りたい。
「今日!」
「あはは、ぶっぶー。今日なら誕生日プレゼント持ってきてるよ」
「ギル、もういいだろそのクイズ。問題にかけるなら自分の誕生日にしろ」
「だって俺のは真也くんも総務さんも教えたもん。れーくんは逆に何回言っても憶えてくれないけど」
あの一年で何回か聞いても答えてくれなかったから、やっぱり自分の誕生日は知られたくないのかな。誕生日教えることによって誕生日プレゼントももらえて祝われるのに、蓮はそれが嫌なのか?
「一年の前半か後半かのヒント欲しいな」
「えーっと……後半……?」
「ギル」
少し怒ったような口ぶりでギルくんの腕を引いて離れていった。そんなに知られるのが嫌なのか。
ギルくんは一年の前半か後半かで迷いをみせていた。一年と言われて思い浮かぶ一年が「一月から始まる一年」か「四月から始まる一年」。正確に言えば「年」と「年度」。それで迷ったんだろう。
年度は現役で学校に通ってる俺らならわかる。今年も四月から高校二年になって、来年の三月に二年生が終わる。この考え方も存在してしまうから迷ったんだろう。
もし前者の後半ならちょうど十二を二で割った七月から十二月の間。逆に後者の後半なら十月から三月の間。
そして迷いを見せたってことは、それぞれの後半でも数字が被る月じゃないんだろうな。被るのなら迷う必要もないから。
となれば、十月から十二月はそれぞれの後半の中で数字が被るから省かれて、可能性があるのは残りの七月、八月、九月、一月、二月、三月になる。……ここまでしか推理できない。
「べつに誕生日くらいいいじゃん……。れーくんのケチ」
「…………」
蓮とギルくんが帰ってきた。ギルくんになにか言い回したのかずいぶん拗ねてるみたい。どれだけ誕生日を知られたくないんだ。
「帰ってきた。蓮の誕生日ってもう過ぎた?」
「教えない」
「前半かこう」
「教えない。もう僕の詮索はするな。誕生日といっても個人情報だ」
「個人情報っていっても、友だちの間だけだし、バレたところで年齢がわかるくらいじゃない?」
「……だとしても、個人の情報を自分で守るくらいの権利はあるんじゃないか」
「…………」
蓮はギルくんにこんな感じで言ったのかな。垣谷がギルくんと同じ顔しだした。どれだけ知られたくないんだ。
「代わりにケイの誕生日を当ててやれ」
俺?
俺の誕生日は蓮以外に教えてない。俺の誕生日を知れるとわかったのか、ギルくんがパッと顔をあげてやる気満々だ。
「ヒント!」
……早いな。まだなにも答えてないし。
「……一月から数える一年の後半かな」
「ってことは、七月から十二月の間だよね! うーん」
「何座? 僕憶えてるからそれ聞けば」
「それ言ったらもう答えのようなものだろ? ヒントあげたんだから頑張れよ」
六分の一。そのうちあてずっぽうで当てられそう。まあ、さそり座だけど。
「はい! えっと、えへへ。七月か八月か九月か十月か十一月か十二月!」
ほら来た。っていうか、もう全部言ってるだけだろ。
「きちんと答えてくださーい」
ふざけて笑ってみせる。
「ヒント!」
「……んー。修学旅行がある月」
もう俺の誕生日当てなんて飽きただろうし、言ってしまおう。
「……え! 今月なの! 今月のいつ? もう過ぎた?」
「ケイの誕生日はそんなだったか」
ボソッと蓮が言う。蓮は忘れてる? でもさっきギルくんが誕生日憶えないとか言ってたし、もう八年前だし忘れててもおかしくないか。
祝われたい気持ちは……あったりするから、
「もう着くみたいだし、クイズ大会はお終い。ただ……まだ過ぎてないとだけ」
「過ぎてないの! じゃあ、明日誕生日かもしれないじゃん! 敬助くんおめでと!」
「……明日じゃない」
ずっと真っ直ぐだった道を途中で曲がって、小さな橋を渡る。橋と言っても川があるわけではなく、苔が生えているだけだった。そこを渡れば門をくぐる。垣谷曰く桜門と言うらしい。
薄々感じてたけど、日本人というより外国人のほうが多い。日本人は家族連れや昼上がりらしいスーツ姿の人をたまに見るくらい。時間的にもだいたいは学校や仕事をしてる時間だろうからな。
門をくぐってからはさらに外国人が多く感じる。蓮はこの人の多さを苦に感じるのかと疑問に思い、顔を覗いてみれば、案の定あんまり好ましい顔はしてなかった。
でも、本人も言ってこないし酷くフラついてる様子もないから、なにも言わないでおく。それにまだ間近で大坂城を目にしてない。
門をくぐって少し歩いたあと、大阪城が見えてきた。もう障壁もなく、ずっと前に進めばたどり着く。大坂城を目の前にすれば、感嘆の声がいくつも聞こえた。本当にそこにある。
大きな木がある前で一度点呼を取って、確認後少ししてから順番にクラスごとに、班ごとに動いていく。その前に蓮がスマホで写真を撮っていたから俺も真似て撮る。蓮が写った写真を。
動き出したら階段を上って、上って、入り口近くに見えたのが本物らしき大砲だった。それに気づいた下条たちがものすごく楽しそうだった。正直レプリカに思える。
俺はそこまで歴史とかに興味ないから流し見程度に見てたけど、垣谷の目が輝きまくって眩しかった。どの展示物も興味深そうに眺めて、写真が撮れるものは何枚も撮ってた。垣谷ってこんなにはしゃぐんだな。
後ろにいる蓮も少し関心があるみたいで、説明文に目を通してた。
この大阪城は想像してた内装はしてなかった。もっと「城」って感じがするのかと思ってたけど、展示物で埋まってそうはいかなかった。八階に展望台とかもあるみたいだし。
七階まで上がってきた。ここの階は……3Dで投影された大阪城に関する歴史のことについての映像がいくつか流されてる。技術はすごいけど興味ないな。音声も重なって聞き取りにくいし。
けど垣谷は興味津々でスクリーンから目を離さない。下条は予想通り早く行きたそうにつまらなさそうに、ギルくんは聞く態度は持ってるけどたぶん理解できてない。
それでも垣谷が満足するまでは階を上がることもできないし、俺もなんとなくスクリーンに目を映す。……案外面白いな。
案外面白くて夢中になって鑑賞してたら、音声に紛れて荒い息遣いが微かに隣から聞こえる。隣には下条が理解してなさそうにスクリーンを見てる。そしてもう一方には、
「蓮……大丈夫か」
スクリーンに目も向けず俯いて苦しそうに息をしてる。油断してた。
「一回離れて休憩するか?」
「……いい」
いいと言える状態じゃないから聞いたのに。
「もう少し……だけ。展望台で、空気吸える」
「……無理そうなら言えよ。今はなにが負担かかってる?」
「……人が多い」
「……イヤホンするか? 音声聞こえなくなるけど、負担は減るんじゃないか?」
少し考えたあとコクリと頷いた。
リュックのポケットに入れてたイヤホンを取ってもらう。
「服でも掴んでたらいいからさ。周り見ないようにな」
一言ありがとうって聞いたら、イヤホンを付けてスマホを操作しだす。……なに聴くんだろ。大阪城の歴史よりも気になる。
またスクリーンに目を移しては鑑賞する。けど今度は蓮にも目を向けながら。
蓮は目を瞑って、俺が背負うリュックの紐を掴んでる。
「…………」
紐に手を近づけて蓮の手を包んだ。するとパッと目を開ける。少しだけ口を緩ませて手を握ってくれた。
八階に移動した。八階はパンフレット通り展望台があって、他に小さな売店があるくらい。展望台があるからもちろん、人も多かった。それには蓮が少し不快そうに目をしかめる。けど展望台があるとわかったからか少しまんざらでもなさそうだった。
「こちらの商品は一階でも販売しておりまーす」
売店を一人で回してる。いくら販売品が少なくなってると言っても一人で回すのは大変そう。
「人も多いし、お土産は一階で買お」
垣谷が言うのには賛同する。そもそも人が多くて前に進めない。
やっと少しの道が見えて展望台に出れる。寒い風がびゅーっと吹いて寒さを覚えると同時に、その景色に鳥肌が立った。
「すごい……」
大坂城を中心とした、大阪の街がよく見える。ビルがそこら中に建ってて、都会だというのがより実感させられる。さすが三大都市圏の一つだ。
展望台での風景には蓮も釘づけになっていた。俺の腕に軽く頭を預けながらも目を輝かせていた。こんな景色なかなか見ないもんな。俺も目に焼きつけよ。
各地で満足するまで写真を撮ったら一階まで一気に下りる。そのあと後回しにしてたお土産を買う。
八階の売店よりは広いと言っても人がいてさほど変わらない気がする。それでもこっちのほうが断然売ってる品が多かった。
修学旅行の小遣いで買えそうなものやそうでないもの。食べ物や装飾品、実用品まで土産と言えばというものばっかりあった。
売店を目の前にした蓮はさっきよりも元気そうにしてた。自分の分にしてはキーホルダーが一つ分多い気がする。ギルくんにでもあげるのか? でもそんなことなさそう。ギルくんのはべつであるっぽい。じゃあ誰に買うんだ?
母さんたちなにがいいかな。クッキーとまんじゅうと……キーホルダーでいいか。どんなのがいいかな。いろいろあって買うのも迷う。マグネットもいいな。冷蔵庫とかに使えるし。心美にもキーホルダー、大阪城の形したのと桜の形がしたのにしよう。……大阪城が描いてる勾玉いいな。俺の分も買お。
もうお土産もここでしか買わないはずだから全部使い切るくらい買ってもいいかな。たぶん家用だけじゃ余るだろうし、蓮にも買っていっていいよな……。
大阪城を出て、クラスでバスがあるところへ戻っているなか、蓮の顔を覗き込めばあんまり良い顔をしてなかった。どうしたのかとギルくんが問えば、なにもない、と。
「正直に言ったほうが楽だぞ」
「……歩き疲れた」
「おんぶするか?」
「……いい。僕だけ特別扱いはやめてくれ」
特別扱い……か。
おんぶは本当に嫌がっていたから、リュックだけ預かった。お土産は自分で持ちたいだとさ。
バスに乗り込んで、新大阪駅まで行って新幹線に乗り換える。一昨日と同じ座席だ。同じ席に座れて良かった。
ここまで来たらもう三時間くらいは寝れる。そのことを言う間もなく、蓮はもう目を瞑って俺の肩に頭を預けていた。
「あれ、れーくんもう寝ちゃった?」
「この三日間たくさん歩いたからね。僕もクタクタだよ」
「俺はあと二日くらいはいけたかなー、なんて。あはは。俺も疲れちゃった。俺も寝よっかなー」
一種の旅行みたいなものだからな。俺もずいぶんと疲れた。けど、いつも以上に寝れた。
蓮の頬を触って熱が下がったか確認する。……少なからず道頓堀のときよりは下がってそう。もうあとは帰るだけだから、家まで寝て起きたときに元気になってくれたら俺はそれだけでいい。
蓮の寝顔をこっそり撮ったあとは、起きていようかと思ってたけど眠たくなってきた。無気力に置かれる蓮の手を触って、握る。
俺も寝ようかな。
修学旅行は嫌なものになるってわかって小学生のときも中学生のときも行かなかった。それでよかったって思って、今回の高校生での修学旅行も行かないつもりだった。この学校に転校することが決まったときから。
でも来てみれば昔の友だちがいて、できないと思ってた友だちもたくさんできて、修学旅行が目前に迫ってきたとき、初めて行こうって思えた。
鼓動を速まらせながら準備を進めていくなか、柊が急に絡んできた。柊の態度が気に食わなくてほんとに嫌いだった。顔を見るたびイライラする。こんな奴とほんとに行くのか? って何度も蓮に聞いた。けど「仕方がない」とさ。
何度願ってもやっぱり柊は休むことなく来た。友だちもいなさそうだから、むしろ来たほうが苦痛だろうからこないだろうと思ってたのに。
でも、そんな嫌ってた柊には柊なりの思念だとかがあって、蓮を傷つけるようなこともしなくなって、なんとなく向ける態度は変えた。それでも言動は変えられなかった。
そんななか蓮と、俺のくだらない思いで喧嘩して、そのとき「やっぱり修学旅行なんて来るんじゃなかった」って思った。
けど、蓮と対立したのが今回良い結果になったのかもしれない。蓮と柊が距離を縮めたら、なんだか柊が柔らかくなってた。いや蓮がすごいだけなのかもしれないけど。柔らかくなった柊は周りにも目を、口を向けるようになった。それは互いに嫌ってたはずの俺にさえ。
今では嫌いだって、一生嫌ったままなんだろうなって思ってた柊のことを、好きだとは思えないけど嫌いでもない。極力言葉を交わしたくはないけど、べつに隣にいてもいいかなって思えるようになった。
修学旅行って、ただ知らない場所を回って食べて買って遊んで、疲れて帰る。そんな縛られた行事だと思ってたけど、案外自由で、大切な思い出もできた。それに新しい友だち……とまではいかずとも親しくできる人もできた。
こんなにもたくさんのことがあるなら、小学生のときも中学生のときも言っておけばよかったって少しだけ後悔してる。でもほんの少しだけ。こんなにも大切だと思える思い出ができたのはこのメンバーだったからってわかってるから。このメンバーじゃなかったらきっと、想像してた通りの嫌な思い出にしかならない修学旅行になってたと思う。
そんなことを思って、学校に戻ってきて体育館で先生からの話が終わったあと、メンバーに「ありがとう」を伝えたくなって、ちょうど蓮の周りにいた一人を除いたメンバーに言おうと思った。
蓮が倒れかかりそうな角度で座りながら寝ていた。けどギルくんが支えて倒れずに済んでる。
「さすがの俺でも修学旅行終わりの体力じゃれーくん担げないよー起きてー」
「ギルじゃ蓮担げないだろ」
「いけるもん! よいしょってできるもん!」
耳元で叫ばれた蓮は耳を手で塞ぎながらしかめた顔を作る。
「うるさい……」
「あ、起きた。帰るよー」
「……もう少し寝さ」
「だーめ。そんなの許したらここで寝ちゃうでしょ。ほら起きて」
そんな様子を微笑ましく見て、ふとここへ来た理由を思いだす。
一つ咳払いをして、
「あのさ……この三日間ありがとう。すごく楽しかった」
「……け、敬助……? どっか頭ぶつけたか? 大丈夫か?」
ぶん殴ってやろうか。俺だって感謝くらいする。
「こちらこそだよ。ありがとう影島くん」
にこやかに返事をしてくれる垣谷。
「俺も楽しかったよ! みんなありがとね」
まだ眠たそうな顔だけど、蓮は口を緩ませている。
「ケイがそんなことを言うくらいに楽しかったのならよかったな」
「……蓮は楽しくなかった……?」
少し不安を乗せた声が出てしまった。でも蓮はすぐに否定する。
「そんなわけあるか。……すごく楽しかった。今までの修学旅行で一番」
「そっか。よかった」
残りの一人はどこだと見渡せばもう体育館を出るところだった。もうあんなところだし、べつに言わなくてもいいかな。そう思うも、俺は荷物を降ろして急いでそいつの傍まで走って、名前を呼んだ。
「柊」
「……なに」
振り返って一瞬目を合わせたものの、すぐに逸らす。
「……しゅ、修学旅行、楽しかったな……って」
「……よかったね」
すぐ行こうとする柊を言葉を続けて止める。
「それで……今回のメンバーじゃなかったらたぶん、ここまで楽しくはなかったと思う。だから、その……修学旅行に来てくれて……この三日間一緒に過ごしてくれてありがとう」
頭を下げて目を瞑る。けどなんの音がなくてもう目の前を去ったのかと薄っすら目を開ける。
と、大きさの違う靴が見える。そのうち上にある一つが下って消えた。もう一つも消えるかと思ったのに、瞬きをしたあとには戻ってきていた。
「馬鹿じゃないの……。てかいつまで下げてんの」
そんなことを言われるほど下げたつもりはなかったけど、上げる。そこにはまんざらでもなさそうな表情の柊がいた。
「……べ、べつに親が行けってうるさいから……行っただけだし。それに……影島のためじゃないし。ぼくも楽しかったし。……ぼくこそありがとう」
言葉を言ったあと照れくさそうに口を尖らせて、
「ぼ、ぼくこのあと用事あるから。じゃあね。……蓮くんたちにも楽しかったって言って」
「いやなこった。自分の口で言え」
「は、はぁっ? う、うっせんだよばーか」
笑いだしそうになるのを我慢したように言い捨てて、走っていった。俺は一つ笑みを作る。
この三日間で悪口も言えなくなるなんて、かわいそうな奴。
「早咲きの蓮華は地面咲いた」の七作目、「交差する言葉」を投稿しました。
きっと今作はこの物語の中で一番の長編となると思います。今後こんな長いの書けないと思います。そして今作はより友情という面に焦点を当てて書くことができたのではないかなと思って満足しています。
他人がいるから分かり合えないことだってある。そんななかでも蓮たちなりの決着が最後にはついた。いつまでそんなことができる関係が続くといいですね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




