知らない温度
次の時間は化学だ。そして実験をするらしく、理科室まで移動しなければならない。
「ここですればいいのに……」
「あはは、できないから理科室でやるんだよ。ほら、行くよー」
僕は面倒臭そうな顔を作って理科室に向かった。確か第三理科室だったな。第三理科室は特別棟の……何階だったか。去年は一ヶ月に一回行くか行かないかくらいだったから憶えていない。ギルに付いていこう。
渡り廊下を通って特別棟に入る。階段を……一回、二回上がる。
黙々とギルに付いていけば、第三理科室は特別教室棟三階の調理室の横にあった。着けば数人廊下に待たされていた。教室はまだ開いていないらしい。
「……はぁ」
移動させるくせに待たせるのか……。実験内容が面倒なものならやらないぞ。壁に寄って窓から空を眺める。今日も綺麗だ。
チャイムが鳴る数分前に先生が来て教室に入れた。机の上にはすでに今回使う実験道具らしきものがトレイの中に入っている。
座席は自由ではない。黒板に座席表が貼られていて、一つの机に数人、出席番号順に振られている。
「……みんな知らない人だ……」
ギルは心を開けばどこまでも付いてくるような奴だが、心を開くまでが長かったりする。高二になってまだ二ヶ月程度。無論、心を開くことはまだできていないらしい。
「なんとかなるだろ。いつもどおりにしていれば大丈夫だ。それに僕を見てみろ。名前や顔すら初見のようなものだ」
「それはれーくんが覚えようとしてないからでしょ?」
実際、覚える必要がない。
チャイムが鳴ったことでギルは自分の席に座りにいった。名前も顔も知らない奴との化学の実験の始まりだ。
僕が座る机に集まったのは四人。ブレザーに付いてある名札を見てみれば、斜め右に「清水」、隣に「下条」、向かいに「鈴木」だ。誰も顔や名前に憶えはない。……いや、「下条」って始業式の日に圧倒的な脳天気さを見せつけていた奴じゃないか。僕が憶えているくらいだ。
僕を除いた三人でなにか楽しそうに話をしている。どうやら、僕以外は友人かなにかみたいだ。すごく気軽に話しかけている。清水と……誰だったか。
「蓮、だったよな。よろしくな」
「……あ、ああ」
隣からいきなり呼ばれたから困惑した。
あの一回の自己紹介でしか下の名前を言ったことがない。いつも話すギルもヘンな呼び方をしていて、直接僕の名前を呼んでいない。つまりこいつ、下条があの一回の自己紹介で僕の顔と名前を覚えたということになる。脳天気だけだと思っていたが、本当は相当な記憶力の持ち主なのかもしれない。
まあ、そうだとしても仲を深めるつもりはない。人と関わるというのは時に面倒なことになる。なら、そもそも関わらなければいい。
配られたプリントに実験結果を書いていくようだ。プリントにも実験方法が書かれているが、先生の詳しい説明のあと実験を始めるよう言われる。
それぞれ役割を決めてから始める。僕は立ちっぱなしが嫌だから、座り続けられる実験結果を記入する役割に回った。立ちっぱなしでいるのが嫌なのは確かだが、他に実験をするのが面倒だからこれを選んだわけでもある。
頬杖をついて興味がなさそうに、下条らが作業していく様子を見ていく。ときどき言われた結果を書いて、また眺める。
が、今はうまく進行できておらず詰まっている。
「…………」
その光景を他人事のように見飽きた僕は、ギルがいたはずのところへ視線を向けた。男女二人ずつの四人班だ。ギルは一つひとつの行動に不安を抱いているのかビクビク怯えている。
「――――」
ギルになにか話しかけた、いかにも真面目そうな男子生徒が。どこかで見たことがあったような……。この前の委員会決めのときに立候補した奴だろうか。忘れた。
ギルがそいつに向いて口を開けている。ただ、相手の見えない机の下で手が強く握られていた。
早くこの時間が終わってほし――
「蓮って!」
「っ……」
びっくりした……。ギルに気を取られていた。
「なんだ」
「なんだじゃなくて、実験結果! 書いて」
「……ああ」
初対面と思えないほど馴れ馴れしいな。言われた結果を書いていく。その間、のんきに話し声が聞こえた。
「作者の気持ちを答えろとかマジ意味わかんね」
「ははは、だよなー」
「…………」
下条と誰だかの会話に一区切りついたのか、急に静かになる。
「……蓮って去年何組だった?」
静かになったことに気まずく感じたのかは知らないが、それを紛らわせようと僕に質問を振るな。
「……教える必要ない。憶えている奴に聞け」
「…………」
こう言えば、こりて話しかけてこな――
「蓮ってどこ中?」
「…………」
だいたいああ言えば引き下がるものだ。なんでここまで……。それに改めてこう聞かれるとヤンキーと思わされる……。
とにかく、
「僕に教える義理はない」
「…………」
「それにもう僕と関わろうとするな。その仲の良さそうな二人と駄弁っておけ」
「……俺クラスのみんなと仲良くなりたいからさ、蓮とも仲良くなりたいなーって」
「必要ない。実験が終わったなら、結果を写せ」
少し面倒臭そうな顔をしながら、書いた実験用紙を突き出す。けどそいつは、嬉しそうに、にっと笑って言った。
「ありがとな」
調子が狂う……。
ギルと初めて会ったときくらい調子が狂う。
「やべーな」
「こいつ絶対面倒臭い奴じゃん」
「関わりたくねー」
清水と誰だかが小さな声でそんなことを言っている。きっとと言わず、僕のことを言っているのだろう。視線を感じる。
そっちから避けてくれるならありがたいことだ。そう思いながら、そっぽへ頬杖をついた。耳障り。
……けど下条が僕に接しようとするのは下条の自由だ。僕がそれを拒絶するのも僕の自由だ。
僕のことを言っている二人の会話は下条に聞こえているはずなのに、下条はそれに加担しない。本当に仲を深めたいのか、僕と同じく対応するのが面倒なのか。
どちらにせよ、
「よーし書けた。ありがとな、蓮」
「…………」
こいつは相当頭が狂っているらしい。




